風間トオルさんに結婚歴はある?娘が事故死の噂や阿部寛との仲も解説
2024/02/16
himawari3232
津川雅彦は、京都府京都市中京区で生まれ育ちました。父親は歌舞伎俳優・四代目 澤村國太郎 です。16歳だった1956年に日活映画『狂った果実』で映画デビューを飾りました。この時石原慎太郎が、この映画が主演で映画デビューとなる弟・石原裕次郎の弟役を探していました。
そこで石原慎太郎が津川雅彦を気に入り、沢村家に頼みに訪れてキャスティングをして、名付け親にもなったといいます。当時、津川雅彦は早稲田大学高等学院に在籍中でしたが、夏休み中で軽い気持ちで仕事を引き受けたのでした。
1972年に『必殺シリーズ』の悪役に起用されたことから、再度ブレイクしました。1984年の『お葬式』や1987年の『マルサの女』など、伊丹十三監督の映画に出演し、人気をなっています。伊丹作品の、常連となっていたのです。その後は、時代劇にも多数出演しベテラン俳優として長年活躍しました。
なお徳川幕府初代将軍である徳川家康は、ドラマで5度にわたり演じています。
津川雅彦は俳優が本業ですが、1978年にはおもちゃ販売会社『グランパパ』を設立しています。演技者としてだけでなく、経営者としての顔も持っていたのです。
田村正和主演の人気テレビシリーズ『古畑任三郎』にも複数回にわたり出演しました。津川雅彦が出演したのは、1999年の『古畑任三郎 3rd season 再会 / 古い友人に会う』と、2004年の『古畑任三郎 スペシャル すべて閣下の仕業』です。
“お祭り男”としても知られるお笑い芸人・宮川大輔。津川雅彦とは接点がないように見受けられるかもしれません。では、津川雅彦と宮川大輔にはどの様な接点があるというのでしょうか。
2019年8月12日に放送された番組『はじめまして!一番遠い親戚さん』で調査をしたところ、津川雅彦と遠縁に当たることが判明しました。宮川大輔の高祖父の父親が、戊辰戦争も戦った幕末の偉人・藤野斎(いつき)だということが分かったのです。藤野斎は、津川雅彦の父親である牧野省三の父親となります。
宮川大輔の、母方の両親の親戚筋となっている模様です。
自分の遠い親戚に津川雅彦や妻の朝丘雪路などがいると分かった宮川大輔は、「津川雅彦さんと親戚なんですか」と言い戸惑いつつも、興奮した様子でした。
津川雅彦の一人娘である真由子も、宮川大輔と親戚だったことを知り大変に喜んでいました。そして真由子は、『親戚同士で出られたらいいなと、その夢が1つ増えました』と、いずれ宮川大輔と共演したいというメッセージを送っています。
若い頃に、二枚目として鳴らしたベテラン俳優もいるものです。では、津川雅彦の場合はどうだったのでしょうか。次に、津川雅彦の若い頃について迫ってみたいと思います。
津川雅彦の若い頃は、二枚目俳優として活躍していました。過去の画像や映像を見ても、イケメンだったと分かるでしょう。女性ファンも多かったのではないかと考えられます。
津川雅彦は、1981年の映画『マノン』で滝沢役を演じ助演男優賞を受賞しています。この映画では、映画初出演となった北野武とも共演しました。また、当時21歳でまだ新人俳優であった佐藤浩市も出演しています。
津川雅彦は、結婚前にデヴィ夫人と不倫関係にあったとされています。デヴィ夫人は1962年にインドネシアのスカルノ大統領の第3夫人となりました。しかし、その3年後である1965年に軍事クーデターが起き、スカルノ大統領は失脚してしまいます。その後デヴィ夫人はフランスに亡命し、日本へと帰国しました。
日本に帰国した後に津川雅彦と出会い、まだスカルノ大統領夫人であったデヴィ夫人と不倫関係になったのです。2人はスイスのジュネーブに逃避行したといいます。津川雅彦とデヴィ夫人の不倫騒動は、マスコミに大きく取り上げられました。
続いては、津川雅彦の妻や子供について探ってみましょう。津川雅彦の妻は一体誰なのでしょうか。そして、子供は何をしているのでしょうか。
津川雅彦の妻は、女優の朝丘雪路です。朝丘雪路の父親は、日本画家の伊藤深水であることが有名です。2人は1973年に結婚していますが、津川雅彦とは再婚でした。朝丘雪路は、津川雅彦が亡くなる約3か月前の2018年4月に82歳で亡くなっています。
彼女の死因については、しばらくは公にはされていませんでした。ただ、最晩年にはアルツハイマー型認知症を患っていたとされています。朝丘雪路の最期は、津川雅彦が看取りました。
津川雅彦と朝丘雪路には、1人娘の真由子という子供がいます。真由子は、女優でありジャズシンガーとしても活躍中です。所属事務所は、父親である津川雅彦が所属していたグランパパプロダクションです。
娘の真由子は、津川雅彦が亡くなる直前に俳優の友山裕之介と結婚しました。母親の朝丘雪路が亡くなって、49日が終わったあとに婚姻届けを出しましたが、最初は津川雅彦が結婚に反対していたといいます。以前から、「例え娘が彼氏を連れてきたとしても相手を好きになれるわけがない」とまで言っていたほどです。
そんな中、津川雅彦は娘の披露宴の前に亡くなってしまいました。当初娘の結婚を反対していた津川雅彦は、認知症となった朝丘雪路を、真由子が友山裕之介と共に支え合いながら世話をしている姿を見て結婚を許したといいます。
津川雅彦は、2018年78歳で心不全において亡くなりました。亡くなる前には妻である朝丘雪路や友人も亡くなり、自分もいつ死んでもいいと話していたといいます。最愛の妻や友人を亡くした生きる気力を失ってしまったのかもしれません。
娘・真由子の結婚式を楽しみにしていたという津川雅彦でしたが、叶いませんでした。
実は、津川雅彦の一家は芸能一族であることを知っているでしょうか。最後に、津川雅彦の一族についてご紹介します。
津川雅彦の祖父は映画監督の牧野省三です。牧野省三は日本映画の基礎を築いた人であり、マキノ・プロダクションを設立して数々のスター俳優を生み出しました。例えば、阪東妻三郎や片岡千恵蔵、嵐勘十郎などといった面々を育て挙げています。牧野省三は、“日本映画の父”とも呼ばれています。
津川雅彦の母親は、マキノ省三の四女であるマキノ智子で、女優をしていました。本名は加藤恵美子といい、1984年に77歳で逝去しています。
津川雅彦には、4人の兄弟がいます。兄は俳優として活躍していた長門裕之です。この他にも、女優をしていた姉の沢村敏子と妹で女優だった加藤勢津子という兄弟がいます。ベテラン俳優として活躍していた長門裕之が有名ですが、姉や妹は女優としての活動は辞めている模様です。
また、兄の長門裕之は2011年に亡くなっていて、沢村敏子も2012年に亡くなっています。
津川雅彦と宮川大輔とは、接点がないように思われるかもしれません。しかし、実は2人が宴席関係にあったことが分かったのです。津川雅彦の曽祖父は、藤野齋という幕末に活躍した偉人でした。この藤野齋が、宮川大輔の高祖父の父親だったといいます。
宮川大輔と、津川雅彦の娘・真由子の共演を見れる日がいつか来るかもしれません。天国の津川雅彦も、宮川大輔との意外な関係にきっと驚いているでしょう。
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