木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
大谷翔平選手は、小学校3年生の時に水沢リトルリーグで野球を始め、全国大会に出場しています。小学校5年生の時に、球速110km/hを記録し、小学生の頃から注目される選手でした。
中学校時代は一関リトルシニアに所属し、ここでも全国大会に出場し、高校は花巻東高校に進学します。2年春には最速151km/hを記録し、2年生夏、3年生春の甲子園に出場しています。
高校卒業後の進路については、NPBだけでなくMLB球団からも注目され、大谷翔平選手はMLBへの挑戦を表明しました。
しかし、ドラフト会議では日本ハムファイターズから1位指名を受け、当初はMLB行きを希望していましたが、何回もの入団交渉の末、日本ハムファイターズに入団しました。
日本ハムファイターズで、二刀流をこなしながら、エースとして活躍していた大谷翔平選手は、2017年11月11日にポスティングシステムを利用してMLBに挑戦することを表明し、12月9日にロサンゼルス・エンゼルスと契約しました。
そして、ロサンゼルス・エンゼルスでも二刀流をこなし、大活躍。ホームラン王争うなど成績も残しています。また、MLBオールスターゲームにも選出されています。
2021年には、二刀流での活躍が評価され、アメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)に史上19人目の満票で選出されるなど、勢いは止まりません。
大谷加代子さんは野球選手の大谷翔平選手の母親で、インタビューなどや取材でメディアにでるようになり、大谷加代子さんの事が話題になり始めました。
メジャーリーグで大活躍し、爽やかで、そして謙虚であるともっぱら評判の大谷翔平選手。
オールスター前日に行われたホームランダービーで獲得した賞金15万ドル(約1650万円)をエンゼルスの球団スタッフに贈ったり、バッターとして一塁に出たときに、グラウンドに落ちているゴミをさりげなく拾い、なぜ拾うのか問われると「人が捨てた幸運を拾っている」と答えたりと、称賛されるエピソードが多数上がってきます。
そんな大谷翔平選手を育てた大谷加代子さんがどんな人なのか、気になる人が多いようです。
大谷加代子さんは、元バドミントン選手で中学3年で全国大会へ出場して準優勝をしています。大谷翔平選手の母親もスポーツの種類は違いますが、全国レベルでプレーしていたようです。
結婚後も趣味として続けており、とにかく体を動かすことが大好きだった大谷翔平選手も、一緒にバドミントンを楽しんでいたようです。
後に詳しくご紹介しますが、父の大谷徹さんも、社会人野球をされていた方なので、大谷翔平選手のご両親ともに元スポーツ選手で、その運動神経を受け継いでいらっしゃるんですね。
大谷加代子さんは身長が170センチあり、50代女性の平均身長が156.1センチですので、背がとても高い事が分かります。
大谷家は家族全員背が高く、大谷選手は193センチで父親も182センチはあると言われています。また、大谷翔平選手の兄弟も高身長で、兄は192センチ、姉は168センチあります。
大谷翔平選手のご両親ともに高身長のため、大谷翔平選手の高身長も納得ですね。
ある時、横浜の街中を大谷翔平選手が姉と従妹2人、計4人で歩いていた時、すれ違う人すれ違う人に注目されたそうです。
それは、大谷翔平選手だとバレたわけでは無く、一緒に歩いていた「いとこ」が192センチ、姉の「結香さん」ともう一人の「いとこ」が168センチで更にヒールをはいていたそうで、とにかく高身長集団で目立ったためだったようです。
続いては、大谷翔平選手の家族についてご紹介していこうと思います。どういった家族構成、どういった家庭環境で大谷翔平選手は育ったのでしょうか。
大谷翔平選手の父の名前は大谷徹さんといいます。
大谷徹さんも野球をやっており、高校卒業後、三菱重工横浜野球部で野球をしていました。6年間プレーし24歳の時に野球を引退しています。
お父さんも野球選手だったんですね。
