ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
ガッツ石松さんの監督映画『カンバック』を制作する際に、映画『ララミー牧場』で知られ、ガッツ石松さんの憧れの俳優でもあるロバート・フラーに出演してもらうこととなりました。
その撮影で、フラーが最高の演技をしてくれたのに感激して、思わず口をついて出たのが『OK牧場』だったのだそうです。
これ以降、何か良いことがあると「OK牧場」と言うようになったそうで、何を聞いても「OK牧場」と答えるあっけらかんとしたところがバラエティで受けるようになりました。
ガッツ石松の娘は鈴木佑季さんで、俳優や歌手もこなすマルチタレントです。
一時期は、バラエティに引っ張りだこだったガッツ石松さんですが、最近は、テレビで姿を見ることが極端に減ってきています。
何かあったのでしょうか。詳しく見ていこうと思います。
当時、TVの出演経験が少なかった陣内智則さんが爪痕を残そうと、コーナーの説明をトミーズ雅さんから受けていたタイミングでガッツ石松さんからも話しかけられたため、「やかましいな!」と、ガッツ石松さんの頭を叩いたとのことに対し、ガッツ石松さんが大激怒しました。
反射的に右パンチを陣内智則さんの顔面に叩き込み、そのまま収録をボイコットして帰ってしまったそうです。
ガッツ石松さんは確執を否定していますし、陣内智則さんもその後、ガッツ石松さんに謝罪し、今では仲が良いと語っています。
しかし、この件で、テレビ業界で、ガッツ石松さんが扱い辛いというイメージがついてしまい、テレビ出演が激減した一因ではないかとも言われています。
また、2016年6月にめちゃイケの番組で猿っぽいタレントを集め、登場人物は猿になりきらないといけないという企画にガッツ石松さんも出演しました。
しかし、ガッツ石松さんはそれに不満があって帰ってしまい、共演者が戸惑っている様子が放送されました。
こうしたことが積み重なった結果、徐々にオファーが減っていったのではないかと考えられます。
ガッツ石松さんは、俳優やタレントであって、決してお笑い芸人ではないですが、求められるキャラクターはどうしてもお笑い芸人の要素なのかもしれません。その部分とのギャップがだんだんと出てきてしまったのかもしれませんね。
現在も仕事のオファーがあれば出演できるように体調も整えており、姿は出ないものの「Q~こどものための哲学」(NHK・Eテレ)ではキャラクターの声とナレーションを担当しています。
また、Vシネマへの出演、広島国際学院大学の現代社会学部客員教授やプロボクシング・世界チャンピオン会会長も務めています。
ガッツレンタカーは2014年に名古屋で誕生し、一度聞いたら忘れない名前である「ガッツ」を屋号としてつけたそうです。
そして、初期の段階からガッツ繋がりでイメージキャラクターにガッツ石松さんを起用しており、現在も継続しています。
続いては、ガッツ石松さんの何かと凄い伝説について見ていこうと思います。
ガッツ石松さんが東洋ライト級王者時代に、ガッツ石松さんの弟に絡んできたチンピラ8人をKOで倒して逮捕されたことがあります。
ガッツ石松さんは正当防衛で釈放されていますが、さすがはチャンピオンですよね。相手のチンピラはまさかガッツ石松さんが出てくるとは思わなかったでしょう。
数々の名言(迷言)を残してきたガッツ石松さんですが、面白いものをいくつかご紹介します。
・好きな数字を質問された際「ラッキーセブンの3」と答えた
・同窓会に参加して「老けたな~いくつになったんだ?」とたずねた
・急ぎの時は電車の先頭に乗る
・運転手さん、そこ、右に左折して
・日本語吹き替えの洋画を見ていて「最近の外人さんは、みんな日本語上手だねえ」
・新幹線こまちに乗っている時「いやーまちこは快適だなー」
・ディズニーシーに行ったとき「デズニーAとBはどこにあんの?」
・歯医者をサボる際の言い訳に「今日歯が痛いので休ませてください」
など、たくさんの明言がありました。
つるの剛士さんが自分の子どもを見て「生まれたての赤ちゃんはまるでガッツ石松。毎回笑っちゃいます。」とブログにコメントし、「うちもです~」などと、ファンからもコメントが入り、話題になりました。
続いては、ガッツ石松さんのお墓が観光名所となっているという噂について見ていこうと思います。
鹿沼市の「さつき霊園」にあるお墓に金文字で彫られた「ガッツ家乃墓」があり、墓石にはガッツ石松さんの名言や写真などが記されています。
「さつき霊園」の入口には「ガッツ家の墓はこちらです」と書かれた看板までたっています。地元では観光名所のひとつとされているそうですよ。
この生前墓は、霊園を運営している地元の「見笹石材店」という石材業者がガッツ石松さんをCMキャラクターに起用したことが縁で作られたそうです。
続いてはボクサーとしてのガッツ石松さんについて見ていこうと思います。
ガッツ石松さんは、ライト級にしては体格が良かったため減量に苦しんでいたのだそうです。
WBC世界ライト級世界王者のタイトルを獲得した際に「タイトルなんかいらない。1,000万円やるからバケツ一杯の水を飲ませてくれ。」と言ったことは、有名な話です。
減量がどれだけ過酷なのかが分かる一言ですね。
ガッツ石松さんの生涯戦績は51戦31勝(17KO)14敗(5KO)6分で、アジア人で初のWBC世界ライト級チャンピオンになるという偉業を成し遂げた人物です。防衛回数は5回です。
ガッツ石松さんは、小さい頃から負けず嫌いで、ケンカが強く、なんと5歳にしてガキ大将となっていたそうです。
中学時代は地域を束ねる番長になるほどケンカが強かったガッツ石松さんですが、悪さをしたせいで父親が若い裁判官に泣きながら頭を下げる姿を見て改心したのだそうです。
その後、中学卒業後に上京し仕事を始めますが、ボクシングと出会い、世界チャンピオンにまで上り詰めました。
ガッツポーズ自体は昔からありましたが、「ガッツポーズ」という言葉が初めて使用されたのは、1972年11月30日に発行されたボウリング雑誌がストライクを取ったときのポーズを「ガッツポーズ」と表現したときとされています。
そして、1974年4月11日、ガッツ石松さんがボクシングWBC世界ライト級王座を奪取したときに、両手を挙げて勝利の喜びを表した姿を、記者が「ガッツポーズ」と表現し、ガッツポーズが広く知られるようになったと言われています。
元プロボクサーで世界チャンピオンだったガッツ石松さんについてご紹介してきました。
かつては、バラエティにひっぱりだこだったガッツ石松さんですが、近年は出演が減少しています。減少の理由は使い辛さからかという噂もありますが、現在も継続して芸能界の仕事をされていました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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