2024/02/16
r.y6
真瀬樹里は、5歳にして早くも女優を志していたといいます。幼少期より映画の撮影現場や舞台に連れられて行っていたことが、影響していたでしょう。真瀬樹里は、演技をする仕事に早くから興味を持っていた模様です。
真瀬樹里のデビュー作は、映画『シュート!』でした。大学に在学中だった1994年の作品であり、若き日のSMAPメンバー(当時は6人だった)が主演を務めた話題作でもありました。なお『シュート!』では、真瀬樹里の母親である野際陽子も声の出演をしています。
真瀬樹里は、大ヒット映画『キルビル』への出演経験もあります。彼女は2004年の映画『キル・ビルVOL.1』に、クレイジー88の構成員役(他の構成員としても2回切られ役を演じた)で出演しました。それだけでなく、真瀬樹里は殺陣指導も行ったのです。
『キル・ビルVOL.1』の、アクションシーンに寄与したのでした。
真瀬樹里が新田真剣裕や眞栄田郷敦と不仲だとされたのは、3人の父親である千葉真一が2021年8月19日に亡くなってからでした。新田真剣佑と眞栄田郷敦が、2021年12月に『2022年1月22日に父親・千葉真一のお別れの会を開催する』ということを発表しました。
一方の真瀬樹里側も、2022年1月22日に『偲ぶ会』を行う予定であることが分かったのです。この様に、別々にお別れ会を催すとした点が、不仲とされた発端となったのでした。
2019年には、千葉真一の芸能生活60周年祝賀会が行われており、この際には真瀬樹里や新田真剣佑らが出席していました。3ショットも見せていたことから、その頃は不仲ではなかったと推測されます。父親の死後から何かが起こり、不仲になったものと考えられるでしょう。
真瀬樹里と新田真剣佑、眞栄田郷敦は、直接連絡を取る関係にないとされています。連絡を取り合う場合には、弁護士や千葉真一運営のJACの代表を務める西田真吾氏を介して行われている模様です。
真瀬樹里と新真剣佑らは、父親である千葉真一のお別れの会に際し衝突をしたのではないかという話があります。姉と弟たちの間に、一体何が起きたのでしょうか。
3人の父親である千葉真一が、2021年8月に新型コロナウイルスに感染しました。これにより、2021年8月19日に肺炎のため千葉県木更津市の病院で死去したのです。享年82歳でした。
元々は真瀬樹里と新田真剣佑・眞栄田郷敦は仲が良かったと思われます。しかし先述の通りに、父親のお別れの会に関係して溝ができてしまった可能性があるでしょう。お別れの会に際して起きた出来事については、後述します。
真瀬樹里と千葉真一の実の姉である昌子、千葉真一のマネジメントをしていた鈴木哲也氏によるグループが形成されている模様です。一方で、千葉真一が運営してきたJACの代表を務める、西田真吾氏(新田真剣佑らのサポートも務める)のグループもあるとされています。
この様に、遺族や関係者は2つのグループに分かれているのです。西田真吾氏は、真瀬樹里らから『千葉真一の死を利用した取り巻き』だと言われています。
千葉真一の臨終には、西田真吾氏や千葉真一のマネージャーが立ち会ったとされています。鈴木哲也氏は名前こそ出さないものの、『親族に千葉真一の危篤をきちんと知らせることなく、臨終に立ち会うことを妨げた』『火葬にも呼ばなかった』と西田真吾氏らを非難したと、フライデーで報道されました。
なお千葉真一の姉・昌子も、別のフライデー記事で『弟の死をいいように利用した取り巻きたちには、憤りしかありません』と語っています。
西田真吾氏は、鈴木哲也氏が非難したとするフライデーの記事は事実と異なるとして、反論しました。『記事では“千葉さんの死を看取ったのは他人ばかり”とあったが、それが事実ではない』と言っていたのです。西田真吾氏は、千葉真一が亡くなった日に真瀬樹里に対してLINEを送ったといいます。
その内容は、千葉真一の具合が良くないので電話を欲しいというものでした。真瀬樹里は間に合わず、彼女は千葉真一の死去4時間後となる午後9時半頃に到着したのだとしています。千葉真一を看取った西田真吾氏が真瀬樹里や千葉真一の妹・昌子に会った時に、翌日に火葬をすることになったとの話になりました。
