木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
まず始めに、関東連合とは何なのかを見ていきましょう。また、その名称が定着するまでの背景も確認しましょう。さらに、「半グレ」についても確認します。
関東連合は、世田谷や杉並の暴走族の連合体として、1973年に結成されました。また、「暴走族としての関東連合」の現役は、昭和58年生まれの世代が最後とされます。近年では話題になることも多いので、「関東連合」という言葉を聞いた事がある方も多いのではないでしょうか。
関東連合は2003年に解散となりましたが、2000年から2010年までの間に数々の事件を起こしています。そのため、こうした関東連合OB達の結束を関東連合と呼び、その際の関東連合とは、実際の関東連合のメンバーではない人物も含まれるケースがあります。「関東連合」の定義については、複数の意見があり、ややこしいですが、その背景を理解する必要があります。
関東連合は、渋谷や六本木といった地下社会において一定の勢力を誇っている「半グレ」の象徴のように見られています。「愚連隊」とも呼ばれる半グレは、既存の暴力団ではないが、暴力的な犯罪を行う集団を指します。暴力団をも恐れない、危険な集団とされます。
次に、関東連合の現在について見ていきます。ある事件がきっかけで、関東連合は解散の危機を迎えました。また、元メンバーが暴力団員になるという流れもあるようです。
関東連合は、2012年に起きた「六本木クラブ襲撃事件」がきっかけで、2013年ごろには解散危機に陥りました。六本木クラブ襲撃事件については後に詳述します。2014年頃には、関東連合を名乗って活動しているメンバーは皆無となっているという見方もあります。主要メンバーは、皆逮捕されるなどしており、活動できない状態です。
元メンバーの一部は、指定暴力団・住吉会傘下である幸平一家系組織に加入していると見られています。さらに、2019年には、関東連合の元メンバーが堺組組員として逮捕されています。関東連合という組織としては壊滅状態になったものの、元メンバーが暴力団に流れていったようです。
この項では、関東連合のリーダー達を見ていきます。いずれの人物も独特の存在感とカリスマ性を誇った人物のようです。それぞれがどのような人物なのか、確認しましょう。
関東連合は複数の暴走族からなる連合体のため、関東連合そのものに総長という存在はいないようです。ただ、関東連合にもリーダーという存在はいて、各暴走族チームには1名ずつ総長がいます。それぞれが別のグループであるという性格上、連合のトップに一人が君臨するという形ではないようです。
この人物は、関東連合の元リーダーとされています。彼は日韓ハーフであり、両親の不仲が原因で非行に走ったとされています。2021年11月に42歳で死亡しており、自殺と見られています。執筆活動や実業家・投資家としても活動していました。
川奈(川名)毅氏も関東連合の元リーダーと言われています。六本木の帝王、六本木モンスターと呼ばれ、関東連合傘下の上町小次郎に属していました。しかし、タクシー強盗を起こしてからは消息不明になっています。頭脳派として知られ、数々の事件への関与が噂されていました。
石元氏は関東連合の元リーダーと言われることの多い人物ですが、実際には、関東連合系の暴走族である「千歳台ブラックエンペラー」の元総長です。六本木クラブ襲撃事件の加害者であり、2016年6月15日に最高裁で懲役15年が確定し、現在は服役中です。格闘技のジムの経営、ファッションブランドの運営などの活動でも知られ、メディアへの露出もあり、知名度が高い人物です。
この項では、関東連合の起こした事件について見ていきます。有名人が関係した事件もあり、その背景を確認します。どの事件も、激しい暴力を伴っています。
2012年9月2日に、六本木のクラブ「フラワー」において、来店客の男性が複数人の男たちに金属バットで殴打され、死亡する事件が起きました。死因は、頭蓋骨損傷による失血死または、脳幹部損傷とされています。この事件により、六本木の街の勢力図が変化したと言われています。
この事件は、関東連合と対立グループによる抗争に起因する、人違いで起きた事件でした。亡くなった男性は、本来のターゲットと特徴が似ていたとして、人違いにより殺されてしまいました。この事件により、合計19名に逮捕状が出るに至りました。また、この事件をきっかけとして、警察庁による新規定である「準暴力団」が新設されました。
2008年3月に、関東連合の関係者である金村剛弘氏が、金属バットを持った集団に暴行を受け亡くなった事件が起きました。この事件は西新宿事件と呼ばれています。関東連合の対立グループを率いる元暴力団幹部を犯人とみなし、行方を追っていました。報復を目的とした、襲撃計画と見られています。
2010年の1月場所の7日目であった、1月16日の未明に、朝青龍が泥酔して暴れ、一般人に暴行する事件が起きました。当初、被害者はマネージャーとされていましたが、実は関東連合の川奈(川名)毅氏が被害者でした。また、1000万円から1500万円の示談金となりました。示談金をめぐり、裏社会を巻き込んだ争いへと発展し、メディアを通じて事件の詳細が報じられ、大きな話題になりました。
