岩佐真悠子の結婚相手は?引退した現在は介護施設で働いている?
2023/12/22
大今里
元アナウンサーの菊間千乃さんは、小学校の頃から「将来はアナウンサーを目指す」と周囲に宣言していました。
それは、父親の影響が大きいようです。父親は、バレーボールの強豪で知られる八王子実践高等学校の元監督の菊間崇祠さん。
日頃から取材陣に囲まれることも多く、菊間千乃さんに「取材する際にバレーボールを勉強して質問する人と、そうでない人の差が大きい」と、メディアの質の違いについて聞いて育ったのです。
きちんと勉強して質問をしてくる記者には丁寧に答えたくなるという、人情もあったようで、メディアが世の中に伝える重要さを幼いながらも感じたのだとか。
高校を卒業後は、早稲田大学に進学。大学時代にはイギリスに留学した経験も持っています。そして就職活動においては、フジテレビとTBSを受けてどちらも合格。
1995年4月にアナウンサーとしてフジテレビに入社しました。同期には伊藤利尋さん、森昭一郎さん、高木広子さんがいます。
入社後すぐに担当したのが、当時の人気トーク番組である「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのテレフォンアナに抜擢されたのです。
ここで注目を集めた菊間千乃さんは、「発掘!あるある大事典」、「2時のホント」、「FNNスーパーニュース」などの番組を担当するようになりました。
2005年に夜間のロースクール「大宮法科大学院大学」に入学。実は、1995年に入社した際に「アナウンサーを10年やったら司法試験を受けようと思っている」と人事面談で伝えていたのです。
この当時のアナウンサー界は、「女性のアナウンサーは30歳定年説」という暗黙の認識がされていたという背景がありました。実際に30歳を過ぎると、結婚などで前線を退く先輩が多かったのだとか。
菊間千乃さんも将来は、弁護士の資格を持ったキャスターとしてやっていくというキャリアパスを持っていたのだといいます。
ロースクールの入学に踏み切ったのは、当時複数オンタイムの番組を担当していたのですが、全て日中の番組だったので夜間が空いていたこともあり、「これは挑むべきなんだ」と思ったそうです。
菊間千乃さんには、スキャンダルもありました。2005年7月に当時、NEWSのメンバーだった内博貴さんと飲酒をしたことが報じられました。
内博貴さんは、2003年にNEWSのメンバーに選ばれ、2004年にデビューシングル「希望~Yell~」でデビュー。その後関ジャニ∞のメンバーにも選ばれていた将来を嘱望されたメンバーだったのです。
この事件は、2005年7月16日のバレーボール中継が終わった後で、フジテレビ社員と菊間千乃さんが、当時18歳だった内博貴さんと飲酒をした疑惑があるというもの。
菊間千乃さんに対して法的な責任を問われるようなことはありませんでしたが、フジテレビから無期限の謹慎処分が下されました。
なお、内博貴さんも無期限の謹慎処分を受け、けじめとしてジャニーズ事務所を退所するつもりだったようですが、ジャニー喜多川さんから引き留められて、2006年に研究生として復帰。
ただし、研究生の身分ではデビュー後のユニットメンバーとしての活動ができないため、NEWSと関ジャニ∞からは、事実上の脱退となりました。
2005年からテレビ局のアナウンサーの仕事と法律の勉強とを両立させてきましたが、本格的に司法試験に専念することを理由として、2007年12月でフジテレビを退社。
この時の菊間千乃さんは35歳。退社を決意するまでに、かなり迷ったといいます。生活の基盤を失ったうえで試験に落ちてしまうと、ただのフリーターになってしまうという恐怖があったそうです。
しかし、このままフジテレビの社員として勤務を続ければ安泰ではありますが、絶対司法試験に受からないだろうとシミュレーションをして決意したのだとインタビューで語っています。
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菊間千乃さんは、1998年9月に転落事故を起こしニュースにも大きく取り上げられて、日本中から注目を集めたことがありました。
あれからかなりの年月が経過しているので、ご存知ない方もいるかもしれません。命にも関わると言われた転落事故の状況や、その後の経緯について紹介します。
転落事故が起きたのは、1998年9月2日のこと。「めざましテレビ」内の企画で、菊間千乃さんがリポーターを務める「それ行け!キクマ」の中継中に起きました。
