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石井久子はいまどうしてるの?気になるオウムその後

石井久子は、昭和の時代に世間を騒がせたオーム真理教の麻原彰晃の愛人でした。麻原彰晃の子供を3人生んでいます。オーム真理教のNO.2として、大蔵大臣になり、オーム真理教の金を動かしていました。今回は、石井久子の現在と気になるオームのその後について紹介します。

石井久子について

石井久子は、1960年9月26日生まれで、神奈川県横浜市の出身です。父は公務員でした。石井久子は、大学進学を希望していましたが、両親に反対され、産業能率短大秘書コースへ進学し、卒業しました。産業能率短期大学は、1950年に東京都世田谷区をキャンパスに、設置されました。2006年からは、短期大学名称を、自由が丘産能短期大学に改称し、2014年からは通信教育課程のみになっています。

 

石井久子は、産業能率短大を卒業後、日産火災海上保険に入社しました。保険会社の同僚に、飯田エリ子がいたことが石井久子の後の人生に大きな影響を与えました。飯田エリ子とは、ディスコ仲間だったのですが、飯田エリ子に誘われ、ヨガ教室(鳳凰慶林館)に通い、麻原彰晃に出会いました。

 

日産火災海上保険は、2002年に、安田火災海上保険と合併し、損保保険ジャパンになっています。

 

 

石井久子がオウム真理教で出家

ヨガ教室(鳳凰慶林館)が、ヨガ教室(オウムの会)から「オウム神仙の会」へ改称しました。1986年6月に、出家制度の始まりと共に、石井久子は結婚していましたが、保険会社を退職し、出家しました。その後、石井久子は離婚しています。その後に、石井久子の妹も、1歳の子供を連れて出家しました。

 

その当時、麻原彰晃(本名・松本智津夫)は、千葉県船橋市に居住し、渋谷区のヨガ教室へ通っていました。妻の松本知子との夫婦生活は質素で、1部屋で家族全員が寝て、野菜中心の食事をしていました。1986年頃から、麻原彰晃は、渋谷区のヨガ教室に住み込み、自宅へ帰らなくなりました。

 

出家した石井久子は、地方出張する麻原彰晃の世話をしていました。石井久子が美人であっために、麻原彰晃が気に入ったと言われています。麻原彰晃が自宅へ帰らなくなった時期と石井久子の出家の時期が一致することから、この当時から、二人は愛人関係にあったと思われます。

オウム真理教における石井久子の活動

1987年に、東京都渋谷区に宗教団体「オウム真理教」が設立されました。同年11月にニューヨーク支部が設立された。その後、「オウム真理教」は、多額の献金を要求するようになり、多数の会員が脱退しました。

 

オウム真理教は、1989年に、東京都の宗教法人として認証され、若者を中心に組織が拡大していきました。石井久子は、麻原彰晃の愛人として、権力をにぎり、オウム真理教の大蔵省大臣になり、組織の金を動かしました。

 

オウム真理教は、1990年の第39回衆議院議員総選挙に、麻原彰晃と信者24人が集団立候補しました。その時、石井久子も、旧東京3区から立候補しましたが、落選しました。

石井久子と麻原彰晃の子供

石井久子は、麻原の子供を、1回流産しましたが、93年に双子、95年に1人の3人を産みました。子供たちは、石井久子がオウム真理教を脱退後、石井久子の私生児として届けられています。子供たちが、現在どうしているのか、わかりません。

 

オウム真理教に在籍していた間は、子供たちは、麻原彰晃の子供であることを隠されていました。その理由は、麻原彰晃の子供だというと、世間的には不倫になるので、正妻の松本知子との関係もあり、公に言えなかったようです。正妻の松本知子は、石井久子が麻原彰晃の愛人であることは知っていて、教団内部で喧嘩をすることもありました。

 

 

オウム真理教の暴走と崩壊

オウム真理教は、1990年の衆議院選挙で全員落選してから、国家転覆計画を実行に移すための活動を始めます。

 

1990年には、熊本県阿蘇郡波野村へ進出しましたが、住民の反対があり、土地売買に関する国土利用計画法違反事件で強制捜査を受け、石井久子は、早川紀代秀、満生均史、青山吉伸、大内利裕など教団幹部と一緒に逮捕されました。

 

1993年頃から、オウム真理教は、武装化計画を進め、自動小銃などの兵器の開発を進めました。土谷正実、中川智正、滝沢和義らにより、サリンが合成されました。

 

麻原彰晃は、言葉巧みに女性信者を説得し、左道タントライニシエーションと言って、避妊をせずに性交したので、女性信者との間に子供が生まれました。

 

1994年に長野県松本市で死者8人、重軽傷者600人を出す松本サリン事件、1995年3月20日に、死者13人、負傷者数千人を出した地下鉄サリン事件を起こし、1995年5月16日に、上九一色村の教団で施設で、麻原彰晃が逮捕されました。

 

 

 

麻原彰晃と松本知子の子供たちの現在

麻原彰晃には、本妻の松本知子との間に、6人(娘4人、息子2人)の子供がいます。松本知子は、1958年8月17日生まれで、千葉県木更津市の出身です。松本知子は、麻原彰晃と代々木ゼミナールで知り合い、結婚しました。

 

松本知子の子供は、長女の松本美和は、1978年生まれです。2001年1月に東京都のスーパーで食料品の万引きをして逮捕されてから後の消息は分かりません。オームとの接触は完全に絶っています。

次女松本宇末(仮名)は、1981年生まれで、本名は公開されていません。妹や弟のことをブログに書いたりしています。弟と一緒に麻原に面会したこともありました。

三女松本麗華(りか)は1983年生まれです。1995年に上祐史浩が逮捕されたとき、教団のトップになっていました。和光大学に合格しましたが、入学距離され提訴し、慰謝料をもらいました。2004年に文教大学科学部臨床心理科に入学し、2008年に卒業しています。次女や弟と、こまめに麻原と面会していました。

