岩佐真悠子の結婚相手は?引退した現在は介護施設で働いている?
2023/12/22
大今里
内田春菊さんは、長崎県長崎市の出身です。実の父親は、母親と内田春菊さんに暴力を振るい、さらに生活費を家庭に入れないという、DV気質の男性だったのです。
結局幼い頃に両親は離婚。数年後に母親が再婚したことで、義理の父親が新たな家族として加わったのです。
内田春菊さんが中学校3年生の時に、交際していた同級生の子供を妊娠しました。結局子供は中絶しています。
この件をきっかけに、義父の内田春菊さんを見る目が、変わってしまったようです。義父から性的虐待を受け始めたそうです。
中学校を卒業後は、長崎県立長崎南高校に進学。しかし、1年生の時に途中で退学させられました。
その後、慶應大学の通信教育課程に入学したのですが、すぐに退学しています。
学校を中退した後は、自宅を飛び出して自身の稼いだお金でで1人暮らしを開始しました。
バーのホステス、喫茶店のウェイトレス、印刷会社の写植など様々な仕事をこなして生活をしていたのだとか。
偶然知り合った、編集者をしている秋山道男さんに才能を見出されて、漫画家を目指すことに。
1984年に出版された「小説推理」の漫画コーナーに、内田春菊さんの作品である「シーラカンスぶれいん」が掲載されて漫画家デビューを果たしました。
ちなみに、内田春菊さんの本名は、内田慈子さんです。ペンネームは秋山道男さんに命名して貰ったということを、明かしています。
1993年に出版された、内田春菊さんの自叙伝小説「ファザーファッカー」は、自身初の小説で7年の構想をかけて執筆されました。
本は、70万部を超えるベストセラーとなり、「第110回直木賞」候補としてノミネートされたり、翌年の「Bunkamura ドゥマゴ賞」を受賞したりと、かなりの注目を集めることに。
1995年には、「子ども達にこそ見てほしい、少女の旅立ち」というテーマで、ファザーファッカーが映画化されています。ヒロインはオーディションで決められて、中村麻美さんが抜擢されました。
本業の作家業の他には、1983年にラテンバンド「アベックス」を結成し、内田春菊さんはボーカルを担当していました。
しばらく休止していたようですが、2010年から音楽活動を再開。その他には、女優として映画やドラマに多数出演しています。
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内田春菊さんは、2005年に3回目の離婚を発表。元夫は、俳優の貴山侑哉さん。結婚する際も、その経緯がドラマチックだと話題を呼びました。
貴山侑哉さんとの結婚から、離婚までの経緯を紹介します。
内田春菊さんが貴山侑哉さんとの結婚を発表したのは、2000年のこと。貴山侑哉さんは、1965年11月8日生まれで、5歳年下で、「ノックアウト」に所属しています。
1999年に内田春菊さんは、貴山侑哉さんの子供を出産しました。つまり、結婚する前に子供が誕生しているということになります。
2人の馴れ初めは、公開されていませんが、内田春菊さんが2人目の夫と結婚していた時に、不倫相手の男性を父親として出産していたことを明かしています。
その男性の名前については、分かっていませんが時系列的に見ると、貴山侑哉さんが不倫相手だったのではないかと見ている人が多いようです。
2番目の夫と結婚していた時に、子供を産みたいと考えていた内田春菊さん。この気持ちを夫に話すと、夫は子作りを拒否したそうで、ショックを受けたそうです。
そして、不倫相手の男性との間に子供を作ったと告白しています。ただし、貴山侑哉さんが不倫相手だったのかという確証がありません。
内田春菊さんは、不倫相手の名前を公表していないので、本人のみぞ知る情報となりますね。
2000年に貴山侑哉さんと結婚した当初は夫婦仲は円満でしたが、いつからか、貴山侑哉さんの仕事が上手く行かない時期があったそうです。
ある時期から、山侑哉さんから八つ当たりを受けてしまうこともあったそう。
やがて夫婦仲がギスギスしがちになり、夫婦で話し合いを続けたものの、貴山侑哉さんが家を飛び出してしまい交渉決裂。
結局2人は2005年に離婚を発表しました。その後も2011年まで、子供のために同居生活を続けていたそうです。
