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沖田浩之が首吊り自殺を図り死去!理由は?若い頃からの経歴や結婚は?

元竹の子族からアイドルとして絶大な人気を誇った沖田浩之。俳優としても多数の作品に出演した彼ですが、既に自殺により亡くなっています。そこで今回は、沖田浩之が自殺をした理由や経歴、結婚について迫ってみたいと思います。また、置鮎龍太郎らとの関係についてもお伝えします。

沖田浩之のプロフィール

  • 本名(ふりがな/愛称):置鮎広之(おきあいひろゆき/ヒロくん)
  • 所属事務所:グランパパプロダクション(旧所属)
  • 生年月日:1963年1月7日
  • 現在年齢:36歳没
  • 出身地:神奈川県川崎市
  • 血液型:A型
  • 身長:175センチ
  • 体重:63キロ
  • 活動内容:元アイドル、俳優
  • 家族構成:妻、子供

不良で竹の子族だった?

沖田浩之は、中学時代から暴走族の集会に顔を出すようになりました。そして、高校に進学するとディスコで遊ぶようになったのだといいます。元々、彼は不良少年だった模様です。当時は、独特かつ派手な服装でディスク音楽に合わせ踊る“竹の子族”が現れました。

 

沖田浩之も、竹の子族であったという話もあるでしょう。彼は知人がブティック竹の子(竹の子族の名前の由来)でバイトをしていたこともあり、竹の子の服を着ていました。ディスコでは竹の子族は出入り禁止となったのです。

アイドルや俳優として活躍

沖田浩之は、竹の子族をやめた後には大学受験を目指していたとされています。しかし、多数の芸能プロからスカウトを受け、スターダストプロモーションに所属しました。そして、アイドルや俳優として活躍していくことになります。

沖田浩之が自殺した理由は何?

沖田浩之は若くして自殺によりこの世を去っていますが、その理由は何だったのでしょうか。続いては、沖田浩之が自殺をした理由について迫ってみたいと思います。

1999年に死去

沖田浩之は、1999年3月27日に36歳で死去しました。現在から20年以上前に死去していたのです。彼は、自宅で首吊り自殺により亡くなっています。

理由は分からない?

沖田浩之が自殺を図った理由は、はっきりとは分からないとされています。遺書などもないため、明確な理由を本人が残してはいないのです。ただ、当時は仕事が減り悩んでいたという話がありました。

死因は窒息死

沖田浩之の死因は、首吊り自殺だったこともあり“窒息死”でした。彼は家族が外出している間に自殺をしたとみられ、第一発見者は子供だったといいます。子供が変わり果てた姿の沖田浩之を見つけ、「お父さんが寝てるよ!」と母親に告げたのでした。ただ、妻が第一発見者であるという話もあるでしょう。

父親が借金で自殺

沖田浩之の父親は不動産業を営んでいましたが、沖田浩之の兄に代替わりをしていました。そしてその後に、バブル崩壊の煽りを受け業績が傾いていきました。そうしたこともあり、父親は沖田浩之が自殺する3年前に「俺の保険金で借金を返済してほしい」と言い残し、自ら命を絶っています。

過去には、沖田浩之の祖父も自殺を遂げているといいます。そして、2002年には会社を継いだ兄も自殺をしました。

兄は借金での自殺を否定した

沖田浩之が自殺をした後に、兄は沖田浩之が借金で自殺したことを否定していました。沖田浩之が父親から相続した実家や会社の建物には、総額数億円の抵当権が設定されていました。また兄は、沖田浩之に億単位の借金の連帯保証人になってもらっていたことを話しています。

津川雅彦が悔やんでいた

沖田浩之は後に、俳優の故・津川雅彦が所属していたグランパパプロダクションに移籍しています。そして、ドラマ『サラリーマン金太郎』などにも出演しました。そして沖田浩之は亡くなる前日に、出演予定であった舞台の稽古を津川雅彦らとした後に、午後8時半頃に帰宅したといいます。

その日には、津川雅彦と酒を一緒に飲んだとの話もあります。そして、役者として悩んでいたという沖田浩之に、津川雅彦は厳しい言葉を言ったのでした。津川雅彦は、それが自殺の原因だろうかと噂が立ち、津川雅彦本人も厳しく言ったことを後悔していたのです。

なお、死の前日に沖田浩之に会った津川雅彦によると、自死をするような素振りはなかったと話しています。また、「(沖田浩之は)役者としての戦いに敗れたのではないか」とも語っていました。

沖田浩之の経歴はどんなもの?

