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2023/12/28
大今里
佐々木恭子さんは、1996年に、アナウンサーとしてフジテレビに入社しました。
入社翌年の1997年から1998年まで、政治家や専門家をスタジオに招いて、最近の政治・経済・事件やニュース発信をテーマに討論を繰り広げる政治討論番組『報道2001』の第5代女性総合司会を務めました。
また、フジテレビの朝の情報番組『情報プレゼンター とくダネ!』で、番組開始の1999年4月1日 - 2009年3月27日まで、 サブ司会を務め、長らくフジテレビの朝の顔として活躍しました。
しかし、『とくダネ!』がスタートし、佐々木恭子さんに振られた役割はCMのフリしかなく、殺人事件、虐待、介護、と扱うニュースが広く、人生経験が浅い当時、26歳の佐々木恭子さんは最初の2年間ほど、何をして良いのか分からず、辛かったんだそうです。
打開するために、少しでも得意な分野を作るしかないと考え、得意な分野を増やしていったそうです。
2008年には、FNS加盟各局のアナウンサーから、優秀なアナウンサーを表彰する、第24回FNSアナウンス大賞を受賞しました。
これは、FNSチャリティキャンペーンにおいてパプアニューギニアのHIVに感染した子供への取材が評価されてのものでした。
佐々木恭子さんは、受賞の際、『「泥臭い取材がしたい、現実を見て、聞いて、感じて、それを伝えたい」、それが入社以来、変わらぬ私の目標でした。』と述べました。
佐々木恭子さんは、2021年7月1日付けで、アナウンス室部長に就任しました。
佐々木恭子さんは、就任直後のインタビューで、毎分のように『判断して下さい』『確認して下さい』というメールが届き、その対応をすることに悪戦苦闘しているとし、責任重大であり、アナウンス室全体の方針に関わる職務であるため、最近は眠れていないとも明かしていました。
続いては、佐々木恭子さんの生い立ちについて見ていこうと思います。
佐々木恭子さんは、兵庫県の南東部にある西宮市の出身です。
阪神タイガースの本拠地で、春夏の高校野球全国大会が開催される阪神甲子園球場や、毎年、十日戎で「福男選び」の神事を行うことでも有名な西宮神社などがある街です。
市街地からは大阪・神戸の両都心へ電車で15分程度と交通の便も良く、兵庫県第三位の都市です。
中学生時代には、裁判官になろうと考えていたそうです。
きっかけは、中学生の頃にできた友達の中に、父親が裁判官をしている友達が4人もいたのだそうです。
そして、その友人から「父は野球が好きだけど、家族の前でも、どこのチームが好きかを明らかにしない。判決に私情を挟んではいけないので、個人の好き嫌いは、周囲に絶対に知られないようにして生きている」と聞き、「プロってすごい! カッコ良すぎる!」と憧れたのだそうです。
高校を卒業後に、父親の仕事の都合で東京に移り住んでいます。
佐々木恭子さんが、大学3年生だった1995年1月17日に兵庫県南部地震により発生した災害『阪神淡路大震災』が起こります。
明け方に起きたこの地震での犠牲者は6,434人にも達しました。テレビに映し出された、阪神高速道路3号神戸線の倒壊、家屋の倒壊に誰もが息をのみました。
佐々木恭子さんの兵庫県西宮市の実家も、全壊しています。しかし、家族は皆無事であったそうです。
大学卒業後には大学院進学あるいは学者になることを目指していた佐々木恭子さんでしたが、震災の報道をきっかけにアナウンサーに興味を持ったそうです。
生まれ育った町が、信じられないような壊滅状態になっている様子をテレビを通して見ていた佐々木恭子さんは、「アナウンサーにも、コメントに説得力がある人と、そうでない人がいる」と気づいたそうです。
そして、短いコメントの中に、人生経験や人間性が滲み出ており、発言の中に人生経験を滲ませることができるアナウンサーになってみたいと考え、アナウンサー試験を受けることを決めたそうです。
