風間トオルさんに結婚歴はある?娘が事故死の噂や阿部寛との仲も解説
2024/02/16
himawari3232
山城新伍さんは俳優としてだけでなく、司会者、タレント、映画評論家、映画監督など幅広い分野で活躍しています。テレビ黎明期の頃から、テレビ俳優として活躍しました。若い頃は二枚目スターのイメージが強かったですが、演じる役柄も幅広くどんな役でも存在感を見せていました。
司会者としての評価も高く、多くのバラエティー番組などで司会を行っています。
山城新伍さんは、花園ひろみさんと2度結婚して2度離婚しています。2人は第4期東映ニューフェイスの同期で、作品で共演するなどして親しくなりました。1985年に最初のりこんをしていますが、その理由は山城新伍さんの浮気癖が我慢できなくなったと言われています。
1991年に2度目の結婚をしますが、1999年に2度目の離婚をしています。離婚後も同居を続けていたと言われていますが、2001年頃から山城新伍さんは1人暮らしをしていたそうです。
山城新伍さんと梅宮辰夫さんは、プライベートでも親交の深い親友として知られています。映画『不良番長』で共演して以来の関係で、1989年には千葉真一さん、北大路欣也さん、渡瀬恒彦さんを含む5人でトムソーヤ企画を立ち上げています。
情報番組『新伍Niタッチ!』では、ゲスト出演した梅宮辰夫さんが山城新伍さんと花園ひろみさんの結婚を発表したこともありました。
俳優としてだけでなく、さまざまな分野で活躍した山城新伍さんの経歴はどんなものなのでしょうか?山城新伍さんの経歴をまとめました。
山城新伍さんは、1938年11月10日に京都府京都市で開業医の子どもとして生まれました。医師を目指して大阪医科大学、関西医科大学を受験しますが、どちらも不合格でした。開業医になることをあきらめた山城新伍さんは、時代劇スターを目指してエキストラをするようになります。
その後、東映ニューフェイス第4期に応募して合格、1957年に東映に入社して俳優としてのキャリアをスタートさせました。
東映に入社した山城新伍さんは、1年後の1958年映画『台風』で俳優としてデビューを飾ります。翌1959年のテレビ時代劇『風小僧』の第1部で疾風之介役を演じ、第2部では主演を務めています。
1960年には子供向けのテレビ時代劇『白馬童子』で主演を務め、子供たちの人気者となります。白馬童子は子供向けの作品でしたが、山城新伍さんの演じる白馬童子は大人からも高い人気を獲得します。当時は、テレビに出演する俳優は二流と考えられていました。
しかし、東映俳優の公開野球大会で山城新伍さんが登場すると、大スター以上の拍手が起こったと言われています。デビューからまもなく、映画にも多く出演するようになります。
東映時代劇の人気が衰える中、山城新伍さんは現代劇にも多く出演し、二枚目からアクの強い個性派俳優にイメージを変えていきます。70年代にはテレビを中心に出演するようになり、俳優としてだけでなくバラエティー番組のパネリストや司会としても活躍するようになります。
作家の小林信彦さんは、山城新伍さんの司会を『日本人離れした話術」と高く評価しています。この時期から、二枚目なのに、エッチで口の上手いおじさんというイメージが出来上がりました。
山城新伍さんは、1979年10月から2002年までサンテレビで放送された火曜洋画劇場の司会をしていました。地方ローカル局ですが、山城新伍さんの歯に衣着せぬ解説も人気があり、20年以上続く長寿番組となりました。
基本的に再放送はしないという方針で、最終回の『荒野の決闘』を除いて違う映画を放送しつづけました。
山城新伍さんは、1986年7月から1987年9月まで放送された『クイズ・マネーイズマネー』の司会を行っていました。1991年1月から1992年3月まで『クイズ!!ひらめきパスワード』の2代目司会も務めています。
山城新伍さんは、大勢の女性と関係を持ったと言われており、女性関係がクズだったと言われることが多いです。山城新伍さんの女性関係の噂についてまとめました。
山城新伍さんは、川島なお美さんと愛人関係にあったのではないかと言われています。山城新伍さんと川島なお美さんは、バラエティー番組の『アイ・アイゲーム』で司会とアシスタントという形で共演していました。
番組に共演したことで親しくなり、愛人関係になったと噂されているです。しかし、川島なお美さんとの関係はあくまで噂レベルで、交際の真相は不明のままとなっています。
山城新伍さんの愛人だと噂になったのが、女優の早乙女愛さんです。早乙女愛さんは、山城新伍さんが監督を務めた映画『山猫」に出演して、濡れ場を披露しました。清純派の女優として有名だった早乙女愛さんが、濡れ場を演じたことも話題になりました。
