木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
まずは、久保木愛弓に下された判決について迫ってみたいと思います。久保木愛弓にはどの様な判決が言い渡されたのでしょうか。
久保木愛弓は犯行時にうつ病を発症していて、統合失調症の前兆症状であった可能性があります。そのため、彼女に精神鑑定が行われました。しかし、責任能力が認められています。
ではなぜ、久保木愛弓は責任能力は認められながらも死刑判決を免れたのでしょうか。それは、生涯をかけて自身の犯した罪の重さと向き合わせるためでした。それにより、罪の償いをさせ更生させていくことが相当であると判断された点が理由だったのです。
久保木愛弓に対して無期懲役の刑が下ったことについて、2021年11月22日に、一審の無期懲役判決を不服として検察側と弁護側の双方が東京高等裁判所に控訴しています。その後の情報については不明です。もしかしたら、今後に動きがあるかもしれません。
事件を起こした久保木愛弓は、どの様な生い立ちで育ったのでしょうか。次に、久保木愛弓の生い立ちについて迫ってみたいと思います。
久保木愛弓は、1987年1月7日に福島県で生まれたとされます。現在は35歳となっていると考えられます。また父親の仕事の関係で、引っ越しが多い家庭であった模様です。
久保木愛弓は、小学校までは茨城県水戸市で育ちました。友達があまりいない子供であり、大人しかったといいます。例えば、近所の子供たちが遊んでいるのを、傍観しているようなタイプであった模様です。
その後に、久保木愛弓の一家は神奈川県伊勢原市に引っ越しています。そして、久保木愛弓は地元の中学校を卒業しました。
その後に、父親の転勤のために一家は神奈川県に引っ越しました。そして、久保木愛弓の実家は”神奈川県横浜市鶴見区上末機智5丁目”にあるのではないかとも報道されています。久保木愛弓の実家は、築29年の3Kであり家賃は5万円という話があるでしょう。
久保木愛弓は、実家から10キロほど離れた秦野(はだの)市内の県立高校を卒業しています。彼女は学校で孤立しており、本を読んだり音楽を聴くなどしていました。学校に上手く馴染めなかったのかもしれません。
次に、久保木愛弓の経歴について迫ってみたいと思います。久保木愛弓はどういった経歴を持っているのでしょうか。
久保木愛弓は、高校を卒業後に看護学校に進学しました。そして、2008年頃に看護師免許を取得しています。なお、久保木愛弓がどの看護学校に通っていたのかという点については、分かりません。
久保木愛弓は病院に勤務するようになりますが、初めて勤務した病院ではリハビリ病棟に配属されていました。しかし勤務中には、臨機応変な対応が困難などの面が見られたといいます。臨機応変に対応できず混乱すると、寮の壁を蹴り穴を開けたこともありました。
それから、久保木愛弓は障害者病棟に移動となります。その際には、点滴の針を患者の血管に刺すことに手間取り、患者の家族に非難されるようになりました。その後に、久保木愛弓は老人ホームに異動となります。夜勤中に患者が亡くなり同僚が遺族に責められる様子を目の当たりにし、ショックを受けています。
こうした体験があり、彼女は精神的に追い込まれていき体調を崩しました。
2014年には休業をし、2015年5月から久保木愛弓は事件を起こした大口病院で勤務を始めました。大口病院では主として夜勤を担当しています。事件のあった2016年9月には、3日に1度というペースで夜勤のシフトに入っていたとされています。
事件が発覚してから、久保木愛弓は2016年9月28日を最後に大口病院を退職しています。そして彼女は2017年2月に他の病院に就職していますが、僅か2か月で退職しました。
それからの久保木愛弓は、神奈川県内の物流倉庫会社に派遣社員として勤務しています。看護師には戻らなかったのです。なお、この物流倉庫会社も後に退職しています。
ここで、久保木愛弓の起こした大口病院連続点滴中毒死事件について迫ってみたいと思います。大口病院連続点滴中毒死事件とはどの様な概要の事件なのでしょうか。久保木愛弓の逮捕や犯行動機についてもご紹介します。
