2024/02/16
r.y6
まず最初に、ドラえもんの作者について確認します。作者の本名や出身地を見ていきます。
ドラえもんの作者は藤子・F・不二雄さんであり、本名は「藤本弘」です。子供向け漫画の名手として知られ、「子供たちの夢と願望を心にくいばかりに視覚化する」と評されています。SFものなど、大人向けの作品の評価も高く、日本の漫画史に大きな功績を残した存在です。
藤子・F・不二雄さんの出身地は富山県の高岡市です。幼少期から体が弱く、小学校ではいじめを受けていたそうです。番長格の少年から似顔絵を評価されて、いじめから抜け出せたようです。その頃の気持ちが漫画作品に反映されているそうです。
彼の代表作は「ドラえもん」の他にも『パーマン』、『キテレツ大百科』、『エスパー魔美』、『チンプイ』など、評価の高いヒット作がたくさんあります。子供向け漫画の手腕の鮮やかさが高く評価されています。
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次に、「ドラえもん」の作者が二人いると思われる理由を見ていきます。そこには、もう一人の藤子不二雄の存在があります。
藤子・F・不二雄さんはもともと、藤子不二雄Ⓐさんととコンビを組んで藤子不二雄と名乗り、ふたりで「藤子不二雄」として漫画作品を発表していました。藤子不二雄は数々の名作を世に送り出しています。
藤子不二雄Ⓐさんは本名が「安孫子 素雄」であり、1934年に富山県氷見郡に生まれました。高校卒業後は富山新聞社に入り、学芸部や社会部で働いた後、退社して漫画家になるために上京しました。漫画家としてヒット作に恵まれただけではなく、テレビのバラエティ番組のレギュラーとしても活躍しました。
二人の合作ペンネームの「藤子不二雄」としての代表作は、「オバケのQ太郎」、「UTOPIA 最後の世界大戦」などがあります。二人の尊敬する手塚治虫氏に続くように漫画界に現れ、この世界を引っ張っていく存在になりました。ヒット作が立て続けにテレビアニメ化されて人気になり、子供を中心に高い知名度を獲得しました。
次に、二人の「藤子不二雄」の歩みを見ていきます。出会いから合作時代、その後までを確認します。
1944年に藤子不二雄Ⓐ氏が転校してきたことにより、二人は出会いました。藤子・F・不二雄のいた富山県高岡市の小学校の同じクラスになりました。Ⓐ氏がノートに漫画を描いているのをF氏が見て話しかけ、仲良くなったそうです。その後はいつも一緒に遊ぶようになりました。そして、二人で投稿した「天使の玉ちゃん」が採用され、17歳で漫画家デビューを果たしています。
その後、新聞社に勤めていたⒶ氏をF氏が誘う形で上京し、二人で「藤子不二雄」という共同ペンネームで漫画家としての活動を始めました。主に子供向けの漫画を描き、人気を獲得していきます。
1987年に藤子・F・不二雄氏は藤子不二雄Ⓐ氏とコンビを解消し、藤子不二雄Ⓕとして活動を始めました。その後、ペンネームが藤子不二雄Ⓕから藤子・F・不二雄に変化しています。二人三脚のひもをほどいて、それぞれ別の道を歩むことになりました。また、これまで合作としてきた作品が、それぞれ分担で書いていたことも明かされました。
「ドラえもん」は藤子不二雄としての作品ではなく、藤子・F・不二雄の作品であり、作者は1人です。合作時代は「藤子不二雄」名義で発表していたのややこしく、勘違いしている人が多いようですね。また、藤子不二雄Ⓐ氏の作品としては、「忍者ハットリくん」、「怪物くん」、「笑ゥせぇるすまん」などがあります。
この項では、ドラえもんの作者の死因について見ていきます。その死にまつわる噂に関しても確認します。
「ドラえもん」の作者である藤子・F・不二雄氏は1996年9月20日に肝不全により、62歳で亡くなりました。「ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記」の執筆のさなかに意識を失っていました。発見された時は鉛筆を握ったままだったそうです。コツコツと漫画製作に専念していたことで知られる、彼らしいエピソードですね。
F氏は1954年に肺浸潤(はいしんじゅん)(肺結核の初期症状)にかかったものの、治療法がなく、自然治癒していました。お金がなく、病院に行くことが出来なかったため、気力で回復したそうです。もともとは体調には不安があったようです。
1986年には胃潰瘍の手術を受け、復帰しましたが、その後肝臓を悪くするなど、体調が悪化しました。本人には知らされていなかったようですが、実は胃潰瘍ではなく胃がんだったと言います。
一部の人の間で「ドラえもんの作者が絞首刑で亡くなった」という噂があります。これは、Twitterでアンチからの「ドラえもんの作者とかガチ絞首刑でよかった」というコメントが元ですが、事実ではなく、実際にはそんな亡くなり方はしていません。事実無根のタチの悪いデマのようですね。
次に、作者が亡くなったタイミングでの「ドラえもん」の放送を確認します。何やら、奇妙な噂があるようです。
