木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
オウム真理教では、信者がホーリーネームを持っていました。地下鉄サリン事件に関与した幹部たちも、ホーリーネームを持っていましたね。麻原は、インド教や仏教の名前をオウム真理教でも使用していました。今回のテーマとなるダーキニーも、仏教から来ています。
ダーキニーは、仏教では神の意味です。しかし、オウム真理教で言うダーキニーは全く異なる意味を持ちます。麻原彰晃は自分の都合のよい形で、この言葉を利用していたようです。
オウム真理教では、麻原彰晃の抱えていた愛人のことをダーキニーといいます。仏教の神の名前を使い、自分の都合のいいようにダーキニーを抱えて利用していた麻原。彼は、オウム真理教の教祖であったため、彼の言うことは絶対的でした。
ダーキニーたちは、麻原に洗脳されていたため、麻原の指示を疑うことなく聞いていたのです。オウム真理教の信者たちは、オウム真理教の規律を守らないとなりませんでしたが、その中には性に関する規律もありました。
オウム真理教の出家信者は、配偶者や恋人とは性行為は認められているものの、それ以外の人との性行為は禁止、また自慰行為も禁止されていました。しかし、教祖である麻原は「最高解脱者」として特別な存在であり、妻以外の愛人、つまりダーキニーと性行為をすることを正当化していました。
当時、麻原のダーキニーは33人以上もいました。彼女たちは、オウム真理教の宗教施設、第1サティアンと第2サティアンに住んでいたようです。33人もの女性を抱えて、麻原は宗教施設に独自のハーレムを築いていました。
ダーキニーは、ホーリーネーム(宗教上の名前)を持っていて、名前にはダ―キニーが入っていることが多かったようです。しかし、麻原の四女、松本聡香は教団内に麻原の愛人は100人ほどいたと後に証言しています。
つまり教団内には、正式なダーキニではない彼の愛人が非常に多くいたということです。それでは、彼はどのようにダーキニーを選んでいたのでしょうか?
麻原のダーキニーになるには、まず書類選考を通過しなければなりませんでした。オウム真理教に入信する時に、写真付きの書類が幹部に送られて、麻原は女性の顔写真を見て好みの女性を選抜していたと言われています。
気にいった女性は再度、元幹部の1人、峠部哲也により写真撮影され、麻原はじっくりと写真を見てダーキニーにする女性を決めていったようです。そして、書類通過した女性は、麻原と幹部の1人、村井秀夫が面接しました。
面接も追加した女性たちは、最終面接として麻原と「左道タントライニシエーション」と呼ばれる性行為が行われました。ここで、麻原が処女だと確認した女性が、ダーキニーになれたようです。
麻原は、長い黒髪の女性がタイプだったようです。さらには、若くて美人ばかりをダーキニーにさせていたと言われています。最も若いダーキニーは15歳の未成年だったということですから、驚きです。
麻原が若い女性を中心に選抜していたのは、彼が処女を好んでいたからという理由もあるようです。教団内では、ダーキニーになりたい女性は髪を長くし、なりたくない女性は髪を短くしていたという噂があります。
ダーキニーは、運転手が付く・私服を購入して着られる・できたてのご飯を食べることができるなのど「特権」があったようです。普段、信者は非常にひもじい食生活をしていたようですから、これらの特権欲しさにダーキニーを希望する女性信者もいたのかもしれません。
愛人を面接で選抜するのもふざけた話ですが、麻原は処女にこだわっていたようです。ダーキニーの年齢は15歳~25歳まで。若い女性を好み、「最高解脱者として、若い女性を高い位置に導くには、左道タントライニシエーションをするのが、私の役目だ」などと言い、宗教と称してダーキニーと性交していました。
麻原は、ダーキニーを電話で呼び出し、大部屋や大浴場で性交していたようです。また、彼女たちとは、一緒に食事をすることもよくあったと言われています。麻原の四女の証言によると、麻原の大部屋に行くダーキニーは毎晩異なっていたようです。
麻原は、正妻である松本知子との間に4女と2男をもうけました。麻原の3女は麻原の娘であることを公表して、テレビにも出演していますね。また、4女はオウム真理教とは真っ向に対立していて、家族とも長い間疎遠です。
他の愛人との子供では、石井久子との間に3人、当時まだ18歳だった木田裕貴子との間に1人います。その他に母親が誰だか公表されていない信者との間に2人~5人いると言われているので、麻原の子供は12人~15人いることになります。
彼らがどこで何をしていても、麻原の子供である事実は一生つきまといます。どこにいても、新たな人生を送り自信を持って生きていることを願うばかりです。
1995年に起きた地下鉄サリン事件。その後、オウム真理教は、宗教法人の認証が取り消しとなりました。事件から2年半後には、信者の数も5分の1に減っています。事件以来、ダーキニーだった女性は、どのように過ごし現在何をしているのでしょうか?
