記事ID148526のサムネイル画像

    関光彦の起こした市川一家4人殺人事件の概要とは?犯行動機や現在は?

    今から25年前になる1992年に、市川一家4人殺人事件が発生しました。事件の概要はどういったものだったのでしょうか。そこで今回は、市川一家4人殺人事件の概要や、犯人・関光彦の犯行動機、現在について迫ってみたいと思います。

    市川一家4人殺人事件の概要

    皆さんは、凄惨な事件として知られる市川一家4人殺人事件をご存知でしょうか?

    少し古い記憶になりますが、当時まだ未成年だった少年が起こした殺人事件です。

    酷すぎて記憶に残っている方もいるかもしれません。

     

    今回は市川一家4人殺人事件について詳しく調査をし、まとめました。

    市川市で起きた殺人事件

    「市川一家4人殺人事件」とは、1992年3月5日に千葉県市川市幸二丁目にあるマンションでで発生した一家4人を殺害した事件です。

    犯人は他のことを機に、行きずりの少女を強姦するなどしていてその後少女の関係者を殺害していきました。

     

    パブで働く女性を監禁したことがきっかけ

    1992年2月6日に、犯人である関光彦(てるひこ)元死刑囚は、市川にあるフィリピンパブに勤務する2人のホステスを、店に無断で自宅に連れ込み監禁していました。

    女性には暴行を加えており、負傷させたとのこと。

     

    関光彦(てるひこ)元死刑囚はまだ未成年です。

    暴力団から追われる

    女性たちは店に被害を訴えました。

    店の関係者が激怒し、関光彦元死刑囚は女性を監禁したことで暴力団から追われる身となってしまいました。

     

    少女を強姦する

    一家の唯一の生き残りである長女は、1992年2月12日午前2時頃に勉強をしていたがシャーペンの芯を買いにコンビニに行き、自転車に乗っていたところを車に乗る関光彦元死刑囚に衝突されたそうです。

    その時に「病院に連れていく」といい優しく声をかけ、関光彦元死刑囚は病院に連れて行きました。

     

    そして、その後、関光彦元死刑囚の自宅アパートに拉致をし強姦したとのこと。

     

    この少女はまだ当時15歳でした。

    タイミングが悪く、最悪な出来事となりました。

    被害者宅への侵入

    1992年3月5日午後4時頃に、金目当てで被害者宅に侵入し関光彦元死刑囚。

    侵入前に被害者宅に電話をかけ、留守のタイミングを見計らって計画的に侵入しました。

     

    最初の拉致をした時に、自宅住所など身元のわかる高校の生徒手帳を奪取していたのです。

    祖母や母親を殺害

    自宅では、長女の祖母がテレビをつけたまま寝ていました。

    関光彦元死刑囚は、お金を祖母に要求し8万円を奪いました。

    それ以上要求すると拒否をされたので、その後、電気コードで頸部を絞めて殺害をしています。

    長女と母親が帰って来ると、脅してうつ伏せにさせ母親の背中に包丁を数回突き刺し殺害しました。

     

    長女に遺体を運ぶのを手伝わせたそうです。

    帰宅した父親を刺した

    長女は再度強姦されてしまいました。

    そんな中、父親が帰宅しました。

     

    通報を懸念し、関光彦元死刑囚は父親の背中を数回刺し殺害をしました。

    再度の強姦

    千葉県市川市行徳駅前にある父親の勤務先である事務所に、通帳を長女に取りに行かせた関光彦元死刑囚。

    長女が事務所を訪れたとき、関光彦元死刑囚はコンビニで待機していたとのこと。

     

    そしてその後に長女は、ホテルに連れていかれ再度強姦されてしまいました。

    次女まで殺害

    長女の妹は当時4歳であり、母親が殺害された15分後に保育士に連れられて帰宅しています。

    翌朝に関光彦元死刑囚が長女と共に帰宅し、関光彦元死刑囚は普通に過ごしていたが、次女が目覚め泣き出したことで殺害をしました。

     

    幼い子の命を奪うなんて…。本当に心が痛くなる出来事ですね。

    父親の会社の従業員が通報し逮捕

    父親の会社の従業員の通報により、関光彦元死刑囚は1992年3月7日未明に殺人容疑で逮捕されました。

    長女が不審な電話を従業員にかけていたことが鍵となっていたとのこと。

     

    警察官がベランダから室内に侵入し逮捕と至りました。

    関光彦の犯行動機は何だったの?

    関光彦元死刑囚と被害者である長女は、たまたまの事故で出会いました。

    関光彦元死刑囚はなぜ事件を起こそうとしたのでしょうか?

    市川一家4人殺人事件の犯行動機を探りました。

    金銭目的だった

    関光彦元死刑囚の犯行動機は、金銭目的だったことが明らかになっております。

    事件現場では、祖母がが8万円を渡すとさらにお金を要求していたこと、家で物色後に10万円を奪っていることが判明しております。

    200万円を要求されていた

    最初に述べた監禁したフィリピン人の女性から始まりました。

     

    フィリピン人女性が在留期間よりも早く帰国してしまったら、店への損害が200万円にもなるという理由で、暴力団員から200万円を要求されていたそうです。

    そのため、追われていたのですね。

    関光彦は現在どうしている?

