2024/02/16
r.y6
山本陽子は、1963年に第7期日活ニューフェイスとして芸能界に入りました。知人が日活に山本陽子の書類を応募したところ、合格したことで芸能界に入ったのです。
1971年に森光子主演の舞台『放浪記』において、山本陽子は悠起役を演じ初舞台を踏みました。そして1980年には、舞台『花埋み(はなうずみ)』で初主演を務めています。
山本陽子は、ドラマにも各局で多数出演しています。そして、幅広い役をこなす高視聴率女優として人気となりました。また、映画にも1963年より多数の出演歴があります。2019年には、高宮菊枝役で映画『ソローキンの見た桜』に出演しているでしょう。
1998年に主演を務めた舞台『おはん』での演技が認められたことで、山本陽子は第19回菊田一夫演技賞を受賞しました。『おはん』は宇野千代の長編小説を舞台化したものです。山本陽子は、主人公の“おはん”を演じています。
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続いては、山本陽子の若い頃についてスポットを当ててみたいと思います。若い頃の山本陽子はどの様な活躍をしていたのでしょうか。
山本陽子は、女優になる前は他の仕事をしていました。高校卒業後に、野村証券でOLとして働いていたのです。野村證券というと、野村グループの証券業務での中核を担う会社であり、有名企業でもあります。
日活に入ってからの山本陽子は、映画においては吉永小百合ら『日活三人娘』がいたため作品に恵まれませんでした。しかし、ドラマに進出してからは日本らしい清楚さのある美貌で人気となりました。清楚な役から悪女までを網羅し、女優としてのポジションを築き上げています。
1982年のドラマ『黒革の手帳』では、金を横領する悪女である主人公・原口元子を演じています。なお山本陽子は、米倉涼子が主演を務めた2004年版の『黒革の手帳』に、老舗クラブ「燭台」のママ・岩村叡子役で出演しました。岩村叡子は、原口元子にクラブ経営を教え育て上げた恩人でもあります。
山本陽子は美人女優ですので、水着姿の写真もあるのだろうかと思われるかもしれません。しかし、水着になる仕事はあまりなかったのか、水着姿の写真は見受けられないでしょう。もちろん、プライベートの水着写真もない模様です。ただ、着物をはだけさせている画像などはあります。
山本陽子は俳優の田宮二郎と共演もしていましたが、どういった関係にあったのでしょうか。続いては、山本陽子と田宮二郎の関係について迫ってみたいと思います。
田宮二郎は、1960年代から1970年代に活躍した俳優です。クイズ番組『クイズタイムショック』の司会を務めていたことでも知られています。山本陽子とは、1973年のドラマ『白い影』で共演し出会いました。田宮二郎は外科医・直江庸介を演じ、山本陽子は看護師の志村倫子役を演じています。
山本陽子が演じた志村倫子は、直江庸介を当初は非難していたものの、次第に惹かれ合っていくという役柄でした。
ドラマ『白い影』で共演してからというものの、2人は長期間にわたって公然と不倫をしていたとされています。田宮二郎には妻子がいたのです。しかし後に、田宮二郎は躁うつ病となってしまいました。1978年から放送のドラマ『白い巨塔』の撮影中には、詐欺師にまでつけ込まれていたといいます。
そして、『白い巨塔』の後半を撮影している最中に山本陽子とは破局した模様です。
田宮二郎の息子が、母親と不倫相手との電話でのやり取りを覚えていました。田宮二郎の長男・柴田光太郎によると、田宮二郎の妻である元女優・藤由紀子と不倫相手の女優(山本陽子と思われる)が電話で口論となったのだといいます。
柴田光太郎は、母親である藤由紀子が「パパを返して!」と叫んでいるのを聞いたのでした。
ドラマ『白い巨塔』がまだ放送されている期間だった1978年12月28日に、田宮二郎が散弾銃で自殺をしました。財前五郎を演じた『白い巨塔』が、田宮二郎の遺作となったのです。田宮二郎の死後に開いた会見で、山本陽子は不倫の噂を否定しています。
