木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
2022/03/29 更新
2019年に熊沢英一郎が父親に殺害された事件がありました。被害者となった熊沢英一郎はどういった生い立ちだったのでしょうか。そこで今回は、熊沢英一郎の生い立ちや学歴などについて探ってみたいと思います。また、犯人となった熊沢英昭の現在についてもお伝えします。
2019年6月に起きた東京都練馬区の住宅地で起きた、刺殺事件をご存知でしょうか。
この事件が特殊なのは、父親が犯人で殺害されたのが息子という点でしたが、それ以上に父親が、元高級官僚であったという点が注目を集めました。
一体どのような事件だったのでしょうか。まずは事件の概要を時系列に紹介します。
警察官が現場に到着すると、1階和室の布団に被害者の熊澤英一郎が仰向けに倒れていて、上半身は刺されて血まみれに。
父親の熊澤英昭の通報通りに、包丁が布団の近くに落ちていたことが判明しています。首を中心に十数ヶ所刺された状態だったのです。
熊澤英一郎は、搬送先の病院で、死亡が確認されました。直接の死因となったのは、首を切られたことによる失血死です。
死亡した熊澤英一郎は高校を卒業後に、自宅を出て1人暮らしをしていましたが、ゴミに関する近隣トラブルがあって、2019年5月25日に自宅に戻ったばかりでした。
自宅に戻って2日目に、熊澤英一郎は家族に暴力を振るっています。父親の髪の毛を掴みドアやコンクリートに頭をぶつけるなど過激なものでした。
こういった親子の諍いは、数日後に悲惨な殺人事件へと繋がっていくことに。
今回の事件の犯人となった父親の熊澤英昭は、東京大学法学部を卒業し、元農林水産事務次官を務めた経歴を持つエリート中のエリートといっても過言ではないでしょう。
事務次官は、キャリアと呼ばれる最高位のポストであるため、実質トップで各界においての影響力は絶大です。
2002年に農林水産省を退官し、2004年から農協共済総合研究所理事長に就任。2005年から2008年までチェコ大使に就任しました。
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殺害された息子の熊澤英一郎は、どんな生い立ちだったのでしょうか。学生時代に、挫折を味わっていたことや、心の病を抱えていたことが判明しています。
熊澤英一郎は、父親も東大卒ですし母親は教育熱心な女性。このためか子供の頃はかなり成績優秀な生徒だったようです。
成績が優秀ではあったものの、アスペルガー障害を持っています。ゲームに没頭して現実逃避を図っていたようで、周囲とのコミュニケーションが苦手だった模様。
社交性が欠如していたために、親を亡くしたクラスメイトに向かって「父親は官僚で偉い」など、思いやりに欠ける発言をするなどの言動が問題視されていました。
中学校2年生の頃から学校に行かず引き籠るようになりました。この頃に初めて母親を殴っています。
子供の頃から母親に対する憎悪があり、自身のtwitterで「初めて殴った快感」と心境を呟いていました。
以前から学校に通い、勉強して良い成績を取っても褒めることはなく母親は、当然のことであるという姿勢だったのです。
熊澤英一郎は、満たされない思いを持って難しい思春期を過ごしていました。
熊澤英一郎は、小学校から高校まで同級生からいじめに遭い、統合失調症を発症していたのです。
いじめは陰湿そのもので、シャープペンで背中や手を指されたり、塩を鼻に押し付けられたり、筆箱で頭を叩かれたりということが日常でした。
熊澤英一郎の学歴二ついて調べました。中学校2年生で引き籠りになりましたが、その後も名門高校に在籍していました。
一方で、大学については不明点が多く様々な憶測が飛び交っています。
熊澤英一郎が通っていた中学校と高校は「駒場東邦」。東京都世田谷区に所在する私立中高一貫の学校で、偏差値は2021年の実績で66という難関です。
