ビートたけしが芸能界引退?事故で顔面麻痺の過去や映画作品を紹介
2023/12/28
大今里
上智大学在学中に明石家さんま司会の『恋のから騒ぎ』に出演し、注目されました。
『恋のから騒ぎ』とは、1994年4月16日から2011年3月25日まで放送された日本テレビ系列の恋愛トークバラエティ番組です。
姉の小林麻耶さんが、前年、出演しており、妹がいるとの情報が浮上して出演が決定したそうで、、小林麻央さんは男性からの人気があり、座り位置が最前列のセンターでした。
大学卒業後に、セント・フォースに所属し『めざましどようび』のお天気キャスターをはじめとし、日本テレビ系ニュース番組『NEWS ZERO』のサブキャスター、フジテレビ系バラエティ番組『奇跡体験!アンビリバボー』の進行役などをつとめました。
小林麻央さんは、2010年に市川海老蔵さんと結婚しました。出会いは、『NEWS ZERO』のZEROカルチャーでのインタビューでした。
結婚披露宴はザ・プリンス パークタワー東京で行われ、招待客1000名の盛大な披露宴でした。披露宴費用は5億とも言われています。
小林麻央さんは、闘病生活をブログに綴り続けていました。どういった内容のものだったのか詳しく見ていこうと思います。
小林麻央さんは、乳がんを患った後の2016年9月1日にブログ『KOKORO.』を始めました。内容は、がんの疑いを持った頃からの闘病記となっています。
闘病と、それを支えてくれる家族の様子を綴っており、さらに日常のふとした嬉しかった事、感動したことなど、投稿数は352回で、同じ病気と闘う人たちに勇気を与えてきました。
小林麻央さんは、亡くなる2日前の2017年6月20日までブログを更新していました。最後の更新となった日の内容は、自分では絞る力が無いので、母親にオレンジを絞ってもらって飲んでいるというものでした。
小林麻央さんが亡くなってからは、夫である市川海老蔵さんがブログを引き継いで、過去に小林麻央さんが投稿した内容を英語に訳して更新を行っていました。
「乳がんと闘っている世界中の人々やその家族の皆さんの助けになればと思っています」と市川海老蔵さんは語っています。
それも小林麻央さんの1周忌となる2018年6月22日で更新が止まっています。
闘病生活をおくっていた小林麻央さんの最期はどのようなものだったのでしょうか。
市川海老蔵さんによると、亡くなった当日には小林麻央さんは話すこともできなくなっていたそうです。
小林麻央さんの最後の言葉は「愛している」だったそうです。これは、市川海老蔵さんが自身のブログにも綴り、記者会見でもその時の様子を語りました。
小林麻央さんは、本人の希望もあり、自宅での緩和ケアを行っていました。また、一時危篤状態になった小林麻央さんは、自宅で過ごしたいと希望し、退院をし、自宅に戻っていました。
姉の小林麻耶さんや実の両親、夫や子供たちに見守られながら、小林麻央さんは自宅で34歳の生涯を閉じました。
続いては、小林麻央さんの病状などについて見ていこうと思います。
小林麻央さんは、2017年6月22日に進行性の乳がんにて死去しました。
2014年2月に、人間ドックで左乳房に腫瘍が発見されていたものの、がんである確率が半々であったことから、受けた再検査ではマンモグラフィーも使ったが、がんを疑うものではないと診断されました。
この時、小林麻央さんは医師に生検を受けるべきか尋ねたが、「必要ない」と言われたそうです。そして、半年後に再検査を受ける予定だったものの忙しさから実際に受けたのは8カ月後で、その際に乳がんが発覚しました。
後に、小林麻央さんはこの時に、他の病院でも診てもらっていればと語っています。
小林麻央さんは、2016年9月に骨や肺に転移のあるステージ4であることを公表しました。
がんが発見された際に、すでにリンパ腺にガンが転移していたのだそうです。あっという間に手術が難しい段階に進行するなど想定外の早さだったそうで、最後は顎にまで転移していました。
