【まさに癒やし】かぐや姫の物語の女童が可愛すぎる【ある意味主役】
2015/10/21
zeroko
2019/01/26 更新
高畑勲のジブリ作品である『かぐや姫の物語』の考察は、出回っている情報のほとんどが間違っています。元となった竹取物語とは一味違った面白さを理解するには、物語最大の謎である罪と罰の意味の真相にたどり着いた時です。また、かぐや姫を取り巻く帝や童女は、なぜ人気なのか。
高畑勲のジブリ作品である『かぐや姫の物語』の考察は、出回っている情報のほとんどが間違っています。
元となった竹取物語とは一味違った面白さを理解するには、物語最大の謎である罪と罰の意味の真相にたどり着いた時です。姫の犯した罪と罰とは何か、ネタバレになりますが解説しますので注意してください。
また、かぐや姫を取り巻く帝や童女などの人気キャラクターについてやまだ知られていない考察をまとめています。
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『かぐや姫の物語(かぐやひめのものがたり)』は、スタジオジブリの高畑勲監督によるアニメーション映画です。企画開始から公開まで約8年の歳月をかけ、約50億円の制作費をかけたジブリ映画の超大作となっています。
この作品は、今までにない「絵」で描かかれており、最初のイメージボードを書くようなラフなタッチになっています。実際に見てもわかる通り、手書き風に描いた線を生かしたのスタイルは、一枚の絵が動くような仕上がりです。
この繊細な絵は、かぐや姫の物語の最も大きな特徴で、あまりにも繊細で美しい絵なので、公開当初は賞賛する声が多数上がっていました。
約8年の歳月をかけて制作された『かぐや姫の物語』ですが、制作自体は順調に進んで行いったわけではありません。一時期、公開の日程の見直しも迫られていたようですが、なんとか無事に公開することができました。
この作品の監督である高畑勲さんは、アニメーターの書いた原画に対して厳しく指導してしまうため、常に原稿が遅れてしまっているという事態が起きていたようです。
ジブリ映画の興行収入ランキングでは惜しくも、16位となってしまいましたが、繊細なタッチと練りこまれたストーリーは、アニメーション映画とは思えないほどの傑作に仕上がっています。
『かぐや姫の物語』は、日本最古の物語である『竹取物語』が原作の物語です。原作の『竹取物語』は、成立年と作者共に不明ですが、平安時代初期の10世紀半ばに、かな文字で書かれたと言われています。現代では『かぐや姫』として絵本やアニメ化がされています。
『かぐや姫の物語』のあらすじを軽くご紹介します。
ネタバレになりますので、ご注意ください。
「今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。」という原作同様のナレーションと共に物語が始まります。
翁(おじいさん)は、仕事中に見つけたタケノコから、手の中に入るほどの小さな女の子を発見し、嫗(おばあちゃん)と一緒に育てることになりました。
その女の子は、驚異的なスピード(実際にはありえない速さ)でどんどん大きく育っていきます。また、女の子は自然の中で育ちながら、近所にいる捨丸お兄ちゃんたちとよく遊びました。
女の子の成長に合わせて、翁は何か不思議な力によって、竹から砂金を授けられました。
女の子のためを思った翁は、その砂金で「高貴の姫君」としての育てることにします。
宮中から相模という女官を家庭教師として、やがて女の子は「かぐや姫」の名を与えられます。
そして、高貴な身分となり、成人儀礼(裳着)と披露目の宴が行われたかぐや姫は、五人の貴公子から求愛されます。
かぐや姫は、この求愛をかたくなに拒否し、五人の貴公子からの求愛を上手にかわしていきます。また、この生活に嫌気がさしたかぐや姫は、次第に昔の生活を思い出し、当時過ごした捨て丸兄ちゃんのことを想い始めます。
しかし、今度はその話を聞きつけた御門(帝・天皇)から宮中への出仕を求められます。かぐや姫は、それすらも断りますが、御門は不意にかぐや姫のもとに訪れ、求愛してきます。
この求愛では、御門に後ろから抱きしめられてしまいます。不思議な力を使い、なんとか御門から逃げることができますが、それからのかぐや姫は様子が悪くなっていきます。また、これがきっかけで、地球が嫌だという感情が月に伝わります。
そして、地球に嫌気がさした感情が、嫗に月に帰らなければならないことを打ち明けるのです。翁は、かぐや姫を月に返さないと言い張りますが、かぐや姫がどんなに地球に残りたくても、連れて行かれてしまうことを知ります。
最後に媼の計らいで、昔の山里に向かうところで捨丸兄ちゃんと再会することができました。捨丸兄ちゃんは妻も子供もいましたが、かぐや姫と抱き合ってしまい、2人は宙に浮きます。しかし、そんな幸せなひとときは、不思議な力によって終わります。