駒場東邦に入学できるということは、熊澤英一郎の成績優秀さが、うかがえますね。
事件後、ニュース報道によると「高校を卒業後は私大に進学。その後別の私大に転籍したと見られる」と報じられました。
ニュース元によっては、日本大学に進学したという情報もありましたが、情報の出所が不明であるため、真実の程は定かではありません。
明確に分かっている学歴として、代々木アニメーション学院のアニメーター科を卒業しており、その後HAL東京を中退後に代々木アニメーション学院に入り直しキャラクターデザイン科も卒業しているようです。
代々木アニメーション学院を卒業後に、流通経済大学の大学院の修士課程を修了したという報道もありますが、いつ卒業したのかというような詳細情報は分かっていません。
刺殺事件が起きてから約3年が経過しようとしています。2022年現在、犯人の熊澤英昭はどのように過ごしているのでしょうか。裁判の判決についても紹介します。
2019年12月16日に熊澤英一郎を刺殺した熊澤英昭に対し、東京最高裁は懲役6年の判決を下しています。弁護士側も検察側も、上告をしなかったことで刑が確定となりました。
殺人罪は、基本的に懲役15年をベースに検討することが多く、軽減されても12年くらいが妥当とされていることを鑑みると、求刑された年数が少ないことで注目を集めた事件でもあったのです。
裁判において妻が「刑を軽くしてください。お願いします」と軽減を求めていたことや、家庭内暴力が定常的に行われていたことが考慮されていたようです。
2019年12月20日に東京最高裁は、保釈金500万円で熊澤英昭の保釈を認めました。殺人事件において実刑判決を受けた被疑者に対する、保釈は異例のこと。
一方で東京地裁は「今回の保釈はあり得ない」と、保釈申請を却下していたことや、最高裁の単独で認めたことに対する反対意見を発表しました。
保釈は収監前の一時的なものなので、2022年現在は東京拘置所で収監されていると見られています。
熊澤英昭が息子を殺害した動機について調査しました。過去に、元農林水産事務次官という上級国民の立場にあったにも関わらず、なぜ自分の家族を手にかけることになったのでしょうか。
それは家庭環境だけではなく、あの事件が起きたことで熊澤英昭の心を追い詰めてしまった、といわれています。
熊澤英一郎は、中学校2年生の時に母親に暴力を振るったことを皮切りに、家庭内暴力が定常化していました。
殴る蹴るだけではなく、ライターや包丁を喉元に当てられたことも。事件直前は、父親にも手を出すようになっていて、口を開けば「殺すぞ」と呟き続けていたそうです。
暴力を振るわれた時には、熊澤英昭と妻は食パンの袋を抱えて2階に避難したり、息子に土下座をして場を納めてきたものの、その恐怖は震え上がる程だったと裁判で証言しています。
事件数日前の2019年5月28日に、川崎市多摩区でスクールバスを待つ児童ら19人が殺傷されるという事件が起こりました。
これは、犯人の岩崎隆一が起こした事件で、私立カリタス小学校通うためにスクールバスのバス停に並ぶ児童たちを両手に持った包丁で、次々に襲ったというもの。
犯人は、現場で自殺したことで書類送検されました。保持していたリュックサックの中には、未使用の包丁が入っていたことから、計画的な犯行であると県警が発表しています。
実家に戻ってきたばかりの2019年5月28日のこと。近所の小学校で運動会が行われていたのですが、その物音に対して「うるせーな。子供ぶっ殺すぞ」と暴言を吐いていました。
熊澤英昭は、こんな悪夢のような事件を熊澤英一郎が起こしてしまうのではないかと思い詰めていたのです。
熊澤英一郎の暴言を聞いて、それは良くないとたしなめたのですが、そのまま口論に突入。
この時に、数日前に起きた「川崎殺傷事件」が頭をよぎり「長男が周囲に危害を加えてはいけない」と感じたことを公判で語っています。