元アイドルで俳優の沖田浩之とも、山本陽子は噂になったことがありました。さて、沖田浩之とはどの様な関係だったのでしょうか。2人の関係や沖田浩之のその後について迫ってみたいと思います。
1983年に初めて、山本陽子と沖田浩之の熱愛報道が出ました。2人は20歳差(沖田浩之の方が年下)であり、報道が出た時には沖田浩之はまだ20歳になったばかりでした。この頃、山本陽子は40歳になっています。
では、年齢差のある2人はどの様にして知り合ったのでしょうか。山本陽子と沖田浩之は、1982年のドラマ『愛を裁けますか』で共演し知り合いました。ドラマの中で、山本陽子は教師役を演じていて、沖田浩之はその教え子という役柄だったのです。
共演で仲良くなった2人は、沖田浩之が山本陽子の自宅マンションを訪れる仲になりました。沖田浩之は山本陽子のマンションに行ったことについて「行ってますよ」と言い、山本陽子も「来たらお茶くらい出します」と述べています。しかし所属事務所も沖田浩之も、山本陽子との関係を否定していました。
また沖田浩之は、「山本陽子さんのことは好きですよ。好きだけど恋人なんかじゃない」と言っていたのです。山本陽子も「男と女の関係があったら意識的に私の家には来ませんよ」と語っていました。それでも実際には、2人は付き合っていた模様です。
1984年になると、沖田浩之が堂々と交際宣言をしました。彼は「僕にとって陽子さんはすべてです」と語ったのです。沖田浩之の方が、より山本陽子にべた惚れしているように映ったでしょう。山本陽子も、このことは女性として嬉しかったのかもしれません。
その後1985年にも2人はドラマ『二度目のさよなら』共演をしていて、”ノロケ会見”を開いています。このドラマは、山本陽子が演じる人妻が14歳年下の青年と恋に落ち妊娠をするというストーリーでした。制作会見で、山本陽子は「どこかオーバーラップするところがある」と言いました。
そして、沖田浩之にしな垂れかかったのです。そして「婚約発表みたいに見えますか」と沖田浩之と顔を見合わせたのでした。しかし、そんな2人にも1986年になると変化がみられるようになります。山本陽子は、沖田浩之の母親から「息子をどうするつもりですか」と問い詰められていたといいます。
山本陽子は、沖田浩之と結ばれ生涯添い遂げたいと考えていた模様です。しかし、1986年に彼と破局してしまいました。沖田浩之に2歳年下の恋人がいると報じられたことが原因であった模様です。山本陽子は、身を引く形で沖田浩之のもとを去ったのでした。
山本陽子の元恋人であった沖田浩之は、既に亡くなっています。山本陽子と破局後の1995年に、沖田浩之は一般女性と結婚をしました。ところがその4年後、36歳だった1999年に彼は自宅で首つり自殺をしたのです。山本陽子はその2日後に毅然と「青春の1ページとして記憶に残しておきたい」と言っていました。
毅然とした態度を取ろうと努力をしていた彼女ですが、溢れてくる涙を止めることはできなかったといいます。また山本陽子は、マスコミに「(沖田浩之は)誰からも愛されて素晴らしい人間だった」とコメントし、号泣したとの話もあるでしょう。
ここで、山本陽子の現在について迫ってみたいと思います。山本陽子は現在どうしているのでしょうか。普段の生活や女優としての活動について見ていきましょう。
山本陽子は現在79歳となっています。2022年3月の誕生日には、80歳を迎えるでしょう。彼女は、50歳の頃に熱海に別荘を購入しました。そして70歳の頃に、この別荘を終の棲家に決め東京の自宅を引き払い、熱海に引っ越したのです。また、熱海には山本陽子の意気に入りのパン屋『青木パン店』があるといいます。
なお『青木パン店』は、先代の父親の跡を継ぎ息子が『bossom cafe』として営業している模様です。
