木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
まずは、筧千佐子の起こした青酸連続死事件の概要について迫ってみたいと思います。青酸連続死事件とは、一体どういったものだったのでしょうか。
筧千佐子が男性たちを殺害したとされていますが、それには毒物が使われていました。2007年から2013年にかけ、京都や大阪、兵庫の3府県で3名の高齢男性が青酸化合物により殺害されたのです。青酸はシアンcyanのことを指し、青酸化合物はシアン化合物とも呼ぶ極めて毒性の強い化合物でもあります。
なお、1名の男性も青酸中毒となっています。
2013年12月に、筧千佐子と結婚して間もなかった夫・筧勇夫(当時75歳)が変死しました。遺体からは、司法解剖により青酸化合物が検出されています。これによって、『青酸連続殺人事件』が発覚したのです。なお当時、筧千佐子は1,000万円ほどの借金を抱えていたといいます。
『青酸連続殺人事件』では、他にも本田正徳や日置稔、末広利明といった被害者がいます。計4名の死亡について、筧千佐子は逮捕され起訴もされました。また、それ以外にも4人が不審死を遂げていて、捜査段階では筧千佐子も殺害を認めていたといいます。
しかし、後の4人については証拠不十分として起訴はされていません。なお、筧千佐子は彼らの遺産を受け取っていました。
前述のように、2013年に事件が発覚した際には筧千佐子には借金がありました。それもあり、『青酸連続殺人事件』は遺産を受け取ることを目的とした連続殺人事件である疑いが浮かび上がっています。遺産を受け取り、借金の返済をしようと企てた可能性があるでしょう。
続いては、筧千佐子の生い立ちについて迫ってみたいと思います。筧千佐子はどの様な生い立ちを過ごしてきたのでしょうか。育った環境や、学校生活について見ていきましょう。
筧千佐子の実家は“山下”といい、北九州市(当時は八幡市)にありました。よって、筧千佐子の旧姓は“山下千佐子”なのです。父親が大手製鉄所に勤めていて、母親は専業主婦であったとされています。しかし、この両親は実の両親ではなかったという模様です。
筧千佐子の実母は未婚の状態で筧千佐子を長崎県で出産しています。そのため、その後に北九州市の山下家に養子に出されたという経緯がありました。そして、最初の結婚まで“山下千佐子”として過ごしていました。なお、山下家は厳格な家庭であったといいます。
筧千佐子は、福岡トップクラスの進学校である福岡県立東筑高校に進学し、卒業しています。同校は現在でも偏差値70という、東京大学に進学する生徒もいるほどの高校です。筧千佐子が成績優秀であったことが分かるでしょう。
ここで、筧千佐子の高校を卒業してからの経歴について見ていきたいと思います。筧千佐子は高校卒業後にどの様にして生活をしてきたのでしょうか。
高校を卒業した筧千佐子は、銀行員になりました。成績優秀だったこともあり、筧千佐子は大学への進学を希望しました。しかし両親から反対されたため、都市銀行に就職をしたのです。筧千佐子は後に、この点を“人生の分かれ目”と語っています。
1969年に最初の夫と結婚後に、筧千佐子は夫と共に印刷業を営んでいました。しかし、会社は経営が傾いてしまいます。1994年に夫は亡くなり、2001年に会社は廃業してしまいました。そして、約2,000万円の夫の生命保険金を会社の借金返済に充てています。
1998年頃になると、筧千佐子は結婚相談所に登録をしました。結婚相談所で、ターゲットとなる男性を探していたものと考えられるでしょう。また、保険金目当ての殺人のターゲットをあらかじめ決めていた模様です。
筧千佐子は結婚や交際を繰り返して、遺産や保険金で手に入れたお金は総額10億円を超えたといいます。しかしほぼ全額を、不動産投資やFX投資で費やしてしまったとされるでしょう。また、2007年には先物取引に手を出して約3億円の損失を出しました。