熊澤英一郎の家族構成は父親と母親、そして妹の4人家族でした。家族との仲はどのようなものだったのでしょうか。
残された熊澤英一郎のtwitterを見ると、その関係性を垣間見ることができます。心の拠り所になるような家族はいなかったのでしょうか。
母親との関係は、幼少期から極悪と言っても過言ではない状況だったようで、熊澤英一郎のtwitterを見る限り、母親への恨み言が延々と続いてきました。
そのツイートには「愚母」や「大罪人」という罵りが散見されています。母親は、過ぎた教育熱心さで息子に接していました。
例えば、勉強に集中させるために大事にしているプラモデル「エルガイムMK-2」を破壊したことも。
熊澤英一郎は「玩具を壊されたくなかったから勉強を頑張った」と、あくまで自衛の手段と捉えていたようです。
父親は、仕事を辞めて息子の世話や後始末にかかりきりになっていたことが判明しています。
2019年5月26日に口論をする内に、熊澤英一郎は「俺の44年間は何だったんだ!」と感情を高ぶらせて、床に突っ伏して号泣していました。
成人後に、涙と共に本音を晒したのは初めてのことでしたが、父親は正面から向き合わず「(一人暮らしをしているアパートの)ゴミを片付けなきゃいけないな」と逸らしたのです。
この返事を聞いて「お前らエリートは俺をバカにしている!」と絶叫し、父親に暴行を振るいました。
この時点で完全に熊澤英一郎は、家族に対して心を閉ざしたといわれています。
twitterを見る限り母親に対しては、憎悪の感情しかありませんが父親については、どうやら尊敬の念を持っていたことがうかがえる言動が多いと言われています。
熊澤英一郎のツイートには「役所の元トップの愚息が」、「もし私が父を通じて役所を動かしたら」というような書き込みは、官僚の父親のことを自慢しているようにも見えると考える人もいます。
母親には中学生の頃から暴力を振るっていましたが、父親には実家に戻ってから死去する日までの期間であるようなので、そういった感情が踏みとどまらせていたのかもしれません。
熊澤英一郎には、3歳から4歳年下の、妹が1人いました。名前や画像、血液型などの詳細なプロフィールは不明な状態ですが小柄で成績優秀な女性だったようです。
兄弟仲は悪かったようで、妹に縁談の話が持ち上がると、熊澤英一郎は嫌がらせをして相手の男性に「家族に変な人いる」と思わせる言動を取っていました。
妹は自分には幸せを手にいれることができない、と絶望して鬱病を患い数年前に自殺していたのです。この経緯を熊澤英昭の妻が、法廷で証言をしていることから死去していることは間違いないでしょう。
2019年6月1日に東京都世田谷区の閑静な住宅街で起きた刺殺事件の被害者は、熊澤英一郎という44歳の男性で、犯人は父親の熊澤英昭という親子による悲惨な刺殺事件。
父親の元農林水産事務次官という官僚トップのエリートで、チェコ大使に就任していたこともありました。
被害者の熊澤英一郎の生い立ちは、優秀な父親と教育熱心な母親のもとに誕生し、子供の頃は成績優秀な子供でしたが、両親はそれを当然のことと考えていたようです。
アスペルガー障害を患っていたことから、他人とのコミュニケーションが上手くいかず、学校に行かず引き籠り生活をしていました。
中学生の頃からは母親に暴力を振るい、亡くなる前は父親にも暴力行為があり、近所の子供に対する加害を示唆したことも。
父親は、懲役6年という判決を受け現在は東京地裁で収監中の模様。このような痛ましい事件が2度と起こらないことを願いたいですね。
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事件が起きたのは、2019年6月1日午後3時頃のこと。事件現場となった東京都練馬区の自宅で、44歳になる長男の熊沢英一郎を、父親の熊澤英昭が殺害した事件。
犯行は包丁による刺殺で、犯人の熊沢英昭が自ら警察に「息子を殺しました」と、通報したことで事件が発覚しました。