大口病院連続点滴中毒死事件は、2016年9月に横浜市に所在する大口病院で発覚しました。この事件では、2016年7月から9月までに50名もの患者が亡くなっています。なお大口病院は、事件後の2017年12月に”横浜はじめ病院”へと改称されました。また、2021年12月より”横浜市コロナ専門病院”となっています。
当時88歳だった入院患者の点滴に消毒液を混入させて殺害した容疑で、看護師をしていた久保木愛弓が逮捕されました。彼女の逮捕については後述します。
大口病院連続点滴中毒死事件では、入院患者であった西川惣蔵ら3名が亡くなっています。事件発覚の当時は、病院の関係者の関与が疑われていました。なお久保木愛弓は、「入院患者20人ぐらいにやった」という趣旨のことを語っていました。
また事件が発覚する前の7月から9月までの82日間に、42人という患者が亡くなっているといいます。しかしそれからの70日間ほどは死者がなく、4人以上の被害者がいるものと疑われました。発覚する前の死亡者については医師判断で”自然死”とされ火葬となっており、証拠は既にありません。
被害者の点滴からは、消毒液の種類である”ヂアミトール”という界面活性剤の成分が検出されました。久保木愛弓の証言通り、20名以上の点滴袋からヂアミトールが検出されています。なおヂアミトールの混入が発覚したのは、最初に判明した被害者の容態が急変した時でした。
他の看護師が点滴を投与している際に、たまたま誤って点滴袋をベッドに落としてしまったのです。その時に、偶然に急激に中の輸液が泡立ったことから、輸液にヂアミトールが混じっていることが判明したのでした。
久保木愛弓は、他の患者に投与が予定されていた5つの点滴袋にも、消毒液を混入させ準備をしていたと後に供述しました。もしかしたら、さらに5人の被害者が出た可能性があったということです。
2018年6月末になり、久保木愛弓に対して神奈川県警が任意の事情聴取を開始しました。そして、久保木愛弓は2018年7月7日に殺人容疑で逮捕されました。事件発覚から1年半以上が経ってからの逮捕となっています。
また、彼女は7月28日に”入院患者の点滴に消毒液を混入し殺害した”として殺人容疑で再逮捕されています。
久保木愛弓は、犯行の動機について『患者家族に色々聞かれるのが嫌だった』と語っています。終末患者が多い職場のため、死因の説明などを患者家族から聞かれていたといいます。勤務時間中に患者が亡くなった場合には、家族に説明する必要があったのです。
それもあり彼女は、『家族への説明が面倒』や『自分がいないうちに死んでほしかった』とも語っていました。そして、同僚からは患者が亡くなった場合に自身の落ち度を指摘されることがあり、それから勤務時間以外に患者を死亡させることを考え始めたとしています。
久保木愛弓の家族が気になるところかもしれません。続いては、久保木愛弓の家族について迫ってみたいと思います。彼女には、どういった家族がいるのでしょうか。
久保木愛弓は、4人家族で育ちました。両親と弟がいる模様です。ごく一般的な家族構成かもしれません。では、久保木愛弓が事件を起こした後には、家族はどうしてるのでしょうか。
久保木愛弓の自宅は、神奈川県横浜市鶴見区にあったとされています。父親は会社員であり、技術系の会社に勤務していました。また、母親や弟については詳細は分かっていません。両親は娘が逮捕される直前に姿を消したという話があります。
そのため、両親はどこかでひっそりと暮らしている可能性もあります。なお、弟については動向は不明です。
無期懲役の判決が下った久保木愛弓ですが、結婚はしているのでしようか。ここで、久保木愛弓の結婚について迫ってみたいと思います。
事件後、大口病院を退職して逮捕されるまでの間に、約2年近くの期間があります。久保木愛弓は、この逮捕までの間に結婚をしたという噂があります。とはいえ、実際に結婚したという話は聞かれないでしょう。
