木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
マツコ・デラックスは、高校卒業後に『東京マックス美容専門学校』で学びました。そして『東京マックス美容専門学校』を卒業してからは美容業に就いていたといいます。しかしその後に、「何か違う」と模索し転職したのでした。
マツコ・デラックスが転職したのは、ゲイ雑誌『Bʌ́di』の編集部でした。『Bʌ́di』は、『薔薇族』や『SAMSON』などと並ぶゲイ雑誌でもあります。『Bʌ́di』の編集部では、記者や編集を担っていたといいます。編集部では働きぶりを評価されていましたが、28歳で退職し引きこもりになってしまったのです。
引きこもりから脱したマツコ・デラックスは、スリーサイズが全て180で体重が140キロという巨体や女装のスタイルにより、タレント活動やコラムニストといった活動を行うようになりました。2002年には、ソニー・マガジンズ社より『アタシがマツコ・デラックス』が出版されています。
マツコ・デラックスは、テレビやラジオの世界でも活躍をするようになります。2000年に、バラエティ番組『エブナイ(『ワンナイR&R』の前身)』でテレビ初出演を果たしました。2005年には、『5時に夢中』のコメンテーターとして登場し、現在も月曜日に出演しています。
徳光和夫の助言でナチュラルエイトに所属してからは、『マツコ&有吉の怒り新党』などといったレギュラー番組が放送開始となっています。これらの番組は、自由であり毒舌の混じったマツコ・デラックスの特性が生かされているでしょう。
2012年から放送された、関ジャニ∞の村上信五との『月曜から夜更かし』など長く続いている番組もあります。
| |
豪華さのある“マツコ・デラックス”という芸名で活動をしていますが、マツコ・デラックスの本名は何というのか気になる方もいるかもしれません。続いては、マツコ・デラックスの本名についてご紹介します。
マツコ・デラックスの本名は”松井貴博(まついたかひろ)”であるといわれています。ただし、これは本人が明かしたものではありません。では、なぜ本名が“松井貴博”だと明らかになったのでしょうか。
マツコ・デラックスの本名は、中学あるいは高校の卒業アルバムが流出したことで、本名が明るみになった模様です。インターネット上でマツコ・デラックスを検索をすると、“松井貴博”と名前のついた写真もヒットします。
では、“マツコ・デラックス”という芸名の由来は何だったのでしょうか。マツコ・デラックスは、元々“マツコ”というニックネームで呼ばれていました。しかし本人がそれではシンプル過ぎるとして、少し豪華さを出したいと考えたのです。それによって、“デラックス”を付けたのでした。
この点は、本人が『マツコ&有吉 かりそめ天国』で語っています。なお、”マツコ・ロワイヤル”や”マツコ・インターナショナル”、”マツコ・ユニバーサル”なども候補でした。しかしながら、文字数が長いといった理由から消去法で“マツコ・デラックス”としたといいます。
マツコ・デラックスが、どういった子供時代を過ごしたのか気になる方もいるかもしれません。ここで、マツコ・デラックスの生い立ちについて迫ってみたいと思います。彼はどういった環境で育ったのでしょうか。
マツコ・デラックスの両親は昭和一桁生まれです。そのため、戦前からバブル期まで激動の時代を生き抜いてきた世代でもあります。必死に生きてきたこともうかがえますし、逞しさも備えていたのかもしれません。マツコ・デラックスは、そうした両親の間に1972年10月26日に生まれたのです。
マツコ・デラックスによると、実家は変わった家庭であったといいます。電化製品などについても、マツコ・デラックスの家には遅れて入ってきたというのです。エアコンやCDプレーヤーも、他の家庭の5年後になり購入しています。マツコ・デラックスの両親には、より便利に暮らそうという発想がなかったのでした。
そのため、掃除機や洗濯機に関しても古い物を修理をしながら長く使い続けていました。製品は、購入時と色が変わるほどに使い込んでいたとマツコ・デラックスも言っています。
マツコ・デラックスによると、子供時代は“何か嫌な子だった”と回顧しています。無邪気さや健気さのない冷めた子であったとも語っているでしょう。子供時代のマツコ・デラックスは、ゲームやファミコンで遊ぶ子供たちを“子供扱い”するような子供でした。
また、当時から話術が優れていたことから、優等生でも不良であろうと寄ってきたため寂しく過ごしたことはなかった模様です。ただ、それでも楽しめなかったといい不登校になった時期もありました。
マツコ・デラックスが同性愛者であることは公言しているため、彼が同性愛者であることを知っている方もいるかもしれません。マツコ・デラックスが同性愛に目覚めたのは、6歳の頃でした。当時は、同級生を突き飛ばし(好意を)表現していたのだといいます。
マツコ・デラックスは、両親に自身の性趣向や仕事、暮らしについて語ったことがないといいます。しかし、彼の母親はマツコ・デラックスのことを陰からずっと見守ってきたのです。母親からもらったとされる手紙には、最後に『今日も5時の生放送を見ます』と書かれていたのでした。
それを読んだマツコ・デラックスは大笑いをしたといいますが、孤独ではないのだと分かりそれから号泣したのです。
テレビのレギュラー番組を何本も抱え、コラムニストとしても活動しているマツコ・デラックスですが、どの程度の年収を稼いでいるのか気になる方もいるでしょう。次に、マツコ・デラックスの年収について見ていきたいと思います。
マツコ・デラックスの年収は、CMなどのギャラも含めると6億円を超えているとされています。なお、マツコ・デラックスの1本当たりの出演料はおよそ4000万円であるとの話もあるでしょう。
