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    松永太はシリアルキラー!?北九州監禁殺人事件の真相とは?

    2002年に北九州市で起きた監禁殺人事件を覚えているでしょうか。松永太が起こしたとされる事件の真相について、今回は迫ってみたいと思います。また松永太という人物についてや、生い立ち、息子などについてもお伝えしましょう。

    北九州監禁殺人事件はどんな事件?

    まずは、北九州監禁殺人事件はどういった事件だったのかについて、見ていきたいと思います。事件の概要は、どの様なものだったのでしょうか。

    2002年の監禁・連続殺人事件

    『北九州監禁殺人事件』は、2002年に福岡県北九州市小倉北区で発覚した、監禁・連続殺人事件です。この事件により、7名の方が亡くなりました。唯一の生存者となった1人目の被害者の娘も、犯人から暴行を受けていたといいます。

    被害者たちを洗脳していた

    『北九州監禁殺人事件』は、ただ殺人を犯したという簡単な事件ではありません。犯人が被害者たちを洗脳して、家庭内で殺人を行わせていた点が大きな特徴です。

    緒形純子と共謀

    犯人は松永太という男性ですが、彼は緒形純子という女性と共謀して、詐欺事件のターゲットとして不動産会社勤務の社員(虎谷久美雄・1996年に34歳で死亡)とその娘(当時8歳)に近づきました。そして、松永太らは親子と共同生活をするようになります。

    後には、その男性と彼の娘に対し洗脳をして監禁と虐待をするようになり、結果として最初の殺人を犯しています。男性が34歳で虐待死すると、その遺体を緒形純子にバラバラに解体させて、捨てさせたといいます。

    男性が亡くなったのは、松永太らと共同生活を開始して1年4か月後のことでした。男性の娘は当時8歳でしたが、17歳になるまで9年間を松永太らと共に暮らしていたのです。なお、松永太は虐待の様子を記録として写真に撮影していたとされています。

    緒形純子の家族が被害に

    松永太は、緒形純子の家族にターゲットを定めて家族たちを洗脳し虐待を繰り返しました。そして自身の占領下に置き、家族同士で殺し合いをさせたのです。

    少女が脱出して発覚

    事件は、2002年に発覚しています。事件が明るみになったのは、最初の被害者となった不動産会社経営の男性の娘が、17歳となり犯人のもとから隙を見て脱出をしたことからでした。唯一の生存者となったこの娘が、警察に通報をしたのです。事件が起こり、4年が経っていました。

    お金のために事件を起こした

    松永太が事件を起こしたのは借金問題のためであったともされていますが、借金があったわけではなくお金を得るためにしたことでした。洗脳をした最初の被害者からは、1,083万円を得ていたといいます。また、松永太は緒形純子が出産する頃にも結婚詐欺を繰り返し行っていました。

    最初の被害男性の知人の妻を結婚詐欺にかけた松永太は、その女性のお金を奪い虐待しています。知人の妻が逃走してからの松永太は、緒形純子の母親からの送金で暮らしていました。しかしそのお金も尽き、緒形純子の家族から4,000万円以上というお金を騙し取ったのです。

    松永太はどんな人物?

    残忍な犯罪を犯した松永太とは、一体どういった人物なのでしょうか。ここで、松永太の人物像などについてお伝えします。

    北九州監禁殺人事件の首謀者

    松永太は、『北九州監禁殺人事件』の首謀者であり事件発覚当時40歳でした。この事件は、残忍さのため報道規制が敷かれたことから、民衆への認知度が低かったとされています。松永太はそれほどまでの事件を起こしたのです。ニュースを観た人の中には、『まるで映画か犯罪ドラマの様だ』と感じた方もいました。

    共犯は緒形純子

    松永太の共犯は、同い年である緒形淳子です。松永太は高校の卒業アルバムで緒形純子を探し、連絡を取ったといいます。そして、3度目のデートの際に身体の関係を持ちました。当時松永太には妻がいたものの、緒形純子と交際をするようになったのです。

    このことを緒形純子が実の叔母に話したことから、実母にも伝わり実母には松永太との交際を反対されました。しかし実際に会った際に、妻とは離婚を考えているなどと言っていたことから、実母は松永太のことを信じてしまいます。ところがなかなか松永太が離婚をしないため、実母が別れを持ちかけました。

    すると松永太は、実母をラブホテルに連れ込み関係を持ったというのです。これは、合意ではなかったことが考えられるでしょう。緒形純子の実母との身体の関係は、その後も続いたといいます。なお緒形純子は、松永太に洗脳されていました。そして殺害された被害者たちの家族でもあります。

    松永太は天才詐欺師といわれていた

    松永太は“狂気じみた殺人鬼”と思われるかもしれないが、詐欺師なのです。人を殺めたことは事実ですが、自身の手を汚すことなく“口”を使い殺人を犯していたからです。腕力は使うことなく、言葉を武器として犯罪を行うタイプであり、『天才詐欺師』とも言われていました。

    松永太はサイコパスといわれる

    松永太は、サイコパスであると言われています。サイコパスはパーソナリティ障害の一種です。嘘吐きや反社会的であること、自信家であることが特徴として挙げられます。倫理観が欠けており、自身の信念に従う気質も持ち合わせています。よって、通常は超えてはいけない一線さえも超えてしまう質があるでしょう。

    サイコパスは先天性の精神疾患だという見たてがあり、“犯罪者予備軍”とも言われています。

    詐欺会社を経営?

