岩佐真悠子の結婚相手は?引退した現在は介護施設で働いている?
2023/12/22
大今里
三浦瑠璃は、株式会社山猫総合研究所の代表を務めています。これは、独立系シンクタンクを自営しているものです。2015年に設立されており、シンクタンク、コンサルティングサービスを提供しています。なおシンクタンクとは、多岐にわたる領域の専門家を集めた研究機関です。
そして多様な調査・研究を行い、政策への提言などを行っています。
三浦瑠璃は、政治学者として活動しています。彼女が主としているのは、国際政治学や比較政治学です。なお、学位は法学博士となっています。
三浦瑠璃は1980年10月3日生まれであり、現在は42歳です。同学年には、女優の酒井若菜やタレントの小池栄子、アナウンサーの鈴江奈々などがいます。
2018年のことになりますが、三浦瑠璃はインタビューで自宅について”麻布十番の商店街が近い”と語っていました。しかし、2022年1月に新居へと引っ越した模様です。なお三浦瑠璃は,、軽井沢に別荘を所有しています。
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三浦瑠璃の生い立ちが気になる方もいるかもしれません。続いては、三浦瑠璃の生い立ちについて迫ってみたいと思います。彼女は、どういった家庭で育ったのでしょうか。
三浦瑠璃の父親も学者をしています。彼女の父親は、濱村良久(三浦瑠璃の旧姓が濱村)という心理学者です。父親は、1955年1月30日生まれであり、現在は防衛大学校の人間文化学科で教鞭をとっています。三浦瑠璃は、父親が東京大学の大学院生で博士課程だった頃に誕生したといいます。
父親は現在、三浦瑠璃がテレビに出演した際の発言に対して、共感したことをメールで送ってくれるとされています。なお母親に関して三浦瑠璃は、「熱心な有機食品の愛好家」と語っていました。
三浦瑠璃は5人兄弟の真ん中として育ちました。彼女には、兄と姉、弟と妹がそれぞれにいるということです。賑やかな家庭で育ったことがうかがえるでしょう。三浦瑠璃の妹(名前は百合)はシカゴに留学した経験があり、金融庁に勤務しているという情報があります。
三浦瑠璃と妹は誕生日が同じ(年は異なる)であり、そっくりだという話があるのです。また弟は、東京大学の出身であり国際関係論を専攻していたとされます。
三浦瑠璃は神奈川県茅ケ崎市の生まれですが、小学2年生の頃に転居しています。三浦瑠璃の一家が転居したのは、神奈川県の平塚市です。なお、茅ケ崎市と平塚市は隣同士となります。
では、子供の頃の三浦瑠璃はどの様な少女だったのでしょうか。三浦瑠璃は幼い頃から、童話ばかり読んでいたとされています。三浦家では節約を心がけていたため、音が出るようなおもちゃを買ってもらったことがないのです。贅沢な暮らしをしていたわけではないのかもしれません。
父親が東大大学院出身の心理学者であり、自身も政治学者を務めている三浦瑠璃。彼女の学歴を知りたいという方もいるでしょう。次に、三浦瑠璃の学歴について迫ってみたいと思います。
三浦瑠璃の卒業した小学校については、明らかになっていません。地元である神奈川県平塚市の公立校であるとされているものの、はっきりとはしていないのです。三浦瑠璃の母校として考えられるのは、平塚市金田小学校や平塚市立吉沢小学校、平塚市立金目小学校のいずれかが該当します。
三浦瑠璃は、平塚市立金旭(きんきょく)中学校を卒業しています。中学時代の三浦瑠璃は、陸上部に所属していました。また、この頃にはいじめにも遭っていたのです。三浦瑠璃が中学生だった時代はまだ”スケバン”の文化が残っており、身の危険を覚えるような暴力でのいじめもあったといいます。
さらに所属していた陸上部でもいじめがあり、逃げ場がなかったのでした。
三浦瑠璃が卒業した高校は、湘南高校です。同校は神奈川県下でもトップクラスという進学校でもあります。2021年度には、東京大学に12名、京都大学にも7名を輩出しています。また、石原慎太郎の母校となっているでしょう。
そして、中学校などでいじめに遭っていた三浦瑠璃は、いじめをしていた生徒と同じ学校にならないように、学区外の高校を選んでいます。高校時代の三浦瑠璃は、中学校から引き続き陸上部に所属していました。なお高校においても同級生から無視されることがあり、1人でいることがあったのです。
