木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
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それではまず、山本太郎さんのウロフィールや経歴について、詳しく見ていこうと思います。
山本太郎さんは、元俳優、元タレントで、現在は政治家として活動しています。
派手なマイクパフォーマンスなどで度々、話題となる山本太郎さんですが、法律により毎年発表される衆議院議の資産報告書が公開され、山本太郎さんの資産が0円だとも話題になりましたね。
こちらは、お金以外の資産を指すようで、土地や建物、預貯金有価証券などを持っていないので資産ゼロとの事でした。
山本太郎さんは、高校1年生の時に(1990年)人気バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の『ダンス甲子園』に出場したことをきっかけに、芸能界入りをしました。
ダンス甲子園は、高校生中心のダンスコンテストで、全国的な大ブームを巻き起こし、多くのダンサーや芸能人を輩出しました。
山本太郎さんは、当時大人気だったこの番組で、 水泳帽と競泳用水着がコスチュームのメロリンキューとして奇抜なキャラクターで人気を集めました。
その後、1991年に、映画『代打教師 秋葉、真剣です!』の準主役で俳優デビューを果たし、テレビドラマ出演デビューは1992年の『しあわせの決断』で、1996年にはNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』にヒロインの相手役である海東壮平役と出演、2000年の映画『バトル・ロワイアル』では主要人物の一人である川田章吾を演じ、2004年にはNHKの大河ドラマ『新選組!』に原田左之助役で出演するなど、その後は数々の作品に出演しました。
素朴さと強面の両方のイメージを持っている山本太郎さんは、50本以上の映画やドラマで俳優として出演しました。
また、NHK教育のトーク番組『トップランナー』では2005年から2008年まで司会を務め、『世界ウルルン滞在記』では、体当たりのレポートも好評でした。
また、バラエティ番組での司会やナレーションなど多方面で活躍していました。
俳優、タレントとして多くの仕事をしていた山本太郎さんでしたが、2011年4月9日、自身のTwitter上にて「黙ってテロ国家日本の片棒担げぬ」と投稿し、翌日の4月10日には福島第一原子力発電所事故に関連した原子力撤廃デモへ参加しました。
5月には所属していた事務所を退所し、フリーとなり芸能活動を続けながらも、2012年には太陽光発電の施行や販売を手掛ける会社に正社員として就職、その年の12月には第46回衆議院議員総選挙への出馬と政治団体「新党 今はひとり」の立ち上げを表明、東京8区から無所属(日本未来の党・社会民主党支持)で立候補しましたが時点で落選しました。
そして、2013年7月の第23回参議院議員通常選挙では、東京都選挙区から無所属で立候補し、見事初当選を果たしました。
様々な政党からの援助を受けながら活動し、2019年に「れいわ新選組」を立ち上げ代表就任し、2019年7月に行われた第25回参議院議員通常選挙に比例区より立候補し、比例区の全候補者で最多となる個人名票を得ましたが、山本太郎さん以外の候補者2人が「特定枠」で優先して当選したため、山本太郎さんは落選となりました。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙では比例東京ブロックから立候補し、念願の復活当選を果たしました。
続いては、山本太郎さんの結婚歴について詳しく見ていこうと思います。
割鞘朱璃(わりさや じゅり)さんは2007年、14歳の頃に本格的にサーフィンをはじめ、2008年3月、15歳で試合に出場するようになると、同年4月には、日本プロサーフィン連盟公認の第一号となる女子ロングボードプロサーファーとなりました。
その翌2009年は、文理開成高校の通信制に通いながら、プロサーファーとして女子ロングボードツアーを戦い、優勝2回、準優勝2回などの素晴らしい戦績でグランドチャンピオンに輝き、オールジャパンプロ優勝とルーキーオブザイヤーで3冠を達成。
さらに、同シーズンのASP世界戦ではヒュンダイプロニュージーランドにて日本人初となる世界戦優勝(16歳での優勝は世界サーフィン史上初)という歴史に残る快挙をの成し遂げ、天才サーフ女子高生として注目を集めました。
そして、2012年に当時19歳だった割鞘朱璃さんと山本太郎さんは結婚しました。しかし、結婚後3ヵ月でに離婚しています。
山本太郎さんと割鞘朱璃さんは、趣味のサーフィンを通じて2010年に出会いました。当時割鞘朱璃さんは17歳だったこともあり、交際などには至らず、知人として交流があったようです。