アナウンサー学校などには一切通っていなかった佐々木恭子さんでしたが、見事、フジテレビにアナウンサーとして採用されました。
続いては、佐々木恭子さんの学歴について見ていこうと思います。
佐々木恭子さんは、国立・神戸大学教育学部付属住吉小学校を卒業後に、神戸大学教育学部付属住吉中学校に入学し、卒業しています。
両校は神戸大学の附属学校再編計画に伴い、現在閉校しています。
高校は、兵庫県立鳴尾高校に進学しました。
卒業生は、国立大学には10名前後、関関同立には100名程度、毎年進学しているようです。同校からの東大進学者はこれまでに計6名とされており、そのうちの1人が佐々木恭子さんとなります。
1年の浪人生活を経て、東京大学文科三類に入学しました。大学では、ホリエモンこと、堀江貴文と同じゼミに在籍していたのだそうです。
佐々木恭子さんは、浪人してまで東京大学に入ったものの、やりたいことが決まっておらず、何をやっても楽しくなかったのだそうです。
続いては、佐々木恭子さんの入社同期について見ていこうと思います。
同期の一人、竹下陽平さんは、現在、アナウンス室主任であり、スポーツアナウンサーとして活躍しています。
F1グランプリや格闘技等の中継、また過去にはオリンピックの実況アナウンサーも担当していました。
もう一人の同期は、藤村さおりさんです。
2021年7月1日からは、アナウンス室から報道局FNNプロデュース部に異動しており、部長職を務めています。
1997年にフジテレビは、河田町社屋からお台場へ移転しています。佐々木恭子さんらは、河田町社屋最後の入社アナウンサー世代となりました。
佐々木恭子さんが、番組出演中に体調不良に陥ったことがあり、病気ではないかと噂になったことがあったようです。詳細を見ていこうと思います。
佐々木恭子さんはフジテレビの朝の情報番組「とくダネ!」に番組のスタート時、入社4年目の26歳からレギュラーを務め、約10年間出演していました。
その『とくダネ!』の生放送で、嘔吐をしたことがありました。
番組で嘔吐したことが、話題となり、週刊誌が「とくダネ!」メインMC・小倉智昭さんからのいじめで、心労となり吐いたのだと記事にしました。
嘔吐の原因は、実際には前日にお酒を飲み過ぎたことであったことを、2021年1月に出演したフジテレビ「ワイドナショー」で、明かしていました。
それ以外には、佐々木恭子さんが病気だという話は聞かれなかったため、この嘔吐した件が、佐々木恭子さんが病気だと噂された原因だったようです。
小倉智昭さんとの確執がささやかれていましたが、小倉智昭さんは、22年の歴史に幕を下ろした『とくダネ!』の思い出をトーク番組『ボクらの時代』で振り返り、「機転が利くし、物事を分かってるから安心して任せられる。横にいたのは心強かったよね」と佐々木恭子さんについて語っており、確執を否定する形でした。
続いては、佐々木恭子さんの離婚歴について見ていこうと思います。
佐々木恭子さんは、2004年に、東京大学フランス科の先輩であるTBSの報道記者・池田裕行さんと都内に8,000万円以上する新築の高級マンションを共同で購入したことが『FLASH』で報じられました。
佐々木恭子さんは2005年5月15日に、池田裕行さんと結婚しました。
学生時代は、知り合いでは無く、2002年頃、社会人になってから知り合ったそうです。同じ大学、同じ学部出身という事もあり、意気投合したそうです。
佐々木恭子さんは、結婚を発表した際、「こんなに分かり合えたり、人はいない」と語っていました。
池田裕行さんは、1987年4月、一般職として採用されてTBSに入社し、報道記者として、首都圏ローカルのニュース番組や、JNN系列のニュース番組などを多く担当しました。
また、ニュース・報道系アナウンサーとしてキャスターなどを担当していた時期もあり、仕事面でも分かり合える点が多かったのかもしれませんね。
池田裕行さんは再婚でした。
高級マンションを購入し、結婚生活を送ると思われていましたが、9か月後には離婚しました。