監督と女優として2人が親しかったのは事実のようですが、本当に愛人だったのかは不明となっています。
山城新伍さんは、他にも愛人だと噂された女性が複数存在しています。川口麻衣子さん・山口美江さん・濱田のり子さんなどが有名です。川口麻衣子さんは、山城新伍さんの娘さんと年齢が同じで親子のような関係だったとも言われています。
山口美江さんは一方的に口説かれただけとも言われていますが、山城新伍さんとの関係で離婚したとも噂されています。濱田のり子さんは、山城新伍さんの最後の恋人と言われることもあり、山城新伍さんが亡くなった後に「山城さん大好きです」と発言したこともあったそうです。
真偽不明の噂が多いですが、山城新伍さんとの関係が噂された女性は非常に多かったことがわかります。
山城新伍さんは、娘で元女優の南夕花さんの友達を愛人にしていたという噂があります。こうしたことから親子の関係は悪化していて、「あの人を父とは呼びたくない」と発言もしているようです。ただし、山城新伍さんが娘さんの友達に手を出したというのは、あくまで噂です。
真相は不明で愛人だったという友達も、誰のことなのかはわかっていません。山城新伍さんと南夕花さんの間に確執があったのは事実ですが、それが友達を愛人にしたという噂と関係あるのかは不明です。
山城新伍さんは、チョメチョメという流行語を生み出したことでも知られています。チョメチョメとはどういう意味があるのでしょうか?山城新伍さんのチョメチョメとは、一体何なのかについて解説します。
チョメチョメは、山城新伍さんが司会をしていたテレビ番組『アイ・アイゲーム』で使われた言葉です。『アイ・アイゲーム』は、1979年10月14日から1985年9月29日までフジテレビで放送されました。番組では文章の一部を伏字にして、隠された伏字の内容を考えるゲームを行います。
山城新伍さんが、伏字の『××』をチョメチョメと読んだことからチョメチョメは広まりました。チョメチョメは、1981年に流行語になりました。
チョメチョメは伏字の『××』をチョメチョメと読んだだけなので、特定の意味があるわけではありません。言葉そのものに意味はなく、その時の環境や状況によって意味は変化します。ただし、『アイ・アイゲーム』では、下ネタを連想させる文章にチョメチョメが使われることが多かったです。
チョメチョメは、放送禁止用語や異性と関係を持つことを意味すると言われることがあります。これは『アイ・アイゲーム』内で、放送禁止用語スレスレの発言が多かったことやチョメチョメと隠された部分が下ネタが多かったことからできたイメージのようです。
さまざまなエピソードを残した山城新伍さんですが、現在はどうしているのでしょうか?山城新伍さんの現在についてまとめました。
山城新伍さんは、2009年8月12日に誤嚥性肺炎で死去しています。山城新伍さんが亡くなったことは、8月14日に所属事務所が発表しています。
山城新伍さんには、元女優の娘・南夕花さんがいます。しかし、南夕花さんは既に分籍していて、山城新伍さんは町田市にある特別養護老人ホームで生活していました。
2008年には老人ホームに入居して、老後を起こっていることが記事にもなっていました。 山城新伍さんは、その老人ホームで最期を迎えています。
2009年8月18日に、京都のお寺で山城新伍さんの密葬が行われました。しかし、一人娘の南夕花さんは、出席しませんでした。2000年には、南夕花さんの絶縁宣言が雑誌に掲載されたこともあったようです。
2009年10月9日には、梅宮辰夫さんと松方弘樹さんが発起人となった山城新伍さんの『お別れ会も行われています。
親友だった梅宮辰夫さんは、ブログで山城新伍さんとの友情秘話を語っています。生前の山城新伍さんとの約束で、『生き残った方が葬儀委員長を務める事になっていた』そうです。諸事情で、密葬当日に出席できなかったことを心残りだというコメントも残しています。
山城新伍さんの経歴やエピソードなどをまとめました。流行語だったチョメチョメも死語と呼ばれるようになり、山城新伍さんの晩年は孤独だったといいます。時代の移り変わりを感じますが、現在でも話題に上ることが山城新伍さんの影響力の大きさを感じさせます。
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本名(ふりがな/愛称):渡辺 安治(わたなべ やすじ)
所属事務所:オフィス・タッチ
生年月日:1938年11月10日
現在年齢:享年70歳
出身地:京都府京都市上京区
血液型:O型
身長:174cm
体重:68kg
活動内容:俳優・司会者・タレント