木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
まずは、大川きょう子についてご紹介します。大川きょう子とは一体どういった女性なのでしょうか。彼女が何をしていたのか、見てみましょう。
教団『幸福の科学』の中で、大川きょう子は「総裁補佐」や「副総裁」といった立場で指導にあたっていました。大川きょう子は教団内で要職にあったということです。しかし2008年頃に、全ての役職を退いています。
『幸福の科学』の要職に就くほどの大川きょう子ですが、一体どういった学歴を持っているのでしょうか。次に、大川きょう子の学歴についてお伝えします。
大川きょう子(旧姓・木村恭子)は、秋田県の秋田大学附属中学校(現・秋田大学教育文化学部附属中学校)を卒業しています。同校は国立の中学校であり、現在は秋田大学教育文化学部附属小学校を卒業した生徒と、中学校から受験を経て入学した生徒で構成されています。
なお大川きょう子の小学校・中学校時代の成績はトップだったといいます。
高校については、東京学芸大学附属高等学校の出身です。国立の高校となっていて、2012年には文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクールの指定を受けています。これは、科学技術あるいは理科・数学といった教育を集中して行う高校を指定する、文部科学省の制度です。
こうしたことから、大川きょう子は理数系が強い可能性もあるでしょう。高校時代の大川きょう子は、キリスト教や仏教などを学び宗教面で様々に模索していた模様です。
大川きょう子は、1988年に東京大学文学部英文科を卒業しています。大川きょう子は東大卒のエリートなのです。なお大学在学時には幸福の科学に出会っており、大川隆法総裁の勉強会に参加していました。また西荻窪の事務所においてボランティア活動に参加するなど、宗教活動に取り組んでいたのです。
ここで、大川きょう子の経歴についてお伝えします。大川きょう子は大学を卒業後、どういった経歴を歩んだのでしょうか。
大川きょう子は、大学卒業前の1987年より天上界からの啓示を受けるようになったといいます。この頃には既に、幸福の科学で活動をしていたものと考えられるでしょう。
大川きょう子は前述の通り、大学生の頃から幸福の科学と出会い活動を行っていました。それが縁だったのか、総裁である大川隆法と親密になった模様です。そして、大学を卒業した年の1988年に大川隆法と結婚をしました。
幸福の科学において大川きょう子は、総裁補佐や副総裁、立宗名誉補佐を務めています。「文殊菩薩」や「ナイチンゲール」の生まれ変わりともいわれていました。月刊「幸福の科学」に論文を毎月執筆しており、11冊の著書も出版しています。
また幸福実現党の代表代行を経て、2009年には党首へと就任しました。
大川きょう子は、既に幸福の科学では活動をしていません。2011年2月の時点で、教団を除名処分となっているのです。単なる除名処分ではなく、永久追放となっています。永久追放の理由としては、三宝帰依違反や和合僧破壊の罪といったことが挙げられています。
宗教的な意味での違反等があったとみなされたものと考えられるでしょう。また、虚偽の風説の流布など多数の理由が挙げられているのです。
大川きょう子は、夫であった大川隆法と既に離婚をしています。では、なぜ2人は離婚をしたのでしょうか。次に、大川きょう子と大川隆法の離婚原因について迫ってみたいと思います。
大川きょう子と大川隆法は、2008年より別居状態でした。その後に2年ほど離婚調停を行い、2012年11月に2人の離婚が成立しています。では、その離婚原因は何だったのでしょうか。
大川きょう子は、夫であった大川隆法の女性関係を週刊文春で暴露しています。大川隆法がとある女性秘書を寵愛しており、その女性を『過去世では妻だった』とまで言っていたのです。こうした女性問題は、これ以前にもあったといいます。またそれだけでなく、金銭問題もあった模様です。
また、大川隆法が”一夫多妻制”を唱えたことも一因であったという話もあるでしょう。
大川きょう子には大川隆法との間に5人の子供がいますが、離婚したことで子供たちと会えなくなりました。なお長男は大川宏洋といい、1989年2月24日生まれの33歳です。俳優や映画監督、YouTuberを務めています。
過去には、幸福の科学が母体となる『ニュースター・プロダクション』の代表取締役社長でもありました。長女の大川咲也加は1991年生まれの31歳であり、既婚者です。幸福の科学では幸福の科学副理事長と総裁室長を兼任しています。次男は大川真輝であり、1993年生まれの29歳です。
幸福実現党の幹事長代理を務めていましたが、2018年からは幸福の科学の役員へと復帰しています。三男の大川裕太は1995年生まれの27歳です。『現代ドイツ政治概論』などの本を出版しています。末っ子である次女の大川愛理沙については、あまり情報がありません。
大川隆法が支払った、大川きょう子への慰謝料は3億円だったとされます。3億円の巨額を、大川きょう子は手にした可能性があります。
大川きょう子との離婚から1か月後、大川隆法は再婚をしています。相手は、当時日本銀行に勤務していた27歳の近藤紫央です。大川隆法より28歳年下となるでしょう。彼女は幸福の科学に2009年に入信し、宗務本部第1秘書局長や専務理事等を歴任しました。そして現在、大川紫央として総裁補佐に就任しています。
では、大川きょう子はその後に再婚をしているのでしょうか。大川きょう子が再婚をしたのかどうかは、不明です。情報がないので分からないのです。
大川きょう子は現在どうしているのでしょうか。最後に、大川きょう子の現在について探ってみたいと思います。
インターネットの情報では、現在の大川きょう子は旧姓の木村恭子に戻っているともいわれています。しかし2018年には、まだ大川きょう子と名乗り活動しているとの話もあるのです。あるブログには、『大川きょう子ってもう名乗るのやめてもらえますか?』との記事があります。
大川きょう子は1965年8月22日生まれであり、2022年7月時点で56歳です。2022年8月22日には57歳になります。大川隆法との離婚からも10年ほどが経過しているので、離婚時の大川きょう子は47歳程度であったことが分かるでしょう。
大川きょう子の現在の動向は、不明となっています。大川きょう子に関する現在の情報があまりないのです。さほど表立った活動はしていない模様であり、どこかで静かに暮らしているのかもしれません。
大川隆法の元妻である大川きょう子が、今どうしているのかは分かっていません。離婚後には『公益財団法人みちのく衛生の会』を立ち上げたとの話もありますが、2015年には解散となっているでしょう。大川きょう子は東京大学卒業という頭脳を持っており、在学時から幸福の科学に入信していた模様です。
そこで大川隆法と出会い、大学卒業後に結婚をしました。しかし大川隆法の女性問題などを暴露し2012年に離婚となっています。また2011年には、幸福の科学自体も永久追放となっています。現在の動向が分からない大川きょう子ですが、どこかで元気に過ごしていることを願うばかりです。
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大川きょう子は、1988年3月に『幸福の科学』創設者である大川隆法と結婚しました。そして、大川隆法との間に5人の子供をもうけています。なお後述しますが、大川隆法とは既に離婚をしています。