木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
最初に、ジェフリー・ダーマーがどういった人物であるのかについて、迫ってみたいと思います。ジェフリー・ダーマーとは一体何者なのでしょうか。
ジェフリー・ダーマーは、人の肉を食べる“人肉食”にも手を出していました。彼は30歳の時に初めて“人肉食”を行っています。それは、後述するオックスフォード・アパートメントに居を移した後のことであり、2か月ほど犯行を自粛した後のことでもありました。
そしてジェフリー・ダーマーは、ダンサーをしていた黒人青年の肉を食べたとされています。
上記の点からも、ジェフリー・ダーマーは『ミルウォーキーの食人鬼』との異名も持っていました。彼は“人肉食”をしていましたが、それだけではなく“屍姦(しかん)”までも行っていたのです。屍姦とは、死体を性的に犯す行為のことです。
ジェフリー・ダーマーの起こした多くの事件は、社会問題についての議論でも波紋を呼びました。そして、事件によりミルウォーキー警察の無能さが明るみになることとなったのでした。また当時は、セクシャルマイノリティあるいは人種的なものに対する偏見が世間的にあった模様です。
このことが、ジェフリー・ダーマーの蛮行を許すきっかけとなったと考えられています。
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続いては、ジェフリー・ダーマーが犯した殺人について迫ってみたいと思います。ジェフリー・ダーマーはどの様な犯罪を犯したのでしょうか。
ジェフリー・ダーマーは、第一の殺人を高校を卒業して直ぐの1978年に起こしています。被害者は19歳のスティーブン・ヒックスであり、ロックコンサートの帰りだった彼は上半身裸でヒッチハイクをしていたといいます。
ジェフリー・ダーマーは彼を「うちでマリファナをやろう」と誘い、一人住まい(両親の離婚による)である自宅のベッドルームに連れ込み酒も飲んだものの、スティーブン・ヒックスはゲイでなかったため手を出すことができませんでした。そこで相手が「父親の誕生日を祝う」と言い帰ろうとしました。
するとジェフリー・ダーマーは、スティーブン・ヒックスを鉄アレイで殴り喉を抑えて窒息死させたのです。そして性的に興奮していたこともあり、屍姦した後に遺体を解体し後に谷底に捨てようと車を走らせています。警官にバレそうになったものの、ジェフリー・ダーマーは嘘を吐きその場を切り抜けました。
第一の殺人後にアルコール依存症を悪化させていたジェフリー・ダーマーは、チョコレート会社で工場作業員として勤務するようになります。異常な行動も見られるようになっていましたが、犯罪は暫く止まっていたのです。しかし彼は、1987年にゲイバーの見習いコックだった24歳の青年を殺めました。
青年をホテルに連れ込んだ彼は、翌朝目覚めると青年が口から血を流して亡くなっているのを見つけます。しかし、泥酔していたこともあり殺人を犯した記憶がなかったといいます。ジェフリー・ダーマーは、証拠隠滅のためにスーツケースに遺体を詰め込んで、祖母宅の地下で遺体を解体したのでした。
バラバラにされた遺体は、ゴミとして出されたとされています。彼は、またしても警察に逮捕されることはなかったのです。その後のジェフリー・ダーマーは、繰り返し少年への性的暴行事件を起こしており、裁判にかけられました。
1988年9月に、祖母が異臭がするのは夜な夜な男を連れ込む孫のせいだと感じたため、ジェフリー・ダーマーは祖母から別居を提案されアパートで暮らすようになりました。しかし、引っ越して24時間も経たずに13歳の少年を自宅に連れ込み睡眠薬を飲ませたのです。
少年は逃げ出し、ジェフリー・ダーマーは未成年に対する性的暴行の罪で逮捕されました。その後は殺人について明らかになりませんでした。
上記(少年への性的暴行事件)の裁判の判決を待っていた1989年3月25日に、ジェフリー・ダーマーはゲイバーのレストランマネージャーだった黒人青年を祖母の家に連れ込み殺害しています。ただしその前にも犯行に及んでいるとされています。
1988年1月16日に14歳だったジェームズ(ジェイミーとも)・ドクスターターをモデルのバイトをやらないかと誘い出しているのです。そして、祖母の家で睡眠薬入りの飲み物を飲ませて絞殺したとの話もあります。祖母の家で殺害したのは、自宅アパートを警察が監視していると考えたためでした。
