木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
守谷慧さんは、NPO法人『国境なきこどもたち』の理事をつとめています。
『国境なきこどもたち』は、1997年に日本で設立された国際協力NGOで、「共に成長するために」という理念のもと、2018年11月までに15か国(地域)において8万人以上の子どもたちに教育機会を提供し、自立を支援している団体です。
三菱グループ(旧三菱財閥)の中核企業であり、三菱重工業とともに三菱グループの源流企業にあたる、大手海運会社・日本郵船株式会社に勤務しています。
日本郵船株式会社の30代の年収は1030〜1080万円と言われていますので、高収入でいらっしゃることが分かります。
一般の方なので、プライベートの様子は分かりませんが、同僚から「英語も堪能で仕事が相当できると評判だ。仕事同様に真面目で良い夫になると思う」とのコメントが出ていました。
また、家柄、学歴ともに申し分なく、眞子様こと、現・小室眞子さんと小室圭さんの婚約にまつわり色々と騒ぎ立てられていた事と比較され、ネットでは『皇族のご結婚に相応しい方』など、絶賛の声があがっていました。
続いては、守谷慧さんの家系について詳しく見ていこうと思います。
守谷慧さんの父親は、東京大学経済学部経済学科卒業、1979年、通商産業省に入省した、元通産官僚、実業家である守谷治さんです。
現在は、日伯エタノール株式会社代表取締役社長、日本アルコール販売株式会社常務執行役員です。
守谷慧さんの母親は、守谷季美枝さんで、早稲田大学第一文学部を卒業されています。
国境なき医師団で最初は事務ボランティアとして活動し、『国境なき子どもたち』が別団体として創立されるときからの創設メンバーで、副会長・専務理事をつとめられていた方です。
2015年6月下旬からカンボジアへ出張していらっしゃいましたが、タイ王国バンコク市バンコク病院にて56歳で急逝されています。
祖父の守谷兼義さんは、日本郵船の常務取締役や、ロンドン支店長などをつとめられた方です。
親族には、旧国立国際医療センター病院長務めたこともある、近藤達也さんがいらっしゃいます。
2008年に薬の審査機関である独立行政法人医薬品医療機器総合機構の理事長に就任し、2019年に退任後は、政府と協力して日本の医療の国際展開を進める一般社団法人「メディカル・エクセレンス・ジャパン」で理事長を務めていましたが、2021年に亡くなっています。
続いては、守谷慧さんの経歴について見ていこうと思います。
1989年から1992年まで、フランス・パリ16区の西隣にあるブローニュ=ビヤンクールで過ごしています。
お父さんの仕事の関係だったんでしょうね。
パリから帰国後、港区立白金小学校、私立高輪中学校・高等学校で学び、2005年4月に慶應義塾大学文学部へ入学しています。
私立高輪中学校・高等学校在学中に、スイスのインターナショナルスクールに短期留学されています。
慶応義塾大学時代には、オックスフォード大学に短期留学されています。
2005年3月から国境なき子どもたちの会員となり、後に理事に就任しています。
お母さんがされていたので、自然と活動に参加されるようになったのかもしれませんね。
慶應大学卒業後、2009年に祖父が理事を務めた、日本郵船に入社されています。
続いては、守谷慧さんと高円宮絢子さんの出会いや馴れ初めについて詳しく見ていこうと思います。
2018年7月に、皇族である高円宮家・三女の高円宮絢子様と結婚内定の記者会見を行いました。
8月12日に、皇室の儀式のひとつ。皇族が結婚するにあたって行われるもので、結納の起源となった、納采の儀が行われました。
10月26日には、両人が夫婦として初めて天皇・皇后に会う儀式である、朝見の儀が行われました。
守谷慧さんと高円宮絢子様が出会ったのは、絢子様の母である高円宮妃久子様が、守谷慧さんを紹介したことからでした。
もともと、久子さまと守谷慧さんの父・治さんは40年ほど前からの知り合いで、母・季美枝さんとは、季美枝さんが専務理事をしていた『国境なき子どもたち』の関連行事で親しくお付き合いがあったそうです。
守谷慧さんと久子さまは、「国境なき子どもたち」の写真展ではじめて顔を合わせていたそうです。そしてそれから、10年が経ち、NPO法人『国境なきこどもたち』の創立20周年のパーティーで、守谷慧さんと高円宮妃久子様が10年ぶりに顔をあわせ、高円宮絢子様が「国際的な福祉活動に興味を持つきっかけになれば」と守谷慧さんを紹介したのだそうです。
実際のところ、久子さま主導のお見合いのような感じだったのかもしれませんね。
2017年12月に初めて会い、初対面とは思えないほど会話が盛り上がって時間を忘れるほど楽しまれたそうです。最初から印象が良かったようですね。
守谷慧さんは、誰にでも暖かく接する優しさに惹かれたそうです。
高円宮絢子様は、そのあと何度か会ううちに、優しくスマートで決断力のある所に惹かれてたと高円宮絢子様は明かしています。
2017年12月に出会ってから、2018年4月には婚約、10月には結婚されています。
結婚を前提に交際を始めていたお二人でしたが、2018年に入り、守谷慧さんがレストランでプロポーズされたそうです。
絢子さまは、すぐに返事はせず、一旦保留にし、家族へ相談した後に、返事をしたそうです。
お互いを「けいさん」「あやこさん」と呼び合っている事も会見で明かしています。
2018年10月29日に、明治神宮で結婚式が行われました。この日の午後、婚姻届が提出され、絢子さまは、皇籍離脱されました。
ちなみに、明治神宮は、高円宮絢子様の高祖父にあたる明治天皇が祭られています。
翌日には、ホテルニューオータニ本館「アッザレーア」にて、結婚披露晩餐会が開催されました。
続いては、守谷慧さんの子供について、見ていこうと思います。
2019年11月17日に、第一子である男の子・守谷穣(もりや・じょう)君が誕生しています。
愛育病院で出産されたようで、名前は宮内庁より発表されました。
2005年に皇籍離脱された、平成天皇・皇后両陛下の長女・黒田清子さん、2014年に皇籍離脱された、高円宮絢子様の姉にあたる、千家 典子さんには、お子さんはいらっしゃらないため、元皇室の女性に子どもが生まれたのは、故・三笠宮さまの次女・千容子(まさこ)さまが次男を出産した1990年以来29年ぶりとなりました。
2022年9月1日に、第二子となる男の子を出産されています。二人目の名前は発表されていないようです。
2018年に高円宮絢子さまと結婚した、守谷慧さんについて、ご紹介してきました。
皇族の女性と結婚する事になった相手はいったいどんな人なのかと注目を浴びましたが、エリート一家で育ち、留学も経験し、大手海運会社勤務し、国際ボランティアなどにも積極的に取り組む人物でした。
最初から惹かれたというお二人ですので、交際から結婚まで1年に満たずというスピード結婚でした。
2人のお子さんも誕生され、幸せな家庭を築かれている事でしょう。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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