記事ID148506のサムネイル画像

    日本の未解決事件とは?有名なのは?犯人がわかっている未解決事件も?

    日本国内でも多くの事件が発生しています。その中でも、未解決となっている事件も多数あるものです。そこで今回は、日本における未解決事件について迫ってみたいと思います。有名な未解決事件や犯人が分かっている事件に関しても見てみましょう。

    有名な日本の未解決事件には何がある?

    我が国日本で起きている事件の中には、未解決となっているものも多くあります。まずは、未解決事件の中で有名なものをご紹介します。日本では、これまでにどういった事件が迷宮入りしてしまっているのでしょうか。

    パラコート連続毒殺事件

    『パラコート連続毒殺事件』は、1985年4月から11月にかけて全国で発生した無差別殺人事件です。除草剤として用いられる農薬の名称が、パラコートといいます。パラコートを自動販売機の受け口に設置し、それを飲んだ13人が死亡しました。

     

    現在ではあり得ないかもしれまえんが、当時は飲食についての安全意識が薄かった模様です。被害者の多くは、置かれた飲食物を持ち帰り飲んだ後に倒れたとされています。事件当時、18歳以上であり身分証提示をすれば農協でパラコートを購入することができました。

     

    そのため、18歳以上で農協に詳しいうえに埼玉や大阪周辺に住んでいる人物と推定されました。しかし、単独犯なのか複数の犯人がいるのかさえも分かっていません。

    新宿歌舞伎町ビル火災

    2001年9月1日に発生した新宿歌舞伎町ビル火災は、戦後の日本で発生した火災としては5番目の被害となりました。雑居ビルの3階にある麻雀店が火元とされていて、賭博も行われていた場所とされています。放火による出火とされており、出火時刻にビルから不審な人物が立ち去るのが目撃されていました。

    もし放火が出火原因であれば、麻雀賭博に負けた腹いせやビルの再開発計画の後押し、反社会的勢力の縄張り争いといった説が考えられているでしょう。

    世田谷一家4人殺害事件

    『世田谷一家4人殺害事件』は、東京都世田谷区上祖師谷の民家で、2000年12月30日深夜に発生した殺人事件です。この事件では、住人である夫婦と2人の子ども計4人が惨殺されています。犯人は犯行後も現場に留まり証拠を残していきましたが、未だに捕まっていません。

    しかし警察ではまだ捜査が続けられており、犯人の目星は付けられている模様です。

    首都圏女性連続殺人事件

    1968年から1974年にかけて、東京都や千葉県、埼玉県とった首都圏で女性が暴行され殺害される事件が11件発生しました。加害者の血液型はO型とされ、ほとんどの事件の犯人が同一であると判断されています。1974年に、小野悦男という前科のある男が逮捕されました。

    状況証拠も揃っていたことから、警察は小野悦男に対して執拗に自白を強要したといいます。彼は11件のうち1件で起訴され、1986年に無期懲役が確定しました。しかし、自白の強要が問題となり1991年に釈放されています。

    その後小野悦男は別件で2度逮捕され、1996年に41歳の女性を殺害したとして無期懲役の判決を受けました。11件のうち10件は時効が成立していますが、彼が再逮捕された時点で『この中の何件かは小野がやったのではないか』との疑惑が再浮上しています。

    仁保事件

    1954年10月26日に、裕福な農家の一家6人が殺害された事件が『仁保事件』です。警察は物盗りあるいは怨恨の線で捜査をしますが、難航しました。結果として消去法で選ばれた男が、過去の窃盗により全国に指名手配された後に逮捕されています。

    1962年に死刑判決が下りましたが、供述に事実誤認が多いとして1972年に釈放されました。なお第一発見者の主婦の夫も逮捕されていましたが、拘留期間中に証拠不十分で釈放されています。当事件は真犯人が見付かっていないため、迷宮入りとなりました。

    佐賀女性7人連続殺人事件

    1975年から1989年までの間に、佐賀県で7名の女性が殺害されました。これらの事件を総じて『佐賀女性7人連続殺人事件』と呼びます。7件中6件の事件で、水曜日に被害者女性の失踪しています。また5件の死因が絞殺である等、事件には共通点がありました。

