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2023/12/22
大今里
大塚久美子さんは、1994年、家業の大塚家具に入社し、1996年から取締役をつとめ、経営企画部長、経理部長、営業管理部長、広報部長、商品本部長等を歴任しました。
2004年同社取締役を退任し、1年間の休養を経て、2005年東京都千代田区に広報・IRコンサルティング会社、株式会社クオリア・コンサルティングを設立し、代表取締役に就任しました。
しかし、大塚家具の業績低迷を受け、2009年、代表取締役社長に就任しました。その後、一度は退任するものの、再任し、2020年12月まで社長を務めていました。
大塚久美子さんは、5人兄弟の長女で、共働きの両親に変わり、弟妹の面倒をよくみるお姉さんだったそうです。
弟、妹たちは大塚久美子さんのことを育ての親だと感じていると周囲の人に話していたそうです。
大塚久美子さんは、海外ドラマをよく見るそうです。
ストレス解消になるそうで、日本人が出てくるとどうしても現実に引き戻されてしまうので、頭を切り替えるために海外ドラマを見ているんだそうです。
推理モノ、事件モノを好んで見るそうで、アクションサスペンスの「ブラックリスト」、弁護士ドラマ「スーツ」などが好きと語っています。
そして、ドラマを見ている際、インテリアがそれを使う人物をよく表現していて、とても勉強になるし、おもしろいとも語っています。
2020年に大塚家具の社長を退任した大塚久美子ですが、現在は何をされているのでしょうか。詳しく見ていこうと思います。
2020年12月に大塚家具の社長を辞任した大塚久美子さんは、現在、株式会社クオリア・コンサルティングの代表取締役を務めています。
2005年に、大塚久美子さんが個人で設立した会社です。
インテリアと住まいを中心テーマに、個人向けにはライフスタイル・コンサルタントとしての情報発信、セミナーの企画実施などを行います。
また、事業者向けには、インテリア関連業種・異業種間のコラボレーションの支援、新事業の立ち上げ・スタートアップ企業のサポート、人材開発・社内研修のコンサルティングなどを行う会社です。
大塚家具の経営がうまくいかず、業績を低迷させ、社長を退任した大塚久美子さんに対して、
などと、経営コンサルタントとしての能力があるのかといった疑問の声が多数上がっています。
また、経営誌「日経トップリーダー」(日経BP社)が主催するセミナー「日経トップリーダー大学」に、講師として大塚久美子さんが登壇する事が発表されると、「冗談だろ」「ギャグでしかない」などの声があがりました。
続いては、ワイドショーなどでも大きく取り上げられ、連日報道された、大塚家具のお家騒動について詳しく見ていこうと思います。
大塚家具の始まりは、大塚久美子さんの父親・大塚勝久さんが、1969年、社員24名で株式会社大塚家具センター(現大塚家具)を創業したところからです。
それ以降、吸収合併や、全国に店舗を開き、積極的な広告宣伝及び店員が1対1で接客する独自の接客方法などで業容を拡大していきました。
しかし、住宅需要の低迷や、ニトリ・IKEAといった価格帯の低い店が人気を得るようになってきたことにより業績が低迷し、2009年に大塚久美子さんが父親から社長職を譲られました。
大塚久美子さんは、それまでの接客方法が「利用客の心理的な負担になり、客足を遠のかせる」「消費者の購入スタイルは単品買いに変わった」「受け付けや提案は客が抵抗を感じている」とし、店舗にカジュアルな雰囲気を施して積極的な接客を控える手法を取り入れました。
大塚久美子さんが社長に就任し、業績が回復し、赤字を脱却するまでになりました。
しかし、大塚久美子さんの経営方針に父親であり、前社長の大塚勝久さんが反発し、2014年7月に取締役会で業績不振を理由に大塚久美子さんの社長解任を提案し、大塚久美子さんは社長を解任されました。
大塚勝久さんが社長に復帰後、大塚久美子さんが行った新規顧客層の開拓のために開いた北欧インテリアのショッピングモールサイト「Morgenmarked」とその実店舗、「nendo」とのコラボレーションによるセレクトショップ、リブセンスとの共同事業で展開していた家具・インテリアの通販サイト「kagūno」をいずれも2014年11月末で閉店・閉鎖させました。
また、高額商品を目玉にした広告を大量投入するなど、大塚久美子さんが行おうとした事とは逆の、以前の経営方針、高級家具路線へと戻そうとしました。
それにより、回復してきていた業績は低迷し、4年ぶりの営業赤字に転落する事態となったことを受け、2015年1月28日の取締役会で、大塚久美子さんの社長復帰が決定されました。
わずか半年の事でした。
2015年1月に社長に再び就任した大塚久美子さんは、父・大塚勝久さんの経営方針をほぼ全否定する経営改革をすすめました。
しかし、急激すぎる経営改革は、父・大塚勝久さん支持を表明していた取引先等からの反発を招きました。社内は大塚久美子さん派と大塚勝久さん派に二分されていたとも言います。
また、高度な技術を持つ職人が会社を去ったり、先代からの得意先から取引を打ち切られるなどします。そして、大塚家具のお家騒動として取り上げられたことにより、ブランドイメージが大きく損なわれていきます。
業績は低迷、売上高は大幅に落ち込み、社長在任中の4期で約230億円の純損失を計上することとなりました。最終的には大塚久美子さんは、社長を辞任することとなりました。
続いては、社長交代により、大塚家具がどう変わっていったのか、見ていこうと思います。
もともと大塚家具の創業者であり、大塚久美子さんの父・大塚勝久さんが打ち出していた経営方針は、高級家具店でした。
顧客を会員制にしてファイルで管理し、店員が顧客について店内を回り、新婚夫婦の「まとめ買い需要」を取り込む方法、そして富裕層の高級家具の購入、この顧客層を乗り込み、大塚家具は高級家具店として業績を伸ばしました。