離婚理由としては、すれ違いの生活が原因であると言われています。朝の番組を担当していた佐々木恭子さんと夜の番組を担当していた池田裕行さんでは生活リズムが違いすぎたのだそうです。
また、婚約中に、佐々木恭子さんが外資系企業に勤める男性とも交際していたことが、スクープされ発覚しています。
このスクープを乗り越え結婚したと思われていましたが、離婚の原因の一つとなったのかもしれません。
続いては、佐々木恭子さんの再婚について見ていこうと思います。
佐々木恭子さんは、2008年10月23日に再婚することと、妊娠3か月であることを『とくダネ!』生放送中に発表しました。
この、授かり婚については、新聞報道のあった当日の朝、打ち合わせで初めて小倉智昭さんは、知らされ、憤慨していたとの噂もあります。
相手は1歳年下であり、ライブドア証券の社員だった男性です。共通の友人を通じて知り合いました。見た目はDEENの池森秀一さんに似ているとのことです。
交際は2008年4月から始まり、交際期間4か月での授かり婚でした。
佐々木恭子さんは、仕事が楽しくて仕方が無かった時期だったそうですが、「もしかしたら、もう子供を産まないまま仕事一筋で生きていくのかも」という焦りににも似た気持ちがあったそうです。
交際前に「結婚前提ではないお付き合いをする時間が全くありません。結婚するか、付き合わないかのどっちかです」と旦那さんに話したそうです。
そこから始まった交際だったので、妊娠、結婚まで早かったのかもしれませんね。
2008年11月11日に入籍し、2009年1月17日に挙式しています。
挙式は親族のみで行い、披露宴にはフジテレビアナウンサー勢やレギュラー出演する「とくダネ!」関係者ら約150人が出席しました。
披露宴の司会を同期の竹下陽平さん、藤村さおりさんが務め、「とくダネ!」の小倉智昭が来賓であいさつをしたそうです。
そして、3月27日に産休に入るために佐々木恭子さんは長らく出演していた『とくダネ!』を降板しました。
続いては、佐々木恭子さんの子供さんについて、詳しく見ていこうと思います。
2009年5月12日に、第一子となる長男が誕生しました。
出産後、佐々木恭子さんは「出産を終えて今はスッキリとした気持ちに満たされています。そして赤ちゃんの生命力を目の当たりにしあらためて感動しました」とコメントを発表しました。
そして、育休を経て、2010年3月29日から職場復帰しています。
2012年6月2日からは、第二子出産に備えて産休に入っています。7月30日に女児が誕生し、「たくさんの感謝を胸に、家族4人、仲良く、たくましく過ごしていければと思っております」とコメントを発表しました。
育休を経て、2013年4月1日から職場復帰しました。
佐々木恭子さんは、いつかは子どもに、1度離婚している事を知られることを覚悟していたそうです。
コロナ渦で、8歳の娘が『ママって1回離婚してるの?』って聞いてきたそうです。そこで、「ママも人生で失敗から学んだからパパと出会い、幸せなんだ」と答えると、娘は気にせず「ママこういう人と結婚してたんだー」とネット情報で相手を調べていたそうです。
娘にバレたために、長男にも離婚歴を伝えると、「そうなんだー、それを聞いたからって、ぼくからすると『で』って感じかな」という返答だったそうです。
フジテレビのアナウンサーの佐々木恭子さんについてご紹介してきました。
『とくダネ!』などに出演してきた彼女ですが、東大を卒業し、フジテレビアナウンサーとなり、離婚を一度経験し、再婚で子供2人に恵まれています。
仕事をつづけながら、二人の子供を育てている佐々木恭子さんは、仕事も子育ても全力で取り組んでいらっしゃるようです。
アナウンス室部長に就任し、今までの仕事の仕方が変わってきて、大変な事も多いようですが、佐々木恭子さんであれば、ますます活躍されることでしょう。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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