すると真瀬樹里は「明日は舞台の稽古があるので行けない」と言ったと、西田真吾氏は言っています。そのため彼は、フライデーで“火葬場から親族が排除された”と書かれたものの、そんなことはあり得ないとしています。
火葬場では、千葉真一の遺骨を眞栄田郷敦が拾いました。それは、ハリウッドで映画の撮影をしていた兄・新田真剣佑に代わってのことでした。姉・昌子は”前田家の人間は火葬に出ていない”と言っていますが、西田真吾氏は”眞栄田郷敦は家族ではないのか”と悲しく思ったと語っています。
JACのOBでもある若山騎一郎が、『真瀬樹里が預かる方が千葉真一も寂しくないだろう』と提案したこともあり、真瀬樹里が遺骨を預かることになりました。真瀬樹里は9月に遺骨を受け取りに訪れ、「真剣佑が帰国するまで預かります」と言っていたといいます。
一方の新田真剣佑は、日本の自宅に“お父さんがように”ということで祭壇を作らせ準備を整えていました。しかし海外にいる彼は、新型コロナウイルスの影響もあり帰国できませんでした。するとそのうちに、真瀬樹里が「遺骨をマッケンに取られる」と言うようになったとされます。
そして新田真剣佑の方は“もういいよ”となってしまい、遺骨と会うのを諦めたという話があるでしょう。
フライデーの報道では、遺族を差し置いて西田真吾氏が遺骨を拾ったとされています。しかし彼は、JACの稽古のため火葬場には訪れていないと言っています。真瀬樹里側の鈴木哲也氏も、火葬場に西田真吾氏がいなかったのは事実であり、勘違いしていたと話しています。
なお真瀬樹里は、西田真吾氏から「コロナで骨は拾えない」と言われたとの話があるでしょう。さらに真瀬樹里は西田真吾氏に対して不信感を抱いており、“遺骨を取られるのではないか”と鈴木哲也氏に相談したとされているでしょう。
真瀬樹里本人は、『報道が一人歩きすることは望んでいない』と言っています。また、『一切の回答を控えさせていただきます』とも語っているでしょう。誤解を生んだりすることを避けるために、多くは語らないことにしているのかもしれません。
ここで、真瀬樹里と新田真剣佑・眞栄田郷敦の関係について詳しく見てみたいと思います。3人は兄弟ではありますが、具体的にはどういった関係にあるのでしょうか。
真瀬樹里と新田真剣佑や眞栄田郷敦は、父親が千葉真一である点が同じです。よって、新田真剣佑や眞栄田郷敦は真瀬樹里にとって異母兄弟になります。新田真剣佑と眞栄田郷敦は、真瀬樹里と母親が違うということです。
真瀬樹里は、父親が最初に結婚をした野際陽子の娘です。しかし、父親と野際陽子は1994年に離婚してしまいました。そして新田真剣佑や眞栄田郷敦は、父親の2人目の妻・玉美との間に生まれました。芸子をしていた玉美と父親は、1996年に結婚しています。新田真剣佑や眞栄田郷敦はその後に誕生したのです。
父親と玉美は28歳という年の差のある夫婦でしたが、2015年に離婚しています。そのため、戸籍上は新田真剣佑と眞栄田郷敦は息子ではなくなっている可能性もあるでしょう。
次に、真瀬樹里の父親・千葉真一について探ってみたいと思います。真瀬樹里と父親はどういった関係性だったのでしょうか。
真瀬樹里は、アメリカでも活躍したアクションスターの千葉真一を父親に持ちます。異母兄弟である新田真剣佑らはアメリカ生まれですが、真瀬樹里は1975年に東京で誕生しました。しかし真瀬樹里が19歳になる1994年に両親は離婚してしまったのです。
真瀬樹里は父親についてテレビで語ったことがありました。2018年7月19日に放送された『有吉ゼミSP』に真瀬樹里が出演しました。その際の彼女は、「私自身はあんまり親バカだなと思ったことはない」と言っています。すると番組では、番組が父親・千葉真一に直撃取材したのです。
千葉真一は、真瀬樹里が小学生の頃に京都に新築の別荘を23億円ほどで購入したことを明かしました。また、娘の誕生日に50人規模のバースデーパーティーを開いたエピソードも語っていたのでした。なお真瀬樹里によると、そのパーティーの司会は真田広之や志穂美悦子が務めたのだといいます。