そのため沢山本を読んでおり、知識を蓄えていったのでした。高校での三浦瑠璃は、授業に出ないこともあり卒業はできるようにしつつ、江の島で時間を潰すなどしていました。
三浦瑠璃は、超難関である東京大学農学部を卒業しています。三浦瑠璃が合格をしたのは理科Ⅰ類であり、後に農学部へと進みました。三浦瑠璃は、大学での男女関係の雰囲気が嫌だったといいます。理系ということでほとんどが男子学生であり、女子は2名しかいなかったのです。
クラスに2名しか女子がいなかったことから、教室に入ると一斉に視線を向けられるのが嫌だったとも、三浦瑠璃本人が語っています。なお農学部を選んだのは、消去法でした。そのため、大学時代には自身の将来について思い描くこともできなかったとしています。
東京大学農学部を卒業した後の三浦瑠璃は、東京大学大学院公共政策学教育部に進学しました。大学院では主として、国際政治学を学んでいました。大学院に進んだのは、イラク戦争の報道をテレビでみたことで、国際政治に関心を持つようになったことがきっかけです。
なお三浦瑠璃は、後述する結婚をきっかけに実家を出たことで、テレビが自由に見られるようになったといいます(それまでテレビをみたことがなかった)。また三浦瑠璃は、大学院にも進んでいたため、30歳頃まで学生でした。
三浦瑠璃の学歴について見ていただきましたが、彼女の経歴はどうなっているのでしょうか。続いては、三浦瑠璃の経歴について迫ってみたいと思います。彼女が大学院を卒業してからのこれまでについて、見ていきましょう。
三浦瑠璃は、2010年10月に東京大学大学院法学政治学研究科・総合法政専攻博士課程を修了しました。この際の論文は、『シビリアンの戦争:文民主導の軍事介入に関する一考察』です。
2007年4月からは、独立行政法人日本学術振興会の特別研究員を務めています。特別研究員は、2009年3月まで2年ほど務めました。なお独立行政法人日本学術振興会とは、文部科学省の外部団体です。研究者に対する援助や、学術研究の助成、国際協力の促進などについての事業を行っています。
株式会社東洋経済新報社が主催した、第26回高橋亀吉記念賞で佳作を受賞しました。2010年に著した、自身の論文『長期的視野に立った成長戦略―ワーキングマザー倍増計画』が認められたものです。
三浦瑠璃は2011年1月から2013年3月まで約2年間、東京大学未来ビジョン研究センターの安全保障研究ユニット特任研究員を務めていました。その間の2012年には、当時アメリカのジャーマン・マーシャル財団の研究員であった、ジョシュア・W・ウォーカーと共に東日本大震災についての論文を発表しています。
三浦瑠璃は、2013年4月に日本学術振興会特別研究員となりました。日本学術振興会は文部科学省の外郭団体であり、文部科学省が所管する中期目標管理法人となっている、独立行政法人です。また三浦瑠璃は、青山学院大学の兼任講師にも着任しています。
2016年3月から2019年2月まで、三浦瑠璃は東京大学未来ビジョン研究センターの講師を務めていました。同年12月には、BLOGOS AWARD 2016で銅賞を受賞しています。三浦瑠璃は、2014年から『山猫日記』というブログを開始しており、自身の政治面でも見解を綴っていました。
2019年6月に設立された、一般財団法人創発プラットフォームのエグゼクティブフェローに三浦瑠璃が就任しています。この際には、元民主党参議院議員である松井孝治らと共に就任しました。
2020年に、三浦瑠璃はドワンゴ学園のN高等学校・S高等学校の政治部の特別講師となっています。高校生に、政治について教えているということです。なおN高等学校とは、沖縄県うるま市伊計島に本校が設置されている、私立通信制高等学校です。そしてS高等学校は、茨城県つくば市に本校が所在しています。
教育内容や学費についてはS高等学校と共通しています。
現在42歳となる三浦瑠璃は、結婚をしているのでしょうか。次に、三浦瑠璃の結婚について迫ってみたいと思います。三浦瑠璃が結婚をしているなら、相手は一体どういった男性なのか見てみましょう。
三浦瑠璃は2003年に、大学4年生で結婚しています。三浦瑠璃は学生結婚であり、22歳頃に結婚をしていたのです。なお前述もしていますが、三浦瑠璃の両親も学生結婚をしているため、学生結婚は2代続けてとなるでしょう。