    1989年1月27日に、5件から7件目にあたる3つの遺体が北方町大峠の崖下から発見されます。これを“北方事件”といいますが、1人の男が逮捕されました。しかしその男は前科もあり怪しかったものの、無罪となっています。また各事件で接点はありますが、4件目のみ遺体に乱暴をした跡があったとされているでしょう。

    警察の捜査不足や追及不足が、より謎を深くしているとの見方もあります。

    長崎屋火災

    長崎屋火災は、1990年3月18日に兵庫県尼崎にある長崎屋尼崎店で発生しました。4階のインテリア売り場のカーテンから火の手が上がり、4階と5階に猛煙が拡大したものです。15人が一酸化炭素中毒で死亡し、6人の重軽傷を負いました。捜査対象者は1,900人にもなりましたが、犯人像などは分かっていません。

    火元が火の気のないカーテン売り場とされたことから、放火とされたものの有力情報もなく2005年に時効となっています。

    愛知豊明母子4人殺人放火事件

    2004年9月9日未明に、愛知県豊明市で起きた放火殺人事件です。この事件では、38歳の母親と3人の子供が殺害され自宅に放火されています。遺留品などはありませんでしたが、事件前に不審な人物は目撃されていました。犯人はずっと被害者宅に狙いを定めていた可能性もあるでしょう。

    北関東連続幼女誘拐殺人事件

    北関東連続幼女誘拐殺人事件では、栃木県と群馬県の県境において1979年から1996年に5件の幼女誘拐殺人事件が発生しています。その中の1つを足利事件といいますが、足利事件で逮捕された男は冤罪となっています。犯人は断定されているという話もあるものの、未だ逮捕には至っていません。

    八王子スーパー3人射殺事件

    八王子スーパー3人射殺事件は強盗殺人事件であり、1995年7月30日に発生しました。当時16歳から47歳だった3人の従業員が、拳銃により射殺されたのです。金品は盗られていないこともあり、警察は物盗りと怨恨の両面から捜査をしました。

    単独犯だという話があり、暴力団員や元自衛官などが犯人として浮かび上がっています。しかし立件はされていません。

    犯人がわかっている未解決事件もあるの?

    未解決事件の中には、犯人は特定されていても解決していない事案もあります。続いては、未解決事件の中でも犯人が分かっている事件についてご紹介します。どういった事件の犯人が特定されているのでしょうか。

    三億円事件

    『三億円事件』という言葉は聞いたことがある方も多いかもしれません。警官に扮し白のヘルメットを被ったモンタージュが有名な事件でもあります。三億円事件については詳しく後述しますが、この事件も犯人が判明しているとされるでしょう。

     

    この事件では、立川グループと呼ばれる不良グループのリーダー格であった、少年Sが犯人として目星が付けられていました。家宅捜索でも証拠が見つからなかったうえに、彼は青酸カリを服毒して自殺してしまったのです。そのため、未解決となってしまいました。

    足立区女性教師殺人事件

    1978年に、都内の小学校に勤める女性教師が失踪した事件が『足立区女性教師殺人事件
    』です。事件から26年が経った頃に、元学校の警備員が自首して被害者を殺害したことを認めました。その後に、元警備員の自宅床下から被害者の遺体が発見されたのです。しかし時効が訪れていたため、起訴はされませんでした。

    北関東連続幼女誘拐事件

    先述もしている北関東連続幼女誘拐事件は、全て時効が成立していて未解決となっています。犯人と目された人物は背格好が細身であり、休日はパチンコ店に来て一日中咥え煙草で過ごしていたといいます。この事件では他の男が逮捕されていますが、冤罪が発覚しました。

    また犯人とされる男のDNAも採取されていて、女児の遺品に付着したDNAと一致しています。しかし、DNA鑑定の失敗も含む他の男性への誤認逮捕での、冤罪が発覚すると警察の不手際を明らかにすることになるため、逮捕に至っていないとされているでしょう。

    城丸君事件

    1984年1月10日に、当時9歳だった城丸君という男の子が札幌市豊平区で行方不明になりました。彼が最後に目撃されたアパートの住人が、被疑者である女だと言われています。その女は、『確かに城丸君は来たが、家を間違えていたので正しい家を教えた』と証言しました。

