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楠田枝里子は現在何歳になった?若い頃からの経歴や結婚はしてる?

「世界丸見え」の司会でお馴染みだったアナウンサーの「楠田枝里子」。長身で短髪のトレードマークで人気の彼女は今何歳?現在まで結婚することなく彼女が独身を貫く理由とは?楠田枝里子の経歴や現在の活動だけでなく、彼女が金持ちと言われる理由につても紹介します。

楠田枝里子のプロフィール

  • 本名(ふりがな):楠田 枝里子(くすた えりこ)
  • 生年月日:1952年1月12日
  • 現在年齢:70歳
  • 出身地:三重県伊勢市
  • 血液型:A型
  • 身長:170cm
  • 活動内容:フリーアナウンサー、タレント、司会者、エッセイスト、翻訳家、サイエンスライター

生い立ちや学歴

楠田枝里子さんは、三重県伊勢市で生まれました。楠田さんの母は栄養学の講師で、父は日曜画家だったそうです。父の影響で子供の頃から絵を描くのが好きだったそうです。

 

幼稚園時代からバレエを習っていて、将来はバレリーナになりたいと思ったそうですが、小学6年の時にバレエの先生から「バレリーナになるには大きくなり過ぎました」と言われて断念したそうです。

 

バレエ以外にも習い事はしていたそうですが、どれも長続きしなかったらしいです。

楠田枝里子さんは、三重県立伊勢高校を経て東京理科大学理学部第一部応用化学科に進学しました。

 

高校時代は、新聞部とバスケットボール部に所属していたそうです。大学時代は、天文クラブに所属し、毎月のように八ヶ岳に観測しに行っていたそうです。

 

また、楠田さんはコンピューターのプログラミングにも熱中し、アセンブラやFORTRAN(フォートラン)などプログラミング言語の研究をしていたらしいです。

1974年日本テレビ入社

楠田枝里子さんは、大学卒業後、1974年に日本テレビにアナウンサーとして入社しました。同期には、松永二三男さんと小池裕美子さんがいました。

 

楠田さんは、1981年秋に日本テレビを退社しフリーアナウンサー&エッセイストに転身しました。そして、『なるほど!ザ・ワールド』(フジテレビ)『世界丸見え!テレビ特捜部』(日本テレビ)『驚きももの木20世紀』(朝日放送)など、バラエティや海外情報系の番組の司会を長年続けました。

楠田さんの司会者として出演番組には、他に『おしゃれ』(日本テレビ)、『FNS歌謡祭』(フジテレビ)、『お洒落なニュースショー ワールドNOW』(日本テレビ)、『ニョキニョキ植物王国』(テレビ東京)などがあります。

 

また司会以外の出演番組に『ランキンの楽園』(毎日放送)、『出没!アド街ック天国』(テレビ東京)、『マツコの知らない世界』(TBS)他があります。

デビュー当初はおかっぱ頭

楠田枝里子さんは、アナウンサー・デビュー当初から1991年頃までは、髙い身長とおかっぱ頭がトレードマークでした。でも、1992年頃から、帽子を被ったり他の髪型にすることが増えていき、2000年頃からおかっぱ頭を全くしなくなりました。

 

なんでも、おかっぱの髪はカツラだったそうで、地毛はパーマのかかったかなり短めのショートヘアでした。

消しゴムやチョコレートが大好き

楠田枝里子さんは、消しゴムのコレクションが趣味で、実用性を問わず、国内外40ヶ国からありとあらゆる形状の消しゴムを収集していて、コレクション総数は2万個以上になるのだそうです。

 

なんでも楠田さんは、小学生の頃から面白い形をした消しゴムを買い求め、机の引き出しに保存していたそうです。その時は、コレクションするという意識はなかったらしいです。

 

そして、大学進学で上京する際、机を整理したら思いのほか消しゴムがたくさん集まっていたことに気づき、その時から意識してコレクションするようになったそうです。

 

楠田さんは、消しゴムコレクションを、窓に紫外線をカットするフィルムを貼るなどした別室に保管し、ジャンル別に立てて飾っているそうです。また劣化が進むという理由で、人が消しゴムに触るのを嫌うらしいです。

 

1998年には、彼女の消しゴムコレクションの中から名品・珍品・傑作など約1300点をエッセイを交えて紹介した本『消しゴム図鑑』(光琳社)を発売しました。

楠田さんは、大のチョコレート好きでも知られていて、カカオ分を多く含んだチョコレートを常にストック&携帯しているそうです。

 

2004年には、カカオ分70%以上のチョコ50gを毎日食べる楠田さん流のチョコレート・ダイエットを紹介した本『チョコレート・ダイエット』(幻冬社)を発売しました。

 

2017年には、世界的なチョコの祭典『サロン・デュ・ショコラ2017』のアンバサダーに選ばれ、2022年には、親交のあるショコラ界の巨匠と呼ばれるジャンポール・エヴァンさんやピエール・エルメさんとコラボしたチョコレート・プティックをプロデュースしました。

 

また、同じ2022年の1月に、大阪・あべのハルカス近鉄本店で、楠田さんプロデュースによるイベント『ショコラ・エ・ショコラ』が開催されました。

『チョコレート・ダイエット』を発売したことが縁で、楠田さんは明治製菓『チョコレート効果』のCMに2006年3月から2007年10月頃まで出演しました。

CMにも登場!

