木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
まずは『世田谷一家殺害事件』の概要について迫ってみたいと思います。『世田谷一家殺害事件』とは、一体どういった事件なのでしょうか。
世間一般的には『世田谷一家殺害事件』として知られていますが、それは通称であり正式名称は『上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件』となっています。また、被害者一家の姓で呼ばれることもあるでしょう。
2000年の年末だった12月30日23時頃から31日の未明にかけ、上祖師谷三丁目にある会社員宅で一家4人が殺害されました。殺害された母親の、隣家に住む実母が31日の午前10時40分頃に発見したことで、事件が発覚したといいます。変わり果てた娘一家を発見した実母の心中を考えると、察するに余りあるでしょう。
『世田谷一家殺害事件』の被害者となったのは、当時41歳だった会社員の宮沢みきおとその妻・泰子、長女で8歳だった”にいな”、6歳の長男・礼です。なお、妻と長女は死後も滅多刺しにされていました。
『世田谷一家殺害事件』は、未解決事件としても知られています。犯人は遺留品を多数残しています。また、現場でアイスクリームを食べていることや、パソコンを操作していることも分かっているのです。しかし、現在も犯人の特定には至っていないでしょう。
この事件については、事件のあった時期である年末が近づくと、情報公開が行われるなどマスコミが取り上げています。
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『世田谷一家殺害事件』の犯人は特定されてはいませんが、どういった人物が犯人なのかを探ってみましょう。犯人の犯行当時の様子や特徴について見ていきたいと思います。
犯人の血液型は判明しています。犯人は犯行時に手を負傷していますが、現場にその際の血液が残っていて、その血液から犯人がA型であると分かっているのです。殺害された一家にはA型はいなかったといいます。また血液から、犯人は男性であることも分かっています。
そして薬物反応は出ていませんし、喫煙者ではないという点も判明しているでしょう。それだけでなく、被害者の傷跡から犯人は右利きのようだということも分かっています。
服装などから見て、犯人の身長は170センチ前後の痩せ型であることが推測されています。そして、事件当時は15歳から35歳の間であったと推定されているでしょう。それは、犯人の被害者宅への侵入方法などから警視庁がまとめた犯人像です。
なお警視庁は、犯人像を『事件当時15歳から20代の細身の男性』に絞りました。
被害者宅の裏側は祖師谷公園になっています。犯人は、被害者宅の裏(公園側)にある2階浴室の窓から入出した可能性があるでしょう。その浴室の窓は開いていて、網戸が外れて外に落ちていました。また、玄関から普通に侵入した可能性も指摘されています。
前述もしていますが、犯人は犯行時に右手を負傷しています。その後に犯人は、被害者宅で救急箱を物色し、傷の手当をしていたと考えられています。2階の台所に、犯人の血痕が付着したタオルや指紋の付いた絆創膏が散らかっていたのです。
犯人は、柳刃包丁を現場に残していきました。柳刃包丁は、事件当日東京都の吉祥寺にあるスーパーでも販売されていました。2004年に警視庁が、吉祥寺のスーパーで柳刃包丁を購入していたとされる人物の似顔絵イラストを公開しています。
この際には、『身長170センチ前後、年齢30代、黒っぽいジャンパーの男』として公開となっています。
犯人の指紋の特徴についても分かっています。犯人の指紋は、親指の指紋(渦状紋)が豚の鼻のような2本の線が中心にあるとされています。
血痕のDNAから、犯人のルーツが判明しています。父系がアジア系民族であり、母系は欧州系民族が含まれるというのです。専門家の中には、『日本人には少ない型』だとする声もあります。遠くない祖先に南欧系の女性がいた可能性も高いですが、犯人の母親が南欧系なのかどうかは分かっていないでしょう。
殺人事件には時効というものがありますが、『世田谷一家殺害事件』をきっかけに公訴時効の撤廃について議論をされたのです。続いては、公訴時効撤廃に向けた動きについてお伝えします。