石井久子は、元オウム真理教の幹部の1人で、教団の広告塔としても活動していました。彼女は、早くから正大師という位につき、麻原の愛人として彼の子供を産んだ1人です。テレビでもお馴染みで、とてもきれいな女性ですね。彼女は、教団や麻原に深く関わり、愛人の中でも麻原に最も溺愛されていた女性の1人と言われています。
彼女は、麻原との間に3人の子供を産みました。地下鉄サリン事件の関与で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受けています。その後、教団を脱退して2000年に出所した際にも、会見でオウムを信仰していないと語っています。
出所後は、一時期精神的におかしくなったようです。自分の犯した過ちに深く苦しんだに違いありません。洗脳がとけたら現実が見えてくるため、心の中でのさまざまな葛藤があったのは、想像がつきます。現在は、訪問介護の仕事をしながら父親と暮らしているようです。
村岡達子も、元オウム真理教の幹部でした。彼女は、上智大学を退学したのちに、早稲田大学を卒業している才女です。1988年にオウム真理教に入信し、英語が堪能なため、麻原の通訳を務めていました。
村岡達子は、地下鉄サリン事件には関与していなかったため逮捕されませんでした。麻原や他の幹部が逮捕されたため、サリン事件補後は、彼女がオウム真理教の代表として就任しました。
教団解散後は、2000年にアレフの代表になります。しかし、2011年にはアレフを脱会しています。これは、教団内での争いが原因だと言われています。同じ年のインタビューで村岡達子は、「麻原のことが好きでたまらなく、その気持ちは変えようがない」と語っています。
現在、彼女は得意な英語を活かして、翻訳などの仕事をしているようですが、月収は4~5万円だけのようです。インタビューから8年経った今でも、彼女は麻原を尊敬し愛し続けているのでしょうか?
都沢和子は短大時代に、早稲田大学の学生だった上祐史浩に出会いました。上祐とは恋人関係で、婚約まで話が進んでいた上祐の後を追う形でオウム真理教に入信します。
教団に入信してから、ダーキニーの1人になりますが、麻原以外の男性信者とも性的な関係があったことから、一度麻原からポア(殺すこと)の命令が下されています。その際に、上祐は元恋人である彼女をかばわずに麻原の指示に従おうとしたそうです。
彼女は、1995年に不法侵入の容疑から懲役1年を下されましたが、1996年に棄却されています。その際には、まだオウム真理教を正当化していて、洗脳はとけていませんでした。
しかし、その後は教団を脱会して、脱洗脳のカウンセリングを受けています。その後の彼女の様子はわかっていません。東京の資産家の娘だということですので、ご両親と静かに暮らしているのかもしれません。
現在58歳の飯田エリ子も、元オウム真理教の幹部の1人でした。元々体が与弱く、麻原が運営していたヨガ教室に通っていたことがその後の入信のきっかけになりました。彼女は、地下鉄サリン事件に関与しているため、懲役6年6ヶ月の判決が下されて、服役しています。
服役中にも、ノイローゼになったり脳内出血で倒れたりしていました。ノイローゼは、オウム真理教でダーキニーだったこと、犯罪に関わったことと関係しているのでしょうか。2度の手術のあとに車いすに乗れるほどは回復したそうですが、記憶には深刻な障害が残っているそうです。
2002年に出所してからは、都内の実家に住み、しばらくは自宅と病院を行き来する日々を送っていました。彼女は、自分の顧問弁護士を通じて、オウムに関わったことを後悔、反省していて、被害者の方にも申し訳ないと言っていました。そのため、彼女の洗脳はとけたと判断できそうです。