そして、8月15日の満月の夜、とうとう月からの使者がかぐや姫を迎えに来てしまいます。翁たちは武士たちで警備を固めていましたが、抵抗することもできず、かぐや姫は使者のもとに引き出されてしまいます。
かぐや姫は最後に翁と媼に別れを告げますが、羽衣を着せられるとかぐや姫の記憶は消えてしまい、しずかに月の世界に帰りました。
『かぐや姫の物語』では、御門(帝)や女童に目がいってしまい、物語に集中できなかったっという感想もあったようです。
なんと言ってもそのデザインが話題になったので、SNS上ではよくネタにされていますよね。そんな2人のキャラクターについて、紹介していきます。
「女童」の登場で、すだれをめくった瞬間の顔のアップに驚いてしまった方もいるようです。
身長が低く、少しぽっちゃり目の体型が愛らしいキャラクターとして注目が集まりました。
ちなみに「女童(めのわらわ)」とは、女の子や少女と言う意味ですが、かぐや姫の物語では、主人公のかぐや姫に、付き人の侍女見習いとして仕えています。
「侍女(じじょ)」とは、貴人に仕えて身のまわりの世話をする女性のことで、この女童もかぐや姫の身近なサポートを行なっていました。
侍女である女童は、かぐや姫の不自由な状況の際に、かぐや姫に変わって桜の咲いた枝を持ってきたり、羽付きの相手をしたり、添い寝をしたりなど、かぐや姫のことをよくわかっている身近なサポート役でした。
その愛嬌と気が利いた行動に、テレビの視聴者も釘付になりました。
結果、ネット上で大きな話題になり、女童の知名度は一気に上昇します。
何と言っても物語の最後まで、かぐや姫のことを思って起こす行動は客観的で、より視聴者が共感できた存在だったのでしょう。それと同時に、人間の渦巻いた欲望の本質を捉えているような存在であったとも言えます。
鋭い顎で有名な御門(帝・天皇)ですが、当初は美男に書かれていました。ですが、この絵に対しても、高畑勲監督は妥協せずに「御門の顔の一部分を崩してみたらどうか」と提案を出します。
その結果生まれたのが、この顎の鋭い帝です。twitterでは「帝の顎」がトレンド入りするほどで、ネット上では大きな話題になりました。
作中では、この衝撃的なルックスでかぐや姫を手に入れようとします。自分勝手に後ろから抱きついて、帝はかぐや姫に対して「私がこうすることで喜ばぬ女はいなかった。」と発言しています。帝だから当然という見方もできると思いますが、このクズっぷりには理由があります。
『かぐや姫の物語』に登場する御門ですが、先ほども説明した通り、自分勝手で現代では通用しないようなクズっぷりを発揮しています。ですが実は、このようななってしまったのには、大きな理由があります。
他にも『かぐや姫の物語』には、一見見落としがちな重要設定が多く存在しています。そして、その多くが間違った解釈で認識されてしまっています。
映画の元となる『かぐや姫の物語』の絵コンテを見ればわかるのですが、これらをわからないように描くのが高畑勲監督だと覚えておきましょう。
『かぐや姫の物語』では、御門(帝)を含む男性キャラクター全てが、クズな男のように描かれています。実は、最初に出てきた捨丸兄ちゃんから、途中で出てきた5人の貴族、さらにはかぐや姫を発見した翁までもが、クズに描かれている(クズのように見える)のには、明確な理由があります。
男性キャラクターがおかしくなっている理由は、ズバリ、かぐや姫は生まれ持った能力を持っているからです。かぐや姫は、男性に対してだけ絶大な魅力を感じさせる能力を持っているのです。したがって、御門はクズではなく、かぐや姫を見たときからかぐや姫の能力にかかってしまっていたことがわかります。
その証拠に、物語に登場する女性キャラクターは、全て正常に物事を考えています。逆に、かぐや姫の周りを取り巻く男性キャラクターは、全員がかぐや姫のことを想ってしまい、おかしくなります。これらの現象を引き起こしているのは、まぎれもないかぐや姫の生まれ持った能力だった訳です。
かぐや姫は赤子の姿で生まれてから、すぐに大きく育っていきます。その成長は、人智を超えたものになっていますが、かぐや姫が成長する際には、実はある法則性が存在しています。
作中のかぐや姫は、性(セックス)に関する状況で急激に成長します。よくよく見てみるとそのようになっていることがよくわかるはずです。序盤では、カエルが後尾しているのを見た際に成長しています。
作中のかぐや姫の幼少期は、かぐや姫の能力によって、かぐや姫が男に囲まれて過ごしているだけでなく、そのこと自体がかぐや姫に成長を与えています。捨丸兄ちゃんが抱きついた瞬間にかぐや姫が成長するのも、この法則性があったからです。