    平成になってこんなにも酷い事件を起こした関光彦元死刑囚は、現在どうしているのでしょうか?

    事件は解決しどのような判決が下されたのでしょうか?

     

    関光彦元死刑囚の現在について調査いたしました。

    死刑判決が言い渡される

    1994年8月8日に開かれた第11回公判にて、関光彦元死刑囚に「死刑判決」が言い渡されました。

    そして2001年12月には死刑判決が確定しております。

    未成年者への死刑判決は史上2人目

    関光彦元死刑囚は、事件当時19歳の未成年でした。

    本人も未成年であることをいいことに、過去に起きた死刑判決の事件と比べて”自分が死刑になるわけない”と思っていたそうです。

    なので死刑判決が出たことから、精神鑑定で罪を少しでも軽くしようと働きかけていました。

    ちなみに弁護人側はこのような主張をしていました。

    「Sの胎児期に母親Yが流産予防薬として服用した黄体ホルモンの影響で、Sは『爆発的精神病質者』であり犯行当時は心神耗弱状態だった」

     

    ですが認められませんでしたね。

     

    未成年者が引き起こした事件としては、死刑判決が出たのは史上2人目だったのでかなり注目される事件となりました。

    2017年に死刑執行され最後を迎える

    関光彦元死刑囚の死刑が、2017年12月19日に執行されました。

    元々80キロあった体重が120キロにまでなっていたとされますが、それは死刑執行時の絞首縄が体重に耐えられなくなるのを狙っていたとする見方もあるようです。(44歳没)

    関光彦の最後の言葉

    関光彦元死刑囚の最後の言葉は、自身の弁護士・一場順子さんに宛てた死刑執行直前の『裁判記録は(一場)先生の元へ』というものでした。

    事件後に、関光彦元死刑囚は一場順子弁護士に対して『4人がいつも自分にくっついていて、おまえのことを許せないと言っているようで苦しい』と言っていたそうです。

    それほど最悪な事件でしたから…幻聴などもあったとのこと。

    関光彦の顔写真はある?

    関光彦元死刑囚の画像としては、現在ネットには2種類が出回っています。

    白黒の方が本だとされていますのでお間違いのないようお気をつけください。

    被害者の少女は現在どうなっているの?

    被害に遭われた少女は当時まだ15歳でした。

    最悪な事件で一気に家族を失ってしまい、毎日地獄な日々を過ごしたことでしょう。

    考えるだけで心が痛みます。

     

    少女は現在どのような生活を送っているのでしょうか?

    美術系の大学に進学

    長女は、事件後に母親の知人の家に身を寄せました。

    その後に母方の実家である熊本県に移りました。

    そして美術系の大学に進学したと明かされています。

     

    事件現場から離れ、生活環境を変えることは、成長期の長女にとって必要だったと考えられるでしょう。

    今はヨーロッパにいる!

    長女は、現在40代になっているものと考えられます。

    そして結婚をして、ヨーロッパで幸せに暮らしているとの情報が入っております。

     

    日本とは関係のない国で新たな人生を楽しんでほしいですね。

    関光彦の生い立ち

    関光彦元死刑囚は残酷な事件を起こした張本人ですが、幼い頃はどのような生活をしていたのでしょうか?

    関光彦元死刑囚の生まれや家庭環境なども詳しく調査いたしました。

    母親の実家はうなぎ屋チェーンの経営

    サラリーマンの父の元に生まれ、母と弟の4人家族であった関光彦元死刑囚。

    長男として生まれております。

     

    母方の祖父はうなぎの卸業者であり、千葉県市川市と都内を中心にうなぎ屋チェーン店を10軒経営していました。

    この情報から見るとかなり裕福だったことが分かりますね。

    父親に虐待されていた

    関光彦元死刑囚の父親は、スイミングスクールに通わせたりピアノや英会話を習わせるなど教育熱心でした。

    優しくて憧れのいいお父さん。

     

    しかし弟が生まれてからは変わってしまい、息子たちを虐待するようになってしまいまし

    た。

    「何時間も正座をさせる」「食事を与えない」「徹底した無視」「真冬の夜中に外に放り出す」などの虐待を繰り返していました。

    ギャンブルや女遊びも激しかったとのこと。

    祖父のところへの家出

    辛い環境から逃げ出すために、関光彦元死刑囚は、うなぎ屋を営む祖父のもとに自分で荷物をまとめ、家出をするようになりました。

    長期休みの際には、ほぼ祖父のところに行っていたとされます。

     

