木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
黒木知宏さんは、闘志を全面に押し出すプレースタイルから千葉ロッテマリーンズの”魂のエース”と称されました。
黒木知宏さんは、日本人ですが、愛称は「ジョニー」と呼ばれています。
ジョニーと呼ばれるようになったきっかけは、高校卒業後、社会人野球へと進んでいた黒木知宏さんは、ミーティングで居眠りをした罰で髪を短く角刈りにしたのだそうです。
そうすると、歌手の山本譲二さんに似ていると言われるようになり、ジョージと呼ばれるようになります。しかし、後輩が「ジョージじゃなくて、ジョニーにしましょう」と言い出したことにより、ジョニーと呼ばれるようになったんだそうです。
そして、その後プロに進み、プロ初勝利のインタビューで黒木知宏さん本人が「54番は、ジョニーですので、宜しくお願いします!」と発言し、ジョニーの愛称が定着しました。
千葉ロッテマリーンズのエースとして活躍し、人気のあった黒木知宏さんですが、どんな方と結婚したのでしょうか。
黒木知宏さんは、1995年のオフシーズンに結婚しています。プロ入り1年目であり、21歳頃でした。
スポーツ選手は結婚するのが早い方が多いですが、黒木知宏さんも21歳と言う年齢で結婚しています。
結婚相手は、延岡学園高等学校時代の1つ年上だった野球部のマネージャーを務めていた、裕子さんという一般女性です。
馴れ初めや交際期間など、詳しい事は何も明かされていないようです。
高校時代から交際していたのかもしれませんね。そして、社会人野球にすすみ、プロを目指していた黒木知宏さんを支えていた方だったのではないでしょうか。
黒木知宏さんは妻と同郷ということもあり、結婚式は地元の宮崎県で行われました。
結婚式の様子など詳しい情報は出回っていなかったのですが、千葉ロッテの先輩選手であった西村徳文さんが、式の前日に起こったエピソードを明かしています。
西村さんは、黒木知宏さんと一緒にゴルフをしたのだそうです。その際、西村さんがカートを運転しており、助手席に黒木知宏さんが乗っていたのだそう。
次のホールへと向かう途中、西村さんはブレーキを踏み誤り、木と正面衝突してしまい、怪我をしそうになったというものです。
黒木知宏さんも妻も再婚ではなく、離婚もしていません。
ですが、どうして黒木知宏さんに再婚の話題が上がっているのでしょうか。調べてみると、オリックスの黒木優太投手が2019年1月に結婚することが報道されたのですが、彼のニックネームがオリックスのジョニーなのです。
また、結婚の相手は橘学苑高校時代の同級生である、野球部マネージャーを務めていた一般女性だという点がかぶっており、オリックスの黒木優太さんと混同しているものと考えられます。
続いては、黒木知宏さんの子供さんについて詳しくご紹介していきたいと思います。
黒木知宏さんの長女は萌衣さんというお名前です。
生年月日などは公表されていないのでは不明ですが、2022年度から千葉ロッテマリーンズの球団公式チアパフォーマーチームである「M☆Splash!!」にMEIとして加入しています。
新メンバー選考には約200人の応募があり、合格者9人の中に選ばれた萌衣さんは、身長153センチと小柄ですが、ダイナミックな動きが売りで、豊富なダンス経験を持つそうです。
次女のお名前は花菜さんであることが分かっています。しかし、それ以外は不明で、詳細は明かされていませんでした。
萌衣さんは、浦安の『スポーツカフェ&バーたまりば』でアルバイトをしていました。また、ZOZOマリンスタジアムでビールの売り子をしていた経験もあるのだそうです。
続いては、黒木知宏さんの現在の活動についてご紹介します。
2018年からは、NHK-BSや日テレNEWS24、J SPORTSで野球解説者として活躍しています。
黒木知宏さんは、プロジェクト『JOHNNY PROJECT』を立ち上げて、自らを育ててくれた「野球」の更なる発展、普及活動に力を入れるため、野球指導を行っています。
また、”心の教育”を重視しているのだそうです。
野球人口が大幅に減少してきていると言われている今、黒木知宏さんも普及に尽力されているようです。
続いては、黒木知宏さんの経歴についてご紹介します。
延岡学園高校に進学し、3年生の頃に甲子園出場を果たしていますが、初戦の2回戦、8月14日第2試合で四日市工(三重県代表)に4-8で敗れています。
高校卒業後は新王子製紙春日井に入社しています。そして、1994年の都市対抗野球では本田技研鈴鹿の補強選手として優勝に貢献しています。
社会人野球での活躍が注目され、1994年に、ドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団しました。
1年目から先発、リリーフとして活躍し、2年目から先発投手に回ります。1997年には初の開幕ローテーションに入りをし、チームトップの12勝を挙げ、エースの小宮山悟と共にチームのダブルエースとして活躍するようになります。
1998年は、オールスターゲームに初出場し、最多勝と最高勝率のタイトルを獲得するなど大活躍を見せました。
1999年は、自己最多の14勝を挙げ、シドニーオリンピックにも出場し活躍しました。
2001年も絶好調が続き、11勝を挙げオールスター前まではリーグトップの勝利数でしたが、オールスター後から、1軍に姿を見せなくなりました。
シドニーオリンピックの頃から肩に違和感があり、検査をしたところ、肩腱板の内側靭帯を数本完全に損傷していたことが発覚したからです。
そこからは治療に専念し、3年をかけて、2004年に一軍へ昇格し、6月に3年ぶりに勝利をあげました。
2005年に右ひじを痛めますが、8月には先発しており、2006年、2007年も勝利はありませんでしたが、1軍で登板しています。
しかし、2007年に戦力外通告を受け、黒木知宏さんは現役続行を表明しました。しかし他球団からのオファーはなく、引退することとなりました。
続いては、黒木知宏さんの成績について見ていこうと思います。
NPBのホームページに、黒木知宏の現役時代の11年間にわたる成績が掲載されています。
1998年に最多勝利を獲得しており、同年には最多勝率も獲得しています。
タイトルを獲得している実力選手ですが、黒木知宏さんは、記録よりも記憶に残る選手として、ファンから絶大なる人気がありました。
また、シーズン中にNPBが発表する、投手部門において、2000年9月と2001年5月の2度、月間MVPを獲得しています。
ジョニーの愛称で親しまれた千葉ロッテマリーンズの元選手・黒木知宏さんについてご紹介してきました。
闘志を全面に押し出すプレースタイルから千葉ロッテマリーンズの”魂のエース”と呼ばれ、大けがからも3年をかけ復帰するなど、不屈の姿も多くのファンの心をつかみ、大変人気のあった選手です。
現在は、解説者として幅広くお仕事をされています。後進の育成にも力を入れていらっしゃるようで、今後、監督としてプロ野球界に復帰されるかもしれませんね。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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