木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
それではまず、犯人の寺内樺風の生い立ちや家庭環境、家族について詳しく見ていこうと思います。
寺内樺風は、1993年に大阪で生まれています。
父、母、妹の4人家族で育ち、名門と言われている大阪教育大学附属池田中学、高校を卒業しています。
寺内樺風と子供が同級生だったという女性の証言では、小学生だったころは、背も低くてとにかく暗い印象だったそうです。普段は何かを聞かれたら答える感じで、あまり自らは話をしない子供だったそうです。ただ、クラスのいちばん大人しい女の子が集まるグループだけには積極的に話しかけてたのだそう。
寺内樺風の父親は、「インターホン」や「監視カメラ」などの防犯グッズをネットで販売する会社を経営していました。
事件後に販売サイトで謝罪文を掲載したため、寺内樺風の父親であることが広く知れ渡る事となりました。
祖父は大学教授だったという話があります。
寺内樺風は、中学は大阪教育大学附属池田中学校に進学しています。偏差値65の国立中学校です。そして、そのまま、偏差値72の大阪教育大学附属高等学校池田校舎に進学し、卒業しています。
裕福な家庭で育ち、成績も優秀だったことがよく分かります。
続いては、「朝霞少女監禁事件」の概要について詳しく見ていこうと思います。
2016年3月に2年間行方不明になっていた中学2年の女子が東京の中野で保護されたことから事件が発覚しました。その少女は、2014年3月に行方不明となっていた少女だったのです。
2014年3月10日に朝霞市立朝霞第三中学校に通う当時13歳の中学1年生の少女が、帰宅予定時刻になっても帰宅せず、行方不明になりました。自宅には「家も学校もちょっと休みたい。探さないでください」というメモが残っていたそうです。
その10日後、「元気で過ごしています。迷惑かけてごめんなさい」などといった内容が書かれた手紙が届きますが、それ以降足取りが全くつかめず、行方不明のままになっていました。
寺内樺風は、「(少女の)両親が離婚することになった。弁護士から話がある」と話しかけ、嫌がる少女を車に乗せたそうです。その後は、「両親が離婚するという話は嘘だ」と明かし、「本当はあなたの家庭に借金があり、あなたの臓器を売ってお金をつくろうと両親は考えている」と少女に作り話を吹き込みます。
4月に一度少女は、鍵がかかっていない際に、逃走を試みています。そして、子供連れの女性に「ちょっといいですか? 聞きたいことがあるのですが」と話しかけますが、「忙しいから」と断られてしまいます。
公衆電話を探しましたが見つからず、次は年配の女性に「ちょっといいですか」と声をかけますが、再び「無理です」と断られてしまったそうです。
この時、寺内樺風が少女に吹き込んでいた通り、誰にも助けてもらえない状況だと少女は思い込み、再び寺内樺風の部屋に自ら戻ったそうです。
そして、長い監禁生活が始まります。時が経つにつれて逃げるそぶりを見せなくなっていた少女に対し、ネットで動画などを見ることを徐々に許可するようになっていました。
そこで両親が少女を探す動画を見つけて、少女は逃げ出すことを決意し、寺内樺風の部屋から逃げ出し、両親に助けの電話をかけ、無事に警察に保護されたのです。
寺内樺風は少女が保護されたニュースを見て逃走をはかりました。未成年者誘拐容疑で逮捕状が出ていた寺内樺風は、少女の保護から2日後、静岡県伊東市で血だらけの状態で歩いているところを静岡県警によって身柄を拘束されました。
自ら首を切り、自殺を図ろうとしたようで、首から血を流した状態だった寺内樺風は、通りかかった新聞配達員を呼び止め「死のうと思ったが死に切れなかった、警察を呼んでほしい」と助けを求めたのだそうです。
未成年者誘拐や監禁致傷などの罪に問われた寺内樺風は、一審判決で、奇声を上げながら入廷し、「私はオオタニケンジでございます」と話して被告席に着きました。
生年月日を聞かれると実際と違う生年月日と年齢を答え、本籍も「和歌山県那智の滝」と虚偽の場所を答えました。
また、職業を問われると「森の妖精です」と答え、ここはどこですかとの質問には「トイレです。私はおなかが空いています。今なら、1個からあげクン増量中」と答えました。
一審では、懲役9年を宣告されていましたが、弁護側は「被告は統合失調症だ」などと主張し、検察側と弁護側の双方が控訴しました。
それに対して、高裁では「一審は心理的拘束の悪質性を適切に評価していない」と一審破棄のうえ懲役12年が言い渡され、刑が確定しました。
寺内樺風は、現在も服役中です。出所する時、寺内樺風はまだ40歳前後と若いため、出所後、また同じことをしないか、今から心配する声があがっています。
被害者は現在20歳くらいですが、事件後の情報はありません。
続いては、寺内樺風の高校卒業後の学歴について詳しく見ていこうと思います。
事件が発覚する少し前に、寺内樺風は千葉大学を卒業して就職先も内定していましたが、事件発覚後に卒業や内定を取り消されています。
在学中は休学してカナダに留学しており、留学中に英語だけではなく中国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語なども取得していたそうです。
寺内樺風は、留学先で、いろいろな言語の人たちと知り合い、その人たちとコミュニケーション取るためには、母国の言語を使った方が絶対に信頼されるからと、習得理由について語ったそうです。
寺内樺風は、カナダに留学し、途中からアメリカに渡り、カリフォルニア州にあるパイロット養成学校に入学して、約4カ月間在籍し、固定翼の単発機を操縦できる自家用機の操縦資格を取得しています。
続いては、寺内樺風が監禁した少女を妊娠させたという噂の真相について、見ていこうと思います。
寺内樺風は少女を監禁していた時に、少女に指一本触れたことはなかったと言われています。
寺内樺風は、一番すごいと思う人は麻原彰晃と話しているそうです。オウム真理教関連や、心理学、洗脳関係の書籍を愛読していたという寺内樺風は、少女が小学校3年生の頃から目をつけて、どんな性格か、どんな行動をしているか、家族関係に至るまで全て調べ、誘拐する時期を待っていたのだそうです。
マインドコントロールに関心があり、それを実践、実験するための誘拐だったのです。
寺内樺風は妹と仲が良く二人で一泊旅行にも行ったことがあると伝えられており、シスコンだったとの噂もあります。
被害者と寺内樺風の妹は同じ年齢、もしくは2、3歳違うだけだと言われています。また、妹に関する情報は出回っていませんでした。
2016年に起きた、「朝霞少女監禁事件」について詳しくご紹介してきました。
犯人の寺内樺風は、麻原彰晃を尊敬しているとしていて、マインドコントロールの実験のために、少女を誘拐・監禁していました。
あまりにも身勝手で、考えられない理由により、少女は心に大きな傷を負い、2年間もの間、絶望の中で監禁されていたのです。
今後、このような事件が起きないことを祈りたいですね。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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2016年に2年間監禁されていた少女が東京都中野で警察に保護された事件を皆さんは覚えているでしょうか。
日本国内で衝撃が走ったこの事件について、今回は、犯人の寺内樺風の人物像や家庭環境、そして事件の概要について詳しくご紹介していきたいと思います。
最後までお付き合いくださいね。