何とも奇妙な人間関係ですが、子供から見たら貴山侑哉さんが良い父親なので、ある程度の年齢になるまでは、という気持ちがあったのかもしれませんね。
内田春菊さんは、これまでに3回の結婚歴と3回の離婚歴を持っています。
既に3回目の結婚相手が、貴山侑哉さんだったことは説明しましたが、1回目と2回目の結婚相手はあまり知られていません。
時系列に沿って、結婚歴について振り返ってみましょう。
初めて結婚したのは、内田春菊さんが20歳の時のこと。結婚相手の男性については、名前や画像、生年月日などの個人を特定できる情報が明かされていません。
分かっている元夫の素姓は、一般人でサーファーやレーサーをしていた、という情報のみでした。結婚後に妊娠しているのですが、内田春菊さんは、やりたいことがあるからという理由で中絶しています。
離婚の理由については、夫からDVを受けていたことが原因だったと語っています。立ち直るまでに時間がかかり、暫くの期間は、恋愛から遠ざかったそうです。
1度目の離婚後に、同業者である漫画家の男性と交際していたそうです。内田春菊さんは、結婚を望んでいましたが、相手から拒否されてしまい破局。
子供を妊娠し、未婚の状態で長男を出産しました。その後、当時のマネージャーをしていた男性と2回目の結婚を発表。
結婚した当時は、内田春菊さんが売れ始めてきた頃でした。夫は仕事を勝手に辞めてしまったのだとか。
内田春菊さんが漫画の執筆で稼いだお金を使い、遊び暮らすようになってしまったのです。
それだけではなく、内田春菊さんの年収が下がると文句を言うようになり、ヒモ状態に拍車がかかりました。
夫婦仲が冷えてしまい、内田春菊さんは不倫相手の男性と関係を持ち、子供を出産しています。
結局、内田春菊さんが、不倫したことに対する慰謝料1億円を支払うことで離婚が成立しています。
2000年に同じ事務所に所属する、俳優の貴山侑哉さんとの結婚し、2005年に離婚。その後2011年まで同居を続けたことが話題を呼びました。
離婚後の貴山侑哉さんは、元CAの恋人がいるらしいという噂が浮上しています。しかし現在、再婚しているという情報は入っていません。
内田春菊さんは、2021年9月現在62歳になりました。還暦を越えて、心身共に変化が起こっていることを明かしています。
2011年に貴山侑哉さんとの同居解消後、交際している彼氏がいたのですが、既に破局しています。2016年に大腸がんに罹っていることを公表しました。
がんと向き合い、閉経を迎えたことで、体だけではなく心境の変化が起きたのです。
「閉経前までは、多少嫌なことがあっても男性の機嫌を取っていたけれど、もう我慢する必要もないか」と、考え方も変わってきたのだとか。
恋愛自体が、ストレスが多くかかるものですし、大腸がんの天敵の筆頭はストレスなので、もう恋愛を卒業しようと決意したそうです。
そして、これまで習慣化していたお酒についても卒業しました。大腸がんに罹る前も、お酒を飲みすぎてしまった時には、お腹を壊したりしていたので、体のことを考えて、もうやめようと決意。
お酒絶ちして数年になりますが、内田春菊さんによると「お酒を飲んでいる自分を想像しただけでだるくなります。飲まなくても充分たのしいですからね」と、禁酒を苦無く続けていることを明かしています。
2016年に体に違和感を覚え、近くのクリニックに検査に行くと「大きい病院で検査してもらってください。一刻を争います」と言われました。
大きな病院で精密検査を受けると、大腸がんステージ1であることが判明。2017年に手術を受けました。この時に人工肛門に切り替えています。
その後6回に渡る、抗がん剤治療を行いました。治療にあたり髪の毛が抜けるイメージがあったので、髪を短くしたのですが内田春菊さんの場合は、特にそういった副作用はありませんでした。
主治医から人工肛門の説明を受けた時には、ショックだったそうですが、子供から「人口肛門になっても、母ちゃんは母ちゃんだから」と言われて受け入れることができたのだとか。
2021年現在、経過の観察フェーズに入っています。がんが転移したり、再発したりということは見られないそうです。
内田春菊さんの大腸がんが、発覚されたのがステージ1だったので、早めの治療が良かったのかもしれません。
現在は、女優としての仕事は少ないようですが、雑誌やWebサイトなどでエッセイを書く仕事を中心に活動しています。
