モデルになった新島八重とは1845年会津藩の鉄砲師範の家に生まれ、会津戦争では自ら銃を持って戦った女傑。明治維新後は京都にて女学校の元となる女紅場の寮母および教師見習いに。 後に結婚した新島襄が同志社英学校を開設。自身も同志社女学校を開設する。 夫の死後は日本赤十字社の正社員となって日清戦争や日露戦争に従軍し、その功績により勲七等宝冠章や勲六等宝冠章を授与された。 晩年は茶道や華道に精通した。1932年、86歳にて死去。葬儀には4,000人も参列した。

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