四女松本聡香(さとか、仮名)は1989年生まれです。14歳の時に、ジャーナリストの江川紹子さんが後見人になりました。麻原彰晃は死刑執行前に、自分の遺骨の引き取り先を四女に氏名しましたが、「身の危険を感じる」ため、拒否しています。

 

松本知子の息子2人については、長男は1992年生まれです。関東の大学に進学しましたが、勤務先は分かりません。次男は、1994年生生まれです。1996年6月に教団の教祖になりました。

美人信者木田裕貴子とか飯田エリ子の現在

「修行」として、麻原彰晃と関係を持った女性信者は、100人を下りません。特に有名なのは、石井久子(子供3人)ですが、他に、木田裕貴子(子供1人)とかマハームドラー・ダーキニー(当時17歳)などがいます。

 

 

木田裕貴子の現在


木田裕貴子は、1998年に、麻原彰晃の子供(女子)を18歳で産みました。2011年頃は、群馬県で実母と娘と3人で暮らしていました。現在は、娘も成人しているので、別に住んでいると思いますが、詳細は不明です。

飯田エリ子の現在

石井久子と一緒に、オーム真理教に入信した飯田エリ子は、1961年1月18日生まれで、神奈川県出身です。文化女子大学短期大学部生活造形学科を卒業しました。

デパート店員を経て、日産火災海上保険に入社し、石井久子に出会いました。健康のために麻原彰晃のヨガ教室に通い始め、石井久子を誘いました。

石井久子の人生に、大きな影響を与えた女性であると言えます。保険会社を退職して出家したのも、石井久子と同じです。この事から、会社で出会った同僚によって、人生に影響を受けることが理解できます。

 

飯田エリ子は、目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件で、監禁致死罪で、懲役6年6ヶ月の有罪判決をうけました。2002年8月25日に刑期満了で出所しています。

獄中において脳内出血で倒れ、手術しましたが、深刻な記憶障害になりました。右半身麻痺でリハビリをしています。

オーム真理教について

オウム真理教について簡単に紹介します。

オウム真理教は、1984年に麻原彰晃が渋谷区で始めた超能力開発熟「鳳凰慶林館」が始まりです。その後、「オウム神仙の会」を経て、1987年に宗教団体「オウム真理教」が設立されました。

 

最初は、ヨガ教室として、アットホームな感じで活動していましたが、宗教法人を得てから、活動内容が変化します。1989年に、東京都の宗教法人に認証された頃に、麻原が解脱して超能力を身につけたと言い出します。

 

麻原彰晃は1987年2月24日と1988年7月6日に、インドでダライラマ14世と会談し、オウム真理教の広報・宣伝に利用しました。神秘体験に憧れる若者の入信が急速に増えました。

オウム真理教の非合法活動

1988年頃から、オウム真理教の非合法活動が始まります。1988年10月頃に、富士宮市に総本部が建設された頃より、麻原彰晃が体調を崩すことが多くなります。1989年には、衆議院選挙に、麻原彰晃と信者24人が出馬し、落選しました。

坂本提弁護士一家殺害事件

1989年11月4日に、オウム批判をしていた坂本提弁護士と家族を殺害します。

熊本県阿蘇郡波野村へ進出失敗

1990年5月に、熊本県阿蘇郡波野村に進出しましたが、村民の反対運動で失敗しました。1990年10月22日に、国土利用計画法違反事件で強制捜査を受け、教団幹部が逮捕されました。1994年に、オウムが5000万円で入手した土地を、波野村が9億2000万円で買い戻しました。

松本サリン事件

1993年頃より、サリンを使った事件を起こしました。1994年6月27日に、長野県松本市でサリンを散布し、死者8人、重軽傷者600人を出しました。最初は、通報者の河野義行さんが、犯人に疑われました。

地下鉄サリン事件

1995年3月20日に、東京の地下鉄の丸ノ内線、日比谷線、千代田線でサリンが散布され、死者13人、負傷者6300人の同時多発テロ事件を起こしました。

強制捜査と麻原彰晃の逮捕

1995年3月22日に、山梨県上九一色村を中心とした教団本部施設が一斉捜査され、サリンプラント等の化学兵器製造設備、細菌兵器設備などが見つかった。

1995年5月16日に、再び上九一色村の教団施設を捜査し、麻原彰晃を逮捕しました。

オウム真理教解散後の活動

オウム真理教の宗教法人法上の解散が確定後、信者によって、アレフ、ひかりの輪、山田らの集団他に分かれて活動をしています。

Aleph

2000年2月4日に、上祐史浩を代表として、宗教団体「アレフ」に名称変更しました。2003年に「アーレフ」、2008年に「Aleph」と名称変更しています。埼玉県越谷市に本部を置き、2008年の新体制発足時に、上田竜也と松下孝寿を代表にしました。活動方針に麻原回帰の傾向が見られると、公安当局が警戒しています。

ひかりの輪

上祐史浩が、2007年5月7日に、Aleph(旧オーム真理教)から独立して設立しました。麻原彰晃の影響力を脱した「脱麻原派」であると主張しています。本部は東京都世田谷区にある。構成員が約200人いて、ほとんどがオーム真理教からの信者である。2013年頃から、仏教哲学サークルとして活動している。

山田らの集団

2014年から2015年に、Aleph金沢支部が独立して、山田らの集団が結成された。代表が山田美沙子で、本部を金沢市に置いている。2017年12月で、約30人の信者がいる。麻原彰晃を崇拝した活動をしています。

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