自身の闘病記をコミックエッセイという、新しいジャンル「がんまんが~私たちは大病している〜」を出版するなど、新たな活躍の場を増やしているようですね。
内田春菊さんは4人の子供を出産しています。これまで3回結婚した経歴を持っていますが、必ずしも夫が、子供の父親ということではありません。
また、子供達の名前も公開されているのですが、とてもユニークだとネットで話題を呼びました。1人ずつ見ていきましょう。
長男は、1992年11月20日生まれで、名前を「在波」(あるは)さんといいます。
長男の父親は、1度目の夫と離婚した後に交際していた漫画家の男性ですが、名前は明かされていません。
交際中に在波さんを妊娠し、内田春菊さんは結婚を望むも、男性から断られてしまいました。この件がきっけかけで彼氏とは破局してしまったそうです。
実は、内田春菊さんの子供はギリシャ文字のアルファベットに対して当て文字をして命名されています。ギリシャ文字を見ると、アルファ、ベータ、デルタという順番ですね。
長女は、1997年3月15日に生れました。名前は「紅多」(べえた)さんといいます。父親は、2人目の夫と結婚している時に交際していた男性です。
父親が誰なのかという点が気になりますが、内田春菊さんは男性の名前を明かしていません。一部からは3人目の夫である貴山侑哉さんではないか、という声が寄せられました。
現在の紅多さんは、芸能事務所「株式会社プロダクション人力舎」に所属。お笑いコンビ「人間横丁」を山田蒼士郎さんとコンビを組んでいます。
人間横丁のTwitterを見てみると、事務所が開催するお笑いライブに頻繁に出演していることが分かります。
Twitterには「人間横丁の内田紅多さんは、内田春菊さんの娘さんなの?!」、「本名で活動してるの?」と、2021年に入ってから多数の驚きの声が、数多く寄せられています。
3番目の夫である貴山侑哉さんとの間に誕生したのは、第三子である次女、第四子の次男です。
次女は1999年12月29日生まれで、名前は「紅甘」(ぐあま)さん。次男は、2001年に誕生していますが、正確な誕生日は分かっていません。名前は、「出誕」(でるた)さんです。
次女の紅甘さんは、3番目の子供なので、ギリシャ文字としてはガンマが当てはまるのですが、女性ということもあり、柔らかい発音で「ぐあま」さんになったようです。
紅甘さんは、2007年に映画「カインの末裔」で子役デビューし、その後も主に映画女優として活動していましたが、現在は文筆業に力を入れています。
テレビドラマでは、2015年に放送された「南くんの恋人」に出演しているのですが、この作品の原作は、内田春菊さんの漫画であることが、話題を呼びました。
次男の出誕さんは、どうやら一般人をしているようです。2001年生れなので、大学に通っている年齢ですが、通っている学校についても明かされていません。
内田春菊さんは、現在も若い頃も非常に美しい女性ですが、よく「娘は、若い頃の内田春菊さんにそっくり」と言われているのだとか。
娘に似ているというのは、長女のことなのか、はたまた次女のことなのか、という点は不明ですが、紅多さんも、紅甘さんも、どちらも美女であるという点は変わりませんね。
内田春菊さんは、「南くんの恋人」の原作を描いた著名な漫画家です。1993年には自叙伝小説の「ファザーファッカー」を出版しベストセラーに。
若い頃は、両親が離婚し母親に引き取られたのですが、その後母親が再婚。中学生の頃に義父からの性的虐待を受けていた、という壮絶な生い立ちを送っていたのです。
家を飛び出し、学校を中退してホステスやウェイトレスなど様々な仕事を転々としながら漫画を書き続けて、デビューを果たしています。
プライベートでは、3回結婚し3回離婚。子供は4人いるのですが、不倫相手の男性との間に誕生した子供もいます。
2016年に大腸がんステージ1であることが判明。2017年に、手術を受けてからは、人工肛門の生活を送るようになっています。
さらに、体のためにと考えて、お酒と恋愛を卒業したのですが、充分に人生を楽しめているようです。
今後の内田春菊さんの動向から目が離せませんね。これからも応援しましょう。
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