木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
落合信子は落合博満の妻というだけでなく、メディアに露出する機会がありました。それは、落合信子の特異なキャラクターが買われてのことでした。そして、タレントとして活動をするようになります。テレビ番組に、ゲストとして1人で出演もしていました。
1999年から2001年にかけ、浅香光代と野村沙知代の批判合戦がテレビのワイドショーを賑わせました。これをミッチー・サッチー騒動といいます。落合信子は、この頃にテレビ番組への露出が増加しました。ミッチー・サッチー騒動が長引くにつれ、段々と関連の主要人物として露出するようになったのです。
なお当時の落合信子は浅香光代寄りだったといい、野村沙知代を批判する側でした。そして、正論を述べる役割を持っていたとされています。
落合博満の妻として知られる落合信子ですが、どういった経歴を歩んできたのでしょうか。続いては、落合信子の経歴について迫ってみたいと思います。
長野県出身の落合信子は、長野県飯田市の飯田女子高等学校を卒業しました。そして19歳だった1962年に上京しています。
上京後には、貴金属の販売員をしていた時期もあるといいます。落合信子のトークスキルは、こうした仕事でも磨かれたのかもしれません。
落合信子は、落合博満との結婚前にホステスをしていました。当時から美人であったとされています。また接客業をしていく中でも、人心掌握術を身につけていった可能性もあります。
ホステスをしていた落合信子は、その後にスナックの経営に乗り出します。自身で店を持ったのです。ホステスからスナックの経営者となっていることもあり、自立心のある女性であることもうかがえるでしょう。
ここで、落合信子と落合博満の馴れ初めについて迫ってみたいと思います。2人はどの様にして出会い結婚をしたのでしょうか。
1979年頃に、落合信子は当時ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の選手だった落合博満と知り合いました。落合博満は当時26歳でしたが、落合信子は35歳でした。2人は、喫茶店で共通の知人を通じて知り合ったとされています。
出会ってからの2人は直ぐに付き合い始めたわけでもありませんでした。実は、落合博満は1980年に結婚をしたのです。相手の女性はシーズンオフにキャンプ地の鹿児島で知り合った女性だったといいますが、1年後には離婚をしています。
その後、落合信子は落合博満と付き合うようになりました。彼は落合信子に3回プロポーズしているといいます。落合信子は『(落合博満と結婚すると)苦労しそう』ということで2回、プロポーズを断ったのです。しかし3回目で、落合博満の熱意が通じたのかようやくOKしたのでした。
落合信子と落合博満は、1984年に晴れて結婚をしました。出会ってから6年ほど後のことでした。落合博満は再婚となりましたが、落合信子は初婚です。
落合博満をスター選手へと押し上げたのは、落合信子の助力もあったといいます。そして彼女は、数々の名言も残しています。では、その名言にはどういったものがあるのでしょうか。
落合博満がまだロッテの一軍半(一軍昇格と二軍落ちを繰り返している)だった頃に、落合信子は「才能のあるアンタが何で年俸360万円なの? 私よりも稼ぎが少ないじゃない!」と言ったといいます。また落合博満が「三冠王になりたい」と言ったところ、「歯を治しなさい」と言いました。
そして落合信子は、数百万円という歯の治療代を出したのです。その後落合博満は、年俸を100倍にするという活躍を見せました。
落合博満は、ロッテ時代に既婚であったもののソープ通いをしていました。落合信子は、そんな落合博満を問い詰めました。すると落合博満は「ソープランドが浮気かよ!」と反論したといいます。そこで落合信子は、夫の持っていた男性誌を読んで独学で勉強しました。
そして「ソープランドごっこをしよう」と提案し、準備の様子を見せたのです。それを機に、落合博満のソープ通いは止まったのでした。
1983年には、一度三冠王を達成した落合博満に対して、「悔しいのなら三冠王をもう一度獲れ」と発破をかけました。すると、落合博満は1985年に2度目となる三冠王を獲得したのです。しかし落合信子はそれだけでは満足せず、「世界の王(貞治)を抜いてみなさいよ」と気合を入れ直したのでした。
そして、1986年にも前人未到である3度目の三冠王を獲得しています。これには、食事メニューも増やすなどの落合信子のサポートもありました。落合博満が3度も三冠王に輝いたことは、正に落合信子の内助の功があってこそだったのかもしれません。
落合信子は、最近はメディアにはあまり登場しないように見受けられます。では、彼女は現在どうしているのでしょうか。次に、落合信子の現在について迫ってみたいと思います。
落合信子は1944年7月18日生まれであり、現在は77歳です。既に喜寿(きじゅ)を迎えているのです。2022年7月18には、78歳となるでしょう。
落合博満とは1984年に結婚をしたので、結婚をしてから38年が経過しています。現在も、夫婦仲良く暮らしているものと考えられるでしょう。
落合信子と落合博満は、2020年(2月4日放送)に『徹子の部屋』に夫婦で出演しました。夫婦揃っての出演は、15年振りだといいます。孫(長男・福嗣の子供)の面倒を見ている写真なども公開されたでしょう。
長男の落合福嗣が声優となったことから、落合信子はYouTubeを良く見るようになったといいます。落合福嗣に関する動画を視聴しているのかもしれません。また夫の落合博満も、2022年4月からYouTubeチャンネル『落合博満のオレ流チャンネル』を開設しています。
動画では、落合信子とのデート秘話についても語っているでしょう。
有名人は、メディアに登場しなくなると死亡説が出ることがあるものです。では、落合信子の場合はどうなのでしょうか。最後に、落合信子が亡くなったという噂について迫ってみたいと思います。
落合信子が亡くなったという噂がある模様です。しかし、前述の通りに現在は77歳となっており健在です。落合信子はまだ死去していません。では、なぜこの様な噂が出たのでしょうか。
かつて浅香光代と野村沙知代のバトルの際に、落合信子のテレビ露出が増加したことがありました。その騒動の当事者であった、野村沙知代が2017年に亡くなっています。野村沙知代と勘違いしたことで、落合信子が亡くなったという噂に繋がった可能性もあるでしょう。
落合博満の妻である落合信子は、若い頃ホステスをしていました。2人は、1979年に共通の知人を通じて喫茶店で知り合ったとされます。そして、数々の名言を残している点も特徴です。落合信子は、夫・落合博満を3度の三冠王に導くなど”あげまん”であるとも考えられるでしょう。
現在の落合信子は77歳となっており、喜寿を迎えました。2020年には夫と共に『徹子の部屋』にも出演しています。また孫の世話にも奮闘している様子ですが、これからも変わらず夫と共に元気に過ごしていって欲しいものです。
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