2017年6月22日に亡くなった小林麻央さんの葬儀や偲ぶ会などについて見ていこうと思います。
小林麻央さんの嫁いだ堀越家が神道を信仰していることから、2017年6月25日に葬儀は神道式の『神葬祭』が行われました。
小林麻央さんの葬儀は、身内のみが参列し一般の参列は受け付けませんでした。
小林麻央さんの死去から1年後に当たる2018年6月23日に、都内ホテルに於いて芸能関係者など300人ほどが参列し偲ぶ会が執り行われました。
平原綾香さんが小林麻央さんの結婚式で歌った「Jupiter」を披露し、姉の麻耶さんが挨拶した後、小林麻央さんの34年の歩みが映像で流されました。
市川海老蔵さんは「本当だったら通夜や告別式のタイミングでやらないといけなかったけれど、気持ち的に余裕がありませんでした。1年たった今だからこそ開けました。」と参列者に挨拶しました。
小林麻央さんが、入院していた病院は公表されていませんでした。いったいどこで、治療をおこなっていたのでしょうか。
市川海老蔵さんと小林麻央さんがパジャマ姿で日向ぼっこをしていた時の写真があり、それは聖路加国際病院の屋上で、小林麻央さんの入院先ではないかと噂されました。
しかし、この写真は2010年に市川海老蔵さんが大けがを負った際に撮られたものであり、場所も虎の門病院の屋上でした。
聖路加国際病院は乳がんに特化した『ブレストセンター』があることなどから、小林麻央さんはここに入院していた可能性があると言われています。
また、セレブ病院として有名な病院で、個室の1日の入院費が10万を超えるのだそうです。
小林麻央さんは、低侵襲治療のため、聖路加国際病院から他の病院に転院したという話があります。
転院先は、『低侵襲治療』という体への負担を極力軽減しながらの治療法のトップクラスの実績とされる、慶應義塾大学病院が該当するのではないかと考えられます。
小林麻央さんには二人の子どもがいます。
2011年7月25日に第一子である長女の堀越麗禾(ほりこしれいか)ちゃんが誕生しました。2019年8月には、日本舞踏市川流の四代目市川ぼたんを襲名しています。
2013年3月22日に第二子である長男の堀越勸玄(ほりこしかんげん)君が誕生しました。八代目市川新之助を襲名する予定でしたが、コロナウィルスの影響で、襲名披露興行が延期されています。
小林麻央さんは、どういった治療をおこなっていたのでしょうか。
小林麻央さんは、乳房を全摘出はせず、温存を選んだそうです。
温存を選んだというよりも、手術ができないくらいに進行していたのではないかとの憶測も呼びました。
しかし、乳房の切除と再建をするのは望ましくないこと、また予後に放射線治療を行うと望んでいた第三子が儲けられなくなることを理由に、標準治療ではなく、がんに侵された乳房の温存療法を選択したとされます。
小林麻央さんは手術には至っておらず、抗がん剤治療を行っていると夫である市川海老蔵が発言していました。
小林麻央さんが亡くなられた際、テレビでは追悼番組が放送されました。どういったものだったのか詳しく見ていこうと思います。
2017年6月26日の午後9時から、小林麻央さんの追悼特番が放送されました。
番組名は『小林麻央さん追悼番組~優しく生きた34年~』であり、番組では、キャスターから転身し、市川海老蔵さんの妻、2人の子供の母親、そしてがんと闘病する姿で多くの人たちに勇気を与えた小林麻央さんの34年の生涯を振り返りました。
2017年に34歳で亡くなった、小林麻央さん。
フリーアナウンサーとして華々しい活躍をしており、市川海老蔵さんと結婚してからは、梨園の妻として海老蔵さんを支え、二人のお子さんの母親として子育てに奮闘していた最中、乳がんを発症し、治療の甲斐なく、亡くなりました。
小林麻央さんのブログはたくさんの人の支えとなり、多くの人に支持されています。
改めてご冥福をお祈りいたします。
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