風間トオルさんに結婚歴はある?娘が事故死の噂や阿部寛との仲も解説
2024/02/16
himawari3232
矢崎滋さんは、東京教育大学付属駒場高等学校を経て東京大学文学部に進学しました。矢崎さんは、言語学者の父・矢崎源九郎さんの影響で高校時代から複数の印欧語や古典語をかじっていて、一度は父と同じ道を志すか迷ったそうです。
矢崎源九郎さんは、アンデルセンやイプセンの翻訳で知られ、世界童話文学全集やアンデルセン童話全集の翻訳で、産経児童出版文化賞大賞を受賞しています。
結局、言葉に関しては天才肌の父との資質の違いを悟り、演劇の道を進むことに決めたそうです。そして東京大学文学部英文学科を中退し、舞台芸術学院夜間部で学びました。
その後、1968年に劇団四季に入団し、俳優として活動するようになりました。
矢崎滋さんは、1970年に浅利慶太さん演出の『ブラック・コメディ』で主役に抜擢されるなど活躍を期待されたようですが、1973年に劇団四季を退団し、1974年にフリーとして活動を始めました。
そして、1979年に井上ひさしさんの『小林一茶』の舞台で主演し、注目されるようになりました。
矢崎滋さんは、1987年に「東京芝居倶楽部」を設立し、座長を務めました。また、後進の育成のために福山大学で客員教授として演技・演出論を担当しました。
「東京芝居倶楽部」は、座員約10人ほどの小劇団で、全国の小さい芝居小屋や映画館で軽演劇の舞台を上演していたそうです。
1988年からは劇団仲間たちと『矢崎滋しろうと寄席』を行い、落語家としても活動しました。
矢崎滋さんは、テレビドラマ『雲のじゅうたん』(1976年・NHK)、『草燃える』(1979年・NHK)、『天皇の料理番』(1980~1981年・TBS)、『はね駒』(1986年・NHK)、『武田信玄』(1988年・NHK)、『旗本退屈男』(2001年・フジテレビ)他、数々のドラマに出演しました。
映画も、日活ロマンポルノ『横須賀男狩り 少女・悦楽』(1977年)『宇能鴻一郎の濡れて開く』(1979年)『希望ヶ丘夫婦戦争』(1979年)や『夜叉ケ池』(1979年)、『ひめゆりの塔』(1980年)、『ときめきに死す』(1984年)、『ミンボーの女』(1992年)などに出演しました。
矢崎さんは、存在感のある演技で数々の作品に名脇役として活躍しました。
矢崎滋さんは、ドラマだけでなく『さんまのからくりTV』(TBS)『クイズ日本人の質問』(NHK)『おとなの学力検定スペシャル小学校教科書クイズ!』(日本テレビ)などクイズ番組やバラエティ『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS)などでも活躍しました。
出演CMには、長く続けた『清酒 白鶴まる』や『象印マホービン』などがあります。
また、1987年3月に芦川よしみさんとデュエットでシングル『男と女のラブゲーム』をリリースしています。
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矢崎滋さんは、2014年以降は、ドラマや映画など芸能活動はしていないようです。芸能界を引退したのではと言われていますが、本当に引退したのかどうかを調べてみました。
矢崎滋さんは、2014年に水谷豊さん主演の刑事ドラマ『相棒 season13』(テレビ朝日)の第8話「幸運の行方」に出演したのを最後に、芸能活動を行っていません。芸能活動引退状態が続いていますが、矢崎さん自身、引退を表明したことはありませんでした。
2020年9月29日のニュースサイト「週刊女性PRIME」に、矢崎滋さんの取材記事が掲載されました。インタビューで、矢崎さんは「引退宣言こそしていないけれどすでに芸能界を引退しています」と語りました。
記事には、矢崎さんが引退を決めた理由や、引退後の暮らしについても紹介されています。
矢崎滋さんは、2014年のドラマ出演後、芸能関係者を含め親しかった人々との連絡を絶ったそうです。かって所属していた事務所とも契約を解除したそうです。