『かぐや姫の物語』では、不思議なことが明確に起こる場面がいくつか存在します。かぐや姫が脱走して野山で死ぬシーンや、捨丸兄ちゃんと抱き合って空を旅している最中に落っこちるシーンなどです。
これらは全て、月が起こした現象という設定になっています。月の能力が発動して、かぐや姫を蘇生させたり、時間を巻き戻したりしていたのです。ですので、捨丸兄ちゃんとかぐや姫が引き離されるシーンも、夢などではなく、月が2人を突き放したと考えることができます。
もちろん、かぐや姫自身も多彩な能力(野山を急速で走る力や瞬間移動など)を持っていますが、かぐや姫の故郷である月も多彩な能力でかぐや姫を守っていた訳です。
映画『かぐや姫の物語』の公開当初のキャッチコピーは「姫の犯した罪と罰」でした。高畑勲監督は、そのキャッチコピーを使うことに強く反対していましたが、結果的にジブリが宣伝と同時に与えた、物語を読み解くヒントとなりました。
しかしながら、その罪と罰について、具体的に何のことだったのかは映画の中で明確にされませんでした。そして、ネット上に上がっている罪と罰についての考察は、ほぼ全てが間違っています。
決して映画を観た人が自分で答えを見つけてほしいというメッセージなどではありません。高畑勲監督は、明確にかぐや姫の犯した罪と罰についての伏線を残しています。
かぐや姫はかつて、月から地球に降りた月の女性が地球の男性との間に身ごもった、月と地球のハーフです。汚らわしい地球の男性の血を受け継いでいるのが、かぐや姫自身という設定でした。
地球人の血が流れているかぐや姫は、当然、地球に憧れを抱いてしまう存在になってしまいます。そんな憧れを抱くかぐや姫に対して、月は地球に行くことを許可します。ただし、その汚らわしい地球で、月に帰りたいと思わないことを条件とします。
こうして、月と地球のハーフであるかぐや姫は、地球に生まれることになった訳です。この背景は、物語中のあらゆる場面で散りばめられています。
では、かぐや姫の犯した罪と罰とは一体なんなのでしょうか。それは、最後のカットで大きなヒントが示されています。それは、赤ちゃんが月の中に描かれてかれているカットです。そして、この赤ちゃんこそが、かぐや姫の子供です。
作中でかぐや姫は、捨丸兄ちゃんと空を飛びましたが、これによって、かぐや姫に子供が身ごもっています。最後のシーンで出てくる赤ちゃんは、第二のかぐや姫です。そして、この赤ちゃんもかぐや姫と同じ人生を歩むことになると考えることができます。
この子供を身ごもっていたことこそ、かぐや姫の犯した「罪」であり、かぐや姫がそうであったように、かぐや姫の母も、またその母もずっと、この無限ループににハマり、同じことを繰り返している、繰り替えされてしまうという「罰」であったのです。この罪と罰は、今後も永久に続いていくのでしょう。
ジブリの高畑勲さんは、最近のアニメの声優をあまり好ましく思っておらず、声優の採用は独特の判断基準で決めていると言われています。
この『かぐや姫の物語』という作品を見てもわかる通り、普段のアニメーションでは聞くことのできない素敵な声が聴けたはずです。
今回は、そんな素敵な声を『かぐや姫の物語』で披露した、素敵な声優陣についてご紹介していきます。
あの綺麗なかぐや姫の声を担当していたのは、朝倉あきさんという方です。この方は声優ではなく女優で、最近では下町ロケットなどにも出ているようです。
高畑勲監督は、朝倉あきさんの声を「今の女優は受け身の声が多い中、彼女の声はワガママだから」と称しています。高畑勲監督の感覚は、繊細で難しいですよね。
女童の声を担当していたのは、田畑智子さんという方です。
田畑智子さんは女優として、よく活躍されていらっしゃいますよね。
御門(帝)の声を担当していたのは、歌舞伎俳優の二代目中村七之助です。
主題歌は、二階堂和美さんの『いのちの記憶』です。
シンガーソングライターとして活動されており『いのちの記憶」』で、作詞作曲を担当しました。優しくも力強い、独創的な歌声がとても素敵で、高畑勲監督もベタ褒めだったようです。
手書きで描かれた柔らかな表現にとても合っており、物語によくあっている、惹きつけられるような音楽です。
『竹取物語』をモチーフにした映画『かぐや姫の物語』はストーリーもさることながら、手書きで表現されたなめらかで生き生きとした線と、柔らかな水彩画で、まるで生きているかのような表現でした。
『かぐや姫の物語』の面白さは、ほかにもあるのですが、今回は間違えられている『かぐや姫の物語』について、正しい解釈をまとめています。
高畑勲監督は、すでに亡くなられてしまいましたが、スタジオジブリの今後の作品に期待です。
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