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アトランタ五輪マラソン代表の真木和さんが死去!死因は?家族は?

2018年10月18日、アトランタ五輪女子マラソン代表だった真木和さんがご自宅で死去されたことがわかりました。真木和さんは49歳という若さで亡くなられたそうですが、その死因は何だったのか?またご家族はいたのかなど、真木和さんのご生涯についてまとめてみました。

アトランタ五輪の女子マラソン代表選手だった真木和さんが死去!その死因やご家族は?

アトランタ五輪の女子マラソン代表選手として活躍した元マラソン選手の真木和さんが、2018年10月18日ご自宅にて死去されていたことがわかりました。

真木和さんは享年49歳でした。
まだまだこれからという年齢でこの世をたたれた真木和さんですが、お若くしてお亡くなりになった死因はなんだったのでしょうか?

また現役時代にどのようなご活躍をされていたのか、そしてその後ご家族は築かれていたのかなどあわせてみていきたいと思います。

アトランタ五輪マラソン代表の真木和さんが死去!その死因は?

かつて長距離選手として活躍され、アトランタ五輪では女子マラソン代表として出場されていた真木和さんが2018年10月18日、49歳という若さでお亡くなりになっていたことがわかりました。

真木和さんの死因は乳がんだった

2018年10月18日、アトランタ五輪女子マラソン代表の真木和さんが49歳という若さで亡くなられた死因は「乳がん」だったようです。

49歳といったら、まだまだ年齢的にとてもお若いですよね。
ということは真木和さんは何かご病気を患っていたのでしょうか?

真木和さんの死去に関して、2018年10月24日の「愛媛新聞ONLINE」の配信では死去されたという報道だけで、その死因については触れられていませんでした。しかしその後の報道により、真木和さんの死因は「乳がん」であったことがわかりました。

その後肝臓にも転移していた!

調べてみたところ、真木和さんが乳がんを発症したのは2004年だったそうです。
ということは、14年もの長い間闘病生活をされていたことになりますね。

乳がんの手術を受けたあとは、抗がん剤による治療を続けられていたようです。
病気と壮絶な闘いをされていたんですね。

ですが悲しいことに、1~2年前には肝臓への転移が認められてしまったようです。
この物言わぬ臓器、肝臓への転移が一番の死因だったのではないかとみられています。

真木和さんってどんな人?出身や現役時代は?

つらい闘病生活に耐え、必死にご病気と闘っておられた真木和さん。
アトランタ五輪の女子マラソン代表選手だったことは有名ですが、ここでもう一度真木和さんがどんな人だったのか振り返ってみたいと思います!

真木和さんのプロフィール

真木和(まき いずみ)さん。
1968年生まれ。

愛媛県今治市のご出身です。
愛媛県立今治北高等学校に進学され、在学時代に頭角をあらわし、その後は女子陸上部がとても有名なワコールへ入社されました。

ワコール入社後は、長距離トラック競技や駅伝協議で活躍してチームへ貢献され、実力を積まれたようです。

二大会連続でオリンピックに出場!

そして真木和さんは1992年に1万メートルにて当時松野明美さんが持っていた日本新記録を更新されます!
その後日本陸上競技選手権大会にて優勝し、バルセロナ五輪への切符をつかみます!

1995年にはマラソンへ転向。
1996年には有森裕子さん、浅利純子さんとともに、女子マラソン代表としてアトランタ五輪に選ばれ、バルセロナ五輪、アトランタ五輪となんと2大会連続で日本代表に選ばれています!

真木和さんが患った病気・乳がんとは?

真木和さんが患った病気である乳がんとは、乳房にできる悪性腫瘍です。
乳房は大部分が母乳をつくる乳腺からできています。

乳腺は乳頭を中心として15~20の乳腺葉でできており、乳腺葉は母乳を作る「小葉」と、小葉でつくられた母乳を乳頭まではこぶ「乳管」に分けられます。

乳がんの約40~50%が乳房の上部の腋側

乳がんの約95%が乳管にできる乳管ガン、約5%が小葉にできる小葉ガンです。
他にも粘液ガンや、管状ガン、腺様嚢胞ガンといった特殊なタイプの乳がんもあります。

また乳房の中でも乳房の上部の腋側(わきがわ)にできるがんが全体の約40~50%を占めるそうです。

乳がんの初期症状のひとつが乳房のしこり!