藤子・F・不二雄氏が亡くなった当日の深夜に奇妙なエピソードが放送されたという噂があります。深夜に突然、テレビにのび太がひたすら歩く姿が10分ほど映し出され、「もう行かなきゃ」と言って去っていく様子が流れたという都市伝説があります。
この放送では、のび太の声はいつもの声ではなく、藤子・F・不二雄氏の声であったと言われています。作者が亡くなるタイミングだけに、不気味な情報と言えます。
また数日後の深夜、今度はのび太がジャイアンにボコボコにされる放送があったとされます。この後、ドラえもんに泣きついて四次元ポケットから道具を出してもらい、ジャイアンに立ち向かうのび太が、直前で道具を捨てて堂々と立ち向かっていく展開になったそうです。そして、ドラえもんが涙して、のび太はジャイアンと和解してセリフを言うのですが、この声も藤子・F・不二雄氏の声であったと言われています。
この二つの放送に関しては、実際に見たという人がいないので、都市伝説である可能性が高いとみられています。放送日程などの情報も確認が取れておらず、非常に不確かな話です。知名度の高い、国民的人気作だけに、このような都市伝説が生まれてしまうのでしょうか。
この項では、作者が亡くなった後もドラえもんが続いている理由を確認します。その背景には、F氏の弟子であるアシスタントの存在があるようです。
藤子・F・不二雄氏のアシスタントであった、むぎわらしんたろう氏がF氏の遺志を継いでドラえもんを執筆しています。そのため、作者の死後も人気作が継続しているようです。アシスタントであれば、作者の絵柄や作品のテイストを崩すことなく制作することが出来そうです。
『ドラベース ドラえもん超野球外伝』シリーズや「のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜」、朝日新聞の「もっと教えて!ドラえもん」など、彼はドラえもんに関する漫画を多数手がけています。このように、むぎわら氏は様々な場面でドラえもんに関わっており、オリジナルのひみつ道具が登場する作品もあります。
むぎわらしんたろう氏は1968年生まれ、東京都出身の漫画家です。専門学校在学中の1987年に投稿した作品が「第14回小学館新人コミック大賞児童部門藤子不二雄賞」佳作に入賞し、翌年に藤子プロに入社しました。
その後、1993年より藤子・F・不二雄氏のチーフアシスタントを務めるようになりました。2000年に独立した後も、様々なドラえもん作品を手掛けています。若いころから藤子プロでF氏のサポートをしてきた経歴で、ドラえもんの執筆を引き継ぐのにふさわしい人物と言えそうです。
「ドラえもん物語~藤子・F・不二雄先生の背中~」は、むぎわらしんたろう氏が藤子・F・不二雄氏の晩年を描いた作品です。この作品では、ドラえもんの大長編劇場版シリーズが終了していてもおかしくなかった内実と、そうならなかった理由が語られています。
幼いころからドラえもんのファンで藤子不二雄のような漫画家を目指していたむぎわらしんたろう氏が、コンビ解消、新事務所の立ち上げという大きな変化の時期に藤子・F・不二雄氏の初めてのアシスタントとして採用されます。そんなむぎわら氏にとって、晩年のF氏は優しさと厳しさを併せ持つ憧れの存在だったそうです。
漫画に強いこだわりを見せるF氏も、体調悪化を経て、メインキャラさえ下絵のみで、むぎわら氏に託すようになりました。ある時原稿の修正の指示の最後に、「藤子プロ作品は、藤子本人が描かなくなってからグッと質が上がったと言われたらうれしいのですが」と書いてあり、むぎわら氏はおののいたそうです。
F氏は「ドラえもん」など、SF色の強い作品が多いことからも分かる通り、SFに対する関心が強い人物でした。そのため、SF短編などには名作SFからの影響や引用が確認できます。また、「スター・ウォーズ」のブームの時期には、「ドラえもん」の各所に「スター・ウォーズ」にちなんだネタを多数登場させています。
作中に登場する女の子には強いこだわりがあり、単行本収録の際には大幅な加筆修正を行うこともありました。特に「ドラえもん」のアニメ化の際には、しずかちゃんの作画に関して多くの注文をしました。
「ドラえもん」のアニメに関しては、作画の質の低さに苦言を呈し、オリジナルエピソードの質の低さに激怒したと言います。そもそも90年代まではアニメオリジナルのエピソードを認めませんでした。このように、F氏は強いこだわりと強烈な作家性を持った、漫画作家だったようです。
「ドラえもん」とその作者について調べてみました。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。国民的人気作である「ドラえもん」はその知名度の高さゆえに、様々な誤解や噂があります。それらも作品に対する人々の関心の高さゆえであると思われます。今後もドラえもんはみんなに愛され、話題にのぼることでしょう。これからもこの作品から目を離さないようにしましょう。
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