現在の山本陽子は、お茶を点てたり、読書をするなどして穏やかに過ごしているといいます。また、77歳からはフラダンスも習っているのです。さらには引っ越しにあたり、持ち物を断捨離してきたのだとか。熱海での自宅の収納等は、自身でホームセンターから板材を購入してきて、DIYで作り上げました。
山本陽子は女優を引退したわけでもなく、まだまだ現役です。そのため、仕事があるときには東京を訪れているでしょう。例えば、2019年には映画『ソローキンの見た桜』に高宮菊枝役で出演しています。
田宮二郎や沖田浩之との恋もありましたが、双方ともに別れることになった山本陽子。では、その後の恋や結婚はどうなっているのでしょうか。続いては、山本陽子の結婚について見ていきたいと思います。
山本陽子はこれまで婚姻歴がないため、旦那はいません。現在まで、彼女は独身を貫いているのです。熱海の自宅にも1人で住んでいるでしょう。
山本陽子は、元恋人の沖田浩之とは「まじめに結婚したいと考えている」と語っていました。彼との結婚願望はあったものの、破局したため叶わなかったのです。そのことも長く尾を引いているのか、それとも“この人”と思える男性との出会いが他にいなかったのかは不明でしょう。
山本陽子の姪が女優になっているという情報があります。それは本当なのでしょうか。次に、山本陽子の姪について迫ってみましょう。
山本陽子の姪は、女優の山本亜希子です。山本陽子は“伯母”となるので、山本陽子の妹か弟の娘が山本亜希子となります。山本亜希子は、1971年6月19日生まれであり現在は51歳になっている模様です。ブログもやっていたとみられますが、そのページは現在は削除されています。
山本亜希子は女優をやっていますが、そのきっかけは伯母である山本陽子にあった模様です。彼女は、女優である山本陽子に魅せられたことで大学1年生で文学座に入ったのです。山本陽子という女優の存在は、姪にまで影響を与えるほどの大きなものだったのでしょう。
山本亜希子は、久我山高校50周年記念ビデオドキュメンタリードラマで主演を務めました。そのことがきっかけとなり、彼女はHKのプロデューサーにスカウトされ芸能界入りをしたのです。その後、フジテレビの『恋を探して』でデビューしています。
山本亜希子は、TBSの『京舞妓殺人事件』でレギュラーを務めるなど、活動をしています。山本亜希子に関しては公私共に情報が多くなく、現在どうしているのかは不明です。ただし、2019年には日曜ミステリーに出演したという情報はあります。
山本陽子は、女優の浅丘ルリ子と麻雀が縁で仲良くなったといいます。最後に、浅丘ルリ子との関係について探ってみましょう。
山本陽子と浅丘ルリ子が、2021年12月27日に放送された『徹子の部屋』に揃って出演しました。山本陽子は着物を着用していて、浅丘ルリ子は青いワンピースのような衣装を着ての出演でした。
浅丘ルリ子は現在81歳であり、14歳の頃に映画デビューしている女優です。山本陽子より2歳年上であり、浅丘ルリ子は雲の上の存在なのだ(芸歴も長いためか)といいます。そんな2人は、趣味である麻雀で仲良くなったのでした。また、お互いに独身であります(浅丘ルリ子は俳優・石坂浩二と離婚している)。
女優の山本陽子は、野村証券でOLをした後に『日活ニューフェイス』として芸能界入りしました。清楚な美貌で人気を集めた彼女は、2人の男性との恋愛が報道されたことでも有名です。山本陽子は、『白い巨塔』で有名な俳優の田宮二郎と不倫をしていました。
しかし田宮二郎の晩年に破局していて、彼は『白い巨塔』が最後まで放送される前に猟銃自殺を遂げています。また、その後にはアイドルとしても人気の高かった沖田浩之とも恋仲になりました。共演で知り合った20歳下の彼とは結婚も意識していた模様です。しかし、沖田浩之とも破局することになりました。
現在の山本陽子は結婚はしておらず、独身で熱海で暮らしています。女優としても活動を続けていているでしょう。79歳となりますが、今後も元気に様々な作品に出演して欲しいものです。
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