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残虐な夫婦が起こした『夕張保険金殺人事件』とは?概要やその後は?

80年代の前半に、『夕張保険金殺人事件』が起こりました。それは全てお金のためだったのです。そこで今回は、『夕張保険金殺人事件』について概要や犯人、犠牲となった方についてお伝えします。また、『夕張保険金殺人事件』のその後についても迫ってみましょう。

夕張保険金殺人事件の概要はどんなもの?

まずは、『夕張保険金殺人事件』がどの様な事件だったのかについて、迫ってみたいと思います。『夕張保険金殺人事件』の概要はどういったものだったのでしょうか。

保険金の甘い汁を吸う

『夕張保険金殺人事件』の犯人は、北海道の中部にある道央地方の夕張市で、日高興業という炭鉱労働者の人材派遣の会社を営んでいました。しかしそんな中、1981年10月に北炭夕張新炭鉱ガス突出事故が発生したのです。

その事故では、犯人が北炭夕張新炭鉱に派遣していた労働者も7人が亡くなり、死亡保険が下りています。危険な現場では作業員に保険が掛けられることが一般的なのです。亡くなった作業員の遺族にもお金は支払われました。しかし、犯人のもとにも1億円が残り2年余りで使い果たしたのだといいます。

借金を抱える

当時の日本では、石炭から石油へのエネルギーの転換が進んでいました。そのため、石炭産業は急速に衰退の一途を辿ったのです。『夕張保険金殺人事件』の犯人の手掛けていた事業も業績が悪化し、借金を抱えることになりました。この点も、事件を起こすきっかけとなったのかもしれません。

保険金殺人を企てる

炭鉱作業員の手配業などの事業が立ち行かなくなり、苦しい生活から脱却するために犯人は札幌市で水商売を始めようと考えました。その開業資金捻出のために、保険金殺人を思い立ったといいます。

社員宿舎を放火させた

犯人は自社の従業員の1人に、1984年5月5日に社員宿舎を放火させました。実行犯には、500万円の報酬を約束していました。この放火により、消防士などの犠牲者が出て、犯人は保険金を1億4,000万円近く手にしています。そのお金は、1か月ほどで使い果たしたのです。

実行犯が自供

犯人が放火を実行させた社員は、事件で骨折し入院していました。しかし、身の危険を感じたことで失踪してしまいます。その後彼は青森県青森市まで逃れており、1か月後にその地で夕張警察署に電話をかけました。それは、事件の真相を話すためでした。

そして実行犯は青森署に任意同行を求められ、犯行の自供をしています。実行犯は、5月16日の朝に逮捕されました。なお日高夫妻からは放火の報酬として500万円が約束されていたものの、実際には7万、8万円ほどしか支払われませんでした。

そのことで、彼は日高夫妻を信用できなくなりいつか口封じで殺されるのかもしれないと、疑うようになっていたのです。それもあり、青森から警察に電話をしたと考えられます。

夕張保険金殺人事件の犯人は誰?

続いては、『夕張保険金殺人事件』の犯人について迫ってみたいと思います。『夕張保険金殺人事件』は、一体どういった犯人が引き起こした事件なのでしょうか。

暴力団組長の日高安政

犯人の1人は日高安政です。彼は6歳で夕張に来て、やがて父親を失ったことで母子家庭で育ちました。そして17歳で暴力団員となり、1969年に最初の結婚をしています。子供も生まれました。1970年頃には三菱大夕張炭鉱の下請け会社を創業し炭鉱作業員の手配を行っていました。

 

しかし、暴力団誠友会の初代組長も担っていたといいます。金融業や水商売も手掛けますが、その後に刑務所で服役をするようになり、再婚相手が下請け会社を仕切るようになったのでした。

女番長と言われた日高信子

『夕張保険金殺人事件』は、日高安政の妻も犯人となっています。日高安政の妻・信子は、1946年に夕張炭鉱の炭鉱夫の家庭に生まれました。彼女は高校時代から素行が悪く、“女番長”と呼ばれていたのです。高校卒業後に東京の専門学校に進学しますが、1年後には夕張に戻り暴力団員と結婚しました。

しかし、その夫は後に死亡したといいます。それから、バーでホステスをしていた頃に日高安政と知り合い再婚しました。日高安政も暴力団関係ということもあり、信子自身も肝の据わった女性だったのかもしれません。

実行犯は石川清

実行犯は、犯人である日高夫妻の会社に勤務していた石川清という当時24歳の青年でした。日高夫妻に命じられたことで、社員宿舎を放火したのです。なお石川清は、日高安政が組長を務める暴力団の構成員でもありました。命じられたことで、断れなかったのかもしれません。

夕張保険金殺人事件で誰が亡くなった?