若くしてこの世を去った沖田浩之ですが、どの様な道を歩んできたのでしょうか。続いては、沖田浩之の経歴について迫ってみたいと思います。

“腐ったミカン”が話題の金八先生に出演

1980年からのドラマ『3年B組金八先生』第2シリーズに、不良の松浦悟役で出演しました。このシリーズは第1シリーズ以上の視聴率となっています。直江喜一や沖田浩之が主となったエピソード『腐ったミカンの方程式』は、傑作とも言われるほどに話題となりました。

 

なお沖田浩之は、1983年のスペシャル2「イレ墨をした教え子」にも出演しています。

『E気持(イーきもち)』で歌手デビュー

1981年に、沖田浩之は『E気持(イーきもち)』という楽曲で歌手デビューしました。オリコンチャートで最高位8位となり、実売枚数は40万枚とヒットしています。

青山学院大学に進学していた

沖田浩之は、1981年4月に青山学院大学経済学部第二部経済学科に入学しました。しかし、仕事が多忙であったため1度だけ授業を受けた後に休学しています。フロムファーストプロダクションに移籍し、後述の通りその後に歌手としての活動は終えています。

『燃えてヒーロー』がタイアップ

1983年に発売された楽曲『冬のライオン/燃えてヒーロー』の、『燃えてヒーロー』がアニメ『キャプテン翼』の主題歌に起用されました。その後も歌手活動を続けましたが、1984年秋には歌手活動は終了させています。歌手活動の最後のコンサートは、1984年7月に新潟県民会館で行われました。

その際には、ステージの終盤において沖田浩之の気持ちが込めたという『I believe in music』も披露されています。

俳優として活躍

歌手活動を止めてからは、俳優一本で活動をするために個人事務所・ヒロ企画を立ち上げました。独立後には仕事を干されていたものの、渡米してセスナ機の資格を取得しています。帰国後に、沖田浩之は声をかけてくれた吉本興業の社員に挨拶に行きました。

すると、吉本興業に入るとの誤報が出たことがきっかけとなり、仕事が入るようになったのです。

沖田浩之は結婚していた?

若くして亡くなってしまった沖田浩之ですが、結婚はしていたのでしょうか。ここで、沖田浩之の結婚や子供についてお伝えします。

1995年に結婚

沖田浩之は、1995年に千代子という女性と結婚しています。妻は一般女性であり、英語の翻訳をしていたとされています。沖田浩之は1999年に亡くなっているため、結婚期間は4年ほどであったのです。では、沖田浩之と妻はどの様にして出会ったのでしょうか。次で見てみましょう。

馴れ初めは不明

沖田浩之と妻の馴れ初めについては分かりません。情報が乏しいことから、不明となっています。もしかしたら、知人の紹介で知り合うなどしたのかもしれないでしょう。

子供は2人

沖田浩之と妻の間には、子供は2人います。なお、沖田浩之の自殺を発見したのは子供だったといいます。沖田浩之は家族が外出中に自殺を図ったとされていて、家族が帰宅した際に子供が亡くなっている父親を発見したのです。そして「お父さんが寝てるよー」と言ったことで、妻も気付いたのでした。

置鮎龍太郎との関係は何?

ベテランとなる声優の1人に置鮎龍太郎がいます。沖田浩之とは接点がないように感じられますが、2人には関係があるのでしょうか。次に、沖田浩之と置鮎龍太郎には関係があるのかについて迫ってみたいと思います。

苗字が置鮎

沖田浩之というのは、芸名であり本名ではありません。沖田浩之の本名は“置鮎広之”といい、読み方は“おきあいひろゆき”です。一方の置鮎龍太郎も、苗字の漢字は同じ“置鮎”となっています。ただし置鮎龍太郎の場合は読み方が“おきあゆ”というため、苗字の読み方には違いがあるものと考えられるでしょう。

遠い親戚?