久保木愛弓は、子供を出産しているという噂もあります。しかし、結婚の噂同様に子供を出産したという情報はありません。出産説もデマであると考えられます。
久保木愛弓が上祐史浩と友達になったという話があるのを知っているのでしょうか。続いては、久保木愛弓と上祐史浩の関わりについて探ってみたいと思います。2人が友達になったという噂の真実について見てみましょう。
上祐史浩は、90年代に地下鉄サリン事件などの事件を起こした新興宗教団体・オウム真理教の元幹部です。その後にはアレフの代表を経て、現在は『ひかりの輪』という宗教団体の代表を務めています。英語力や話術に長けており、教団の犯罪に関する疑惑に反論していました。
このことから、『ああいえば、上祐(ああ言えばこう言う)』と揶揄されいた点が知られています。
久保木愛弓本人のものとみられるfacebookにおいて、上祐史浩が”友達”となっていることが分かっています。なお、該当のfacebookのプロフィール画像は、赤いワンピースのような服を着た綺麗なロングヘアの女性の写真が使われています。
久保木愛弓と上祐史浩の、どちらが先に友達の申請をしたのかは分かりません。しかし、このフェイスブックのアカウントが本当に久保木愛弓のものなのであれば、”危険性のある人物”として認識される可能性もあるでしょう。
久保木愛弓が出会い系サイトを利用していたという話があります。また、彼女は過食だったともいいます。最後に、久保木愛弓の出会い系サイトを利用していたという点や、過食だった点についてお伝えします。
異性との出会いを求めて、出会い系サイトを利用している方はいるでしょう。久保木愛弓もその中の1人だった模様です。また彼女は、その出会い系サイトで知り合った男性と実際に会うこともしていました。男性に会うと褒めてくれることが嬉しかったのだといいます。
寂しさを紛らわしたかったのかもしれません。また、誰かに認めてもらいたかった可能性もあると考えられます。
久保木愛弓は、夜勤のない診療所に勤務していた時期がありました。その診療所を退職後に、彼女は過食をするようになります。コンビニに食べ物やおかしを買い込み、食べたらそれを下剤で出していたのです。さらに、睡眠薬を服用しており”オーバードーズ”もしていたとされています。
大口病院に勤務するようになったのは、その後のことでした。
久保木愛弓は、事件や病院におけるトラブルについて問われると、「詳細は覚えていない」と答えていたとされています。感情の面において、記憶の断片化が起こっているものと考えられます。記憶が途切れ途切れ担っている可能性があるのです。
そのため、彼女には解離性健忘があるのかもしれないとする見方もあります。また、東京にいたと思ったら気付くと千葉の海岸にいたということも起こっていました。そして、自己肯定感が低いという点も、久保木愛弓の特徴です。
これは小学生低学年の頃からのものであり、対人関係では器用さがありませんでした。看護師という職についても、自身は看護師になるしかないと考えているものの、適正がないことも内心気付いていたとする見方があるでしょう。
連続点滴中毒死事件の犯人である久保木愛弓は、無期懲役の判決を言い渡されました。彼女は、2016年に勤務先の大口病院で患者の点滴に消毒液・ヂアミトールを混入させ、複数人を死亡させたとされています。しかも、久保木愛弓は「入院患者20人ぐらいにやった」とも言っているのです。
また彼女は、犯行動機は『患者家族に色々聞かれるのが嫌だった』と供述していました。ごく一般的な家庭に育った久保木愛弓ですが、子供の頃から自己肯定感は低かった模様です。現在は服役をしているものと考えられますが、二度とこの様な事件が起こって欲しくないものです。
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2021年11月9日に、久保木愛弓の判決公判が開かれました。この場で、無期懲役の判決が言い渡されています。論告求刑では、検察側は死刑を求刑していました。その理由は、『被害者に落ち度はなく動機は身勝手で酌量の余地はない』というものでした。