同じ劇団で仲の良かった俳優・松沢英明さんが、矢崎さんの携帯に電話したことがあったらしいですが、番号が変わっていて別の人が出た!と彼のことを心配したそうです。
2014年以降、矢崎滋さんが周囲の人と連絡を絶ち、消息不明になったことで矢崎さんの“死亡説”が流れたことがありました。
矢崎滋さんの居場所が発覚したのは、旧友と名乗る人物からの週刊誌へのタレコミでした。「矢崎君は、東北にある田舎町のホテルで暮らしている」と言うもので、週刊誌記者はタレコミ情報をもとに、そのホテルを訪れました。
矢崎さんが暮らしていたのは、寂れた駅近くに建つ簡素なビジネスホテルの一室でした。
矢崎滋さんは、ビジネスホテルの一室で暮らしてましたが、その理由は一軒家を借りるより効率が良いからだそうです。
なんでも、同じ金額で一軒家を借りたら、処々の諸経費がかかるし、メンテナンスなど面倒なことが色々あります。でも、ホテルなら掃除もしてくれて冷蔵庫やテレビも壊れたら交換してくれるし、トイレットペーパーも補充してもらえるのだそうです。
また、ホテルの近くに場外馬券売り場があり、馬券をすぐ買えることも大きな理由だそうです。
矢崎滋さんは、数多くのドラマに出演し、バラエティ番組でも『クイズ日本人の質問』(NHK)など活躍していましたが、現在は芸能界を引退しています。そんな矢崎さんの芸能界引退理由は何だったのかを調べてみました。
矢崎滋さんは、60歳目前頃から徐々に仕事のオファーが減少していることを感じたそうです。ギャラも下がったそうで、相手にされなくなったんだと思い、そのせいで芸能界そのものが嫌になったのだそうです。
また、体の衰えもあったらしく、緑内障を患ったことも引退のきっかけになったらしいです。
そして、東京も嫌になり、住み慣れた東京から離れようとしたのだそうです。
現在、東北のホテルで暮らす矢崎さんは、自分と同世代の役者が出演している番組は見ないそうです。なんでも、同世代で俳優を続けている人を見かけたら、自分がみじめに思ってしまうのか、チャンネルを変えてしまうのだそうです。
後述しますが、矢崎滋さんがカミングアウトしたのが原因で芸能界から追放されたとい噂が流れたことがあります。でも、それは全くの誤解だったようです。
矢崎滋さんは、結婚しているのか否か?もし結婚歴があるなら現在はどうなのか?など、矢崎さんの結婚に関することを調べてみました。
矢崎滋さんには、結婚歴があります。元嫁となる女性は一般人だそうですが、名前や顔写真、またどこで出会ったのかなどは詳細は不明です。
矢崎滋さんが何歳で結婚したのか不明ですが、30代で離婚しているそうです。離婚した理由が何だったのかなど詳細は分かりません。
矢崎滋さんが離婚したのは、性的嗜好をカミングアウトしたことが原因で別れたと噂されたようです。でも、事実とは違っていて、離婚理由は別にあったらしいです。
矢崎滋さんは、離婚後に元妻には財産分与したそうです。財産も家も元妻に譲ったという話もありますが定かではありません。
結婚歴のある矢崎滋さんですが、元妻の間には子供がいたのかどうか?もしいたなら息子か娘のどちらかなどを調べてみました。
矢崎滋さんには息子さんがいるのではないかと言われています。元妻との間に出来た息子さんなら、とっくに成人しているはずですが、はっきりしたことは分かりません。
矢崎滋さんは、子供については言及していないので、ネット上でも有力な情報も見つからず、彼に息子さんが本当にいるのかどうかは分かりません。元妻と離婚して、かなり時間が経っているので、矢崎さんがあえて子供に関することを話していない可能性があります。
矢崎滋さんは、70歳を超えていますが現在はどんな暮らしをしているのでしょうか?また、都はるみさんと噂になっていますが、そのことについても調べてみました。
2021年3月発売の『FRYDAY』で、矢崎滋さんが歌手の都はるみさんと東北のホテルで一緒に暮らしていると報じられました。記事によると、矢崎さんと都さんは数年前から、東京と東北を車で行き来する“通い愛”を育む仲なのだそうです。