ここで、『夕張保険金殺人事件』で犠牲になった方についてお伝えします。『夕張保険金殺人事件』では、どういった方が命を落としてしまったのでしょうか。

従業員4名

1984年5月5日の午後11時前に、実行犯は同僚が寝たことを確認し1階の食堂において新聞紙にライターで火を点けました。その夜は、午後10頃まで石川清の入寮祝いの宴会が開かれていたといいます。石川清本人が、「費用は自分が持つ」として開かれた歓迎会でした。

 

瞬く間に火は燃え広がり、就寝中の従業員が4人犠牲になりました。夕張警察署と夕張市消防局による現場検証の結果、火災の原因は宴会でのジンギスカン鍋あるいは石油ストーブの不始末によると認定されています。事件性はないと見られたのです。

寮母の子ども2人

この事件では、子どもも亡くなっています。社員宿舎で住み込みで寮母をしていた人物の、13歳だった長女と当時11歳の長男も犠牲になりました。実行犯・石川清は、保険金と関係のない子どもは助けようとしています。しかし、火の回りが早く助けることができなかったのでした。

石川清自身も、この際に逃れる途上で2階から飛び降り両足を骨折し、美唄労災病院に搬送されています。

消防士も殉職

事件で起きた火災の消火活動にあたっていた消防士も、1名が宿舎の倒壊に巻き込まれ犠牲となりました。『夕張保険金殺人事件』では、合計で4名の犠牲者が出てしまったということです。

日高夫婦は死刑になった?

事件後、犯人である日高夫妻はその後どうなったのでしょうか。続いては、日高夫妻のその後について迫ってみたいと思います。

8月19日に夫妻逮捕

1984年8月19日の早朝に、日高夫妻は自宅で逮捕されました。石川清が自供したことで逮捕されたものと考えられるでしょう。

死刑判決が下る

日高夫妻には1987年3月に札幌地裁で死刑判決が下りました。日高夫妻は即日で控訴をしていましたが、1988年10月には突如として控訴を取り下げ死刑が確定しています。なお、石川清に関しては、無期懲役が言い渡されました。それは、自供したことで事件の全容が解明されたからです。

彼は控訴をしなかったことから、無期懲役が確定しています。事件から40年近く経過していますが、現在も服役している可能性もあるでしょう。

恩赦を狙っての控訴取り下げ

当時は昭和天皇の容態が芳しくなく、もし崩御すれば恩赦が受けられると踏んで日高夫妻は控訴を取り下げていました。この恩赦を受けるためには、刑が確定している必要がありました。そのため、日高夫妻は控訴を取り下げて刑を確定させていたのです。

死刑は執行された

しかしながら、日高夫妻の目論見は外れました。恩赦が行われることはなく、日高夫妻は札幌刑務所で共に1997年に死刑が執行されたのです。『夕張保険金殺人事件』の犯人である安政と日高信子は既にこの世にはいないでしょう。

日高商事は廃墟マニアに人気?

日高夫妻が経営をしていた日高商事は、廃墟マニアに人気となっているという話があります。さて、それは本当なのでしょうか。殺人事件の舞台となった会社のその後について迫ってみましょう。

日高興産は廃業

日高夫妻が経営をしていた日高興業は、2人が逮捕された後に倒産し廃業となりました。事件現場となった作業員の宿舎があった場所は放置となり、空き地となっていたのです。その後に大夕張の地は夕張シューパロダムが建設されることになったため、全住民が移住をすることになり無人となりました。

 

宿舎の跡地は、2014年のダム試験湛水開始で水没してしまっています。

日高商事は廃墟に

夕張市南部青葉町に所在し事務所兼自宅であった日高商事は、廃墟として現存しています。また、建物の前にはサラ金の看板が立てられています。日高安正が組長を務めていた『日高組』では花札賭博や賭け麻雀が行われていて、負けた客にお金を借りさせていたのです。

その業務を担っていたのが、このサラ金『シャクリーファミリークラブ 日高商事』であったと考えられるでしょう。

廃墟マニアに人気

日高商事の廃墟は、廃墟マニアに人気となっているといいます。夫婦共に死刑となっている稀有な事件の舞台となった場所ということもあるでしょう。なお場所の周辺は、過疎化が進んでいるとされています。

お金のために従業員宿舎を放火させた事件!

『夕張保険金殺人事件』は、お金のために引き起こされた事件でした。日高興業を営んでいた日高夫妻が、経営が立ち行かなくなったことを理由に、保険金目当てに従業員の1人に宿舎を放火させたのです。この火災により、犯人の日高夫妻は莫大な保険金を手にしています。

しかし、実行犯となった従業員の供述により日高夫妻も逮捕されました。恩赦を望んだ日高夫妻でしたが、それが叶うことはなく1997年に死刑が執行されたのです。あまりにも残虐な、お金に目が眩んだ夫婦の起こした事件が、『夕張保険金殺人事件』だったということです。

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