    事件から14年が経った1996年に、被疑者の自宅から身元不明の遺骨が出てきました。DNA鑑定により、この遺骨が城丸君のものだと判明しています。それでも時効が迫っており捜査がしっかりとできなかったのです。証拠も揃えられずに起訴となりました。

    起訴はされましたが、殺害方法が不明ということもあり有罪にはできませんでした。被疑者は黙秘を貫き、犯行動機も明らかになっていません。

    悪魔の詩訳者殺人事件

    1991年に、筑波大学のキャンパスにおいて、助教授の男性がキャンパスホールのエレベーターで刺殺されました。被害者は『悪魔の詩』と呼ばれる小説を1年前に翻訳していた人物です。また、イスラム式の殺され方であった点が特徴です。

    『悪魔の詩』は反イスラム的な内容が含まれていて、イランの最高指導者は本を翻訳した人を死刑にするとの法律まであるとされています。この事件では、筑波大学に短期留学していたバングラデシュの留学生がマークされていました。しかしその留学生は、被害者が発見された日に日本を出国しています。

    これにより、日本政府がイスラム諸国との関係が悪化することを懸念し、捜査が打ち切られました。

    国松長官狙撃事件

    1995年3月30日に、警察庁長官の国松孝次が自宅マンション付近で狙撃されました。この事件では、元公安でオウムの信者だった人物が逮捕されましたが不起訴となっています。その後、2008年にスナイパーだという中村泰が犯人だと自供しており、犯人であることが濃厚であるものの逮捕には至っていません。

    彼が拳銃を購入した履歴等は判明していて、拳銃は貸金庫に隠したと供述しています。その貸金庫には、事件から1時間後の開閉記録が残されていました。しかし、公安の方針を否定することになるとの理由により、証拠が揃っているにも関わらず逮捕されなかったという噂があります。

    闇が深い未解決事件とは何のこと?

    先述もしている三億円事件は、闇が深いという話があります。続いては、世間を騒がせた三億円事件の闇の深さについて迫ってみたいと思います。この事件は、どういった点が深い闇があるとされているのでしょうか。

    三億円事件も闇が深いと言われている

    1968年12月10日に、東京都府中市において現金輸送車が襲われた事件が“三億円事件”です。犯人は白バイに乗っていたとされることは、判明しています。この事件は、日本犯罪史最も有名でもあります。完全犯罪として、多くのメディアで紹介され映画化されたり、書籍化されているでしょう。

    この事件は、闇が深いのだと言われています。

    金銭的に損失がなかった

    日本信託銀行国分寺支店(現存していない)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場に工場従業員のボーナス約3億円を輸送中に起きた事件が、三億円事件です。この事件では、誰1人として怪我をすることなく計略のみで犯行を成功されています。

    また、現金が盗まれた翌日には東芝府中工場の従業員にボーナスが支払われました。そして盗まれた3億円は保険会社により支払われ、保険金で補填されています。保険会社もまた再保険をかけていて国外の保険会社によるシンジケートに出再(他の保険会社に引き受けてもらうこと)していたのです。

    シンジケートとは、製品の共同販売についての独占形態の1つです。金銭的に損失を被った人がいないという、”闇が深い事件”とされているでしょう。

    YouTube動画でも語られている

    YouTubeに、『【未解決事件】日本で一番闇が深い事件「三億円事件」の真相。』というタイトルの動画があります。『陰キャ闇の集い』というYouTubeチャンネルの動画です。この動画では、三億円事件についての概要が語られているでしょう。

    事件の名称は知っていても、どういった事件なのか分からないという方も当事件の闇の深さについて知ることができるかもしれません。

    平成三大未解決事件とは何がある?

    平成の時代は30年間ほどありましたが、その間にも様々に未解決事件が起きています。続いては、『平成三大未解決事件』についてご紹介します。『平成三大未解決事件』とはどういった事件を指すのでしょうか。

    世田谷一家殺害事件など

    『平成三大未解決事件』という名称の通り、平成の頃に発生した3つの未解決事件のことをいいます。具体的には、世田谷一家殺害事件や柴又上智大生殺人放火事件、八王子スーパーナンペイ射殺事件を指します。柴又上智大生殺人放火事件とは、1996年(平成8年)9月9日に東京都葛飾区柴又で発生した事件です。

    東京都葛飾区柴又3丁目の民家より火災が発生し、焼け跡から当時上智大学4年生だった女子学生が遺体となり発見されました。この事件は、捜査が継続されていて捜査特別報奨金制度の対象となっています。

    未解決事件の捜査中!