ここで改めて、筧千佐子の結婚歴について見ていきたいと思います。筧千佐子はどういった結婚歴を持っているのでしょうか。夫のその後についても迫ってみましょう。
筧千佐子が最初の結婚をしたのは、1969年のことでした。相手はTシャツのプリント加工会社を営んでいた男性です。しかし夫は、1994年に54歳で病死しています。25年ほどの結婚生活であったでしょう。なお、この最初の夫が最も長く婚姻関係が続いた男性でもあります。
筧千佐子は、2006年に卸会社社長と2度目の結婚をしています。2006年8月頃に夫は自宅で脳梗塞により死亡しました。短期間の結婚生活となったのです。
2人目の夫の死から約2年ほど後の2008年2月頃に、筧千佐子は農家の男性と結婚しました。しかし、3か月後の5月には心筋梗塞により夫は死亡しています。2度目の結婚の際も同様ですが、結婚後にあまり時間を空けずに夫が亡くなっていることは不可解かもしれません。
筧千佐子は、その後にもまた結婚をしています。彼女が4度目の結婚をした相手が、2013年11月に再婚した筧勇夫でした。筧勇夫は、結婚をした翌月に亡くなっています。
筧千佐子には交際相手もいましたが、彼らも不審死を遂げています。2009年に交際相手が末期がんで病死しています。また2011年9月頃に婚約した本田正徳は、2012年3月にバイク運転中に急死しました。そして、司法解剖で「致死性不整脈」と判断されました。
その後2013年9月には、交際中だった元内装業の男性が死亡しています。彼はがんを患っていて、筧千佐子とファミレスにいった後で容態が急変したのだといいます。この様に、筧千佐子の周辺では夫以外にも次々と命を落としているのです。
夫や交際相手たちを殺害した疑いを持たれている筧千佐子ですが、子供はいるのでしょうか。ここで、筧千佐子の子供について迫ってみたいと思います。
筧千佐子には、最初の夫との間に2人の子供が生まれています。長男は1970年生まれであり、長女は1971年生まれです。年子であると考えられ、現在はアラフィフ世代となっているでしょう。なお、2人目以降の夫との間に子供がいるという情報は聞かれません。
筧千佐子は、子供たちと上手くいっていたのでしょうか。子供たちは、筧千佐子が逮捕された後も面会に来ることや手紙を送ってくることもありません。母親・筧千佐子とは絶縁状態となっているでしょう。筧千佐子は法廷で、子供について「人を殺して子供たちに迷惑をかけて」と言っています。
そして続けて「わたしは、そこまでまだボケてませんから」と語っていたとの話があります。
さて、筧千佐子は現在どうなっているのでしょうか。次に、筧千佐子の現在について探ってみたいと思います。複数人の男性を殺害したとされる筧千佐子は、収監されているのか見てみましょう。
2021年6月30日時点で、筧千佐子は大阪拘置所に収監中です。2022年2月現在も状況は同様であると考えられます。続いては、筧千佐子への判決について見てみましょう。
2017年11月7日の京都地裁での判決公判で、『認知症を最大限考慮しても死刑を回避すべき事情はない』として、検察が求刑した通りに筧千佐子には死刑判決が言い渡されました。筧千佐子は即日で控訴しています。
筧千佐子は死刑判決を受けましたが、その理由はどこにあったのでしょうか。裁判を担当した中川綾子裁判長は、「金銭欲のための犯行で悪質」、「認知症などを最大限考慮しても死刑を回避するべき事情はない」と述べています。
また筧勇夫への殺害については、「疑われずに青酸化合物を服用させられるのは、筧被告以外にいない」としています。そして婚約者だった本田正徳の殺害は、「筧勇夫氏の死後に遺産を取得している」ことから、「本田正徳氏についても遺産目当てに殺害した」と裁判長が認めました。
検察側も、筧千佐子の周辺から青酸化合物が見つかっていることや、筧千佐子と一緒にいる時に男性たちが青酸化合物中毒になっていた点から彼女の犯行と断定しています。
死刑判決の下った2日後の2017年11月9日に、筧千佐子は京都拘置所でとある記者と面会しました。すると筧千佐子は、面会に来た記者に対し「はい、質問。私な、死刑判決を受けたやんか。いつ頃執行されるの?」と、会うなり尋ねたのだといいます。
