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2023/12/28
大今里
2020/01/20 更新
ボクシングで日本人初の世界ミドル級王者となった竹原慎二さん。現役を引退後はバラエティ番組などで活躍していましたが、2014年に膀胱がんが発覚し、闘病生活を送っていたようです。今回は、現在の竹原慎二さんについての情報をまとめました。
現在日本人の活躍が目立つスポーツのひとつといえばボクシングですよね。その日本ボクシング界をけん引してきた人の一人が竹原慎二さんです。
ではまず竹原慎二さんがどんな人物か、詳細を追っていきましょう。
竹原慎二さんは、中学生時代は柔道部に所属されており、団体戦で県大会優勝という実績もありました。ですがその一方で素行が良くなく、喧嘩に明け暮れ、暴走族に入ったりと「広島の粗大ゴミ」と呼ばれることもあったようです。
そのため高校には進学せず、1988年プロボクサーを目指して上京します。その当時共栄ボクシングジムに間借りしていた、沖ボクシングジムに所属し、1989年プロデビューされます。
その後1995年まで無敗のまま24戦目で世界初挑戦され、判定の結果3-0で竹原慎二さんが勝利し、日本人初の世界ミドル級王者になっています。
日本人ボクサーで活躍されている方のイメージでは、小柄な方が機敏な動きをされて相手を翻弄することも多いですよね。
ですが竹原慎二さんの身長は186cmもあり、とても高身長です。ご本人も自身のブログにて身長について「竹原慎二 186cm チェホンマン 218cm」とさらに大きいチェホンマン選手と比べて触れています。
また竹原慎二さんについて、「在日韓国人ではないか?」と思われる方もいるようです。
ですが、竹原慎二さんの出身は広島県安芸郡府中町と公表されていますし、実父も竹原三郎さんと日本人であることがわかっています。
母親が焼肉店をされているということから、もしかしたら韓国が結びついたのかもしれませんが、竹原慎二さんが在日韓国人であるという確証はありません。
学生時代は横道にそれたこともありましたが、ボクサーとして日本人初のミドル級世界王者に登りつめた竹原慎二さん。
ではそんな竹原慎二さんは、2020年現在どのような生活を送られているのでしょうか?
実は竹原慎二さんは2013年に激しい頻尿に苦しみ、翌年に「膀胱がん」であるという診断を受けていました。医師からは「最悪の場合、あと一年かもしれない」と余命宣告まで受けていたそうです。
その後、同じボクサーである畑山隆則さんからのすすめで東大病院を受診されたときには、がんはリンパ節にも転移し、ステージ4まで進んでしまっていたそうです。
リンパ節にまで転移した膀胱がんの5年生存率は「25%」ほどだそうです。その数字に竹原慎二さんも一時あきらめの気持ちに襲われますが、家族の支えもあり、とにかく気持ちを前向きにを心がけたことで、現在その5年生存率の5年目をクリアされたところです!
そんな病に打ち勝った竹原慎二さんのオフィシャルブログがいま巷でとても話題になっているようです!「竹原慎二はブタっ鼻」というタイトルのそのブログでは、多い時には1日に10回、9日間で64回もの更新を記録されているようです。
そしてそのブログは文字数も少なく、それに画像を添付しているだけと簡単なものですが、時には鼻血姿であったり、時には顔パックをしている姿であったりと、どこか憎めない竹原慎二さんの姿が。
またシメに必ず使われている「じゃあの」という言葉が流行語のようになっており、ファンからのコメントでも多数使用されているなど注目を集めています!
竹原慎二さんの才能はブログだけでなく、cord-Gというサイトの「竹原慎二のボコボコ相談室」でも発揮されています。
こちらには寄せられたお悩みに対して、竹原慎二さんが文字通り「ボコボコ」に回答されていますが、一見冷たいように思える回答にも、裏に竹原慎二さんなりの熱い思いが見え隠れしており、好評を得ているようです!
