記事ID145946のサムネイル画像

松‌本‌聡‌香‌(麻‌原・‌四‌女)‌の‌現‌在‌(2020)‌?‌麻‌原‌彰‌晃‌と‌の‌関‌係‌や‌そ‌の‌後‌も!

多くの犠牲者を出した地下鉄サリン事件によりオウム真理教という教団の名前が世間に知れ渡りました。教団の教祖だった麻原彰晃は2018年に死刑となっていますが、彼の四女である松本聡香さんが注目を集めています。今回は、松本聡香さんの現在や生い立ちを紹介します。

松本聡香(麻原・四女)の現在(2020)

多くの犠牲者を出した、無差別テロの地下鉄サリン事件を引き起こした、オウム真理教。日本全国を恐怖に陥れたこの事件の教団の教祖だった、麻原彰晃の四女である松本聡香さんが注目を集めています。

 

母や兄弟とは決別し、行動を起しています。詳しく見ていこうと思います。

遺骨を巡って家族と対立?

松本聡香さんは、死刑となった父・麻原彰晃(本名・松本智津夫)の遺骨をめぐって母親や兄弟と対立しています。

 

麻原彰晃は、なぜか教団とは関係を絶っていた松本聡香さんを遺骨の受け取り人として指名していましたが、それについて実母や兄弟らは、「松本元死刑囚の精神状態からすれば、特定の人を指定することはありえない」として、遺体引き渡しの要求書を当時の法相に提出し、当面は東京拘置所において遺骨を安置することとなりました。

 

松本聡香さんが、東京家裁に、遺骨などの所有権の承継者を決める審判を申し立て、今も、他の遺族との間で、審判が続いています。

松本聡香が出版した本も話題

松本聡香さんは、2010年に「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか~地下鉄サリン事件から15年目の告白~」という本を出版しています。

 

「地下鉄サリン事件のとき、私は5歳だった」―幼い心と体を痛めつけた父の虐待と妻妾同居の異常な生活、間近に見た最高幹部たちの言動、そしてひそかに進む恐るべきテロ計画。激しいイジメと公安当局の執拗な追跡に遭いながらも、罪悪感に囚われ自殺未遂を繰り返す日々。松本死刑囚の家族が初めて明かす殺人教団・オウム真理教の正体と自身の流浪20年間の真実。内容(「BOOK」データベースより)

松本聡香の現在の仕事は?

現在、31歳になる松本聡香さんですが、何をしているのか詳細は分かりませんでした。

松本聡香の本名は?

松本聡香はペンネームだと言われているが、本名は明らかになっていません。聡香という名前は実は本名で、ひらがなで「さとか」ではないかという噂が一部でありましたが、定かではありませんでした。

松本聡香の顔画像はある?

記者会見時の後ろ姿の画像などはありましたが、松本聡香さんの顔が分かる画像は公開されていませんでした。

松本聡香のツイッターやブログは?

松本聡香さんがSNSを利用しているのか、検索してみましたが、見当たりませんでした。ですので、インスタやツイッター、ブログなどはやっていないようです。

松本聡香の父は麻原彰晃 生い立ちは?

続いては、松本聡香さんの生い立ちについて詳しく見ていこうと思います。

松本聡香は麻原彰晃の四女で弟子

松本聡香さんは、1989年、富士宮市にあるオウム真理教教団施設、「富士山総本部道場」にて、麻原彰晃の四女として誕生しています。

 

四女でありながらも、家族の中で最も高いステージの「正報師」と言う地位に位置しており、教団内でも権力者だったようです。

6歳の時に地下鉄サリン事件が発生

1995年、松本聡香さんが6歳の時に地下鉄サリン事件が起きました。

 

事件当日、父である麻原彰晃は松本聡香さんに「今日はいいことが起きているんだよ。」と話したと言われています。

江川紹子が後見人に

松本聡香さんは、オウム真理教の教団の思想が色濃く残っている家族から決別する為に、16歳の時に家出をしています。その後、一度、実母の元に帰るも再び家出し、後見人の元に渡り、再び家出をしています。

 

その後、松本聡香さんの強い希望があり、「週刊文春」でオウム裁判のルポを書いていたジャーナリストの江川紹子さんが松本聡香の後見人になりました。

その後は江川紹子が後見人を辞退

かつてオウム真理教により、暗殺を実行された被害者の1人でもあり、オウム真理教に関する取材で菊池寛賞も受賞している、ジャーナリストの江川紹子さん。

 