木田裕貴子は18歳の時に、オウム真理教に入信しました。そしてすぐに麻原の子を妊娠・出産しています。木田は、地下鉄サリン事件に関与していないため、逮捕はされませんでした。
2011年の時点では、群馬県で母親と麻原との娘と、3人で暮らしているという噂がでました。彼女の母親は孫と乗馬を楽しんでいると人に話していたくらいですので、木田はまだ若かったこともあり、被害者的に見られているようです。
2019年現在の彼女の様子はわかっていません。現在も群馬県で暮らしているのでしょうか?どこかで新しい人生を始め、前向きに生きていればいいですね。
松本知子は、オウム真理教の元幹部の1人で、麻原の正妻でした。浪人時代に東京の予備校で麻原と出会い結婚しました。新婚時代は千葉県で暮らし、当時は麻原との喧嘩が絶えなかったといいます。
地下鉄サリン事件で夫の麻原が逮捕されてから、彼女は、教団の代表代行となりました。しかし、1995年に薬剤師リンチ殺害事件に関与しているとして、懲役6年の実行判決を受けています。その後、2002年に出所してます。
彼女は出所後は、教団には戻りませんでしたが、オウム真理教の後続団体であるアレフから資金援助を受けて生活していることが、2006年に明らかになりました。2019年現在でも、何らかの形でアレフと関わっているようです。
麻原の四女、松本聡香によると、母親の松本知子はダーキニーが麻原の愛人だったことは、知っていたようです。松本聡香は、左道タントライニシエーション(ダーキニーと麻原との性行為)が行われる時は、必ず麻原の部屋の前でうろうろとしながら待っていたそうです。もし、これが本当なら、何という屈辱でしょうか。
また、麻原が最も可愛がっていたとされる石井久子に、焼きもちをやくこともよくあり、2人はよく喧嘩をしていたようです。しかし、地下鉄サリン事件後の裁判では、ダーキニーのことを裁判官に聞かれると、初めてその事実を知ったように泣き叫んだということです。
時間が経過して、洗脳が少しずつとけていく中で、改めて麻原の裏切りに気が付いていったのでしょうか。
ダーキニーは、オウム真理教では麻原の愛人の意味を持ちました。しかし、ダーキニーという言葉の由来はどこにあるのでしょうか?宗教的な意味をもっているのでしょうか?
日本ではダーキニーは、荼枳尼天(だきにてん)と呼ばれる仏教の神が由来です。荼枳尼天は、もともとは集団や種族を表す名前でした。よく、稲荷神と混同する人がいるようですが、稲荷の神は神社で荼枳尼天は寺と覚えていると、間違わないでしょう。
麻原は仏教や・インド教・ヒンズー教などさまざまな宗教関連用語を用いて、オウム真理教をいかにも宗教団体らしくしていました。
インドのヒンズー教のダーキニーは、裸で飛び回り人肉を食べる魔女です。のちに、仏教で取り入られたあとに、女神の意味も持つようになりました。インドでは、あまりよく知られていない位置にいる神のようです。
黒魔術や魔女を連想させる言葉を、麻原はオウム真理教で愛人に使っていたということです。麻原は自分の愛人を作ることが目的で、自身の欲望のために、ダーキニーという言葉を利用していたことがわかります。
オウム真理教で意味するダーキニーは、麻原の愛人です。教団には33人ものダーキニーがいたと言われています。彼女たちは、誰かにすがりたかった弱者で被害者ではないでしょうか。犯罪にまで手を染めてしまったダーキニーもいますが、地下鉄サリン事件から20年以上たった今、彼女たちがどこかで、静かな生活を送っていることを願いましょう。
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