早期の段階では自覚症状に乏しいとされる乳がんですが、よく知られる症状のひとつが乳房のしこりです。

乳がんのしこりは硬く、あまり動かないのが特徴とされています。
しこりを発見したら自己判断せず、専門医の診断を早めに受けましょう。

他に乳がんを発症した有名人は?

2018年10月18日に49歳にして乳がんでこの世を去ってしまった元マラソン代表選手の真木和さん。

乳がんという病気は最近ニュースでもとてもよく聞くようになりました。
50年前では乳がんになる女性の割合は50人に1人と言われていましたが、現在ではなんと14人に1人であるとさえ言われています。

では真木和さんの他に乳がんを発症していた有名人はどのような方がいたでしょうか?

さくらももこ

漫画「ちびまる子ちゃん」(集英社)、や「コジコジ」(集英社)、ベストセラーとなったエッセイ「もものかんづめ」(集英社)の作者として知られているさくらももこさん。

さくらももこさんは2018年8月15日、53歳にしてお亡くなりになっています。
さくらももこさんの死因も乳がんでした。

さくらももこさんも、10年近く乳がんの闘病生活をされていたようです。
乳がん発症後も、仕事のペースが変わることはなく、常に穏やかな笑いのある漫画を描き続けていらっしゃいました。

小林麻央

フリーアナウンサーであり、歌舞伎役者・市川海老蔵さんの妻である小林麻央さんも2017年6月22日に闘病中だったガンによって亡くなられています。

小林麻央さんも、2014年に人間ドックを受けた際に乳房にしこりを発見。
同年10月にも同じ個所にしこりが認められ、そのときにはすでに脇への転移も発見され、ここではじめて乳がんであったと診断されたそうです。

それ以降、懸命に幼い二人の子供のためにもガンと闘っておられ、闘病中につづられたブログ「KOKORO.」で積極的に病状の情報発信をしたことも評価され、2016年11月に英国放送協会の「今年の女性100人」にも選ばれています。

有賀さつき

2018年1月30日、元フジテレビアナウンサーで、退社後はタレントとしてご活躍だった有賀さつきさんが亡くなられました。

有賀さつきさんは同年の1月の半ばに入院され、そのわずか半月後に亡くなられてしまっています。
その有賀さつきさんの死因も乳がんであると言われています。

有賀さつきさんがどのくらい前から闘病生活をされていたのかは不明ですが、入院される1年ほど前からはテレビ出演される際にはカツラを着用されていたそうです。

真木和さんにご家族はいたの?

乳がんによって49歳というあまりに早い生涯を終えられた、アトランタ五輪の女子マラソン代表選手だった真木和さん。

49歳という若さでお亡くなりになったことは、残されたご家族のことを思うと本当にショックを隠し切れませんよね。

では真木和さんはご結婚はされていたのでしょうか?
またお子さんはいらっしゃったのでしょうか?

真木和さんは2003年に結婚していた!

二大会連続でオリンピックに出場するという、陸上選手として輝かしい道を歩まれていた真木和さん。

そんな真木和さんはアトランタ五輪後には故障が完治せず、それまでと同じような活躍を望むことが難しくなったと感じ引退されました。

そしてその後はコーチとなり、野口みずきさんの指導などをされていたようです。
また2003年には関西テレビの局員である山岡重行さんとご結婚されていました!

真木和さんには息子さんも!

2003年にご結婚されていた元マラソン選手の真木和さんですが、同年4月には息子さんをご出産されていたようです!
息子さんの素性に関しては、名前や写真などは一切公表されていないようですね。

真木和さんは、息子さんの幼稚園や小学校でも積極的にPTAの役員を務めるなど、陸上界からは一歩引かれて地元での活動に熱心に取り組まれていたそうです。

ゲストランナーとして地元である箕面のマラソン大会に参加されることまあったり、地元のスポーツ教室でランニングやトレーニングの方法を教えるなど、地元をこよなく愛し、まわりからもとても親しまれていたようです。

真木和さんのご冥福をお祈りします

2018年10月18日に、49歳という若さで惜しまれつつ乳がんにてこの世を去った、元マラソン選手の真木和さん。

二大会でオリンピックに出場するという輝かしい実績があるにもかかわらず、引退後はご家族と愛する地元に密着した活動を精力的に行われてたため、「オリンピック選手とは思えない」というほど地域の人や息子さんの同級生から親しまれていたそうです。

まだまだご本人もお若かく、また残された息子さんやご家族のことを思うと言葉が出ませんが、謹んで真木和さんのご冥福をお祈りいたします。

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