江川紹子さんが松本聡香さんの後見人になってわずか4ヵ月後に、「宗教に戻ります」との伝言を残し、松本聡香さんが江川紹子さんのもとから失踪しました。

 

松本聡香さんが、教団の信者や元信者らと接触して、「私には尊師から(霊的に)コンタクトがあり、尊師の意思がわかる。私について来なさい」と話したり、信者・元信者らに対して、宗教上のステージの付与を始めたりしており、独自の麻原崇拝のグループを形成する動きをしていたと言われています。

 

江川紹子さんは松本聡香さんの後見人を辞退し、松本聡香さんが家出し、教団と関わっていた事から辞退したと発表しました。

松本聡香の両親の経歴

続いては、松本聡香さんの両親の経歴について見ていこうと思います。

父親は麻原彰晃

父親の麻原彰晃は、数々の重大事件を起こしたオウム真理教の元教祖で、地下鉄サリン事件をきっかけに1995年に逮捕され、2018年に死刑が執行されました。

 

1955年3月2日に、熊本県八代市にて生まれました。生まれつき緑内障を患っており、左目は見えませんでしたが、右目は1.0の視力があったそうです。

 

盲学校を卒業後、東京大学の受験を目指して上京しましたが、一旦は地元の熊本へ戻っています。再度、上京した際に、妻の松本知子と出会い結婚、鍼灸院や漢方薬局を開業しますが、失敗します。また、保険費の不正請求や薬事法違反などで、逮捕されています。

 

そして、1983年にウム真理教の前身となっている超能力開発を行う学習塾を開講し、ここから教祖として歩むこととなりました。

母親は松本知子

松本聡香さん母親は、松本知子です。

 

麻原彰晃と結婚後、麻原彰晃が立ち上げたオウム真理教に入信し、殺人事件に関与したことで1995年に逮捕されましたが、2002年に出所しており、現在は名前を松本明香里に改名しています。

麻原彰晃 妻・松本知子との出会い

松本知子は、両親も祖母も教師という家庭に育ちます。

 

大学受験に失敗し、浪人生として、代々木ゼミナール代々木本校に通い始め、麻原彰晃と隣の席同士になり、麻原彰晃からの強いアプローチで交際が始まり、長女を妊娠したことにより、結婚することになりました。

 

松本知子は、プライドが高く神経質だったといいます。また、子供達への愛情より、麻原彰晃への執着が強かったそうです。

松本聡香の兄弟の経歴

続いては松本聡香さんの兄弟について見ていこうと思います。

長女の松本美和

長女の松本美和は、1978年生まれです。教団内での地位は、正悟師で下から数えて3番目で、血族内では地位が低かったようです。

 

オウム真理教が解散した後は、教団には関わらずに、弟子達と全国を点々としていたそうです。

 

2000年4月には、交通事故を起こし、車中に立てこもり、ナイフを所持していたことから、銃刀法違反で逮捕されています。

 

また、2001年1月には、スーパーで2万2千円相当の食料品を万引きしたとして、再度逮捕されています。

次女の松本宇未

次女の松本宇未は、1981年生まれです。教団内での地位や、役職については、明らかになっていません。

 

現在は、SNSにて自身で情報発信を行っています。また、三女と共に2000年に弟(長男)を長女の元から誘拐しようとし、逮捕され保護観察処分となったとの報道がありました。

三女の松本麗華

3女の松本麗華は、1983年生まれです。若干11歳で正大師という地位を与えられており、 松本麗華に関した報道も多く出回り、麻原彰晃の子供達の中で、一番世間に名前と顔が知られていました。

長男

1992年生まれで、初めての男児ということで、教団から皇子の称号が与えられていました。麻原彰晃の逮捕後、教祖という立場にもたっています。

 

2014年には、アーフレに対して、自身の名前と写真を教団活動に使用されたとのことで、訴えを起こしましたが、敗訴となっています。

次男

長男と同じく教団から皇子の称号を与えられていました。現在は母親と暮らしているとされています。

麻原彰晃の4女・松本聡香

教団とは別離したいと行動を起こしつつも、関係を断ち切ることはできず、発言と行動が矛盾していたりとやはり、育った環境が影響しているのかなかなか、完全に縁を切ることは難しいのかもしれませんね。

 

現在は、教団とは決別していると述べています。

 

日本中に大きな混乱と衝撃をもたらしたオウム真理教の教祖の娘と生まれた松本聡香さんについてご紹介しました。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

関連記事はこちら

関連する記事

この記事に関する記事

TOPへ