三浦瑠璃の旦那はエリートであり、外交官として勤務している三浦清志という男性です。三浦清志は父親が日本人であり、母親はアメリカ人であるためハーフとなります。また三浦清志は、外務省を退職後にマッキンゼー・アンド・カンパニーに転職しました。そして2007年からはマネージャーを務めています。
マッキンゼー・アンド・カンパニーを務めた後は、Saferay Japan株式会社を設立し、代表取締役を担っているのです。またTRAIBAY CAPITALに、マネージング・ディレクターとして参入している人物となっています。
三浦瑠璃と三浦清志の馴れ初めは、どういったものだったのでしょうか。旦那の三浦清志は、三浦瑠璃よりも1歳年上であり大学の先輩です。三浦瑠璃が大学1年生の頃に、三浦清志と同じ授業だったことで出会っています。三浦瑠璃が文系の授業も受講するようになったことで、知り合いました。
なお当時同大学で、目隠しをしてAVに出演していた女子学生がいたといいます。その女子学生が三浦瑠璃ではないかと噂されてしまい、それが嫌だったため文系の授業を受けることにしたとされています。これが縁で、2人は出会ったのです。なお2人は出会った頃は友人関係でした。
その後に、三浦清志が大学4年生になった頃に交際をスタートさせたのです。なお当時の三浦瑠璃の印象について三浦清志は、「複雑な子だな」と思っていました。それは、三浦瑠璃が夜にうなされることがあることや、感情的になることがあったためです。
2人が結婚にまで至った理由は何だったのでしょうか。三浦瑠璃は、過去に性暴力を受けたことを元彼たちに明かしてきたといいます。聞いた相手たちは、「きれいにしてあげる」と言ってくれたといい、その言葉に三浦瑠璃は引っ掛かりを感じていました。
ところが三浦清志の場合は、味方でいてあげるといったニュアンスを含む言葉をかけてくれたのです。このことが、三浦瑠璃にとって彼を信じようと思ったきっかけになったのかもしれません。また2人が学生結婚をしたのは、通学に往復4時間を要したことがきっかけだった模様です。
そして、”同棲をするのだったら結婚をしよう”ということになったとされています。なた、相手が留学に行く日が迫っておりビザについて尋ねたところ、結婚をして(三浦瑠璃も)一緒に行った方が良いということになったことも、早くに結婚へと至った理由です。
三浦瑠璃には子供はいるのでしょうか。ここで、三浦瑠璃と三浦清志の子供について探ってみたいと思います。
三浦瑠璃は2010年に、第一子の長女を亡くしています。自然分娩による、死産でした。元気に成長をしていたなら、小学6年生程度になっていたでしょう。なお三浦瑠璃は2016年に出演したテレビ番組『ボクらの時代』で、「今までで一番つらかったことは?」と質問を受けました。
これに対して三浦瑠璃は、「最初の子供が亡くなった時」と答えています。子供を亡くした時には、深い悲しみに暮れたのではないかと想像できるでしょう。では、なぜ長女は亡くなってしまったのでしょうか。
三浦瑠璃が妊娠して22週が過ぎた頃に、長女はわずか27センチ、410グラムという小さささったといいます。ただ、子供の死因については明らかにはなっていません。なお子供の死因で多いのは、厚生労働省の調べにより先天奇形等であると判明しています。
その他には、呼吸器障害や乳幼児突然死症候群が挙げられます。これらの症状が三浦瑠璃の長女の死因なのかは分かりませんが、1つの可能性としては考えられるでしょう。
三浦瑠璃は2011年に、次女を出産しました。娘を亡くすという辛い体験をした三浦瑠璃でしたが、新たに子供を授かっていたのです。娘は既に11歳となっているでしょう。
次に、三浦瑠璃が昔性被害に遭っていたというエピソードについて迫ってみたいと思います。三浦瑠璃が性被害に遭ったことがあるというのは、本当なのでしょうか。
三浦瑠璃は、2019年5月に出版された著書『孤独の意味も、女であることの味わいも』で、自身の体験した性被害を明かしました。このことは、年配層を主とした一般人やメディアから、大きな反響があったとされています。では、三浦瑠璃が遭った性被害とは、一体どういったものだったのでしょうか。
三浦瑠璃は14歳の中学3年生だった1995年に、下校途中に男たちが乗っていたバンへと引きずり込まれました。そして集団レイプをされてしまったのです。しかし彼女は家族を苦しめてしまうかもといった思いから、性被害を打ち明けることはありませんでした。
