木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
岡山県岡山市出身の有森裕子さんは、岡山市立牧石小学校、岡山市立岡北中学校を経て就実高等学校へ進みました。
中学時代はバスケットボール部に所属しており、高校入学の際、陸上部に入部を希望しましたが、中等部から持ち上がってきた素質ある陸上選手がおり、他の中学校から来た素人同然のランナーだった有森裕子さんは入部を拒否されてしまいます。
しかし有森裕子さんは諦めず、1ヶ月後に入部を認めさせました。高校時代に陸上競技で目立つ結果は残っていません。
高校卒業後は、高校の陸上部顧問の推薦を得て日本体育大学に進学します。1年の時に関東学生陸上競技対校選手権大会の3000mで2位、全国都道府県対抗女子駅伝に、正選手として出走を果たします。
しかし、怪我が絶えず、その後は2年半ほどは、成績も出ず、苦しい期間でした。そして、3年の冬に学生駅伝にメンバーとして選ばれ、全日本大学女子駅伝では区間賞を獲得しました。
大学卒業後は教師になるつもりでいましたが、教育実習期間中に、出場した記録会で自己ベストから2番目の好タイムで優勝したことで、進路を実業団へと変えることとなります。
有森裕子さんは、リクルート社に、半ば押し掛けのような形で自分から連絡を取り、全くの無名で記録も残していない身でありながらその熱意を監督の小出義雄に認められ、最初はマネージャー兼選手という形で陸上部への入部を果たしました。
1990年の国際大阪マラソンが有森裕子さんの初マラソンの大会でした。この大会で、有森裕子さんは、6位に入賞して、記録としては当時の日本人女子の初マラソン最高記録でした。
1991年にも大阪国際女子マラソンへ2年連続で出場し、日本人トップの2時28分1秒の2位と健闘し、当時の日本最高記録を樹立し、一躍日本女子のトップランナーとして世間の注目を集め始めました。
オリンピックの成績に関しては後で詳しくご紹介しますが、有森裕子さんは、オリンピックに2大会連続で出場しました。
そして、バルセロナ五輪で銀メダル、アトランタ五輪で銅メダルを見事獲得しています。
その後は、2000年のシドニーオリンピック出場を目指しましたが叶わず、2001年に休養宣言をし、東京マラソン2007で現役を引退することを発表しました。
マラソン選手として華々しい活躍を果たした有森裕子さんですが、現在は何をしているのでしょうか。詳しく見ていこうと思います。
現在、有森裕子さんは53歳です。有森裕子さんは、身長が165センチで体重48キロだとの事で、現役時代と変わらずスマートな印象です。
現在、有森裕子さんは日体大の客員教授をつとめています。また、スペシャルオリンピックスの理事長であり国際陸上競技連盟の理事長なども務めています。
有森裕子さんは、2002年にアスリートのためのマネージメント会社、株式会社RIGHTS. を設立し、現在も理事長を務めています。
また、講演会依頼があれば講演会なども積極的に行っています。
2021年に東京オリンピックが開催される予定ですが、有森裕子さんは東京オリンピックについてのさまざまなインタビューを受けています。
マラソンでは、出場が決まっている前田穂南選手と鈴木亜由子選手について、それぞれの選手の良いところを挙げて、注目ポイントなども詳しく語っています。
続いては、有森裕子さんのプライベートについて見ていこうと思います。
有森裕子さんは、現役時代の1998年にダンス講師をしていたアメリカ人男性・ガブリエル・ウィルソンさんと結婚しました。
二人の出会いは、アメリカで行われた、ダンスパーティーでした。ガブリエル・ウィルソンさんが片言ながら日本語を話せ、話しをしているうちに意気投合し交際に発展したようです。
二人は知り合ってから1年後に結婚しました。
しかし、2人は結婚後1ヶ月で別居を開始しました。
マスコミに騒がれることとなり、2人で別居会見を開き、有森裕子さんは泣きながら別居に至った理由を説明しました。