楠田枝里子さんは、明治製菓「チョコレート効果」の他にもCMに幾つか出ています。

 

雪印乳業「ナチュレ」、阪神百貨店「ミズの時間」、花王「エッセンシャル・コンディショニング」、昭和シェル石油「Xカード」、カメヤマローソク「カナダ香・スペイン香・アラビア香」、バンダイナムコエンターテインメント「アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ」などです。

女優もしている!

楠田枝里子さんは、鈴木清順監督・松田優作さん主演の映画『陽炎座』(1981年)に女優としてイネ役で出演しました。共演は、大楠道代さん、加賀まりこさん、原田芳雄さん、中村嘉葎雄さん他。

 

他にもテレビドラマ『ザ・サスペンス「川崎探偵団」』(1983年)に出演しました。共演は、嶋大輔さん、杉本哲太さん、千石規子さん他。

 

上記2作品以外に出演作はなく、どうも楠田さんは女優になる気はなかったようです。

楠田枝里子の現在(2022)

若々しく見える楠田枝里子さんですが、かなりの年齢です。そんな楠田さんの現在の状況がどんなものなのか調べてみました。

今何歳?楠田枝里子の現在の年齢

とても若く見える楠田枝里子さんですが、1952年1月12日生まれですから、現在70歳になります。古希のお祝いをしたのかどうかは分かりません。

 

楠田さんは、最初、年齢を非公表にしてきました。2017年の65歳のとき、テレビ番組で初めて自身の年齢を公表しました。なんでも年齢を明かすことで、「こんなステキな年代ですよ」と伝えたくなったかららしいです。

死去の噂は嘘!現在も健在

楠田枝里子さんが死去ししているのではないか?という噂が何年か前に流れたことがあります。メデァへの露出が減ったことにより、そんな噂が流れたようですが、楠田さんは現在も健在です。

今も変わらず長身・短髪!

楠田枝里子さんは、70歳になりましたが、昔と変わらずスタイルが良く、トレードマークでもある短髪のせいで、外見が年齢よりも若く見えます。

 

楠田さんは子どもの頃、バレエを習っていたことがあるので、そのせいか背筋が伸びたキレイな姿勢をしていることも、若く見えることに繋がっているようにも思われます。

彼女のインスタが面白い!

楠田枝里子さんはインスタグラムをしています。彼女が大好きなチョコレートや消しゴム、それに飼っている猫マフィンの画像など、2022年3月末で400点ほど投稿されています。

楠田枝里子は結婚して旦那がいる?

楠田枝里子さんは、結婚しているのでしょうか?独身のままなら、なぜ独身を貫くのか?また結婚を考えた相手はいなかったのかなどを調べてみました。

現在も独身!

楠田枝里子さんは、現在も独身で、これまで一度も結婚したことがありません。また、当然のことながら子供もいないようです。

 

子どもの代わりと言ってはなんですが、楠田さんは猫のマフィンを飼っています。

 

 

楠田枝里子が独身を貫く理由とは?

楠田枝里子さんは、2017年のテレビ番組で独身を貫く理由を語ったことがあります。

 

楠田さんは、若い頃から結婚願望がなかったそうです。

 

「結婚と言うのは、この社会の制度の中で契約を結ぶということ。私は人を愛することに契約書はいらないと思うので、結婚の必要性を感じたことがなかった」と番組で話しました。

一度は結婚を考えたことも

楠田枝里子さんは、昔交際していた相手にプロポーズされ、一度は結婚してもいいかなと考えた事があるそうです。丁度、自分の仕事がうまくいっていなかった時期だったそうです。

 

でも、冷静に考えた時、「私は結婚を逃げ道にしているのかもしれない。」と気づき、「結婚を逃げ道にしてはいけない」と自分を厳しく律し、プロポーズを断ったらしいです。

楠田枝里子の現在までの経歴

楠田枝里子さんは、日本テレビを退社後は、フリーアナウンサーだけでなくエッセイストとしても活発に活動しました。

 

『ロマンチック・サイエンス』(PHP研究所)、『色の小宇宙』(絵・佐藤和弘・PHP研究所)、『楠田枝里子の気分はサイエンス』『センチメンタル・マシーン』(毎日新聞社)、『不思議の国のエリコ』(文芸春秋)など、科学エッセイの著書を出していします。

