木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
今中慎二さんは、現役時代には中日ドラゴンズでエースとして活躍したサウスポーです。最多勝や沢村賞を獲得した大エースであり、90年代の日本プロ野球界を代表する左ピッチャーでした。
今中さんは2002年に、著書『悔いは、あります。』を出版しています。印象的なタイトルですが、その言葉のとおり、彼がプロとして活躍した期間はあまり長くはありません。プロ入りは1989年ですが、1997年頃からはけがとの闘いになり、2001年のオフに現役を引退しています。
今中慎二さんはムチのようにしなる投球フォームから、150km近いストレートと100km前後のカーブ、さらに70~80kmのスローカーブを武器にしていました。特にスローカーブは今中さんの代名詞でした。スピードとキレのある直球に、50km以上遅いスローカーブを織り交ぜ、相手の打者を翻弄しました。しかもこのスローカーブは、ストレートの時とほぼ同じフォームから投げられ、コントロールも良かったと言われています。
次に、今中慎二さんの引退理由について見ていきます。若くして引退してしまった今中さんですが、それにはケガが関係していたようです。最後には、気力が限界に達していたようです。
今中さんは、「気力が限界に達した」を理由として、2001年、30歳の時に引退しています。このコメントからは、様々なことと闘ってきたプロの厳しさを感じます。
今中さんは1997年のキャンプ前に左肩を故障していました。それに伴い、二軍でのリハビリ生活が長くなっていました。時には、一軍で登板して勝利を挙げることもありましたが、やはりケガの影響は大きかったようです。
2000年は一度も一軍経験がなく、リハビリを続けていました。投手コーチは中継ぎ投手としての再生を考え、他球団からの獲得の打診があったようですが、本人の決意は固かったようです。やはり、「気力の限界」は大きかったようです。
この項では、今中さんの現在について見ていきます。彼は現在、野球解説者として活動しているようです。どのような番組で、どのような解説をしているのでしょうか。
今中さんは、2014年からはNHKの野球解説者になっています。彼の解説は、古巣である中日のひいきをすることがあるものの、的確な解説だと好評です。若干ネガティブな発言もありますが、それも元トッププロとしての厳しさのあらわれでしょう。
今中さんは、総合テレビの東海ローカルの中日主管試合や、BSのメジャーリーグ中継に出演しています。また、名古屋の民放局でもゲスト解説を行っているほか、中日スポーツ野球評論家も務めています。やはり、古巣中日や名古屋との結び付きが強いようですね。
次に、今中さんの経歴を見ていきます。大阪桐蔭高校で頭角を現した彼は、中日ドラゴンズへ入団します。引退後は、解説者やコーチとして活動しています。
今中さんは、大阪産大高校大東校舎(3年生の頃に大阪桐蔭高校として独立)で頭角を現しました。高校時代は甲子園に出場することはありませんでしたが、プロのスカウトから注目を集める存在になります。
今中さんは、1998年のドラフト会議で中日ドラゴンズに一位指名され、入団しました。ルーキーながら、1989年5月26日に一軍初登板を果たし、9月にはプロ初勝利を飾っています。その後は先発ローテーション入りを果たし、エースへと成長していきます。
その後、2001年のオフに現役を引退しています。2002年のオープン戦で、今中さんの引退セレモニーが行われました。中日の選手の引退セレモニーが開かれるのは稀であり、彼がファンから愛された選手であったことが分かります。
NHKの解説者などになった後、2012年から中日ドラゴンズの二軍投手コーチになり、その後、一軍投手コーチにも就任しました。指導者としても、現場に戻って活動していることが分かります。
この項では、今中さんの現役時代の成績について見ていきます。1996年までエースとして活躍した彼の個人成績を、ネットで確認することができます。中でも、1993年は、パフォーマンスが突出して優れていたようです。
今中さんは、1990年から1996年までの7年間、先発ローテーションとして活躍しました。その中でも、1991年から1996年までは中日ドラゴンズのエースとしてプレーしました。トップレベルで活躍できたのは短い期間でしたが、記録にも記憶にも残る活躍をしました。
NPBのホームページに今中慎二さんの投手成績と打撃成績が掲載されています。これを参照すると、全盛期の彼はエースとして申し分の無い成績を残していた事が分かります。今なお、これらのデータを閲覧して、当時を思い返すファンがいることでしょう。
通算投手成績
登板:233試合 91勝69敗5セーブ 勝率.569 防御率3.15
通算打撃成績
456打数 59安打 打点14点 打率.129
最多勝利、沢村賞、ベストナインなどの個人タイトルや表彰は、すべて1993年に獲得しています。この年は、キャリアの中でも成績が特に抜きんでていたのが分かります。この時、今中さんは22歳であり、若くしてピークを迎えた、彼のキャリアの特徴を表しています。
次に、今中さんの家族について見ていきます。彼は社長令嬢と結婚しており、息子がいるようです。結婚相手がどのような人かも確認します。
今中さんは、左肩の怪我に苦しんでいた1997年12月6日に挙式しています。鈴木宗男氏が晩酌人を務めました。お相手とは当時の監督だった星野仙一さんの紹介で知り合い、結婚に至ったようです。
そのお相手は、ムッタ―ハムの社長令嬢でした。ムッターハムはナゴヤドームのスポンサーでしたが、現在は倒産しています。今中慎二さん自身とお相手一家、双方にメリットのある結婚だったようですね。
今中さんの子供に関する詳しい情報は分かっていないものの、息子がいるようです。彼の引退セレモニーの時に、息子さんが花束を渡しています。今中さんの家族については、あまり詳しい情報は無く、これ以上の事は分かっていません。
今中さんは、解説者として活動する一方で、「株式会社エスプロジェクト」を立ち上げています。スポーツ事業に関係する仕事を手がけており、介護施設のイベントや他の企業への訪問など、様々な活動をしているようです。2017年には鹿児島でも活動の幅を広げたいと、志学館大学を訪問しています。
ファンとしては、コーチや監督など、現場での今中さんを見たいという気持ちが強いかもしれません。しかし、解説者だけでなく、経営者としての活動を続けているので、当分はユニフォーム姿は見られないかもしれません。しかし、プロチームという現場以外の場所で活動する彼を応援すべきではないでしょうか。今中さんにとっては、現場の仕事以上に、今の仕事が魅力的なのかもしれませんね。
中日ドラゴンズのエースとして活躍した、今中慎二さんについて解説してきました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。短い現役生活を駆け抜け、現在は解説者として活動する今中慎二さん。彼の野球人としての活動はまだまだ続きます。現役時代を知るファンに対して、解説者として、指導者としての活躍を見せてくれるでしょう。今後の彼の活動を見逃さないようにしましょう。
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