三浦瑠璃はなぜ、著書の中に自身のつらい体験を記したのでしょうか。彼女は著書の位置づけについて、『性的被害をテーマにした本ではない』と語っています。そして、『書く作業の中で出てきた体験の一つに過ぎない』とも言っていました。
ただ性被害が、三浦瑠璃にとってどういった体験の位置づけとなっているのか、読者に伝える方法については考え抜いた模様です。
では、少女だった三浦瑠璃を襲った犯人は捕まったのでしょうか。三浦瑠璃は著書で『少なくとも一人は知っている顔だったと思う』と語っています。また母親にも被害を伝えることができなかったため、警察には通報もしていません。そのため、犯人は捕まることはなかったのです。
本件は刑事事件にはならず未解決となり、公訴時効が成立してしまっています。
三浦瑠璃の国籍は中国なのではないかという噂があることを知っているでしょうか。ここで、三浦瑠璃の国籍の噂について迫ってみたいと思います。三浦瑠璃の国籍は中国なのか、見てみましょう。
三浦瑠璃は神奈川県茅ケ崎市の出身ですが、国籍は中国ではないかとの噂があります。旧姓も”濱村”であり日本人であるはずであるものの、なぜ中国が国籍であると言われるのでしょうか。
三浦瑠璃は顔立ちが整っていることや、テレビでの態度が強気であることから”中国人”ではないかと言われている模様です。しかしこれだけでは、国籍が中国であると断言することは不可能でしょう。
三浦瑠璃の国籍が中国がと言われるのは、話し方が中国人のような訛りだからという理由が多く挙げられています。例えば『日本人として話し方に違和感がある』や、『日本語上手な中国人かと思ったら普通に日本人なんだ』といった声が聞かれます。
三浦瑠璃は海外の情勢などにも言及することがあるため、憶測を呼ぶのかもしれません。また彼女は、『中国との相互依存を深めましょう』という内容のことを言っていたこともありました。この点から、中国のスパイではないかとの憶測を呼んだこともあります。
三浦瑠璃のテレビでのコメントが訛った話し方だったためか、韓国人なのかという噂も出たことがあります。なお三浦瑠璃の出身地である神奈川県は、話し方に訛りがあることもあり、この点から日本人ではないのではないかと言われた理由かもしれません。
通常であれば、喪服は肌の露出のあまりない黒のツーピースやワンピースなどを着るものでしょう。三浦瑠璃は、シースルーの喪服を着用したというのですが、それは一体どういったことなのでしょうか。最後に、物議を醸した彼女のシースルー喪服について迫ってみたいと思います。
2022年7月8日に、元内閣総理大臣である安倍晋三が、選挙の応援演説中に撃たれその後に死亡するという事件が発生しました。そして2022年9月27日に、東京の日本武道館において安倍晋三の国葬が執り行われました。三浦瑠璃は、この国葬に参列しています。
三浦瑠璃は、黒ではあるもののシースルーのドレスのような喪服で参列したことで、非難を浴びました。胸元が透けて見えるデザインになっているドレスでした。なお国葬当日には、朝のテレビ番組『めざまし8』にもこのシースルーの喪服で登場しています。
国葬に直接向かうために、シースルーのドレスを着用して出演したのでしょう。
三浦瑠璃が着ていたシースルー喪服は、アレキサンダー・マックイーンの作品だったことが分かっています。アレキサンダー・マックイーンは、ロンドンを拠点としたブランドです。
アレキサンダー・マックイーンのシースルー喪服は、値段が定価36万4100円となっています。三浦瑠璃が国葬で着用していたシースルー喪服が、高級なものであることが分かるでしょう。なお彼女がこのドレスを前から所持していたのか、国葬のために購入したのかは不明です。
また、このシースルー喪服と言われるドレスは、現在アレキサンダー・マックイーンのホームページには掲載されていません。
三浦瑠璃は、東京大学大学院を卒業している政治学者です。独立行政法人日本学術振興会の特別研究員を務めるなど、様々な役職を歴任しています。そして、テレビのコメンテーターとしても活躍しています。そして三浦瑠璃は、外交官だった三浦清志と学生時代に結婚しました。
2010年に第一子を亡くすという辛い経験をしているものの、現在は第二子の娘の母親としての面も持っています。”シースルー喪服”などで物議を醸すことはありましたが、三浦瑠璃の今後からも目が離せません。
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