木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
畑中葉子は、父親の仕事の関係で中学2年生のときに東京に引っ越します。
そして、住み始めたマンション『中目黒ハイツ』の、2つ隣の部屋に歌手として人気を博し、作曲家作詞家としても活躍した平尾昌晃が住んでいました。
小さいころから歌手になる事を夢見ていた畑中葉子の親が、原宿でスカウトを受けたため、平尾昌晃に今後を相談したことで出会っています。
畑中葉子の両親が、平尾昌晃に歌手を目指している事を相談し、平尾昌晃が主宰していた『平尾昌晃音楽学校』に通うようになります。
畑中葉子は、レッスンを受けながら、オーディションを受け続けデビューのチャンスが巡ってくることを待っていました。
そんな時、平尾昌晃の20周年記念として発表するデュエット曲『カナダからの手紙』の女性パートを教室の生徒からオーディションで選ぶこととなりました。
そして、畑中葉子が見事合格を勝ち取り、デビューする事となったのです。
それでは、まず、畑中葉子が現在はどうしているのかから、詳しく見ていこうと思います。
2016年に、33年振りとなるオリジナルアルバム『GET BACK YOKO!!』を発売しました。
また、映画『貌斬り KAOKIRI~戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より~』にも出演しており、現在も、歌手として女優として活動しています。
現在も定期的にライブを開催しており、音楽関係のラジオ出演や、BSフジテレビ『クイズ!脳ベルSHOW』に出演するなど、バラエティ番組にも出演しています。
そして、2019年には還暦ヌード『後ろから 前から』をデジタル写真集として発売しています。
2019年5月4日放送の『有吉反省会』に、畑中葉子が出演しました。
この際には、自身の代表曲でもある『後ろから前から』のオリジナルTシャツを自主制作し、番組で共演した人など、誰にでも押し付けていることを反省しました。
後述しますが、畑中葉子の娘が2019年頃から芸能界デビューをしており、さらにジュエリーショップにも勤務と他にも仕事を持っています。
他の仕事をしながら週末に芸能活動をしていることを心配していると、番組では明かしました。
続いては、歌手としてデビューしてからの畑中葉子の経歴について見ていこうと思います。
先ほども述べた通り、1978年に、平尾昌晃とのデュエット曲『カナダからの手紙』で歌手デビューを果たします。
この曲は、ヒットし、1978年度年間7位を獲得します。70万枚を超えるセールスとなり、紅白歌合戦にも出場しました。
1978年にカナダを訪れた日本人観光客は3割も増加したのだそうです。それにより、カナダ政府から表彰されています。
その後、平尾昌晃と『エーゲ海の旅』『サンフランシスコ行き』『ヨーロッパでさよなら』を発表しています。
1979年には、『ロミオ&ジュリエット’79』でソロデビューを果たします。作曲は平尾昌晃が担当しています。
事務所は、『カナダからの手紙』がヒットしたことを受け、パートナーを新しく探し、デュエット曲を出そうとしましたが、畑中葉子が「アイドルで活動したい。ソロ活動をしたい。」と言い猛反発したそうです。
事務所からは、「畑中葉子じゃなくて『カナダからの手紙』が欲しかっただけ」と言われたそうで、ものすごく傷ついたと畑中葉子が明かしています。
1年近く事務所との話し合いが続き、念願のソロデビューを果たした畑中葉子でしたが、ソロシングルはヒットしませんでした。
後述しますが、ソロデビューを果たした後、結婚・離婚をした畑中葉子は、事務所に「もう一度仕事をするチャンスをください」と申し入れます。
「週刊ポスト」の水着グラビアの撮影の仕事が好評だったことがあり、事務所からは、セミヌードグラビアをするのであれば、復帰をサポートするが、しないのであれば引退しなさいと言い渡され、脱ぐことを条件に復帰が決まります。