大谷加代子さんとの出会いも三菱重工で、野球部の壮行会で出会ったそうです。引退した1986年に三菱重工バトミントン部に所属していた妻・大谷加代子さんと結婚しています。
引退後は、三菱重工横浜グループ企業に勤めていましたが、長男・龍太さんが生まれたのち、1991年に自動車ボディーメーカー(のちに統合されてトヨタ自動車東日本)に転職しています。
そして、第2子の長女誕生後の1993年7月に、地元岩手県北上市に隣接する水沢市(現:奥州市)に移り住んでいます。そして、1994年に大谷翔平選手が生まれています。
岩手県でもトヨタ自動車東日本に勤めていましたが、2016年に退職しています。
現在は、大谷翔平選手のサポートと、2014年に立ち上げた「金ケ崎リトルシニア」で監督を務めています。
大谷翔平選手は、野球を始めてから中学校を卒業するまでは、父・徹さんに野球の指導を受けていました。
大谷翔平選手の祖母は大谷ユリさんで現在岩手県に住んでいます。ずっと大谷翔平選手の活躍を応援しており、大谷翔平選手について「ずっと野球しか興味のない子だった。それは今も変わらない」「自分も元気をもらっているファンの一人です」と語っています。
祖父の正幸さんは2020年頃に亡くなっています。
草野球経験者で、大谷翔平選手が幼いころは、キャッチボールもしていたそうです。高校時には甲子園予選の県大会を欠かさず見に行き、プロ入りしてからも札幌ドームやKスタ宮城を訪れて活躍を観戦していたんだそうです。
大谷翔平選手には、兄と姉がいます。
兄は、大谷龍太さんです。龍太さんも野球をしており、2010年に、四国・九州アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の高知ファイティングドッグスに入団し、2012年からはトヨタ自動車東日本硬式野球部に所属しています。
2013年にご結婚されており、お子さんも生まれています。
姉は、大谷結香さんで、バレーボールをずっとされていたそうです。2020年1月にご結婚されて、お子さんがいます。お姉さんの結婚相手が、大谷翔平選手の母校・花巻東高校の野球部部長・流石裕之さんとのことです。
姉の大谷結香さんと流石裕之さんが交際している事は、ごく近しい人たちと花巻東高校の佐々木監督しか知らなかったそうです。結婚式は、東京都内のホテルで開かれ、日本ハムファイターズからは栗山監督が出席していたそうです。
続いては、大谷加代子さんが現在どうされているのかを詳しく見ていこうと思います。
大谷加代子さんは、大谷翔平選手が小学校に入ったタイミングで、パートを始めたそうです。長い間焼肉のチェーン店のパートで働いており、2015年ころにも同じレストランで働いていたようです。
大谷翔平選手がプロ野球選手になったころ、「いつまで働くの」と聞かれたこともあったそうですが、子供には頼らないと考えて、仕事は続けられていたようです。
しかし、大谷翔平選手がメジャーリーグに移籍した2018年ころには辞めたようで、現在は大谷選手のサポートをしているようです。
オフで、日本に帰ってきたときは大谷翔平選手の食事や身の回りの世話をしているそうです。
テレビのインタビューで出演することもあり、背が高くスラッとしていて綺麗な人と言われています。穏やかそうな雰囲気のお母さんです。
大谷翔平選手は、お母さんによく似ていますね。お母さんの美人のDNAを受け継いでいるのでしょう。
小さいころ大谷翔平選手との写真もいくつかネット上にあがっています。この写真は、母の日のゲームで球場のスクリーンに映し出された、ある日の大谷翔平選手と大谷加代子さんの写真です。
小さいころは大谷加代子さんが趣味で続けていたバトミントンの練習に一緒に行っていたそうです。
また、別の年の母の日には、入学式の時と思われる大谷翔平選手と、母・大谷加代子さんのツーショットも公開されました。
親子仲がとても良い事が分かる写真ですが、大谷加代子さんは、大谷翔平選手を叱った記憶はほとんど無いそうで、大谷翔平選手も叱られた記憶はないそうです。
大谷加代子さんのバドミントン仲間の証言では、大谷翔平選手はお母さんのことが大好きだったのだそうです。