なお、殺人事件の被告に複数人面会したというその記者は、自分からも相手からも“死刑”という直接的な言葉を言ったり聞いたことがなかったのでした。心では驚いたものの、それを隠してあっさりと「まだまだ先ですよ」と記者は返事をしています。
すると筧千佐子は「具体的には?」と再度聞いてきたので、記者は数年はかかるという旨のことを告げたといいます。現に、筧千佐子は大阪拘置所に収監されたままです。
何人もの高齢男性と結婚し、その保険金を得ていた筧千佐子はどの様なテクニックを使っていたのでしょうか。次に、筧千佐子が使ったテクニックについて見てみましょう。
筧千佐子は、相手に求める条件を絞っていた可能性があります。例を挙げると、”ひとり暮らしの高齢者であり資産家かつ病気持ち”という男性を狙っていたとみられます。病気があれば、その病気で亡くなったということにできるなどの計算があったのかもしれません。
筧千佐子は「男が結婚後、私に求めるのは料理と洗濯、そして夫婦生活」と語っていました。実際に多数の男性が、彼女の罠に嵌っているのです。また、狙った男性には絵文字が多様された愛を囁くメールが送っていた模様です。
筧千佐子と関係のあった男性によると、『一度筧千佐子と関係を持つと離れられなくなる』と言っていました。筧千佐子と関係のあった男性によると、『一度筧千佐子と関係を持つと離れられなくなる』という証言もあります。
筧千佐子の毒牙にかかり、何人もの男性が犠牲になりました。では、なぜ被害は拡大しまったのでしょうか。最後に、被害が拡大した理由について迫ってみたいと思います。
被害が拡大した背景には、警察の責任もあった模様です。もし警察が、1人目の犠牲者が出た時点でしっかりと捜査をし、筧千佐子を逮捕していたなら、被害の拡大は免れた可能性もあるでしょう。身近な関係者による供述に惑わされることもあったでしょう。
そうしたことから、病死あるいは事故死だと決めつけてしまった部分もあったと考えられる。
現在の警察は、死体の外側の状態や現場の状態に不審な点がなければ、“事件性はない”と判断をするといいます。そして、司法解剖には回さないのです。筧千佐子の周りで亡くなった男性たちの中でも、8人中2人しか司法解剖はされませんでした。それだけ、日本での司法解剖がなされる率が低いということです。
最後に死因を医師が特定するものの、検案をする警察医に関しても法医学面での検査ができないままに“病死”もしくは“自殺”として死体検案書を作成することになります。細かな死因が特定できないのは、司法解剖ができないことが問題でしょう。
薬毒物検査が十分ではないことも、被害が拡大した要因の1つとして考えられています。死体から血液や尿が採取されたとしても、日本の警察が行っている薬毒物検査では十分ではないとの指摘があるのです。現在は『トライエージ』という簡易薬毒物検査という、8つの薬物が検査できる方法が多く採られています。
ところが、筧千佐子が使用したとされる青酸化合物やヒ素等は検出できないでしょう。さらには、『トライエージ』は死体用のキットではないとされています。
筧千佐子は、男性の保険金を目当てとして次々と夫や内縁の夫を青酸化合物により殺害していきました。幼少期に養子に出されたという彼女ですが、お金のためにターゲットを絞り男性と結婚をしていたのです。男性たちは不審な死を遂げており、それが筧千佐子によるものとされているでしょう。
現在の筧千佐子は、死刑が確定し大阪拘置所で収監されています。死刑を待つのみの日々となっているのです。殺害した男性たちに対し、筧千佐子は何を思うのでしょうか。
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『青酸連続死事件』は、筧(かけひ)千佐子被告の周辺において男性たちが相次ぎ死亡した事件です。被害者は、筧千佐子が結婚相談所を通して知り合った夫あるいは内縁関係にあった男性らとなっています。