風間トオルさんに結婚歴はある?娘が事故死の噂や阿部寛との仲も解説
2024/02/16
himawari3232
橋爪功さんは、幼い頃、父の影響で歌舞伎や映画を観るのが好きな子だったそうです。大阪教育大学附属平野中学校の時に出会った友人が、サルトルやカミュの作品を読んでいた影響で、文学作品を読むようになったらしいです。
そして、大阪府立天王寺高等学校1年の時、東京に転居し、東京都立青山高等高校に転校しました。高校の文化祭で演劇部の「獅子」という舞台をたまたま見て感激し、橋爪さんは演劇部に入部しました。大学進学は、学力的にも経済的にも厳しかったらしく断念したそうです。
そんなある日、文学座が10年ぶりに研究生を募集するという新聞記事を偶然見つけ、1961年に文学座附属演劇研究所の1期生に応募し、合格しました。同期には、岸田森さん、小川眞由美さん、寺田農さん、樹木希林さん、北村総一郎さん等がいました。
橋爪功さんは、1963年に文学座を離れ、劇団雲に参加しました。1974年に、橋爪さんが尊敬する芥川比呂志さん(上画像)が演出したモリエールの戯曲の舞台『スカパンの悪だくみ』に出演しました。橋爪さんは、大阪弁のスカパンを演じ、この仕事が俳優としての転機となり一躍演劇界のスターになりました。
橋爪功さんは、1975年に芥川比呂志さんや中谷昇さん、岸田今日子さん等と共に、演劇集団 円の創立に加わりました。橋爪さんは所属する円を中心に舞台活動を続け、2006年に円の代表だった中谷さんの死後、円の代表になりました。
橋爪功さんは、2010年にラジオドラマ『かわり目~父と娘の15年』(NHK大阪放送局)で放送文化基金賞演技賞を受賞し、2011年には舞台『ゴドーを待ちながら』『ウエアハウス circle』の演技で第46回紀伊国屋演劇賞個人賞を受賞しました。
他に第13回日本アカデミー賞優勝助演男優賞(『キッチン』『ジュリエット・ゲーム』他)、第15回日本アカデミー賞優秀助演男優賞(おいしい結婚)、第37回日本アカデミー賞優秀主演男優賞(『東京家族』)、第9回読売演劇大賞優秀男優賞、第44回菊田一夫演劇賞、旭日小紋章などを受賞しています。
橋爪功さんの若い頃の姿をネットで検索すると、数枚ですが見つけることができます。男前であり、年齢を重ねた現在も若い頃の面影を残していることが分かります。
小川眞由美さんは、5歳の頃よりバレエや日本舞踊を習い、学生時代は永井荷風の小説を愛読し、荷風の日記のとおりの1日を過ごしたこともあったそうです。また高校時代は、頻繁に歌舞伎を観劇し、三代目市川壽海さんの大ファンだったそうです。
1961年、俳優の父が所属していた劇団新東京の田村秋子さんの推薦で文学座附属演劇研究所を受験し、第1期研究生となりました。同期に橋爪功さんがいました。研究生としての初舞台は、1962年の『光明皇后』で、采女役でした。
小川眞由美さんは、1963年に新藤兼人監督・乙羽信子さん主演の『母』で映画初出演しました。映画で、小川さんは武智鉄二さんとの裸のラブシーンを演じ話題になりました。
小川眞由美さんは、1964年に『二匹の牝犬』で、映画初主演を果たしました。共演は本作が映画デビューとなった緑魔子さん、杉浦直樹さん他。映画はヒットしましたが、役柄のイメージが強烈すぎたせいか小川さんは「悪女スター」というレッテルを貼られしまったそうです。
その後、小川眞由美さんは、数々の映画や舞台に出演し、1979年に映画『復讐するは我にあり』『配達されない三通の手紙』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、報知映画賞、キネマ旬報助演女優賞、2005年に映画批評家大将ゴールデングローリー賞などを受賞しています。
小川眞由美さんは、1965年に文学座の研究生から座員へと昇格しました。小川さんは、文学座の中心女優だった杉村春子さんの後継者と謳われました。
その後、『浮世絵 女ねずみ小僧』(1974年~ フジテレビ)を筆頭とするテレビ時代劇シリーズに出演して広い層に人気を集めました。