真瀬樹里は、千葉真一と映画『キルビル』で共演しています。それだけでなく、2011年2月4日には千葉真一と『徹子の部屋』に一緒に出演しました。両親は離婚していますが、父娘は良好な関係を築いていたのかもしれません。
真瀬樹里の父親についてはお伝えしましたが、ここで彼女の母親について迫ってみましょう。真瀬樹里の母親は一体誰なのでしょうか。
真瀬樹里の母親は、女優の野際陽子です。真瀬樹里というのは芸名であり、本名は“野際樹里”といいます。なお旧姓は”前田”となっているでしょう。前田というのは、父親である千葉真一の本名です。
1968年からのドラマ『キイハンター』での共演により知り合った千葉真一と野際陽子は、1972年に婚約して1973年に結婚しました。そして1975年に娘の真瀬樹里を出産しますが、38歳11か月での初産は当時の芸能界において、最高齢出産となったのです。
しかし、日本に居たかった野際陽子とアメリカを拠点にしたかった千葉真一は、1994年に離婚しています。
真瀬樹里は、親である野際陽子に良く似た美貌を持っています。年齢を重ねてきて、さらに
雰囲気が似てきているかもしれません。2017年には、黒柳徹子の半生を描いたドラマ『トットちゃん!』が放送されました。真瀬樹里は、黒柳徹子から直々に野際陽子役のオファーを受け出演しています。
それは、野際陽子が黒柳徹子の親友であったことが理由であったと考えられるでしょう。
母親の野際陽子は、2017年13日に81歳で真瀬樹里らに看取られながら死去しています。千葉真一よりも先に亡くなっていたのです。野際陽子は、2014年に初期の肺腺癌と診断されて手術しており、2015年にも再発のため腫瘍摘出の再手術を受けていました。
2016年からはドラマ『やすらぎの郷』の撮影に臨んでいたところ、再発してしながらも2017年5月までは撮影を続けていました。しかし肺炎を併発し入院することになったのです。テレビドラマではは『やすらぎの郷』が、映画では『いつまた、君と〜何日君再来〜』が遺作となっています。
真瀬樹里というと、”殺陣が得意”というのが代名詞かもしれません。最後に、真瀬樹里の殺陣について迫ってみたいと思います。真瀬樹里は、殺陣に関してどういった活動を行っているのでしょうか。
真瀬樹里は父親から幼い頃から教わっていた可能性もあり、殺陣が得意です。そして1998年に殺陣を演じる殺陣師や俳優らによる集団 『剱伎衆かむゐ』を結成しました。『剱伎衆かむゐ』は、殺陣師・俳優の島口哲朗により、『サムライソードアーティスト』と名付けられています。
これは、殺陣が“剣で表現をする芝居”であることを目指したものとされているでしょう。
2018年11月29日から12月7日まで、真瀬樹里が東京・銀座九劇アカデミアにおいて殺陣のワークショップを開催しました。2週間で全4回の授業を行い、一般が2万5000円、学生は2万円という参加費用だった模様です。
真瀬樹里は殺陣に関する教室も開いています。2021年7月1日から2022年7月28日までの期間において、真瀬樹里の殺陣教室が開催中です。毎週木曜日に月4回開催されています。
真瀬樹里は、2021年10月23日に大分で『スポーツ・オブ・ハート 2021』に出席しました。本来このイベントには千葉真一が出席予定でしたが、真瀬樹里がその代わりに出席したものと考えられます。この際には、、真瀬樹里は千葉真一の追悼パートにおいて殺陣を披露しました。
千葉真一と野際陽子の娘である女優の真瀬樹里。彼女には新田真剣佑や眞栄田郷敦という異母弟たちがいますが、彼らとは仲良くしてきた模様です。しかしながら、2021年夏に3人の父親である千葉真一が亡くなってしまいました。これを機に、父親の遺骨を巡り姉と弟たちの間で溝ができてしまったとされています。
それもあり、父親のお別れの会もそれぞれに開催される運びになったでしょう。現在はわだかまりが残っているのかもしれませんが、時を経て兄弟で仲良くできる日が来ればと願うばかりです。
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