それまでの清純派歌手のイメージとは一転した、雑誌に掲載されたセミヌードのグラビアが話題となりました。
セミヌードを披露した畑中葉子は、セクシー路線で売っていくことを事務所から提案されます。
そして、日活(にっかつ)で制作・配給された日本の成人映画レーベルである、『日活ロマンポルノ』にも出演するようになり、女優としても活動するようになります。
最初、事務所から「成人映画だよ」と言われ、その意味も知らずに了承し、撮影の打ち合わせで初めてロマンポルノだと気づいたんだそうです。いきなり裸のシーンのコンテを見せられ、泣きながら家まで帰ったと明かしています。
1980年に『愛の白昼夢』でデビューすると、続いて『後から前から』にも出演、ヒット作品となります。日活ロマンポルノには、1本だけという約束だったそうですが、最終的には4本出演しています。
また、テレビドラマにも1981年放送の『ザ・ハングマン 燃える事件簿』でデビューしており、その後、多数のドラマにも出演しました。
1982年に発売されたアルバム『強行突破』で、中島みゆきの楽曲『悪女』を歌っており、畑中葉子の艶っぽい雰囲気の楽曲がファンからは好評のようです。
続いては、畑中葉子の結婚について見ていこうと思います。結婚によって、畑中葉子の歌手としての活動が大きく方向転換していくこととなりました。
デビュー翌年の1979年に、音楽ディレクターの檀雄二と結婚しています。相手は7歳年上であり、事務所にも内緒で電撃婚でした。
事務所から反対されていたソロデビューが上手くいかなかった畑中葉子は、仕事も減り、意欲も下がる一方だったそうです。そんな畑中葉子さんを支えていたのが、若手の音楽ディレクターの檀雄二だったそうです。
2人の距離は一気に縮まっていき、事務所にも黙って婚姻届けを提出します。
この結婚に関しては、ソロデビューが上手くいっておらず、結婚に逃げたのではと言われました。
しかし、8か月後の1980年1月に離婚しています。1979年5月に結婚し、夏頃には別居状態だったのだそうです。
音楽ディレクターの檀雄二は、平尾昌晃との関係もあり、教え子に手を出した形となり、借金もあったそうですが仕事を辞めることとなり、生活していけなくなったそうです。
この時の、結婚、離婚について畑中葉子は、「周りのみんなが反対するなか、自分のつらい状況から逃げたい、この人と一緒にいたいとの一心で入籍した。」と明かします。そして、「“逃げたい”という気持ちでする結婚は、長く続きませんでした」とも話しています。
この結婚は、事務所には黙って婚姻届けを提出したり、仕事をすっぽかしたりと多大なる迷惑をかけていたそうです。
1991年1月に、自身のマネージャーを務めていた一般男性と再婚しています。
旦那とは行き詰っていた頃からの戦友で、ある日ふと異性と意識し、「私、もらってくれない?」と畑中葉子さんから告げたんだそうです。
それから、食事に行ったり、仕事のこと以外で電話をするようになり、畑中葉子さんが31歳の時に再婚しました。
続いては、畑中葉子の子供について詳しく見ていこうと思います。
再婚した年の1991年10月に長女・杏奈が誕生しています。そして1993年には長男も誕生しています。
娘の杏奈は、小学校から中学校にかけ不登校だったそうです。
明確な理由は特にないと娘は話しているが、行けない、行きたくない状況になってしまい、中学校では3年間ほぼ学校に通っていなかったそうです。
その後、勉強して高校に進学したいと思えるようになり、高校大学と進学しています。
畑中葉子は、カウンセラーに相談しながら、親として何も言わずひたすら見守り続けたのだそうです。
また、長男も中学3年の1年間不登校になったそうです。その後、高校、大学を卒業し好きな仕事を見つけ働いているそうです。
娘は、27歳になり芸能界デビューしています。
大学を2度留年し、卒業後、2019年1月から週5でジュエリーショップに勤務しており、休みの日に芸能活動を行うこととなりました。