また、頭蓋骨を記念として取っておいたといいます。1988年5月23日には、ジェフリー・ダーマーに少年への性的暴行の罪で1年間の刑務所外労働と5年間の経過観察処分が下りました。ジェフリー・ダーマーはそれから、昼はチョコレート工場で働き夜や週末は刑務所で過ごすという日々を1年間続けています。
ジェフリー・ダーマーは、1990年3月に仮釈放となりミルウォーキーのスラム街・北25番街924号のアパートに住み始めました。“ザ・シュライン・オヴ・ジェフリー・ダーマー”とも呼ばれる、オックスフォード・アパートメント213号室が彼の拠点となったのです。ゲイクラブが近かったのも、住む際の決め手となりました。
それから間もなく、彼はまた殺人を開始するようになります。1990年5月に、刑務所から出所したばかりの青年を手に掛けました。6月にも「シャリフ」という愛称の青年を殺害し、7月にはヒスパニック系の青年を殺害しています。この際に犯行が露見しそうになり、2か月ほどは殺害を自粛しました。
しかし再度、9月になるとダンサーの黒人男性を皮切りに複数の男性たちがジェフリー・ダーマーの犠牲となっていったのです。1991年2月にはロボトミー手術(外科手術の1つであり頭蓋骨に穴を開ける)をしようとして失敗していて、その後に14歳のラオス人にもロボトミー手術をしようとしています。
ジェフリー・ダーマーによって殺害された被害者は、合計17名にも及びました。17人目の被害者となったのは、ミネソタ州から職探しに来ていた失業中の白人青年でした。ジェフリー・ダーマーは1991年7月15日にチョコレート工場を解雇されています。
その4日後である7月19日に、白人青年はジェフリー・ダーマーの手に掛かってしまったのです。ジェフリー・ダーマーは彼を、アパートに連れ込んで殺害しました。これが、ジェフリー・ダーマーの最後の殺人です。
第1の殺人や第2の殺人など多くの犯行において、ジェフリー・ダーマーは遺体を解体しバラバラにしていました。彼の部屋からは、バラバラ死体のポラロイド写真が大量に見つかっています。また冷蔵庫からは、ビニール袋に入った肉片や臓器、切断された頭部が複数発見されているでしょう。
次に、ジェフリー・ダーマーの生い立ちをご紹介します。ジェフリー・ダーマーはどの様にして育ったのでしょうか。連続殺人鬼となってしまった理由は、生い立ちにあるのか見てみましょう。
まずは、ジェフリー・ダーマーの両親についてお伝えします。ジェフリー・ダーマーの父親・ライオネルは、彼が誕生した頃には電子工学を学んでいた大学生でした。そのこともあり、生活は安定していなかった模様です。また母親のジョイスは精神的に不安定な女性でした。
そのことから、段々と夫婦の仲は雲行きが怪しくなっていきます。
上記の様な家庭環境において、ジェフリー・ダーマー自身も精神が不安定な子供に成長しました。学生時代の彼は、多くの時間を森の中を1人で歩き過ごしていたとの記録も残されています。また内気な子供であったことも分かっていて、父親からもらった昆虫採集用の化学薬品セットにのめり込んでいたといいます。
ジェフリー・ダーマーは、幼少期よりネクロフィリア(死体性愛者)の兆候も表れていたとされています。小動物の死がいや昆虫の死がいを収集して、ホルマリン漬けにして保存していたのです。IQは高かったものの、学校での成績は伸びずに問題児として見られていたともいいます。
そしてジェフリー・ダーマーは、15歳の頃に狂い始めました。この頃の彼は、動物の中がどうなっているのか知りたいという願望を抱くようになっていました。交通事故死した野生動物の解剖するようになったのです。
それだけでなく、異性ではなく同性に惹かれるようになり、死体に性的興奮を覚えるようになっています。
高校時代のジェフリー・ダーマーは、教師の前では規律正しい”良い生徒”を演じ、生徒の前では道化を演じていました。傍からは狂気性などは感じられなかったのかもしれません。ジェフリー・ダーマーが高校を卒業する頃には、両親が離婚調停をしていたことが分かっています。
こうして18歳の彼は、両親からも見放されていったのでした。そして、完全に自分を閉ざしてしまいます。高校を卒業後に両親が離婚した後には、これまでの自宅で1人きりで暮らすようになりました。
ジェフリー・ダーマーは高校卒業後すぐに第1の殺人を犯しました。その後で、父親と再び同居をするようになっています。父親はアルコール依存症になっていた息子を立ち直らせようとしますが、治ることはありませんでした。それから、父親の提案によりオハイオ州立大学へ進学したものの退学してしまいました。