2009年2月28日に、『世田谷一家殺害事件』の遺族と別事件の遺族等により、殺人事件被害者遺族の会である『宙(そら)の会』が結成されました。『世田谷一家殺害事件』が、他の事件の遺族らと団結したのです。
『宙の会』が結成されたのは、公訴時効の停止と廃止が目標でした。検察官が起訴できなくなる期間を失くすことを目的としていたのです。もし公訴時効が撤廃されれば、過去の事件であっても犯人が見つかれば起訴できるようになるということです。
『宙の会』だけでなく、2008年11月に全国犯罪被害者の会も、殺人等の重大事件での時効廃止を求める決議を行いました。この様に、時効の廃止や停止を訴える声や世論も高い関心を寄せるようになったのです。そのため、法務省も勉強会を開くことを2009年1月に表明しています。
公訴時効の期間延長、停止などを視野に入れてのことです。
2010年3月12日に、刑事訴訟法の改正案が政府で閣議決定しました。そして、4月27日には刑事訴訟法改正案が可決決定し、即日で施行しています。改正案には、殺人罪あるいは強盗殺人罪といった法廷での刑の上限が死刑に該当する罪の公訴時効廃止等が含まれました。
刑事訴訟法の改正により、『宙の会』の主となる目的が成し遂げられたでしょう。
事件が起きても、時間は経過していくものです。『世田谷一家殺害事件』が発生してからも、時が経ちました。では、『世田谷一家殺害事件』はその後どうなっているのでしょうか。
先述した通り、『世田谷一家殺害事件』は2000年の年末に発生しています。ということは、事件が起きてから2021年の12月末で、21年が経過することになります(執筆時点)。犯人はまだ逮捕されていませんが、それだけ時間が経過しているのです。
それもあり、公訴時効の廃止が必要あるのかもしれません。犯人も、既に21歳年齢を重ねていて、現在もどこかで生きている可能性があるでしょう。
警察では、現在も情報を募っています。警視庁の捜査員が、2021年12月11日に成城学園前駅などで情報提供を呼びかけました。捜査員らは、犯人の特徴などが書かれたチラシを配ったのです。
警視庁は、2007年12月14日から『世田谷一家殺害事件』を”捜査特別報奨金制度”の対象事件として指定しました。事件の解決や犯人の逮捕に結び付く強力な情報を提供した場合には、懸賞金が最大300万円支払われることになったのです。
そして2010年12月16日以降になると、「事件の捜査に協力する会」によって私的懸賞金が最大で700万円も用意されています。その後に2014年12月には、私的懸賞金が1,000万円増額となりました。これにより、犯人逮捕に繋がる情報には合計で最大2,000万円が支払われるようになったのです。
『世田谷一家殺害事件』が発生してから刻一刻と時間が経過していくため、犯人逮捕に向け力をより入れるようになっているということでしょう。
2020年12月の時点で、『世田谷一家殺害事件』の被害者一家の母親であり第一発見者でもあった宮沢節子は、89歳になっていました。息子夫婦と孫2人を亡くした彼女は、事件から20年が経ち、事件について語っています。母親は、『20年は、1日1日は長いなと思っていた』や『ずっと待っている』と言っていました。
その様子は、動画としてFNNプライムオンラインのYouTubeで公開されています。
『世田谷一家殺害事件』は、(現時点で)発生から21年が経とうとしていますが、これまでに捜査の進展はあったのでしょうか。次に、『世田谷一家殺害事件』の犯人特定に向けての展開について迫ってみたいと思います。
現時点では、現在40代となっている”H”という人物に疑いがかかっていると見られます。写真週刊誌『FLASH』の11月9日・16日合併号とウェブ版において、「世田谷一家殺人事件 21年めの新展開!警視庁が異例の実名出しで所在を追う『焼き肉店のアルバイト店員』」と言う記事が掲載されたのです。
警視庁の捜査一課では現在、この“H”についての聞き込み調査を行い行方を当たっているといます。“H”が犯人であると有力視されているものと考えられるでしょう。