子供の頃、モデルになりたかったそうですが、身長が低いためにそれを断念しました。しかし、畑中葉子のライブの時に、事務所の社長と会い、今でも芸能界への思いがあることを話したら、「やってみますか?」と言われ、芸能活動を始めることとなったと語っています。
娘の現在の芸名は後前(うしろまえ)杏奈です。
母親のヒット曲『後から前から』をもじってつけられていますが、きっかけは『有吉反省会』に母子出演した際に、典型的な2世タレントの考え方だったために、楔の意味で有吉弘行に改名を求められ、決まりました。
杏奈は、大学を6年半かけて卒業しています。その時期に失恋したことにより、これまではニート生活を送っていたと告白しました。
2019年1月からジュエリーショップで働き始め、2019年3月からはタレント活動を開始、2019年5月に出演した『有吉反省会』がテレビ初出演でした。
続いては、畑中葉子のヒット曲「後ろから前から」について、詳しく見ていこうと思います。
1980年に楽曲『後ろから前から』を発売しました。ゴールデンタイムには不適切とされた楽曲ですが、ヒット曲となりました。
1980年に、楽曲をモチーフにした日活ロマンポルノの『後ろから前から』にヨーコ役で出演し、映画・楽曲ともにヒットしました。
『いわゆる 放送禁止歌謡』というサイトで、『後ろから前から』が紹介されています。
“性行為を連想させる歌詞が問題との説”があるとして紹介されており、実際、この楽曲は深夜帯の歌番組でのみ歌唱されていたようです。
要注意歌謡曲指定制度の適用を受けていたようですが、最後に制度が改訂された1983年には指定されていなかったようで、現在はどうなっているのかは分かりませんでした。
続いては、ダウンタウンの浜田雅功が畑中葉子にお世話になったと話している件を詳しく見ていこうと思います。
ダウンタウンの浜田雅功は、全寮制の高校に通っていた頃にに畑中葉子に“お世話になった”と出演番組内で公言しています。
その時に、「畑中葉子って誰?」と話題になりました。
浜田雅功が世話になっていたと明かした件について畑中葉子自身は、ツイッターで『浜田さんの成長過程の1ページに私がお邪魔したんですね。年末のガキツカ、大好きで観ています』と呟いていました。
続いては、師弟関係であった畑中葉子と平尾昌晃の関係はどんなものだったのかを見ていこうと思います。
『カナダからの手紙』で仲良さげにデュエットをしていた様子から、男女の仲を疑われていました。
しかし、先ほども述べたように、畑中葉子と平尾昌晃は、師弟関係でした。
平尾昌晃は、芸能界でも屈指のプレイボーイとして知られていました。平尾昌晃は、34歳の時に、当時18歳の現役女子大生と授かり結婚をしています。
しかし、その3年後には、当時16歳だった歌手の小沢深雪との不倫が原因で別居状態となり、離婚し、離婚成立後すぐに、当時19歳になっていた小沢深雪と再婚しています。それが1978年の事で、『カナダからの手紙』が発売された年の事です。
プレイボーイの印象が強かった平尾昌晃でしたので、畑中葉子との仲も世間は疑ったようです。
オーディションは平尾昌晃さんではなく、プロデューサーや作詞家の喜多條忠さんらが行ったそうで、平尾昌晃さんが畑中葉子さんを特別に目にかけたということはなかったようです。
歌唱のたびに、畑中葉子に歌の指導をしていたと言い、あくまで師弟関係だったようです。
平尾昌晃とのデュエット曲『カナダからの手紙』で、清純派歌手としてデビューし、その後は日活ロマンポルノにも出演した畑中葉子についてご紹介してきました。
ソロデビューが上手くいかず、逃げるように結婚をし、すぐに離婚を経験した彼女は、セクシー女優として活躍するようになり、その後、再婚、二人の子供に恵まれています。
現在は、歌手として活動を続けており、娘の杏奈が芸能界入りしたため、今後は親子共演も増えるかもしれません。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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