岩佐真悠子の結婚相手は?引退した現在は介護施設で働いている?
2023/12/22
大今里
宮本佳代子さんは、神奈川県鎌倉市出身でエスエス製薬元会長として知られる泰道照山さんの孫です。エスエス製薬は、1765年に美濃屋薬房として創業し1940年にエスエス製薬株式会社に商号変更されました。
泰道照山さんは1958年にエスエス製薬の社長に就任し、当時経営不振だった会社を立て直し東証一部上場企業にしています。1970年には、エスエス製薬の会長になっています。孫の宮本佳代子さんは、かなり裕福な家庭で育ったといわれています。
宮本佳代子さんは、青山学院大学経済学部を卒業しています。高校時代は地元の学校に通っていたという噂もあります。しかし、関係者によると幼稚園の頃から青山学院の系列で、小中高と一貫して大学まで進学したようです。
宮本佳代子さんは高校時代には、関東女子ゴルフ大会で優勝した経歴の持ち主です。青山学院大学の偏差値は65と高く、文武両道の才女だったといわれています。
青山学院大学の経済学部を卒業している宮本佳代子さんですが、在学中の1977年に小泉純一郎さんとお見合いをしています。翌年には結婚していますが、1982年には離婚しています。
小泉純一郎さんとの離婚後まもなく、三井不動産リアルティに就職しました。その後は、現在まで三井不動産リアルティに勤務しています。
離婚後は一般人となったこともあり、宮本佳代子さんが話題になることはありませんでした。事実無根ですが、一時は宮本佳代子さんは死亡したという噂も流れています。
しかし、長男の小泉孝太郎さんが俳優として有名になり、次男の小泉進次郎さんが政界に進出したこともあり、生き別れの母として注目されるようになりました。
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小泉純一郎さんと結婚した宮本佳代子さんですが、数年で離婚となってしまいます。いったい何があったのでしょうか?宮本佳代子さんの結婚から離婚までの経緯についてまとめました。
宮本佳代子さんは、青山学院大学在学中の1977年に小泉純一郎さんとお見合いをしています。小泉純一郎さんの親戚と宮本佳代子さんの家族が知り合いだったせいで、2人のお見合いは実現したようです。
小泉純一郎さんは、宮本佳代子さんの知的な雰囲気がに惹かれ一目ぼれしたといいます。そのため、お見合い当日にプロポーズしています。翌1978年には結婚し、宮本佳代子さんは卒業後すぐに小泉家に入っています。
家族が縁で小泉純一郎さんとお見合いをした宮本佳代子さんですが、祖父の泰道照山さんは結婚に大反対します。結婚するなら縁を切るというほどの勢いで祖父に反対された宮本佳代子さんは、政治家の妻になることに不安を感じるようになったそうです。
しかし、小泉純一郎さんからは「何の心配もいらない。僕たちの結婚には関係ない。白紙のままで来てほしい」といわれます。その言葉を信じた宮元佳代子さんは反対を押し切って、結婚を決めたといいます。
祖父の反対を押し切って小泉純一郎さんと結婚を決めた宮本佳代子さんは、3人の子供が生まれます。しかし、結婚生活はうまくいかなかったようで、結婚から4年後の1982年には離婚することになります。
長男の小泉孝太郎さんと次男の小泉進次郎さんは小泉家に残ることになり、宮本佳代子さんは妊娠6か月で家を出ることになりました。小泉純一郎さんは再婚しなかったため、戦後唯一の就任中独身の総理大臣となりました。なぜ、宮本佳代子さんは離婚したのでしょうか?
離婚の原因に関してはさまざまな噂が流れていますが、関係者は小泉家の家族と折り合いが悪かったと証言しているようです。小泉純一郎さんの秘書は姉の信子さんで、身内が周囲を固めているといいます。
結婚して間もないころは、宮本佳代子さんは「素晴らしい嫁」と歓迎されていたという話もあります。しかし、選挙活動を応援したせいで家訓に背いたと叱られるなどして、家族との溝は深まっていったようです。
政治家という仕事や家庭内で居場所がなくなったことが、宮本佳代子さんの離婚の原因といわれています。
結婚から4年で離婚した宮本佳代子さんですが、現在は何をしているのでしょうか?宮本佳代子さんの現在についてまとめました。
妊娠中に離婚した宮本佳代子さんは、83年に三男の宮本佳長さんを出産します。出産から半年後に三井不動産リアルティに就職し、1ヶ月の勉強で試験に合格し宅地建物取引主任者の資格を取得しています。その後も再婚はせずに、現在も独身のまま三井不動産リアルティに勤務しています。
現在は富裕層ビジネスを担当しており、会社の講演会を任されることもあるようです。講演会は全国で行われており、結婚当時の苦労話などを話す宮本佳代子さんの講演会は非常に人気があります。
離婚した宮本佳代子さんは、小泉進次郎や小泉孝太郎さんとは幼少期から30年間会うことはなかったそうです。1歳のころに別れた小泉孝太郎さんは、中学に入るまで母親のことを知らなかったといいます。
その後三男の宮本佳長さん結婚が決まった2013年に、小泉純一郎さんを含めて30年ぶりに再会しています。それから兄弟3人は連絡を取ることが多くなったといいます。しかし、母親と再会した息子の関係は難しいようです。
小泉孝太郎さんは宮本佳代子さんと連絡を取ることが増えましたが、小泉進次郎さんは他人として接しているといいます。結婚の報告も宮本佳代子さんにはしておらず、披露宴をしていないのは母親を呼べないからといわれています。
2001年に小泉純一郎さんが総理大臣に就任すると、取材が殺到したそうですが宮本佳代子さんは全て断っていたそうです。2人の息子が有名になっても取材を受けることはなかったそうですが、2015年に初めてインタビューを受けています。
2016年ごろから、当時の辛かった思いなどを語るようになっています。
宮本佳代子さんが離婚した後、小泉孝太郎さんと小泉進次郎さんの育ての母となったのは小泉純一郎さんの姉だったといいます。小泉純一郎さんの姉の情報についてまとめました。
宮本佳代子さんが家を出てから、2人の息子の母親代わりになったのは小泉純一郎さんの姉で長女の小泉道子さんです。小泉道子さんは食事やお風呂の世話をし、子供たちに添い寝して本当の母親と同じように面倒を見ていたといいます。
子供達には自分のことをママと呼ばせていたため、小泉進次郎さんは中学生の時まで本当の母親だと思っていたそうです。宮本佳代子さんが母親だと聞かされた小泉進次郎さんは相当ショックを受けていたといいます。
小泉道子さんは、2016年8月に84歳で亡くなっています。
小泉純一郎さんの3番目の姉の小泉信子さんは、30年間秘書をしていた人物です。離婚後は妻のようにサポートしていたともいわれており、影の総理や女帝とも呼ばれていました。若いころは、女性初の大臣秘書官として活躍し衆議院議員に立候補する話もありました。
しかし、弟の小泉純一郎さんを立候補させて、その秘書として活躍しました。小泉進次郎さんに政治家としての基本を教えたのは小泉信子さんだといわれています。ただし、宮本佳代子さんと一番折り合い悪かったといわれているのも、小泉信子さんです。
小泉純一郎さんと結婚して4年で離婚になった宮本佳代子さんですが、その後はキャリアウーマンとして活躍し現在は講演も好評なようです。小泉家との交流はほとんどないようですが小泉孝太郎さんとは連絡を取ることができているといわれています。
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