二人の距離が縮まったのは、2011年に東日本大震災を機に、山本太郎さんが反原発運動を始め、2012年に同じボランティアに参加していたことで再会し、意気投合したことがきっかけだったようです。
趣味も思想も同じということで、再会からわずか1ヶ月でスピード婚となったようです。
結婚について、山本太郎さんはX(旧ツイッター)に、
『結婚したよ。 病院などでボランティア活動もする心優しい年下一般女性と籍を入れました。 出逢いは二年前。その頃はただのお友だち。今年四月の終わりに再会、一ヶ月たたないうちにこうなりました(笑) びっくりした!なんて言わないで、自分自身が一番びっくりしているのだから(笑)』
と投稿し、結婚を報告しました。
山本太郎さんと元妻・割鞘朱璃さんの離婚理由は、一緒にいる時間がほとんどなかったことにあるようです。
山本太郎さんが「すべて(原因は)僕にある。仕事で家に帰るのは月1から3日程度。若い女性が考える結婚生活とはほど遠かったのだと思う」と説明しています。
山本太郎さんが脱原発運動に力を入れたことにより、1ヶ月に数回しか家に帰れない生活を送っていたうえに、嫁姑問題もあったと言われています。
結婚当初、割鞘朱璃さんは「私は太郎さんと太郎さんのお母さんに出会い、生まれて初めて愛情に包まれた毎日を送れるようになったんです」と話していましたが、それも長くは続かなかったようです。
次第に、ろくに会えず、姑と一緒の生活がしんどくなってきた割鞘朱璃さんが「しんどい」と別れを切り出し、離婚にいたったと言われています。
離婚したのは2012年8月ですが、公表されたのは2013年8月でした。山本太郎さんは、離婚について記者会見を開いています。
語られた離婚理由は「彼女を守りたかった」なのだそうです。山本太郎さん曰く、割鞘朱璃さんは、父親から壮絶な虐待を受けており、離婚が父親に知られることで、また実家に引きもどされ、虐待が繰り返されることを防ぎたかったため、離婚を隠していたということです。
また、山本太郎さんは、2013年には参議院選挙に当選していますが、選挙活動中は「妻と母と3人暮らし」と語り、離婚を隠し、虚偽の発言をしていたことに対して批判があがりました。
離婚を公表していなかった、本当の理由は選挙活動への影響を恐れたためである可能性が高いと考えられています。
割鞘朱璃さんが、3歳の頃両親が離婚し、小学校4年生の時に母親が再婚をしています。そして、生活をともにするようになると、すぐに義父からの暴力が始まったそうで
などのシツケと言う名の虐待を受けていたと割鞘朱璃さん本人が明かしています。
さらに、その後も父の暴力は止まらず、朱璃さんは児童相談所に保護されたりを繰り返しながら、小学校を卒業し、中学校時代は約2年間を児童養護施設で過ごし、そこから通学もしていた過去があります。
そして、山本太郎さんと割鞘朱璃さんが結婚してからは、義理の父親は、割鞘朱璃さんのブログのパスワードを勝手に変更し、山本太郎さんの人格はおかしいなどと書き込んだり、山本太郎さんの自宅にゴミの入ったダンボールを何箱も送り付けるなどしていたとのことです。
割鞘朱璃さんが、山本太郎さんとの結婚を急いだ理由には、義理の父親と縁を切りたいということもあったのかもしれませんね。
山本太郎さんは離婚してまた義理の父親に割鞘朱璃さんが虐待されることを心配して、しばらくは山本姓を名乗るように助言し、慰謝料を一括で200万円渡したのだそうです。
続いては、山本太郎さんの隠し子や事実婚の噂について詳しく見ていこうと思います。
山本太郎さんが離婚を公表した1か月後、2013年9月に山本太郎さんに隠し子がいることが発覚しました。
隠し子の母親とは結婚はしていないが事実婚状態で、子供の存在は認知しているとのことでした。
また、公表していなかったことに関しては
「子どもが狙われ、脅しのネタにされる可能性があるかもしれないと。もちろん、いつまでこの事実を伏せ続けなければいけないのかという別の不安もありました。ですが、ただただ、子の、身の安全を心配をしてしまうのが親心ではないでしょうか。この事実を伏せ続けようと2人で決めました」
と明かしています。
山本太郎さんの内縁の妻は、当時39歳で、山本太郎さんの1つ年上の女性で、稲森いずみさん似のスレンダー美女だという情報があります。
2012年8月の離婚後から脱原発や市民運動で以前から知り合いだった女性と交際を始めたそうです。
山本太郎さんは女性の事を「以前からの友人で自立したリベラルな考えの持ち主」と紹介しています。
事実婚の女性との関係と割鞘朱璃さんとの婚姻関係の期間が短すぎることで交際期間が被っていた疑惑がささやかれています。
山本太郎さん自身は被っていないと主張していますが、それにしても離婚直後に新しい女性との交際をスタートさせる切り替えは早すぎると感じますね。