橋爪功さんは、小川眞由美さんと舞台共演したのがきっかけで交際が始まり、婚約までしたそうです。でも、結局婚約は解消となったのですが、なぜ解消に至ったかなどを調べてみました。
1981年6月に、文学座同期である橋爪功さんと小川眞由美さんは、不倫関係にある男女のロマンティックコメディの二人芝居『ドリスとジョージ』で共演しました。これがきっかけで、2人は急接近し、同年9月には婚約を発表しました。
橋爪功さんと小川眞由美さんは、婚約時の心境を「週刊平凡」1981年10月15日号で次のように語っています。小川さんは、「具体的には何も決まっていない。結婚はしてもいいがいつするかも…実験婚約です」と話し、橋爪さんは「婚約と言う状態が一番いい」と話し「場合によっては婚約を破棄するかもしれない」と続けました。
小川眞由美さんと婚約した橋爪功さんは、彼女と同棲を始めましたが、小川さんには元夫との間にできた当時13歳だった娘さんがいて3人で生活するようになりました。でも娘さんは、橋爪さんに心を開かず、彼に懐くことはなかったそうです。
小川さんの元夫は、同じ文学座所属だった細川俊之さんで1967年に結婚し、娘が生まれましたが1973年に離婚しています。離婚後、小川さんは、近藤正臣さんら数名の男性との噂が報じられました。
橋爪功さんと小川眞由美さんは1981年に婚約しましたが、結局結婚には至らず、4年後の1985年に婚約を解消し、橋爪さんは小川さんのもとを去っていきました。
橋爪功さんが婚約を解消した理由ですが、小川眞由美さんには妖艶で退廃的な魅力がありましたが、その反面、奔放な男性関係や自身の娘に対する育児放棄や虐待、それに金銭問題などリスキーな問題が数多くあったそうです。
それで彼女が所帯を持つような対象ではないと思うようになり、橋爪さんは逃げ出すように婚約を解消したらしいです。
橋本功さんは、小川眞由美さんと婚約する前に、結婚・離婚歴があり、現在の奥さんとは再婚になります。そんな橋本さんの結婚歴について調べてみました。
橋爪功さんは、時期は不明ですが、元宝塚歌劇団の女優と結婚し、1児をもうけましたが、離婚しています。元妻は、5歳以上年上の姉さん女房だったらしいです。
橋爪さんの長男となる橋爪貴明さん(下画像)は、母に引き取られていましたが、父である橋爪功さんとは30歳の時に仕事で再会し、55歳になった現在も演出家として橋爪さんと一緒に仕事を共にしているそうです。
橋爪功さんは、小川眞由美さんとの婚約解消後、一般女性と再婚しています。だから、橋爪さんの結婚歴は2回になります。
橋爪功さんは再婚していますが、再婚相手がどんな女性なのか、また再婚によって橋爪さんにどんなことが起こったのかなどを調べてみました。
橋爪功さんは、45歳の時に沖縄出身の一般女性と再婚しました。いつ頃から交際が始まったのかなど、詳細は不明です。
橋爪功さんが再婚した相手は、20歳年下の一般女性です。奥さんがまだ大学生の時に沖縄で出会ったのだそうです。奥さんの名前など詳細は公表されていません。
橋爪功さんは、再婚した頃からCMの仕事が来るようになったり、NHKの連続テレビ小説『青春家族』(1989年)への出演が決まるなど、「再婚で僕の人生の風向きが変わった気がする」と話しています。(上画像は、「三井住友海上火災保険会社」CM)。
最近も、サントリー「ロコモア」CMに出演しました。
橋爪功さんには再婚した奥さんとの間に2人の子どもが生まれています。息子さんは、事件を起こし父である功さんに迷惑をかけましたが、どんな事件を起こしたかなどを調べて見ました。
橋爪功さんの次男となる息子は、1986年11月21日生まれで現在35歳になる俳優の橋爪遼(はしづめ りょう)さんです。映画『恋は五・七・五!』『クローズZERO』他、ドラマ『坂の上の雲』『八重の桜』などに出演しました。
橋爪遼さんは、2017年6月2日に『覚せい剤取締法違反(所持)』の現行犯で逮捕されました。逮捕の翌日、橋爪遼さんの所属事務所は彼の専属契約を解除(解雇)処分としました。そして、同年11月13日に東京地裁で懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の判決が下されました。