この企画は災害時などで、高所から飛び降りることが可能な避難グッズが紹介されていたのです。
中継を行っていたのは、マンションの5階で避難グッズを装着すると、グッズを販売しているメーカーの社長が「これで大丈夫です」と確認すると、菊間千乃さんは窓の外側へと身を乗り出してぶら下がりました。
そして躊躇することなく、手を離し落下。しかし、避難グッズが作動せず13メートル下の地上のマットに叩きつけられました。
マットの上に落下した菊間千乃さんはピクリとも動かなくなりました。思いもよらぬ転落事故に、番組出演者も動揺していました。
スタッフも慌てた様子が伝わり、そのまま現場からの中継も打ち切られてしまったのです。
そもそも気になるのが、本来は安全な避難ができるはずなのに、なぜ菊間千乃さんは転落してしまったのでしょうか。事故の原因や、当時の動画の存在についても調査しました。
事故の原因を調査したのは、警視庁西新井署です。警視庁の発表によると、菊間千乃さんに取り付けられたフックが十分に固定されていなかったことが原因ではないかと見ているそうです。
5階の窓から手を離し、落下する前にフックが外れてしまったという理由だったのだとか。
当時の、めざましテレビの生放送の動画の存在を確認してみたところ、菊間千乃さんの転落前から転落後までの映像がニコニコ動画にアップされています。
こうして生放送中に、思わぬ転落事故が起きた菊間千乃さんの事故後の怪我や後遺症が気になりますよね。
マットの上で動かなくなってしまった状態で、現場での生放送が中断してしまったのですが、その後の経緯について見ていきましょう。
菊間千乃さんは、上半身13本の(腰椎の圧迫)骨折という重傷を負い入院しています。結果的に、全治3ヶ月かかりました。
入院中、全く動けない状態で、外の天気が晴れていると「どうしてこんなことに」と、気分が落ち込んだそうです。
テレビをつけると、本来自身が出演している番組に、代わりのアナウンサーが何事もないように番組を担当するのを見るにつけ、釈然としない気持ちに。
本来であれば会社というのは、こういうものであると納得させようとすればする程、働くことの意義が分からなくなってしまい悩んでしまったのだとか。
病院の主治医からは、「生きていることが奇跡。新しくもらった命を大事にしないとダメ」と言われたそうです。
また、母親の懸命な介抱や、ファンから寄せられた励ましの手紙を読むうちに、次第に前向きな気持ちが不思議と湧くようになりました。
その後、菊間千乃さんは「当たり前のように明日は来ない。今できることを頑張らないと。私、事故に遭った26歳で死んだと思っているので、その先の人生は、無駄な時間を過ごしちゃいけない」と考えるようになったのです。
事故の翌年には、現場に復帰を果たしましたが、ギブスを付けたままの痛々しいものでした。リハビリは1年かかっています。
ちなみに、転落してからのことは一切記憶がなく、意識を失い搬送や治療が済んでいます。気が付いた時にはICUで、酸素を供給するマスクを外して目が覚めたのだとか。
この時は、どこにいるのか何が起きたのかを全く理解していなかったのだといいます。
菊間千乃さんは、後遺症について聞かれると「それはない」と説明していました。
実際に腰に大怪我を負っていたことらからか、出産になんらかの影響するのではないかと噂が浮上。しかし、これは事実無根であるようです。
2022年現在、菊間千乃さんの年齢は50歳を迎えました。フジテレビを退社した2007年以降の動向や、現在の様子について紹介します。
2010年9月の新司法試験に合格しました。実は2回目の試験で、最初に試験を受けた時には落ちてしまい、既にフジテレビを退社していたので、「この先どうしよう」と落ち込んだという、経緯を経ての合格だったのです。
合格後に、司法修習を経て弁護士になりました。さらに2019年3月は早稲田大学大学院研究科修士課程・先端法学(知的財産法LLMコース)専攻を終了したことを報告しています。
現在の菊間千乃さんの専門分野は、知的財産や倒産などの企業の法務に関わる事務所に所属しています。
なお事務所の名前は「弁護士法人松尾綜合法律事務所」という事務所で、東京地千代田区内幸町に所在。ホームページを見ると確かに、菊間千乃さんの名前が記載されています。
弁護士になった後もフリーアナウンサー業を継続中です。現在のレギュラーは、2021年4月以降、テレビ朝日の「羽鳥真一モーニングショー」の火曜コメンテーターを務めています。
2021年3月に発表されたのは、一般社団法人日本女子ソフトボールリーグ機構の新理事に就任したのが、菊間千乃さんと古田敦也さんです。