    松永太は、詐欺を行う会社を経営していました。その頃にも、従業員に対して暴力行為あるいは通電による虐待を行っていたといいます。耐えられなくなった従業員たちは逃亡しましたが、残った従業員と3人で松永太は石川県に逃げ、詐欺会社は倒産しました。

    また、3人には詐欺罪と脅迫罪により警察から逮捕状が請求されています。石川県でも暴行を行っていましたが、最終的には残った従業員にまで逃げられました。

    松永太の生い立ちはどんなものだった?

    松永太のサイコパスで“詐欺師”という気質は、どの様に誕生したのでしょうか。続いては、松永太の生い立ちについてスポットを当ててみたいと思います。

    実家は布団屋を経営

    松永太の実家は、布団屋を経営していました。松永太自身がこの布団屋を継いだものの、布団屋を切り盛りして堅実な商売をする気持ちがなかった可能性もあるでしょう。

    成績は優秀だった

    松永太は、小学校時代は成績が優秀であったといいます。また、学級委員にも選ばれていました。子供の頃から頭の回転が早くて、人の上に立つような人物だったのかもしれません。また、中学時代には弁論大会で優勝したという話があります。当時から、弁が立つ少年だったのでしょう。

    女性問題で高校を転校

    高校時代の松永太は、女性問題を起こして転校することになったといいます。女性問題の詳細については分かりません。その頃から、彼の女癖は悪かったものと考えられるでしょう。

    昔から虚言癖があった

    松永太は、中学生の頃から既に虚言癖がありました。周囲からも浮いていたという情報もあります。こうした点は、絵に描いたようなサイコパスの特徴です。

    松永太には2人の息子がいる

    猟奇的な犯罪者である松永太ですが、子供がいました。ここで、松永太の子供について見ていきたいと思います。

    息子2人だけで生活していた

    松永太には、緒形純子との間に息子が2人います。息子たちは両親とは別に子供たちのみで暮らしていたといいます。アパートで2人暮らしをしていて、監視カメラを付けられて監視されていました。息子たちは戸籍がなく、幼稚園にも通えずに育ちました。

     

    母親である緒形純子が、週に一度だけ食材を持ってきていたといいます。しかし、松永太は緒形純子に対して息子たちにはパン一枚で一日を過ごさせるようにと命令していました。

    親からの手紙

    息子たちのもとに、松永太と緒形純子の双方から手紙が送られてきました。緒形純子からの手紙を読んだ息子は、複雑な心持になったといいます。また、父親である松永太からも手書きが届きましたが、そちらには『俺は何もしていないから署名を集めろ』と書かれていたというのです。

    緒形純子の両親も殺している

    通常であれば、緒形純子の家族は松永太にとっても親族となるものです。しかし、松永太は緒形純子の家族さえも殺しています。

    父親を通電虐待

    松永太は、緒形純子の家族を監禁し始めます。その後に、彼は緒形純子に自身の父親を通電虐待するように命令しました。その虐待が原因で、緒形純子の父親は死亡しています。父親が亡くなった際に、姪に対して「お前が(祖父に対して)そう言ったから死んだんだ」と罪悪感を植え付けました。

     

    松永太は、姪が「おじいちゃんなんか死んじゃえ」と父親の生前に言ったことを持ち出したのです。

    母親も虐待後に絞殺

    緒形純子の母親は、幾度となく行われた通電虐待により奇声を上げるようになっていきました。それを見た松永太は、その対応を緒形純子ら家族に迫ったといいます。結果として家族が母親の殺害を申し出たところ、松永太は『家族の総意なら止むを得ない』と言ったのです。

    家族らが考えたことであり、自分が提案したことではないということでしょう。母親は、緒形純子の妹が首を絞めることで殺害されました。この件でも、松永太は手にかけてはいません。

    妹や義弟も殺害

    緒形純子の妹はその夫(緒形純子にとって義理の弟)により絞殺され、夫も衰弱死しています。特に、緒形純子の妹の死は残酷なものでした。妹を殺した夫は、「遂に自分の嫁さんまで殺してしまった」と呟いていたといいます。

    姪や甥も絞殺されている

    松永太は、緒形純子の姪や甥までも殺害させていました。やはり自身では行わず、他人の手によって殺害させていたのです。これにおいて、緒形純子の家族は全て殺されました。

    松永太は現在どうしている?

    7人もの命を奪った松永太。彼は現在どうしているのでしょうか。最後に、松永太や緒形純子の現在についてお伝えします。

    福岡拘置所で服役中

    松永太は、現在も福岡拘置所で死刑囚として服役中の模様です。また緒形純子も、無期懲役が確定し福岡拘置所の女子房で服役中とされています。死刑はまだ執行されていないと考えられますが、収監されているのです。

    死刑が言い渡される

    2005年9月28日に、福岡地方裁判所小倉支部で行われた一審判決において、松永太と緒形純子に対し死刑が言い渡されました。緒方純子は罪を認めましたが、松永太は法廷で「控訴だ」と叫んだといいます。

    緒形純子は無期懲役

    2007年9月26日に行われた二審で、緒方純子には無期懲役が言い渡されました。彼女は犯行について松永太に従ってやったものとして、異例の減刑がされたのです。反省していることが窺えることと、自供をした点も考慮されたものと考えられます。

    松永太は洗脳により7人の命を奪っていた!

    松永太は7名もの命を奪った殺人鬼ですが、ほぼ自身で実行をすることはありませんでした。彼は周囲を洗脳して、虐待した上で抵抗をする力を奪い、自分の手を汚さず他人を使って殺させたのです。特に、共犯である緒形純子の家族に対してはその様な殺人を犯しています。

    死刑囚となった松永太ですが、死刑が執行される日に怯えながら服役しているのかもしれません。

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