木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
東国原英夫さんが、芸能界入りしたきっかけは、1980年に『笑ってる場合ですよ!』という番組のオーディションコーナーに出演したことです。
その際、ビートたけしさんの楽屋を訪れて付き人になりたいと願い出て、1982年から付き人になりました。
東国原英夫さんが、ビートたけしさんの数ある弟子の中で、一番最初の弟子となります。
『ツーツーレロレロ』というコンビを組んでいたものの、たけし軍団の一員となりコンビは解散しました。
その後は、たけし軍団の一員、ピン芸人として芸能活動を続けます。
たけし軍団として活動していた時代は『そのまんま東』という芸名を使っていたものの、政界入りをしてからは本名である東国原英夫として活動しています。
そのまんま東国原英夫という芸名は、ビートたけしさんが付けたのだそうです。
ビートたけしさんが、芸名をつける際に、軍団入りする前と同じ「東英夫」で良いと言ったのだそうです。
しかしそこで、東国原英夫さんが聞き返したので、「東だよ。そのまんま、東(今のままの芸名 = 東英夫)」と返答し、軍団の芸名をメモ書きする役割だったラッシャー板前さんが「そのまんま東」とメモをしたため、このような芸名になったという話があります。
続いては、東国原英夫さんのツイッターについて見ていこうと思います。
2020年6月時点で、東国原英夫さんのツイッターのフォロワー数は72万人を超えています。
日々ツイッターをこまめに更新していて、テレビなどへのメディア出演情報、他には政治的な自らの意見などを積極的に発信しています。
例えばコロナ禍での給付金のオンライン申請に関する意見など、たびたびニュースでも発言が話題になっています。
続いては、東国原英夫さんの妻について詳しく見ていこうと思います。
東国原英夫さんは、2014年に20歳年下の"春香"という女性と結婚しています。
出会いは、2011年の東京都知事選の落選した後の激励会だったそうです。2013年6月頃から交際が始まりました。
結婚を決心したきっかけは、春香さんは介護職員の資格を持っており、東国原英夫さんの母親の介護をしてくれており、そんな春香さんの様子を見ていて、この人と一緒にいられたらなと思ったことだそうですよ。
プロポーズは「将来、僕の介護もしてくれませんか?」だったそうです。
東国原英夫さんは2度離婚しています。
1度目はフリーアナウンサーの片平夏貴さんであり、1985年に結婚したものの1989年に離婚しています。原因は、東国原英夫さんが遊びほうけていて愛想をつかされてしまったことでした。
2度目は女優のかとうかず子さんで1990年に結婚して2006年に離婚しています。離婚理由は、東国原英夫さんの政界進出でした。
かとうかず子さんは「友達として応援できても妻としては手伝えない」「一緒にやれたらベストでしたが、九州についていく事を選ぶことは出来なかった」と話しています。
続いては、東国原英夫さんの子供について見ていこうと思います。
東国原英夫さんには全員で4人の子供がいます。
1人目の妻との間に、子供が1人いますが、性別は分かりませんでした。また2人目の妻であるかとうかず子さんとの間には1男1女を設けています。
2017年5月に現在の妻との間に男の子が生まれています。東国原英夫さん60歳、嫁の春香さん40歳の時です。
子供の名前は『英ノ丞(ひでのじょう)君』で、自身の名前と出身地の宮崎県都城市から名づけたのだそうです。
続いては東国原英夫さんの髪が増えたとの噂について見ていこうと思います。
東国原英夫さんは、昔から髪が薄かったものの、昨今は髪が増えたとの噂があります。
それは『ビタブリッドC』という育毛剤のCMに出演したことがきっかけだったようです。
実際に製品を使い続けてみて、東国原英夫さんは効果があったとツイッターでも比較写真を公表しています。確かに髪の毛が増えていることが確認できますよね。
東国原英夫さんと言えば、ワイドショーや討論番組などに出演している印象が強いですが、プレバトの俳句のコーナーでもよく見ますよね。
続いては、東国原英夫さんの俳句について見ていこうと思います。
ダウンタウン・浜田雅功さんのMCで、芸能人の才能を専門家が査定し、ランキング形式で発表するカルチャースクールバラエティ『プレバト!!』において、俳句の査定コーナーで通算5人目となる特待生に昇格しました。その後、名人になっています。
東国原英夫さんは『永世名人』をかけて16回挑戦しています。
しかし一進一退を続けており、結果が出ずに簡単に後退査定が出るたびに挫折感が後を引くとしていて、『俳句ハラスメント』と名付けています。
東国原英夫さんは、2020年6月現在、★3つの名人10段となっています。
ランク付けは、名人10段は6段階に分かれており、一番上の永世名人に梅沢富美男さんがなっており、東国原英夫さんは上から3つ目の星3つの名人、星2つの名人には村上健志(フルーツポンチ)さんがいます。
2018年に詠んだ『梅雨明けや 指名手配の 顔に×』という句が、2017年6月宮崎日日新聞に掲載された投句「梅雨寒や指名手配の顔に×」に酷似しているとツイッターで投句者の友人からの指摘で、騒動が起こりました。
これに対して東国原英夫さんは、盗作を否定しました。また、夏井先生は「俳句の世界で“同じような句が出来てしまう”というのはよくある話。17音で表現するものですから類想類句は山のように出来てしまう」とコメントしました。
続いては東国原英夫さんの学歴について見ていこうと思います。
東国原英夫さんは都城泉ヶ丘高校を卒業後に専修大学へと進み、卒業しています。
42歳で、早稲田大学の第二文学部に入学し卒業しています。専修大学を卒業しているにもかかわらずもう一度大学に進学した理由は、「早稲田大学に憧れがあったから」だそうです。
48歳の頃には早稲田大学の政経学部政治学科に社会人AO入学したものの、2年次が修了した時点で中退しました。
宮崎県知事として政治家の道を歩み出した東国原英夫さん。その評価はどうだったのでしょうか。
2006年、宮崎県知事選挙へ無所属で立候補しました。
宮崎再建・宮崎自立のための具体策を打ち出したマニフェストをひっさげ、無所属であることの「しがらみのなさ」を強調しての県政批判などで、無党派層の関心を呼び起こし、現状に不満を持つ政党支持層へも支持を拡大しました。
東国原英夫さんは、得票のうち約45%を得て当選し、2007年1月に第52代宮崎県知事に就任しました。
2011年1月に、任期満了のため退任しました。
退任理由は口蹄疫問題が起きた際に宮崎県議会から『国と対立すると宮崎のためにならないから、(知事を)辞めていただきたい』と言われたからだと話しています。
東国原英夫さんは、国と対等に戦って地方分権を勝ち取っていこうと考えていたため、宮崎ではそれは出来ないなと感じたのだそうです。
東国原英夫さんは、県知事として、それまでの知名度を活かし、特産品や観光地など宮崎の魅力をセールスしたこと、県職員のしがらみをなくし、人事の適材適所をすすめたことなどが知事として評価されています。
政治評論家・タレントで元宮崎県知事、元衆議院議員の東国原英夫さんについてご紹介してきました。
県知事立候補時は、過去の問題行動や言動などのイメージもあって出馬を疑問視する声も多く上がっていましたが、圧倒的な人気で当選し、自らをセールスマンと名乗り、宮崎県のアピールに尽力し、全国に宮崎をPRすることに成功しました。
現在は、政治評論家として多数のメディアに出演し活躍されています。まだ子どもさんも小さいですし、今後も精力的に仕事をこなされることでしょう。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局