この法人は、新リーグ発足を目指して2020年9月に設立されたもので、2021年6月30日に「JD.LEAGUE」が創設されたという経緯があるのです。
つまり、菊間千乃さんはリーグ発足に貢献したということになるでしょう。自身のインスタでは、2022年3月28日の投稿で、オープニングセレモニーに立ち会ったことを報告しています。
1998年の転落事故から1年に渡る苦しいリハビリを経て復帰した菊間千乃さん。ところで、転落事故の責任は誰にあるのか、という疑問が残ります。
転落事故からかなりの年月が経過していますが、責任の所在や補償についても調査しました。
菊間千乃さんは、裁判を起こしていないことから見ると、確実に補償を受けているものであるという見られ方が濃厚であるようです。
ただし、どのような形で誰が支払っているのかは明らかにされていません。
責任の所在として考えられるのは、やはりグッズを制作したメーカー企業だと考えるのが妥当です。
しかし、フジテレビ側も事前に安全を確認することを怠ったという責任があると考えられています。
確かに番組制作チーム側で確認することで、このような事故を防げたかもしれません。
詳細は不明であるものの、労災以外にもフジテレビや、労災グッズのメーカーからも慰謝料が支払われた可能性があると見られています。
テレビで取り上げられた避難用グッズの商品名は「セイフリー・ダウン」といいます。制作したメーカーは、ケネディインターナショナルというのですが、既に倒産してしまっているようです。
これだけ大々的に転落事故を起こしてしまった以上、こうなってしまったのは仕方のないことなのかもしれません。
ここからは、菊間千乃さんのプライベートについて見ていきましょう。やはり気になるのは結婚ではないでしょうか。実は、既婚者であることが判明しています。
夫となった男性は、一体どんな男性なのでしょうか。気になる馴れ初めや子供の存在についても調査しました。
2014年2月4日に自身のブログを更新して、結婚したことを報告しました。この時点で菊間千乃さんは41歳。入籍したことを友人に告げたところ大喜びしてくれたのだとか。
このことについて菊間千乃さんは「どれだけ、周囲に心配をかけてきたのでしょう。最高のパートナーと、さらにさらに楽しく力強く歩んでいきたいと思います」と新生活への決意を新たにしました。
30代後半になってからの新司法試験への挑戦や、司法修習生として学ぶ日々であったことを鑑みると、なかなか結婚に踏み切るタイミングが見つからなかったのかもしれませんね。
菊間千乃さんが結婚した相手は、早稲田大学時代の同級生だったことが判明しています。なお、一般企業に勤めているとのことなのですが、名前や顔写真、勤務先などは非公開であるようです。
生年月日についても、不明なのですが1歳年上であるとブログに記載しています。夫となった男性は浪人していたのかもしれませんね。
馴れ初めについては、2013年頃に10年ぶりに再会し、距離を縮めていき交際に発展したそうです。
夫との間には子供は誕生していません。結婚した時点で41歳だった菊間千乃さんは、45歳頃まで不妊治療をしていたらしいという噂が浮上しています。
一方で、結婚した時点で子供については考えていなかったという説もあり、真相は定かではありません。
菊間千乃さんは、早稲田大学を卒業した1995年4月にフジテレビにアナウンサーとして入社し、「発掘!あるある大事典」、「2時のホント」、「FNNスーパーニュース」といった番組で活躍してきました。
1998年9月2日に、「めざましテレビ」の放送中に、建物の5階から落下し転落事故に遭いました。全治3ヶ月、リハビリは1年に渡る苦しいものでしたが、「生きているだけで奇跡だ。後遺症もない」、主治医に驚かれました。
転落の理由は、高所から飛び降りることができる非難グッズを装着し、窓にぶら下がった時にフックが外れてしまったことが原因で、グッズが作動しなかったという警視庁の捜査結果が発表されています。
その後の菊間千乃さんは、キャリアアップの一環として弁護士になることを決意し、ロースクールに通いながら猛勉強を続けてきました。
2010年に新司法試験に見事合格。司法修習を経た後に弁護士として、企業法務に強いという都内の弁護士事務所に所属しています。
思い切った挑戦と、努力を続ける菊間千乃さんの弁護士活動とアナウンサーとの両立をこれからも応援していきましょう。
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