    上記の3案件は『特命捜査対策室』が設置され、40名の捜査員が配置されています。現在も捜査が続けられているのです。そして世田谷一家殺害事件に関しては、2017年、2018年に新たな情報が公開されました。この様な場合には、警察は何か事件の有力な情報を掴んでいる可能性があるとされます。

    この際には、犯人の髪の色や年齢層、身長、凶器を包んだハンカチの特殊な巻き方などが公開されました。

    警察は無暗には動かない

    警察は、目的もなく無暗に動くことはないとされます。無駄な捜査はしないということかもしれません。犯罪ジャーナリストの小川泰平氏によると、現段階で掴んでいる情報の裏付けや、確証を得るための“補強”を行っている段階かもしれないといいます。

    明治や大正にも未解決事件が起きている?

    明治や大正の時代にも事件は起きていました。では、明治や大正といった時代には、どの様な事件が未解決となっているのでしょうか。その一部をご紹介します。

    広沢真臣暗殺事件

    幕末から明治時代に活躍した長州藩士、広沢真臣という人物がいました。維新十傑の1人とされる広沢真臣は、1871年1月9日に東京府麹町富士見町私邸での宴会をしていました。その宴会が終わった後の深夜に、彼は刺客により暗殺されたのです。

     

    この事件では、広沢家の家令と広沢真臣の愛人・カネが屋敷の金を使い込んだことから口封じのために広沢真臣を殺したと自白しました。しかし彼らは無罪となっています。市中では政敵だった木戸孝允が刺客を差し向けたという噂も出ました。

    青ゲットの殺人

    福井県において、1906年2月11日に回船問屋である橋本利助商店に青毛布をかぶった訪問者がやってきました。その人物は、店の番頭である加賀村吉に面会を求めてきました。「親戚の婆さまが急病で倒れたので、すぐにきて欲しい」と言うのです。

    そう言われた加賀村吉は、青毛布の男と共に去っていったのでした。その男は加賀村吉の家などに何度も現れ、人を連れて去っています。翌朝には、男によって連れ出された人々の遺体が次々に発見されました。

    1921年に迷宮入り

    青ゲットの殺人では、加賀村吉の遺体は発見されませんでした。またこの事件では、加賀村吉に恨みを持っている人物、男が被っていた青毛布に関わりがある者が手がかりになっています。しかし、有力な手がかりは得られなかったのです。そして、青ゲットの殺人は1921年に時効を迎えて迷宮入りとなりました。

    臀肉事件

    1902年3月には、臀肉(でんにく)事件というものが発生しています。少年が何者かにより殺され、臀部(お尻のこと)の肉を切り取られた事件です。野口男三郎(おさぶろう)という男が少年殺害の容疑者とされましたが、この件では証拠不十分で無罪となりました。

    ところが、野口男三郎は別件で有罪となり死刑が執行されています。

    昭和時代にはどんな未解決事件は起きた?

    第二次世界大戦の時期も含め、63年間ほどあった昭和の時代。この間には、どういった事件が未解決のまま時効を迎えたのでしょうか。次に、昭和の未解決事件を3件ピックアップしてご紹介します。

    名古屋少年匕首殺害事件

    戦後すぐの1945年8月30日に、名古屋少年匕首(あいくち)殺害事件が発生しました。古屋市において、在日韓国人の男が他の男と共謀して少年らを恐喝して、殺人や殺人未遂を起こした事件です。当時18歳の少年が惨殺され、16歳だった少年も右腕を切るという全治2週間の怪我を負いました。

     

    加害者は、恐喝罪や殺人未遂罪、殺人罪で逮捕されます。しかし、この韓国人の犯人は名古屋拘置所より脱獄したため、予審手続きが中止されました。共犯者の男は恐喝罪に問われ、1946年1月に判決が言い渡されています(判決内容は不明)。そして結果として、2001年7月3日に公訴時効が成立しました。

     