マツコ・デラックスのテレビ出演料は40万円という話があります。マツコ・デラックスは、自身がMCを務める番組が5本あり、その他にも『5時に夢中!』のコメンテーターや『週刊さんまとマツコ』でのトークといったテレビ出演をしています。
これにより、マツコ・デラックスはテレビ出演だけでも相当に稼いでいることがうかがえるでしょう。年収が6億円というのもあり得ることかもしれません。
以前より、マツコ・デラックスは”10億円貯金したら芸能界を引退する”と言っていました。とはいえ、既に貯金額は10億円を超えているものと推測する向きもあるでしょう。彼は芸能界で現在も活躍していますので、引退するとした目標貯金額を変更した可能性もあります。
続いては、マツコ・デラックスが幼少期に過ごした実家の場所について迫ってみたいと思います。マツコ・デラックスは、どこで生まれ育ったのでしょうか。
マツコ・デラックスの実家は、千葉県千葉市稲毛区にあるとされています。稲毛区内の宮野木もしくは稲毛という地域に実家があるという話もあるでしょう。
マツコ・デラックスが育ったという千葉市の稲毛区は、千葉市の中心地にある中央区の北部に位置しています。出身者としては、他の有名人ではお笑い芸人・小島よしお(出生は沖縄県島尻郡久米島町)や、木村拓哉などがいます。
ここで、マツコ・デラックスの家族について見ていきたいと思います。マツコ・デラックスにはどういった家族がいるのでしょうか。
マツコ・デラックスの父親は、会社員として建設会社に勤務していました。また、大人しい父親であるともいいます。そして古い物を大切にする男性でもある模様です。穏やかな父親のもとでマツコ・デラックスは育ったということでしょう。
母親は、性格や顔立ち、体格までマツコ・デラックスに似ているといいます。話し方までも似ているという話もあるでしょう。マツコ・デラックスは母親似だということです。
マツコ・デラックスには兄弟がいません。彼はひとりっ子として育ちました。子供の頃は、一身に両親の愛情を受け育ったものと考えられるでしょう。
マツコ・デラックスには、有名人の従兄弟がいるといいます。マツコ・デラックスは、お笑いコンビ・シンデレラエキスプレスの松井成行と従兄弟同士です。松井成行の方が8歳年上でしょう。なお松井成行の母親が、マツコ・デラックスの父親の妹になります。
マツコ・デラックスは、小説家でエッセイストでもある中村うさぎに救われたのだといいます。さて、それは一体どういったことなのでしょうか。マツコ・デラックスを救った中村うさぎとの出来事について迫ってみましょう。
マツコ・デラックスは雑誌編集部を退職後に、引きこもりになったとお伝えしました。その後に、彼のの編集者時代の記事を読んだ小説家・中村うさぎが、対談集『人生張ってます』のゲストに引きこもり中のマツコ・デラックスを抜擢してくれたのです。
それによってマツコ・デラックスは自己肯定感を持つことができ、社会復帰をすることもできました。彼が引きこもりから脱することができたのは、中村うさぎの存在が大きかったでしょう。
また中村うさぎは、マツコ・デラックスに対して「アンタは書くべき人間だ」と言ったといい、それがマツコ・デラックスがコラムニストになったきっかけとなりました。もし中村うさぎが一言を言わなかったなら、マツコ・デラックスはコラムを書くようにはなっていなかったでしょう。
マツコ・デラックスと中村うさぎが、インターネットの記事において一般人からの『読書は本当に必要なのか』という質問に答えています。マツコ・デラックスは、『必要があるかと言われれば、必要があるものなんてこの世にはない』と答えていました。
マツコ・デラックスはインターネットもやらず本も読まないために、『読書は本当に必要なのか』という質問の意味が分からないと言っています。ただ、本というのは人に影響を与える力があり、『人生観だったり、明日から何かしようとか、そういう動機になるもの』との出会いとなるものだとも語っていました。
2人は、共著の書籍を出版しています。2010年から出ている『うさぎとマツコの往復書簡』シリーズと、2016年の『信じる者はダマされる うさぎとマツコの人生相談』です。マツコ・デラックスと中村うさぎは、長く交流が続いていることが分かります。
現在は個人で活動をしている、元SMAPの木村拓哉。彼とマツコ・デラックスは同い年なのですが、同級生だったというのは本当なのでしょうか。最後に、マツコ・デラックスと木村拓哉の同級生という話について迫ってみたいと思います。
マツコ・デラックスと元SMAP・木村拓哉は、一時期同じ学校に通っていました。千葉県立犢橋(こてはし)高等学校で、2人は一年間同じクラスだったのです。しかし、木村拓哉は芸能活動のために定時制高校に転校していきました。
高校時代の木村拓哉はSMAPを結成した頃であり、忙しくしていたでしょう。それもあってなのか、マツコ・デラックスとは話したことがなかったといいます。今では共演することもある2人ですが、木村拓哉は当時について「(当時の)どいつがマツコか分かんねぇよ」と後に語っていました。
ただ、マツコ・デラックスの方は木村拓哉を覚えているでしょう。
大柄な体躯で軽妙なトークを繰り広げるマツコ・デラックスの本名は、松井貴博といいます。本人が公表をしたわけではなく、卒業アルバムが出回ったことで明るみになったものです。ただ、素敵な名前だということが分かるでしょう。
美容関係の仕事や雑誌の編集部などでの活動を経て、引きこもりになったというマツコ・デラックス。中村うさぎの救いにより社会復帰を果たしてからは、テレビ等で目覚ましい活躍を続けています。マツコ・デラックスの鋭さのあるトークも、様々な人生経験に裏打ちされているのかもしれません。
レギュラー番組を何本も抱えている彼ですが、これからも元気に活躍していって欲しいものです。そして、視聴者に多くのことを伝えていって欲しいです。
| |
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局