木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
三代目 市川右團次さんは、歌舞伎俳優としての活躍はもとより、テレビドラマへの出演、舞台への出演など、歌舞伎以外の仕事も幅広くされています。
2017年にTBSで放送された連続ドラマ「陸王」では、村野尊彦 役を演じていたり、2021年にTBSで放送された連続ドラマ「ドラゴン桜」では、松原佳浩 役を演じていました。
また、2014年には、木下順二の同名戯曲を原作に、團伊玖磨が作曲したオペラ『夕鶴』の演出を手掛け、2016年には再演されるなど、演出でも才能を発揮しています。
そして、バラエティ番組にも、出演されており、軽快なトークで笑いを誘っていますよね。
『右團次と右近の会』というブログを運営しており、こまめに更新されています。
歌舞伎の話題はもとより、その舞台裏の様子であったり、衣装の紹介であったり、楽屋の様子だったりと、普段垣間見えない部分を覗くことが出来、楽しみにしているファンの方も多いのではないでしょうか。
また、プライベートの食事の様子などもアップされています。
ブログタイトルの通り、二代目市川右近こと息子さんも頻繁に登場しています。
続いては、市川右團次さんの生い立ちなどについて、ご紹介していきます。
市川右團次さんは、大阪市のど真ん中、ミナミで生まれました。
歌舞伎役者の方に関西弁の印象はあまりありませんが、市川右團次さんは関西系の番組に出演されている時は関西弁で話していらっしゃいますね。
市川右團次さんは、歌舞伎役者の家に生まれたわけではありません。
父親は日本舞踊家であり、飛鳥流家元の飛鳥峯王さんです。関西学園大学文学部を卒業、関学劇研より江川幸一バレエ団にレッスンに通っていました。
そして、1950年日本舞踊花柳流に入門の後、1965年日本舞踊アカデミーASUKAを創立し、1980年日本舞踊飛鳥流を創流しています。
主宰する日本舞踊アカデミーASUKAの作品はもちろん、NHKをはじめ各局テレビ番組、宝塚歌劇団、コマ劇場、OSK日本歌劇団、新歌舞伎座、映画、オペラなどの振付師、演出として多くの作品に携わっている人物です。
日本舞踊家『藤間左近』が、市川右團次さんの妹です。妹は1歳下で、1999年に飛鳥流三代目家元を継承されています。
日本舞踊家の両親のもとに生まれた市川右團次さんが、歌舞伎の道に進んだ経緯はいったいどんなものだったのでしょうか。詳しく見ていこうと思います。
市川右團次さんが歌舞伎の世界に足を踏み入れることになったきっかけは、小学校2年生の時に出ていた舞踊劇で松竹のプロデューサーの目に留まったことでした。
「歌舞伎の子役でデビューしないか」と声をかけられたのです。
そして、8歳6ヶ月の時の『大岡政談・天一坊』一子忠右衛門で初舞台を踏むこととなります。
その初舞台で師匠・三代目市川猿之助さんの芝居を見て、歌舞伎のファンタスティックな一面に魅了されたそうです。
1975年に上京し、三代目市川猿之助に弟子入りしました。部屋子となり、市川右近を名乗ることとなります。
「上京しないか?」と、声をかけられたとき、両親から決断を委ねられたそうです。そして、「行きたい」と答えたそうで、12歳で親元を離れ、芸の世界に身を置くこと選びました。
弟子入りの条件は、慶應に入ることだったそうで、猛勉強の末、慶應義塾中等部に合格しました。最初、受験すると小学校の担任に伝えると、驚かれたそうです。
その後、高校、大学とエスカレーターで進学し、1987年3月に、慶応義塾大学法学部を卒業しています。
ちなみに、慶應義塾大学に通っていた際は、雑誌『POPEY』で、読者モデルをされていたそうです。また、ディスコにも週5で通っていたそうで、ずいぶん遊んでいたようです。
1998年に、テレビ朝日で放送された、隆慶一郎作の時代小説を原作とした『影武者徳川家康』でテレビドラマ初出演を果たしました。
二代目死去から80年を経て上方歌舞伎の名跡である市川右團次の名を復活させ、三代目として襲名することが発表され、2017年1月3日、新橋演舞場での『壽新春大歌舞伎』初日を以て正式に三代目市川右團次を襲名しました。
また、右團次襲名と共に屋号を高嶋屋と改めました。
ちなみに、四代目市川猿之助は、三代目市川猿之助の弟・四代目市川段四郎一人息子(二代目市川亀治郎)が2012年6月に襲名しています。
続いては、市川右團次さんの結婚について詳しく見ていこうと思います。
市川右團次さんが、42歳だった2006年12月に、現在の奥様と結婚されています。離婚歴については後述いたしますが、実はこの結婚が、3度目であったのです。
妻の名は明子さんとおっしゃるそうで、9歳年下なのだそうです。とても美人な方だと評判です。
明子さんは学生時代はモデルの仕事をしていたそうで、市川右團次さんと結婚した時は、音楽団体の事務をされていたということです。
馴れ初めについては、知人の紹介という話がありますが、詳細は明かされていません。市川右團次さんの一目惚れに近かったと言われています。
続いては、市川右團次さんの息子について、詳しく見ていこうと思います。
2010年4月18日に、第一子である男の子が誕生しています。
息子の名はタケルといい、2022年の時点で12歳となっています。目元なんかは父親の市川右團次さんにそっくりですね。
2017年1月3日、新橋演舞場の公演『寿新春大歌舞伎』の初日に、父が三代目市川右團次を襲名すると同時に、父の前名である市川右近の2代目を襲名しました。
そして、歌舞伎役者として初舞台を踏みました。
また、2019年には、テレビドラマ「ノーサイドゲーム」で主人公の長男役を演じ、テレビドラマデビューを果たしました。
息子のタケルくんは、慶応義塾幼稚舎に通っており、春からは中学校へと進学するそうです。
父親の市川右團次さんと同じ学校に通っているんですね。
続いては、市川右團次さんの離婚歴について詳しく見ていこうと思います。
市川右團次さんは、28歳で一度目の結婚をしています。
相手はモデルだったという噂がありますが、詳細は分かっていません。この女性とは、1年ほどで離婚しているようです。
市川右團次さんは、36歳の時に再婚しています。相手は天羽亨子さんと言う方で、レースクイーンやモデルをされていた方だそうです。
しかし、妻がサルサダンスにハマったことが原因で離婚することとなりました。
歌舞伎役者の市川右團次さんについて、ご紹介してきました。
市川右團次さんは、日本舞踏家の家に生まれながら、才能を見込まれ、三代目市川猿之助の内弟子となり、2017年には三代目市川右團次を襲名しました。
歌舞伎役者の家の出ではないということで、見えないところで随分苦労されたのではないでしょうか。
才能を発揮し、歌舞伎はもとより、テレビドラマや舞台、そしてオペラの演出と多岐にわたり活躍されています。
息子さんも歌舞伎役者として歩みだされているので、さらに活躍の幅が広がり、今後、ますます活躍されていくことでしょうね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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