橋爪さんの逮捕により、上映中だった出演映画『たたら侍』は、彼の出演シーンをカットして再上映され、出演していたドラマ『やすらぎの郷』も6月4日付けで降板となり、出演部分をすべてカットし再編集を行うと発表されました。
息子の遼さんが逮捕された後に、橋爪功さんは謝罪の言葉を発表するとともに「正直、話すべき言葉が見つかりません」とコメントしました。そして「本人も大人ですので、自らの責任で正しく対処していって欲しい、親としてはそれを願うばかりです」と親心を滲ませました。
最後に「私としてはできれば今後も俳優活動を続けていければと思っています」と伝えています。
息子の橋爪遼さんが逮捕されてからは、父の橋爪功さんの遼さんに対する怒りが収まらず、家庭内がピリピリして荒れていたらしいです。
遼さんは、執行猶予が2020年末に明け、再出発しようと「舞台で俳優としてやりなおしたい」と知り合いに声をかけていたそうですが、イメージダウンした彼を使たがる者はおらず、すべて断られてしまったそうです。
遼さんは、父の功さんに助けてもらおうと相談しましたが、遼さんのせいで出演予定だった仕事をキャンセルしたり、謝罪行脚をするなど、大いに迷惑をかけられた功さんは、息子のSOSに激怒してしまったらしいです。もう面倒は見たくないという思いだったのかも知れません。
橋爪功さんに死亡説が出たことがあります。息子の遼さんが逮捕された際に、関係者への迷惑を避けるため、橋爪さんは入っていた仕事をすべてキャンセルしたことを『役者として死亡』したのだと捉える見方をしただけで、実際に橋爪さんが死亡したわけではありません。
橋爪功さんは、現在も現役で、2021年に公開された映画『お終活 熟春!人生、百年時代の過ごし方』、2022年公開予定の『大河への道』に出演するなど、映画・テレビで活躍を続けています。
橋爪功さんには現在の奥さんとの間には娘さんも生まれていますが、娘さんが現在どんな活動をしているのか、また結婚しているのかなどを調べてみました。
橋爪功さんの娘は、1989年5月24日生まれで現在32歳の橋爪渓(はしづめ けい)さんです。舞台を中心とした女優&歌手の活動をしているそうです。身長148cmと小柄で血液型は父と同じO型。
渓さんは、幼少期からクラシックバレエやヴァイオリンを習い、中学に入るとストリートダンスや創作ダンスなど様々なジャンルのダンスを始めたそうです。
橋爪渓さんは、高校を卒業後は、作詞作曲を学ぶために「ワタナベエンターテイメントカレッジ」に入学し、DTM(デスクトップ・ミュージック)とステージングを勉強していたそうです。
橋爪渓さんは、ワタナベエンターテイメントカレッジ卒業後は、ストリートライブやクラブのライブに出演し、アーティストとして活動しました。
また、仮歌アーティスト(デモテープ専門の歌い手。歌手が曲を覚えるために最初に曲を歌う歌手のことです)や女優としてミュージカルなどに出演しています。2013年には父・橋爪功さんが演出を手掛けた舞台『贋作・八犬伝』などにも出演しています。
現在は、東京サンシャインボーイズ出身の演出家・福島三郎さん主催の劇団「丸福ボンバーズ」に所属しています。
父の橋爪功さんとの仲は良いようで、2016年に『朝だ!生です旅サラダ』(テレビ朝日)の「ゲストの旅」コーナーに親子で登場したり、2017年の「ふらり親子旅・安来編&出雲編」(BS-TBS)でも共演しています。
2021年に80歳の傘寿を迎えた橋爪功さん。2022年1月23日には朗読企画『橋爪功・冬の朗読/眉村卓「仕事ください」・芥川龍之介「鼠小僧次郎吉」』を公演する予定だそうで、5月公開予定の映画『大河への道』でも大物脚本家・加藤役で出演するなど、精力的に活躍を続ける橋爪さん。
これからも、元気いっぱいテレビや舞台、それにスクリーンでベテランならではの深みある演技を見せ続けていってほしいものですね。
この記事に関する記事
Copyright© 運営事務局