また、次には軍隊に入隊しドイツに駐留したものの、兵役満了前に除隊になっています。再びアルコールを飲むようになり、任務が遂行できないほどに泥酔するようになったためでした。除隊後はマイアミで1年を過ごし父親の提案でオハイオ州に戻っています。
その後に、ウィスコンシン州に住む祖母の家で暮らすことになり、チョコレート工場で働きながら2年間は落ち着いた日々を送っていました。しかし、再びジェフリー・ダーマーの狂気性が戻ってきてしまうのです。祖母宅でも犯行をするようになり、前述の通り祖母にも見限られてしまいました。
分かっているだけでも17名を死に至らしめたジェフリー・ダーマーですが、それからどうなったのでしょうか。ここで、ジェフリー・ダーマーのその後について迫ってみたいと思います。
ジェフリー・ダーマーは、1991年7月22日に逮捕されました。それは、17人目の犠牲者が出た3日後でした。この日、18人目の犠牲者となったかもしれない、黒人青年がジェフリー・ダーマーの元から逃げ出しています。そして、ちょうど巡回をしていたパトカーがいて助けを求めたのです。
警察はジェフリー・ダーマーの元を訪れますが、その際に不審に思った警察に踏み込まれました。そうして強制捜査をされることになり、部屋にあったバラバラ死体の写真が発見されています。また、遺体の一部なども見つかりました。これにより、ジェフリー・ダーマーはついに逮捕されたのでした。
ジェフリー・ダーマーには終身刑(禁錮936年)の判決が下り、コロンビア連邦刑務所に収監されました。また、元FBI捜査官であるロバート・K・レスラーと対談をして、素直に罪を認め刑に服したといいます。なおロバート・K・レスラーは、日本でもオウム真理教等のプロファイリングをして話題になった人物です。
1994年11月28日に、シャワールームの清掃中だったジェフリー・ダーマーは同じ作業をしていた黒人収容者・クリストファー・J・スカーヴァーにより撲殺されました。ジェフリー・ダーマーが殺された動機等は現在も分かっていません。
ジェフリー・ダーマーは生きていれば2021年で61歳となりますが、34年の生涯に幕を閉じているのです。
まるで映画の物語の様なジェフリー・ダーマーの犯行ですが、彼は映画になっているのでしょうか。最後に、ジェフリー・ダーマーがテーマとなっている映画をご紹介します。
『ジェフリー・ダーマー ミルウォーキー連続虐殺食人鬼』という、1993年の作品があります。こちらの映画は日本では上映されていません。それでも、ビデオ作品として販売されています。
2002年の『ジェフリー・ダーマー』という作品もありますが、こちらも日本での上映はありませんでした。しかし『ジェフリー・ダーマー 』としてビデオ作品が販売となっています。なお、主演はジェレミー・レナーが務めています。
原題『Raising Jeffrey Dahmer』は、2006年の映画です。『ジェフリー・ダーマー ライジング』というタイトルでビデオ作品として発売されています。また、ジェフリー・ダーマーの父親の視点で描かれている点が特徴です。
漫画家ダーフの原作である『My Friend Dahmer』を元に作られた映画が、同名タイトルの『My Friend Dahmer』です。ロス・リンチが主演を務めました。ジェフリー・ダーマーの育ちや、シリアル・キラーとなるまでの過程などにスポットが当てられた作品でもあります。
1960年にアメリカで生まれたジェフリー・ダーマーは、記録されているだけでも17名の男性たちを殺害した殺人鬼です。これ以外の性犯罪等で逮捕されたことはありましたが、殺人で捕まることは17人目の犠牲者が出るまでなかったのです。
おまけにジェフリー・ダーマーは、殺害した死体を屍姦したりバラバラに解体していました。それだけでなく、人肉食までもしていたというのですから驚きです。既に他の受刑者により殺されてしまっている彼ですが、殺人鬼と化すことになったのは生い立ちも関わっているのかもしれません。
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ジェフリー・ダーマーは、アメリカ合衆国ウィスコンシン州のミルウォーキーで1960年5月21日に誕生しました。そして、1978年から1991年まで犯行を重ねた、アメリカ合衆国の連続殺人犯です。1970年代後半から、アメリカを震撼させたのでした。