    その後には、2001年8月14日に被告人を免訴する判決が下っています。

    二股事件

    1950年に、静岡県磐田郡二股町で就寝中の一家4人が殺害された事件が“二俣事件”です。少年が逮捕されましたが、当時の静岡県警察の警部補であった紅林麻雄による尋問を受け、自白の強要をされたといいます。紅林麻雄は、数々の冤罪事件を作ったとして知られる刑事でした。

    少年や地裁・高裁共に死刑判決を受けています。しかし、最高裁が審理を差し戻してからは地裁・高裁両方で無罪判決が下り、無罪が確定しました。無罪が確定するまで、少年は7年8ヶ月間“被告人”という立場になったのです。また彼は、2008年10月に77歳で死去しました。

    当事件の真犯人については、上述の少年を犯人として捜査をしていたことから、それ以外には捜査をしていませんでした。そのことから、真犯人を探し出すことはできなかったとされています。なお『現場刑事の告発-二俣事件の真相』といというでは、有力容疑者が名指しされて明かされているといいます。

    江東区小5女児誘拐殺人事件

    東京都江東区で、1969年5月31日に小学5年生だった女児の遺体が発見されました。この事件では、怨恨と変質者の両面から捜査が進められたといいます。しかし有力な手がかりを得ることなく、2年2か月後に捜査本部は解散となりました。そして1984年5月30日で時効を迎えたことで、未解決事件となっています。

    令和に起きた最新の未解決事件がある?

    令和の時代を迎え今年で4年目となりますが、この間にも未解決事件が発生しています。続いては、令和に起きた未解決事件について迫ってみたいと思います。近年では、どういった事件が起きているのでしょうか。

    京都市南区久世町高齢女性殺害事件

    2020年6月30日に、京都市南区久世上久世町のアパートで起きた殺人事件が『京都市南区久世町高齢女性殺害事件』です。アパートの一室で、高齢女性が何者かに殺害されたのです。この事件は2年近くが経ちますが、犯人は検挙されていません。京都府警も、ホームページに情報提供を求めるページを掲載しています。

    熊本市南区元城南町議殺人事件

    熊本市南区元城南町議殺人事件は、2021年5月24日午前6時15分頃に発生しました。熊本市で自宅の寝室で男性がうつ伏せで倒れているところを、妻が発見したことで事件が発覚しています。亡くなった男性は窒息死とされていますが、警察は警察は決定的となる証拠を抑えることができていません。

    トイレで起きた未解決事件もあるの?

    未解決事件の中には、トイレで発生したものもあります。では、トイレで一体何が起きたというのでしょうか。事件の概要などについてご紹介します。

    福島女性教員宅便槽内怪死事件

    トイレで起きた事件というのは、平成元年となる1989年2月28日に発生した福島女性教員宅便槽内怪死事件です。福島県都路村にある女性教員社宅の一室にあるトイレの中から、男性の遺体が発見されました。男性が”覗き目的”で便槽内に侵入して、狭さにより出れなくなり凍死したものと警察は断定しています。

    不可解な点が色々ある

    覗きのために侵入したと断定はされましたが、便槽から覗きをする意味が分からないなど不可解な点がありました。そのため、真相がはっきりと分からないままとなっているでしょう。

    男性と住民女性は顔見知りだった

    この事件で亡くなった男性と住民の女性は、顔見知りだったといいます。当時は、1989年1月7日に昭和天皇が崩御されたばかりでした。そして、2月24日には内閣の主催により『大喪の礼』が行われました。住民女性はこの『大喪の礼』に合わせて実家に帰省していたのです。

    この帰省中に男性が侵入したとされています。女性は、帰省から戻った後で便槽内の男性に気付いたのでした。なお、男性は2月26日に亡くなったと推定されています。

    日本には未解決事件が多くある!

    日本では、これまでに多くの事件が発生してきました。その中でも、解決できずに時効を迎えた事件が多くあります。また、現在も捜査が継続されている事件も数々あるのです。それは、今回ご紹介しきれないほどの数となるでしょう。

    日々捜査を頑張ってくれている捜査員としては、解決できないことや犯人が分かっていながらも逮捕に至れないことは悔しい限りだと考えられます。また、被害者も無念であると推測できるでしょう。現在も捜査が続く事件の、一刻も早い解決が望まれます。

    未解決事件の関連記事

    TOPへ