 

また、『チョコレートの奇跡』(中央公論新社)などチョコレートに関する著書や、『飛んだ旅行記』(文芸春秋)『パンとサーカス』(文芸春秋)『青いサーカステントの夜』(新潮社)などの旅行記など、数多く出しています。

海外作品の翻訳も手がけていて、ドゥーガル・ディクソン著の『新恐竜』(旧版)を出しています。

 

また、絵本『うさちゃんのニュース』(ルース・L・ボーンスタイン作・絵/ほるぷ出版)『ぼくはおおきなくまなんだ』(ヤノーシュ作・絵/文化出版局)『こころのやさしいかいじゅうくん』(マックス・ベルジュイス作・絵/ほるぷ「出版)の翻訳も手がけています。

日本マリア・ライヒェ基金代表

楠田枝里子さんは、ペルーのナスカの地上絵の保護運動に熱心なのも知られています。きっかけは、海外雑誌の特集で紹介されていたドイツ人の女性研究者マリア・ライヒェに強い関心を持ち、単身でペルーに渡り取材しました。

 

その後も、何度も対面取材を行い著書『地上絵の謎を追ったマリア・ライヘの生涯 ナスカ砂の王国』を出しました。楠田さんは、現在ナスカの地上絵の保護活動の基金を集める活動をする「日本マリア・ライヒェ基金」の代表を務めています。

 

ピナ・バウシュに魅了される

楠田枝里子さんは、1988年にドイツのバレエダンサーで振り付け師のピナ・バウシュさんの舞台を始めて観て以来、彼女の熱烈な追っかけファンとなったそうで、バウシュ本人とも親交を持ったそうです。そしてファン熱が高じたのか、著書『ピナ・バウシュ中毒』(河出書房新社)を出しました。

 

ピナ・バウシュさんは、1940年にドイツで生まれ、メトロポリタン・オペラ・バレエ団やニュー・アメリカ・バレエ団で活動後、振付活動を初め国際振付家コンクールで1位を獲得。

 

ドイツ表現主義舞踊の影響を色濃く受け継ぎ、演劇的手法を取り入れた彼女独自の舞踊芸術は演劇とダンスの融合と言われ、彼女自身は「タンツ・テアター」(ダンス演劇)と呼びました。

ピナを熱愛する楠田さんは、映画『パリ・テキサス』『ベルリン・天使の詩』で知られる監督ヴィム・ヴェンダースさんが撮ったドキュメンタリー『Pina ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』が、2011年の第24回東京国際映画祭で上映された時、舞台に登場し監督に花束を渡しました。

 

楠田さんは「ピナを愛する一人として、映像で見ることが怖かったけど。その心配は全く無用でした。素晴らしい作品でした。ピナに再び会えた歓びと興奮で涙しました」と語りました。

「世界丸見え」の番組降板理由を語る!

楠田枝里子さんは、1990年の番組開始から19年間司会を務めた『世界まる見え!テレビ特捜部』(日本テレビ)を2009年に降板しました。降板理由は、番組プロデューサーに「若返りを図りたい」と言われたことが降板理由だと自身のブログで明らかにしました。

楠田枝里子が金持ちと言われる理由

楠田枝里子さんの実家がお金持ちだと言われることがあるそうです。実際に楠田さんの家がお金持ちなのか?もしそうでないなら、なぜそう言われるのかなどを調べてみました。

実家が金持ち?

楠田枝里子さんには、弟が一人いて、医師をしているそうです。なんでも、楠田さんの故郷・伊勢市で日赤病院の副院長に就任したそうで、かなり優秀な方のようです。

 

また、楠田さんは幼い頃からバレエを習っていましたが、医師の弟やバレエを習っていたことから、実家が金持ちではないかと言われることがあるそうです。でも、ネットで調べても彼女の実家が裕福だと言う確かな証拠は見当たりませんでした。

芸能事務所の社長を務める

楠田枝里子さんは、1981年4月に設立された芸能活動などのマネージメントを行う会社「ファンタシウム」の代表を務めています。このことで、お金に余裕があるのではと思われているようです。

いつまでも若々しく前向きな楠田枝里子

フリーアナウンサー、エッセイスト、翻訳家など多彩に活躍している楠田枝里子さん。自分の興味あるものをどこまでも追い続ける前向きな楠田さんですが、いつも活き活きハツラツとしていて、ちっとも歳を感じさせませんね。

 

恋愛より趣味に生きていこうとしているようですが、ひょっとすると結婚しなくても一緒に過ごせるような男性が現れるかもしれません。

 

とにかく、いつまでも元気で活躍を続けていってほしいものですね。

 

 

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