カブリエルさんは、経歴を詐称していたり、金家賃などを含み6件の返済金の滞納があり起訴されていたのです。
更に、ガブリエルさんは「I was gay」と、自分は、ゲイだったという突然のカミングアウトをし、その場は騒然となりました。有森裕子さんはガブリエルさんがゲイだったことは知っていたと、その後、語っています。
二人の別居生活は長年続いていましたが、2012年あたりに正式離婚したことを発表しました。
離婚原因は彼がゲイだったからでなく、彼の金銭問題や学歴や経歴詐称などでずっと不信感があったからと有森裕子さんは語っています。
続いては、有森裕子さんの輝かしい成績について見ていこうと思います。
バルセロナオリンピックでは、見事銀メダルを獲得した有森裕子さんですが、代表に決まるまでに騒動がありました。
バルセロナオリンピックの代表選考で騒動があり、最後の代表枠を松野明美さんと比較されることになりました。
この騒動は、当時、世間でも話題となり、連日マスコミが取上げました。また、松野明美さんが自ら五輪代表決定直前に「私を選んで下さい」という異例の記者会見も行いました。
そして、有森裕子さんのマラソンの経験と実績が買われて、有森裕子さんが最終的に選ばれました。しかし、選考レースでの成績が有森裕子さんよりも良かった松野明美さんが落選したことで、日本陸連の不透明で曖昧な選考方法に抗議の声があがり、有森裕子さんの所属するリクルート等にも抗議の電話や手紙が相次ぎました。
有森裕子さんは内定した時の心境を「喜んでいいのかどうか分からなかった」と語っています。
そのような騒動を乗り越え、挑んだバルセロナオリンピックでは、銀メダルを獲得。
日本女子陸上競技で、1928年のアムステルダムオリンピック・女子800mで同じく銀メダリストの人見絹枝さん以来、64年ぶりの五輪メダル獲得を果たしました。
その後は足底筋膜炎や、小出監督やチームメート等との関係が上手くいかなくなっていたこともあってスランプに陥り、苦悩する時期が続いたそうです。
しかし、現役を続けたいと手術を受け、アトランタオリンピックを目指す事となりました。
1995年、五輪選考レースだった北海道マラソンへバルセロナ五輪以来、約3年ぶりのフルマラソンに出場しました。
2時間29分17秒の当時の大会新記録を樹立し、有森裕子さんはマラソン初優勝を果たしました。この成績が評価され、アトランタ五輪女子マラソン代表に選出されました。
有森裕子さんはアトランタ五輪では銅メダルを獲得し、二大会連続の五輪メダル獲得となりました。日本女子陸上選手では有森裕子さんが初となりました。
レース後のインタビューで有森裕子さんが「自分で自分をほめたい」と語り感動を呼んで、その年の流行語大賞にもなりました。
2001年のマラソンで約6年ぶりのマラソンで優勝しました。この大会が有森裕子さんの最後の優勝の大会となります。
バルセロナ五輪やアトランタ五輪でメダルを獲得した、元プロマラソン選手の有森裕子さんについてご紹介しました。
現在は、日体大の客員教授や、スペシャルオリンピックスの理事長、国際陸上競技連盟の理事長なども務めながら、講演会もこなし、後進の育成にも力を入れていらっしゃいました。
今後も、日本のスポーツ界発展のために尽力されていくのではないでしょうか。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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バルセロナ五輪、アトランタ五輪とオリンピック2大会連続で、メダルを獲得するなど活躍したマラソンの有森裕子選手。
素晴らしい名言も残し、一躍、時の人となりとても人気がありました。マラソンは、2007年に引退している有森裕子さん。
そんな、有森裕子さんの2020年現在の活動は?結婚した米国人夫とは離婚していた?彼女の現在と現役時代の活躍をご紹介しますので、最後までお付き合いくださいね。