隠し子の性別は男の子だそうで、2012年12月に妊娠が発覚し、翌年の7月21日の朝方に生まれたそうです。
山本太郎さんが離婚を公表したときには既に隠し子である男の子が生まれていて、その事実を隠蔽したと、またしても批判の的となりました。
実婚状態の女性も離婚を経験しており、お互いにバツイチ同士、結婚制度への疑問を感じていて、形に拘りたくないから、入籍はしていないのだそうです。
女性と子供は関西で暮らしていて、山本太郎さんは生活費を送金しているそうです。
続いては、山本太郎さんの家族について見ていこうと思います。
兵庫県宝塚市出身の山本太郎さんの家族構成は、母親と姉2人の四人家族です。父親は山本太郎さんが1歳の時に亡くなってしまい、お母さんは女手一つで子供3人を育てられたそうです。
山本太郎さんの母親は、山本乃布子さんといいます。
ペルシャ絨毯の輸入・販売を行っており、山本太郎さんが私立の中学・高校を卒業していることからも、事業は軌道に乗っていて経済的には裕福であったことが想像出来ますね。
フィリピンの貧しい子供たちへの支援を行っていたそうで、山本太郎さんも子供の頃からそういった姿を見て育ったそうです。
山本太郎さんは、幼い頃に乃布子さんと共にフィリピンに渡り、ボランティアをしていたこともあるそうです。
姉の山本利華さんは2012年に大麻所持で逮捕されています。
山本太郎さんと反原発運動を行っていましたが、更年期障害にも悩み、疲れから気分を紛らわせる為に大麻を使用したと容疑を認めています。懲役1年執行猶予3年という判決がおりました。
さらに、2022年に飲酒運転で再び逮捕されています。
山本太郎さんには、もう1人姉がいますが、情報は見つかりませんでした。
人の心をつかむ山本太郎さんは何がすごいのか、山本太郎さんの政治家としての活動を詳しく見ていこうと思います。
演説中の毅然とした態度や一貫した主張、ヤジなどへのアドリブ対処などが政治家としてカリスマ性があり、人々を惹き付けていると言えるでしょう。
何があるか分からない街頭演説で堂々としており、何を言われても、動じない姿が信用を勝ち取っていっており、若い層からの人気も高いようです。
2019年には、3億円という異例の個人献金が集まっていることも大きな話題となりましたね。
徹底的に弱い人の立場につき、安倍政権や岸田政権を批判していることで多くの人の心を掴んでいます。
「ミスター検討中」「検討使」「見守りおじさん」「増税クソメガネ」などと不名誉なニックネームが次々と誕生する岸田総理とは反対に、山本太郎さんは人の心をつかみ、共感部分が多いことで支持を得ており、毅然とした態度は頼りがいのある強烈なリーダーシップを感じる人も多いようです。
テレビなどで見る山本太郎さんは破天荒な印象が強いですが、実際に会ってみると良い意味でイメージと違うと思われることが多いようです。
型破りで何事にも動じない政治家のイメージとは裏腹に、政界を研究し尽くしていることがよく分かる演説から、真摯で真面目な性格が現れています。
国会での弁論などでも、具体的なデータを突き付けての質疑応答のシーンをよく目に見かけます。そして、流れるように畳みかけるように理詰めする姿は、イメージとはかけ離れたものです。
彗星のごとく現れ、人々の心をつかみ世間を巻き込む山本太郎さんを、ヒトラーの再来と呼ぶ人もいるようです。
ヒトラーと言っても、独裁者という意味ではなく、ヒトラーと言えば話術にたけており、彼の演説を聞くうちに共感し、多くの人が信者となっていた点で、山本太郎さんが人々を巻き込む政治家という意味が共通する部分があるとされているようです。
実際、れいわ新撰組は、毎週末、全国各都市で山本太郎さんが先頭に立ち、減税デモ行進を展開し、ブレない姿勢と地道な活動がれいわ新選組の支持率を挙げているようです。
れいわ新選組の代表として活動する山本太郎さんについて、ご紹介してきました。
政治家としては、支持率を拡大し、勢いのあるれいわ新選組の代表として活躍されていますね。プライベートでは、3か月での離婚を経験した後、事実婚の女性との間に子供が生まれています。
今後の山本太郎さんの活動にも注視していきたいですね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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れいわ新選組の代表として活動する山本太郎さん。
2022年7月の参議院選挙では、東京選挙区で6議席目に滑り込み、見事当選を果たしました。
れいわ新選組の議席を増やしたことでも話題になりましたね。
大胆な言動で何かと話題にされる山本太郎さんですが、結婚歴や経歴、家族について紹介します。
気になる人は最後までぜひ内容を確認してみてください。