紙面には、矢崎さんと都さんが、回転寿司店で食事をしたり、カフェで寛ぐ様子をキャッチした写真が掲載されていました。
●都はるみプロフィール
『アンコ椿は恋の花』がミリオンセラーとなり、『北の宿から』『好きになった人』他、数々のヒット曲を放った昭和後期を代表する演歌歌手・都はるみさん。2015年にコンサート活動休業宣言をし、その後は芸能活動は歌手業も含めて完全休止状態となっています。
都さんは、1979年に作曲家の朝月廣臣さんと結婚しましたが、3年後の1982年に離婚しています。
矢崎滋さんが都はるみさんと出会ったのは、2008年の都さんの芸能活動45周年公演の舞台『好きになった人』での共演でした。
当時、都さんは所属事務所の社長である中村一好さんと内縁関係にありましたが、2008年4月に中村さんが自殺し、ショックを受けた都さんは、ひどく落ち込んでしまったそうです。
そんな都さんを矢崎さんが慰め、彼女の悲しみに寄り添ってくれたそうです。都さんは矢崎さんの優しさに癒され、いつしか恋愛関係に発展していったらしいです。
矢崎滋さんが暮らしているホテルは、ツイッターに寄せられた情報の中では、福島県白河市ではないかと考える人が多いようです。
ホテルが駅近くで近くに場外馬券場があるという矢崎さんの話から、JR新白河駅が有力で、ネットのMAPで新白河駅周辺のホテルを検索すると、ルートイン新白河駅、カーサホテル新白河あたりが矢崎さんが暮らすホテルと思われているようです。
矢崎滋さんが暮らしているビジネスホテルの部屋は、1泊1万円のところを長期滞在するというで1泊5000円にまけてもらっているそうで、月15万円らしいです。
矢崎滋さんは、2006年までの20年間、『清酒 白鶴まる』のCMに出演しました。2006年にイメージキャラクターが変わったことで降板したのですが、イメージキャラクターの交代は、前もって企業側から言われていたそうです。
そして、CM降板後、長年イメージキャラクターを務めたことのねぎらいとして、白鶴酒造から功労金が矢崎さんに支払われたそうです。功労金の金額は、矢崎さんによると「白鶴さんからの退職金かな。サラリーマンのそれよりもかなり多い金額!」だったそうです。
矢崎さん降板後は、演歌歌手・氷川きよしさんやTOKIOの城島茂さん等が『清酒 白鶴まる』のイメージキャラクターを務めました。
俳優の役所広司さんが、矢崎滋さんが暮らすホテルの近くでロケがあったとき、役所さんのマネージャーが矢崎さんのホテルを訪ねたことがありました。矢崎さんは、役所さんに会いたい気持ちはあったらしいですが、居留守を使ってしまったそうです。
矢崎滋さんが、性的嗜好をカミングアウトしたという話があります。何をカミングアウトしたのか?またそれは事実なのかなどを調べてみました。
矢崎滋さんが、自分はゲイだと告白したことがあると噂されたことがありました。告白したことで、CMを下され、奥さんと離婚してしまったと言われたそうです。
矢崎滋さんが、自分はゲイだったと告白しただけでなく、愛する男性パートナーと一緒に暮らしているのだ!とまで噂されました。
矢崎滋さんがカミングアウトしたという噂は、ガセネタだったようです。矢崎さんは、カミングアウトをしたこともありませんし、ましてゲイでもありません。
ゲイの噂があった矢崎滋さんですが、30代で離婚したのも「僕が女好きだったから」と話しており、矢崎さんが根っからの女好きなのは彼を知る人の間では結構有名だったそうです。
芸能界を去った矢崎滋さんですが、現在は2015年に休業宣言をした都はるみさんと愛を育んでいると思われます。
一緒に暮らすとケンカになるからと、結婚は考えていないようですが、東京で暮らす都さんが矢崎さんの住むホテルを訪れ、2人っきりで穏やかでゆったりとした時間を過ごしているようです。
そんな矢崎さんと都さんを、温かい目で見守っていってあげたいものですね。
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