    従業員に対し厳しいことを言いながらも仕事に邁進する祖父を、心から尊敬していたそうです

    エホバの証人への傾倒

    関光彦元死刑囚の友人がエホバの証人の信者であり、勧められて聖書を読むようになりました。

    エホバの証人に傾倒するようになるが、父親に聖書を破り棄てられたことで、父親を恨むようになりました。

    もっと仲が悪くなった出来事の一つでした。

    母親と弟との生活

    父親が借金をするようになり、取り立てに耐え切れず母親は子供を連れて家を出ることにしました。

    借金を払う代わりに祖父から絶縁されたこと、そして3人での極貧生活を送ることになりました。

    祖父は最初から結婚に反対していたので絶縁を言い渡したのでしょうか…。

    祖父との関係修復

    中学1年生の冬辺りには、祖父との関係が修復されていました。

    金銭的な援助もまた受けられるようになったとの情報がありました。

    しかし、“自分が一番大変な時に見放された”という思いが拭いきれず、祖父のことは以前のように尊敬はできなくなったとされます。

    荒れた生活

    転校を繰り返し、学校でいじめに遭っていた関光彦元死刑囚。

    次第に素行が悪くなり、万引きなどをするようになりました。

    中学生になると非行に走ってしまい。野球をやっていましたが、真面目に取り組むこともなく、シンナーをやるなど不良と関わるようになって行きました。

    堀越高校でも荒れていた模様。

    祖父を失明させる

    高校は馴染めなく浮いた存在となってしまい、1年生で中退した関光彦元死刑囚。

    その年の11月に祖父のうなぎ屋の店舗で働き始めました。

     

    次第に売上金を持ち去るようになり、母伝手で祖父に伝わって疑われていた関光彦元死刑囚。

    怒り寝ている祖父の顔面を蹴り左眼を失明させたとのこと

    (糖尿病の影響もあり右目も失明状態だった)

     

    祖父は関光彦元死刑囚に視界を奪われてしまいました。

    マニラ出身の女性と結婚

    フィリピンパブで出会ったマニラ出身の女性と、18歳で結婚をした関光彦元死刑囚。

    しかし結婚から3か月後に彼女は病気である姉が心配だとフィリピンに帰国したきり戻ってきませんでした。

    2人に間には子供も生まれているとのこと。

     

    詳しい情報は残念ながら分かりかねます。

    市川一家4人殺人事件が漫画になった?

    「市川一家4人殺人事件」は、平成初期の事件でしたが、凄惨な事件として知られる有名な事件となりました。

    記憶に残るような重たい事件は実写化や漫画化としてこの世に残り続ける可能性があります。

    「市川一家4人殺人事件」は、漫画化されたのでしょうか?

     

    「市川一家4人殺人事件」の漫画や小説を調査いたしました。

    漫画にはなっていない模様

    市川一家4人殺人事件は漫画にはなっていない模様。

    ですが、すでに書籍化されているとの情報が入りました。

     

    残酷すぎる内容なので逆に漫画や小説にはならないかも知れませんね。

    19歳 一家四人惨殺犯の告白

    永瀬隼介著の『19歳 一家四人惨殺犯の告白』という書籍が、2004年に発売されていました。

     

    作品内容は、事件のこと、どのようにして凶行へと走ったのか?、少年の生い立ち、事件までの行動と死刑確定までの道のりを、面会と書簡を通じて丹念に辿る著者となっております。

    • 出版社:KADOKAWA
    • 掲載誌レーベル:角川文庫電子版発売日
    • 2014年02月21日紙の本の発売:2004年08月

     

    この話はノンフィクションです。

    加筆・改題されている

    祝康成(後のc)さんが、1999年にルポルタージュ『一家四人惨殺「十九歳」犯人の現在(いま)』を寄稿したとされます。

     

    そしてその後に、新たな取材結果を加筆して『19歳の結末 一家4人惨殺事件』を出版していました。

     

    永瀬 隼介さんの簡単なプロフィール

    • 1960年2月2日(62歳)
    • 職業は日本の小説家(ノンフィクションライター)
    • 活動機関は1999年〜

     

    永瀬 隼介さんの主な著書

    • 19歳の結末 一家4人惨殺事件(2000年)
    • 市川一家4人殺害事件(1992年)
    • 真相はこれだ!―不可思議8大事件の核心を撃つ(2001年)
    • 【改題】真相はこれだ!「昭和」8大事件を撃つ(2004年)
    • 美智子皇后失声症、三億円事件、丸山ワクチン認可問題、美空ひばり紅白辞退、成田空港、和田心臓移植事件、なだしお事件、アントニオ猪木対モハメド・アリの8つの事件の真相を追究

    関光彦の死刑はすでに行われていた!

    今から25年前になる1992年に、市川一家4人殺人事件が発生した出来事に関して調査いたしましたが、いかがでしたでしょうか?

     

    千葉県市川市で発生した事件で、襲った女性の家族を次々と殺害していくという凄惨な事件でした。

    4人を殺害した関光彦元死刑囚は、死刑判決を下され2017年に刑を執行されました。

    被害女性はすでに日本にはいないとの情報がありましたが、家族の仇が取れたかと思います。

     

    とても心の痛む事件でした。

     

     

    最後までお読みいただきありがとうございました。

    関連記事はこちら

    関連する記事

    この記事に関する記事

    アクセスランキング

    最近アクセス数の多い人気の記事

    TOPへ