記事ID135410のサムネイル画像

【闘将】星野仙一さんの野球人生、経歴についてまとめました。

2018年1月4日に惜しくも亡くなられた星野仙一さん。その経歴についてまとめました。「闘魂」「闘将」の相性でも親しまれた星野仙一さんはプロ野球界で多くの伝説を作ってきました。選手としての経歴はもちろんのこと、監督としての経歴もまとめました。

【闘将】星野仙一とは

2013年に楽天を日本一に導いた星野仙一さん

2013年に楽天を日本一に導き胴上げされている当時の監督の星野仙一さん。
楽天を初優勝に導き、自身も監督として初めての優勝を果たしました。

星野仙一さんの経歴を簡単ではありますがご紹介致します。
星野 仙一は1947年1月22日生まれの、日本のプロ野球選手・監督、野球解説者です。
岡山県児島郡福田町(現・倉敷市)出身で選手時代のポジションは投手を務めていました。

通算成績:500登板 146勝121敗34S 敗防御率3.60 奪三振1225
タイトル:最多セーブ投手:1回 (1974年)、最高勝率:1回 (1975年)

監督としては2011年から2014年まで東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務め見事楽天を初の日本一に導きました。

野球界の「闘将」こと星野仙一さんが2018年1月4日に70歳にしてすい臓で亡くなりました。
多くの球界関係者、ファンが早すぎる死に惜しんでます。

そんな「闘将」星野仙一さんについての経歴をまとめてみました。

【星野仙一さん経歴】

現役時代の星野仙一さん

「現役時代の成績・経歴」
1968年のプロ野球ドラフト会議で、水原茂が監督就任したばかりの中日ドラゴンズから1位指名を受け入団しました。
通算成績は500登板 146勝121敗34S 敗防御率3.60 奪三振1225

「闘将」の相性で親しまれた星野仙一さん野球に対する情熱は誰よりも熱かったといっても過言ではありません。
「打倒巨人!!」をもっとうに全力で野球に打ち込んできました。
そんな「熱い男」星野仙一さんの経歴について詳しくご紹介致します。

【プロ入りまでの経歴】「高校生時代の経歴」

楽天監督時代の星野仙一さん

《選手経歴》
岡山県立倉敷商業高等学校
明治大学
中日ドラゴンズ (1969-1982)
現役時代は中日一筋の選手でした。

【高校生時代の経歴】
中学時代から実力を高く評価されていた星野仙一さんは高校進学の際、岡山東商とともに2強と呼ばれていた岡山県立倉敷工業高等学校への進学を当初希望していました。
しかし、当時はまだ数回しか甲子園に出場していなかった岡山県立倉敷商業高等学校の野球部部長の角田有三さんから「君の力で、倉商を甲子園に連れていってくれ」と熱心に勧誘を受け岡山県立倉敷商業高等学校に進学しました。
しかし、甲子園を目指して最後の夏に1964年東中国大会決勝まで進んだが米子南高校に敗れ、甲子園出場は叶わないませんでした。

【プロ入りまでの経歴】「大学生時代の経歴」

大学は明治大学へ

明治大学へ進学した星野仙一さん。同級生にはお笑い芸人のビートたけしさんがいます。

「大学生時代の経歴」
星野仙一さんは高校卒業後は明治大学政治経済学部経済学科に進学しました。
大学は早稲田大学か関西大学と決めていたそうですが、倉敷商の矢吹怗一監督から「おれの母校の明大に行け」と命じられて明治大学に進学しました。
1年生から一軍メンバーとして活躍し、東京六大学リーグで通算63試合に登板し23勝24敗、防御率1.91という成績を残しています。
2年生秋には対立教大学戦でノーヒットノーランを記録しました。しかし、田淵幸一・山本浩司・富田勝の率いる法政大学や、谷沢健一、荒川尭らを擁する早稲田大学に阻まれ、一度もリーグ優勝は出来ませんでした。

高校時代、大学時代ともに優勝という夢は叶わず舞台はプロ野球の世界へと変わります。

【プロ野球での経歴】「現役での経歴」

現役時代も吠えている星野仙一さん

「現役での経歴」
1968年のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから1位指名を受け入団しました。
少年時代から阪神タイガース投手の村山実に憧れており、村山と同じ背番号11を着けたかったが空いていなかったため、代わりに数字を倍にした22番をつけていました。
入団3年目の1971年に中日のエースナンバーである20へ変更しました。

《現役時代の主な経歴》
【タイトル】
最多セーブ投手:1回 (1974年)
最高勝率:1回 (1975年)
【表彰】
沢村賞:1回 (1974年)
月間MVP:2回 (1975年9月、1977年8月)
正力松太郎賞:2回 (2003年、2013年)
パ・リーグ最優秀監督賞 (2013年)
報知プロスポーツ大賞特別功労賞 (2003年)

と輝かしい現役時代を過ごしてきました。そこには「打倒巨人!!」という強い想いで血の滲むような努力をしてきたのだと思います。

通算成績は【146勝121敗34S 敗防御率3.60】です。

【プロ野球での経歴】「監督での経歴」

闘志剥き出しの監督星野仙一。

「監督での経歴」
1986年シーズンオフに同年途中で休養した山内一弘の後任として、中日の監督に就任しました(背番号は77)。
NPB史上初の戦後生まれの監督となったことで当時は話題となりました。
監督一年目1987年は当時2年連続5位の中日ドラゴンズを2位にまで成長させました。
その後、阪神、楽天の監督を務めリーグ優勝も日本一も達成した名監督となりました。
《監督経歴》
1987~1991年 中日ドラゴンズ監督就任(1988年リーグ優勝)
1996~2001年 同上(1999年リーグ優勝)
2002~2003年 阪神タイガース監督就任(2003年、18年ぶりのリーグ優勝)
2007~2008年 野球日本代表監督就任、北京オリンピックに出場するが4位に終わる。
2011~2014年 東北楽天ゴールデンイーグルス監督就任
(2013年、球団初、自身初となる日本一となる。)

監督退任後は、株式会社楽天野球団シニアアドバイザーに就任され、2015年からは
同球団の取締役副会長に着任しました。

【星野仙一さんの野球人生】《まとめ》

闘魂「星野仙一さん」

野球界を盛り上げてくださりありがとうございました。

星野仙一さんは選手としても監督としても結果も出し、愛されてきた大スターです。
多くの教え子を持ち、一流選手へと育ててきました。
球界はもちろん、ファンからも愛された記憶に残る方でした。
星野仙一さんといえば「闘志」「闘魂」これが若い世代へと受け継いでいって欲しいです。

心よりご冥福をお祈りします。

TOPへ