例えば「競馬好きのせいか会社での自分の評価が低い」というお悩みには、「お前は馬以下じゃ」と回答されています。「競馬だって一生懸命走っている馬でなく、速い馬が評価される。お前の仕事が遅いだけ。お馬さんのせいにすんな。」とボッコボコにしています(笑)
ボクサーとしてだけでなく、意外な才能で現在世間から注目されている竹原慎二さんですが、そのがん闘病生活は壮絶だったようです。詳しくみていきましょう。
2014年2月に「膀胱がん」であるという診断を受けた竹原慎二さんですが、体調に異変を感じ受診されたのは一年も前のことでした。激しい頻尿や残尿感に悩まされた竹原慎二さんは、病院を受診しますが菌が検出されたわけではないのに「膀胱炎」という診断を受けます。
その後服薬で様子を見ることになりますが、2013年の大みそか、大量の血尿が出てしまいます。そして2014年2月にようやく「膀胱がん」であるという診断を受けるのです。
がんという診断を受ける一年も前に頻尿や残尿感で異変を感じていた竹原慎二さん。はじめからおかしいとホームドクターを受診するものの、膀胱炎との診断を受け、出された薬をひたすら飲む生活をされていたそうです。
それでも症状はおさまらず、そのたびに相談するものの、次々に変化する病名…。ですが2001年からずっとお世話になっていた医師のため、疑う気持ちはなく、大量の血尿が出ていよいよ別の病院を受診したときにはガンは「ステージ4」にまで進んでしまっていました。
突然の大量の血尿は、驚きばかりでなく、まるで尿道にタバスコをかけられたかと思うような痛みも伴ったようです。
膀胱がんだと診断され、膀胱全摘を余儀なくされた竹原慎二さんですが、ガンはすでにリンパ節にも転移していました。そのため「ダヴィンチ」という医療支援ロボットによる手術を受けることになりました。
この手術は東大病院でも2例目。しかもまだ保険適応外だったため、手術費用や治療費、入院費は600万円にものぼってしまったようです!
2020年現在、膀胱がんの手術を受けてから5年余りたち、ようやく一息つくことができつつある竹原慎二さん。ですが竹原慎二さんは初めに体調不良を訴え、ホームドクターに受診するも約1年もの間「膀胱炎」と診断されていました。
もしその1年前に病気が発見されていたら…と思うとやりきれない竹原慎二さんは、「あれは誤診であり、自分のような被害者を二度と出したくない」と、その診断をしたA医師を医療過誤で訴えることにしました。
詳細な記録とともにA医師を訴えた竹原慎二さんでしたが、2019年11月28日自身のブログにて「全面敗訴」であったことを報告されています。これに対し、竹原慎二さんは受け入れられないとし、控訴することも宣言されています。
医療過誤ではないかと思われる診断から、膀胱全摘という事実を乗り越えられつつある竹原慎二さん。それを支えたのは、やはりご家族の存在だったようです。
では竹原慎二さんはどんな方とご結婚されたのでしょうか?また子供はいるのでしょうか?
竹原慎二さんがご結婚されたかお相手は、一般の方でお名前は香織さんというようです。竹原慎二さんがボクサー時代は、やはり世界王者になったこともあり、たくさんの女性に言い寄られたそうです。
妻の香織さんはその頃であった女性の一人ではありますが、みんなが「ボクシングがんばって」という中で、香織さんだけは「早くボクシングなんか辞めて」と言ってくれた女性だったそうです。
竹原慎二さんは闘病中、そんな妻の香織さんのサポートなしでは病気と闘い続けることはできなかったと語られています。
時には闘病の辛さから「もういいや」とあきらめかけることもあった竹原慎二さんでしたが、妻の香織さんは「パパ、絶対死なせないから」と言ってくれたそうです。
また食事の面でも術後1年半はジャンクフードの類は禁止だったこともあり、素材にもかなりこだわってサポートしてくれ、市販の弁当やサンドイッチなども一切食べることはなかったようです。
また竹原慎二さんには息子さんと娘さんがお一人ずついらっしゃるようです。竹原慎二さんのガンが発覚したのは、息子さんが高校1年生、娘さんが中学1年生のときでした。
年齢的にも隠すことはできないと思われた竹原慎二さんは、奥様の方から子供たちに話してもらったところ、お二人のお子さんは対照的な行動だったとか。息子さんは気になることはズバズバ質問され、ネットで見た良さそうな情報を毎日のように送ってきてくれたそうです。
対照的に娘さんは「詳しく聞いてはいけない」と感じられたのか、病室に来ても病気のことは一切口にされなかったようです。そんな竹原慎二さんのご家族ですが、息子さんは2018年1月8日、無事に成人式を迎えることができたようです。本当によかったですね。
体調不良からしっかりと病院を受診されていたにもかかわらず、膀胱がんを見逃されていた竹原慎二さんですが、あきらめずに「余命1年」宣告を払拭されています。
そこにはやはり大切なご家族の存在とサポートがあったからでした。そして現在ではそのありえない医療過誤の裁判での控訴に闘いつつ、ネット上でその飾らない生き様が注目され、流行語も生まれそうな勢いです!
これからの竹原慎二さんとご家族に幸多からん事をお祈り申し上げます!
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