置鮎龍太郎と沖田浩之は、遠い親戚だという情報がインターネット上にあります。ただし、その真相は不明となっているでしょう。“置鮎”という苗字は珍しいので、どこかに繋がりがある可能性はあります。

置鮎龍太郎は否定?

置鮎龍太郎は、沖田浩之と親戚だという噂をツイッターで否定していました。ただその際には、置鮎龍太郎の家系も元々は苗字を“おきあい”と読んでいたらしいという点を、呟いています。

川上麻衣子と関係があった?

沖田浩之は、女優として活躍している川上麻衣子と関わりがあったといいます。続いては、沖田浩之と川上麻衣子の関係について見てみましょう。

仲が良かったという話

沖田浩之は川上麻衣子より3歳年上ですが、仲が良かったとされます。2017年に、川上麻衣子は沖田浩之のことを「ヒロ君は、親友でもあるし、兄妹のようでもあった人」と語っていました。

『3年B組金八先生』で共演

2人は、『3年B組金八先生』で恋人役として共演しました。これが縁で親しくなったと考えられます。ただ沖田浩之の恋人役を演じたことで、川上麻衣子には沖田浩之のファンからカミソリが送られてきたこともありました。

死の前に「聞いてほしいことがある」と言われ

沖田浩之が亡くなる1か月ほど前に、2人はとあるパーティーで再会しました。その際に、川上麻衣子は沖田浩之から「聞いてほしいことがある」と言われたといいます。しかし、当時の川上麻衣子は自身に余裕がなかったこともあり、軽くあしらってしまったのでした。

川上麻衣子はその頃にパニック障害を抱えていて、悩んでいました。そして、沖田浩之がパーティーからの帰宅後に電話をくれて「どうしたの。何か元気なかったけど」と電話で聞いてくれたのです。その際に、川上麻衣子は「別に。元気だけど」と冷たく言いました。

すると、沖田浩之は「そうか。苦しかったら何でも言えよ」と言ってくれました。これが川上麻衣子の記憶する、沖田浩之の最後の言葉となりました。後に川上麻衣子は、「どうしたの。何か元気なかったけど」との言葉は、彼自身が欲しかった言葉ではないかと思うようになったのです。

明徳義塾にも沖田浩之がいた?

高知県下の野球の名門校でもある、明徳義塾高等学校。同校にも沖田浩之がいるというのですが、それは本当なのでしょうか。最後に、明徳義塾高等学校の沖田浩之について迫ってみたいと思います。

2002年の甲子園

2002年の夏の高校野球甲子園に出場した、明徳義塾高等学校の選手に“沖田浩之”がいました。2002年は、明徳義塾高等学校が悲願の初優勝を果たした年でもありました。

同点弾を放った

3回戦の茨城・常総学院との試合において、起死回生となる同点弾を放ったのが沖田浩之です。161センチと小柄でありましたが、ガッツあるプレーを魅せました。明徳義塾高等学校は、さらに勝ち進み優勝を手にしたということです。

焼き肉店の店長をしている

現在の沖田浩之は35歳か36歳ほどになっていて、都内の焼き肉店で店長をしている模様です。野球とは異なる道に進みましたが、自身の道を歩んでいるでしょう。

沖田浩之の自殺理由は定かではない!

沖田浩之は、36歳でこの世を去りました。首吊り自殺によるものでしたが、遺書もなかったため自殺を図った理由ははっきりとはしていません。しかし彼は、家族の借金を背負っていた模様です。また、アイドルから俳優へと移行し頑張っていたものの、俳優としての悩みもあった可能性があります。

死の理由は本人にしか分かりませんが、死を選ぶほどに耐えがたい事柄があったのでしょう。現在は、天国で安らかに眠っていることを祈るばかりです。

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