続いては、大谷加代子さんのバドミントンの実績について見ていこうと思います。
大谷加代子さんは、小学5年でバドミントンを始めています。両親から暇ならスポーツでもしたら?と言われたことが、バドミントンを始めるきっかけだったそうです。
中学に入学して、バドミントン部に入部し、中学3年生の時には団体メンバーとして、全国大会で準優勝しています。
決勝で敗戦したチームが、熊本県代表の八代市立第三中学校で、1992年バルセロナオリンピック日本代表の陣内貴美子さんが所属していたチームだったのです。
高校はインターハイ常連・神奈川県立立野高等学校に進学してバドミントンを続けました。
立野高校へは越境入学だったため、横浜市旭区の自宅から電車とバスを乗り継いで1時間ほどかかったそうです。
毎朝5時台の始発に乗り、授業の前に1時間ほど朝練をし、放課後も夜7、8時まで練習して、帰宅は9時ごろになり、土日祝日も休みは無い、寝ても覚めてもバドミントン一色の、高校生活だったようです。
高校時代は全国大会での入賞などは無かったようで、インターハイなどに出場はしても1回か2回勝っても、上には行けなかったとインタビューで答えています。
高校を卒業したあとも、バドミントンは続けたいと考えていたそうで、大学進学せず、バドミントンのチームを抱えている三菱重工横浜に就職しました。
三菱重工バトミントン部は、そこまで力が入っていなかったそうで、練習は平日の2日間と土日だけで、平日は夕方、就業時間後に行っていたのだそう。
成績は社会人大会の県予選でベスト4に入るくらいで、全国大会に出られるかどうかというチームだったため、大谷加代子さんは普通のOLと変わらない生活だったそうです。
その後、結婚し、選手を辞められていますが、小学校5年生から始め、実業団選手をされるまでの実力だったことが分かります。
続いては、大谷加代子さんの出身地や旧姓についてご紹介していきます。
大谷加代子さんの旧姓を調べる人が一定数存在するようで、彼女の旧姓は丸山さんとネットでは言われていました。しかし、出どころは確かな情報はありません。
別に、インターハイのトーナメント表が出回っており、陣内貴美子さんが優勝しているその大会に、神奈川県代表で熊沢加代子さんの名前があるため、熊沢が有力ではないかと言われています。
大谷加代子さんの実家は横浜市の旭区鶴ヶ峰で、大谷翔平選手が育った岩手県は父親・徹さんの出身です。
横浜には野球をやるために来ていた大谷徹さんは、「長男だし、ゆくゆくは生まれ故郷の岩手に帰ろう」という思いがあり、大谷加代子さんが説得される形で、岩手に移住したのだそうです。
大谷加代子さんの出身高校は神奈川県立横浜立野高校で、バドミントンでインターハイに常連出場している高校です。
出身中学は横浜市立鶴ヶ峰中学校だろうと言われています。
メジャーリーグで大活躍中の大谷翔平選手の母・大谷佳代子さんについて、ご紹介してきました。
大谷加代子さんは、元バトミントン選手で、中学時代は全国大会で準優勝経験があり、高校時代も国体やインターハイに出場し、実業団選手としてプレーするほどのレベルの選手でした。
大谷翔平選手がプロ野球選手になってからも、パートを続けていたそうですが、現在はパートを辞め、大谷翔平選手のサポートをされているようです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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野球のメジャーリーグ・ロサンゼルス・エンゼルスに所属し、2刀流選手として大活躍中の大谷翔平選手。
2021年には、二刀流での活躍が評価され、アメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)に史上19人目の満票で選出されるなど、勢いは止まりません。
成績もさることながら、ルックスも良く大人気の大谷翔平選手の母親である大谷加代子さんに注目が集まっているようです。
大谷加代子さんについて、詳しくご紹介していきます。