疑いのかかっている“H”は、『世田谷一家殺害事件』が発生した当時まだ20代の若者でした。その頃は、世田谷区内にある焼き肉店でアルバイトをしていたといいます。こうしたことからも、世田谷区という土地には慣れていることがうかがえるでしょう。
また、この“H”は捜査本部が発表している犯人像と合致する点が多いとされています。事件当時の“H”は、身長は170センチであり中肉中背だったという話があります。また無精ひげを生やしていて、髪は五分刈りで短かったのです。競技用自転車のBMXに乗っていて、いつも帽子を被っていました。
ポスターにある犯人のイメージ写真にも似ているとする証言もあるでしょう。
“H”に関しては、事件翌日の目撃情報があります。“H”がアルバイトをしていた焼き肉店の常連客が、事件発覚の翌日となる2001年元日に祖師ヶ谷大蔵の商店街で犬の散歩をしていました。すると、”H”が手に包帯を巻き歩く姿を目撃したというのです。そのことは、最近になり警察に明かしたといいます。
犯人は犯行時に手を負傷したとされていますし、それもあり余計に疑われているのかもしれません。
焼き肉店の店主は、『世田谷一家殺害事件』の前後に空き巣被害に遭っていたといいます。自宅に置いていた時計や現金数百万円を盗まれてしまったのです。現場には、バールによりサッシをこじ開けて侵入した形跡があったと店主は話しています。
すると、捜査でやってきた2人の警察官は店主に『世田谷一家殺害事件と空き巣事件は同一犯人である可能性がある』と自信たっぷりに言っていたのでした。
警察は、容疑者として”H”の名前を実名で聞き込みなどといった捜査をしているとされています。警察側は、”H”が『世田谷一家殺害事件』の犯人であると目ぼしを付けている模様です。ただ雑誌『FLASH』によると”H”の実家は既に元の場所にはなく、前述のように”H”の足取りは未だに掴めていません。
捜査に本腰を入れているなら、実家はないとしてもそれくらいで警察が捜査に手詰まりするとは考えにくいでしょう。現在のところは、警察当局が騒然となるような捜査の進展はない模様です。
街のあちこちで落書きを見かけることがありますが、『世田谷一家殺害事件』の現場にも落書きがされたという事件がありました。さて、一体どういったことが起きたのでしょうか。
『世田谷一家殺害事件』の被害者である宮沢みきお一家が住んでいた、事件現場の住宅を囲うフェンスが、2021年5月に落書きされました。これにより、落書きをした犯人が逮捕されています。事件現場のフェンスに落書きをしたのは、一体どういった人物だったのでしょうか。
フェンスに落書きをしたのは、未成年の少年でした。17歳の少年が、『器物損壊罪』の疑いで書類送検されたのです。彼が落書きをしたのは凄惨な殺人事件が起きた現場でしたが、彼にとっては何気ない鬱憤晴らしだったのでしょうか。彼がこの場に落書きをしてしまったのには、理由があった模様です。
書類送検された少年は『世田谷一家殺害事件』が起きた後に生まれています。そのため、この少年は『世田谷一家殺害事件』そのものを知らなかったのです。少年は、『世田谷一家殺害事件そのものを知らなかった』『こんな大ごとになると思わなかった。反省している』と話していたといいます。
落書きをしたことは罰せられなければいけませんが、もし事件のことを知っていたのならその場に落書きをすることはなかったのかもしれません。
『世田谷一家殺害事件』は、21年前に東京都世田谷区で一家が殺害された未解決事件です。“ミレニアム”と言われた2000年の年末に、幸せだった宮沢みきお一家が何者かによって惨殺されたのです。犯人は多数の痕跡を残していきながらも、未だに逮捕されていません。
そのため、未解決事件とされています。事件からは21年が経とうとしていますが(執筆時点で)、殺人事件被害者遺族の会『宙の会』の尽力もあり、公訴時効の撤廃も叶いました。これにより、いずれ犯人が逮捕される可能性もあるでしょう。
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『世田谷一家殺害事件』は、2000年12月30日深夜に東京都世田谷区上祖師谷で発生した、殺人事件です。今から21年ほど前の事件となっています。夜が明けると“大晦日”になるという時に起きました。