しかし、ニトリやIKEAの台頭、さらにショールームや人件費などがかかり過ぎていた事もあり、徐々に業績が振るわなくなってきていました。
大塚久美子さんが社長に就任してからは会員制を廃止し、気軽に入れるカジュアルな店づくりがされていきました。
低販売価格路線へも舵を切りましたが、既に台頭していたニトリやイケアにはかなわず、高級志向の顧客も離れていく結果となり、売り上げが回復する事はありませんでした。
2019年12月、(株)ヤマダ電機と大塚家具は資本提携し、連結子会社となりました。大塚家具は、その後も黒字化することはできず、2020年10月28日に、経営再建に道筋がついたとして社長を辞任する事を表明し、2020年12月1日付で退任しました。
後任の社長は三嶋恒夫ヤマダホールディングス代表取締役社長兼大塚家具代表取締役会長が兼務となりました。
そして、2021年6月には、ヤマダ電機は、51%超の株式を保有する大塚家具を株式交換で完全子会社化すると発表しました。
2021年8月に大塚家具は、上場廃止しています。
ヤマダ電機の完全子会社となった大塚家具は、家電などと組み合わせ、中・高価格帯の家具販売を強化していく方針で、否定した高級家具路線に戻ってきているようです。
大塚勝久さんは、大塚家具を去った後、長男の勝之さんらと「匠大塚株式会社」を設立し、2016年(平成28年)6月29日、春日部市の西武百貨店春日部店(元・ロビンソン百貨店春日部店)跡地に「匠大塚 春日部本店」をオープンさせて、家具小売業に復帰しました。
大塚家具の有力幹部は、ほとんどが匠大塚に移籍したそうで、大塚久美子さんは取引先に対して、匠大塚と取引しないよういろいろな圧力をかけていたとも言われています。
匠大塚は、原点を守り、マンツーマンでお客様につき、丁寧な接客をモットーに売り上げを伸ばしています。品ぞろえが豊富で、ダイニングセットだけでも500セットあるそうです。
現在は5店舗を展開しています。
大塚久美子さんが社長に就任した際、美人社長として話題となりました。続いては、大塚久美子さんの学歴や結婚について見ていこうと思います。
大塚久美子さんは、お嬢様学校として有名な私立の中高一貫である白百合学園の理系コースに通っていました。
そして、大学は一橋大学経済学部に進学し、1991年に卒業しています。
大学時代のエピソードとしては、女子高出身の大塚久美子さんは、経済学部の女性の割合が1割で、戸惑いが多かったそうです。
また、お嬢様学校出身の大塚久美子さんにとって、校舎が汚れている事も衝撃だったそうです。
大塚久美子さんの学生時代の写真がネットでは出回っており、昔から美人だという声があがっていました。
現在、53歳の大塚久美子さんですが、意外なことに結婚はされておらず、結婚歴もないようです。
ずっと第一線で仕事をされてきた大塚久美子さんですので、結婚する時間が無かったのかもしれません。
また、キツイ性格をしているとの噂があり、大塚家具の元社員が、大塚久美子社長の指示で、1週間かけて売り場を作り直した際、「あんた、ほんとにバカなの?」などと言われ、さらに1週間かけて作り直したと語っています。
また、「あんたバカなの?」「なんで分からないの」「あんたまだ生きてたの?」「同じ空気を吸いたくないから出て行って」「あんた本当に人間なの?」と社長室で罵倒を繰り返していたという証言もあります。これが本当の話なら、物凄いパワハラですよね。
父の大塚勝久さんもパワハラ気質だったという声もあり、親子で似ているのかもしれませんね。
続いては、大塚久美子さんの経歴や気になる年収について詳しく見ていこうと思います。
大塚久美子さんは、一橋大学経済学部を卒業した後は富士銀行(現・みずほ銀行)に入行し、融資業務などを担当していました。
大学卒業後は大学院に進学し研究者になることも考えたていたそうですが、当時女性の就職が厳しかったこともあり、バブル景気のうちに就職しておこうと考え、就職活動を優先したのだそうです。
直後にバブルの崩壊が始まっているので、先見性があったのではないでしょうか。
1991年に当時としては珍しく、総合職で富士銀行に入社しました。支店に配属され、2年間、融資業務を担当して、バブル崩壊後の銀行で様々な事を学んだと言います。1993年からは企画係で国際広報などを担当していたそうです。
大塚久美子さんは、大塚家具が人手不足の状態だったこともあり大塚家具へ入社する事となりました。
当時、関東以外では初となる大阪への出店計画も持ち上がっており、当時の社長、大塚勝久さんが「自分も大阪に行くことになるから、東京が手薄になる」と考え、娘の大塚久美子さんを呼び寄せたようです。
大塚久美子さんは、自分が必要とされるならば、その期待に応えたいという気持ちもあり、銀行を辞め、大塚家具へ入社する事を決意したそうです。
もともとは大塚家具に入社する事になるとは考えてもいなかったと話しています。
大塚家具時代の大塚久美子さんの年収は数千万円ほどだといわれており、現在は、自身が代表を務めるコンサルティング会社での収入もあり、また、大塚家具の株の売却益もあると思われるため、資産は数億円と推定されています。
大塚家具の元社長・大塚久美子さんについてご紹介してきました。
父・大塚勝久さんと経営方針でぶつかり、お家騒動が勃発し、一時期は、ワイドショーなどをにぎわせていた大塚家具ですが、現在は、ヤマダ電機の子会社として再出発を果たしています。
社長を辞任した大塚久美子さんは、現在、コンサルティング会社の代表として活躍されています。
今後、どのような活躍をされるのか、注目していきたいですね。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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