2010年11月25日に、市川海老蔵氏が西麻布のバーにおいて、石元太一氏とのトラブルに巻き込まれ、石元氏の用心棒に暴行されました。暴行を受けた結果、頬を陥没骨折し、さらに前歯の損傷、鼻の腫れなど、顔面全体の大怪我となりました。この事件は大きな注目を浴び、「関東連合」の名が世間に広く知られるきっかけになりました。当時の騒動を憶えている方も多いのではないでしょうか。
次に、関東連合と芸能人の関係を見ていきます。その噂がある芸能人を挙げ、どのような関係なのかを確認します。きらびやかな芸能界とアウトローな裏社会の結びつきを見ていきましょう。
俳優の宇梶剛士さんは10代の頃、関東連合卍ブラックエンペラーの第7代目総長を務めていました。数々の武勇伝を持ち、「芸能界ケンカ最強」と言われています。ただし、宇梶さんが総長を務めていた頃の関東連合は現在の、半グレ集団である関東連合とは性質が異なります。バイクで街を暴走し、ケンカに明け暮れるといった、従来の暴走族のイメージに近い集団でした。
関東連合の川奈(川名)毅氏が、取り込みたい人物がいれば、美女をあてがって骨抜きにしていたようですが、その代表格が女優の広末涼子さんだったという噂があります。また、広末さんの元夫は関東連合のメンバーであった岡沢高宏氏です。岡沢氏とのなれそめは関東連合が絡んだ集まりである可能性が高いと見られています。また、広末さんは岡沢氏と知り合う前から、川奈(川名)氏のクラブでよく遊んでいたそうです。
現在は錦織圭さんの妻である女優の観月あこさんは、刺青をしていて関東連合とズブズブの関係と言われていました。しかし、それはデマであると考えられます。観月さんが出席した飲み会などの写真に刺青の入った男性が写っていたことなどから、そのような噂につながったようです。写真の印象から、アウトローな人達と付き合いがあるという噂が立ってしまったようです。実際にはこれらの男性達は、経営者やファッション関係の仕事をしており、関東連合とは無関係でした。
次に、関東連合の主要メンバーを確認します。このグループには、強い個性を持った有名メンバーが存在し、主要な事件に関わっています。また、メンバーを知ることにより、関東連合がどんな組織なのかが分かっていきます。
彼は永福町ブラックエンペラーの総長であり、関東連合を復活させた人物です。また、六本木クラブ襲撃事件の主犯格でもあります。現在はフィリピンに逃亡中と見られており、過去に数回帰国していたようです。見立氏は、暴走族からアンダーグラウンドビジネスへと活動の場を移し、独特の半グレ組織の「関東連合」として、東京の闇社会において大きな力を獲得していきました。
金村氏は新宿ジャックスを結成後、関東連合の狂乱恋命に所属し、その後は関東連合のいわゆる「ケツモチ」になりました。2008年3月に、反関東連合グループに襲撃されて亡くなりました。これが六本木クラブ襲撃事件につながりました。極度に鍛え上げられた肉体を持ち、人望が厚く、兄貴分として多くの人から慕われていた人物でした。
伊藤氏は市川海老蔵事件で有名になった人物です。それ以前にも暴行、傷害罪等で9回もの逮捕歴があり、「黒い狂犬」と呼ばれていました。出所後に6代目山口組大同会傘下の仙台市のヤクザ組織に所属しました。しかしその後、破門になり、死亡説も流れました。しかし、2018年5月に沖縄で乱闘騒ぎを起こしています。那覇市の繁華街で現地の暴力団員に襲撃され、乱闘になったようです。
松嶋氏は、永福町ブラックエンペラーのナンバー2を務めていました。AV監督や音楽プロデューサーとしても活動し、その業界においても存在感を示したことで有名です。2018年に恐喝、2019年に中学校近くに組事務所開設で逮捕されています。暴走族時代には、特攻服やバイク、ステッカー等のデザインや、集合写真の撮影などの広報的な役割を担っていました。
この項では、石元氏のブログについて見ていきます。現在、刑務所に収監されている彼は、獄中からブログを更新しています。そのブログにコメントが付けば、返信もしているようです。
石元氏は2016年に懲役16年が確定しており、横浜刑務所に収監されています。出所予定は2032年となっています。彼は六本木クラブ襲撃事件で傷害致死罪などにより逮捕、起訴されました。また、市川海老蔵事件にも関与していました。さらに、2000年5月には「トーヨーボール殺人事件」という事件も起こしていました。この事件は敵対するグループのメンバーと勘違いし、一般男性を殺害した事件です。そのときまだ10代だった石元氏は特別少年院に2年間入院しています。このように、彼は数々の事件に関与しています。
石元氏はアメブロで『石元太一のブログ 反証 六本木クラブ襲撃事件 刑務所からの獄中手記』を更新中です。ただし、パソコンは持ち込めないため、手紙で文章を託して更新しています。読んだ本の感想や刑務所での出来事など、様々な事を書いています。
ただし、手紙は刑務官の検閲にかけられますし、手紙の発信許可数についても決まりがあります。なんでも何枚でも書けるという訳ではないので、それらの制約の中で発信しているようです。知人との面会や時事ネタ等の記述もあります。
ブログに読者から質問や応援のコメントが付けば、返信もしています。応援コメントには彼の体を気遣う言葉があり、石元氏からは逆に体を気遣うメッセージが返信されています。刑務所内から、外の世界とつながりを持ちたい、メッセージを発したいという意思がうかがえます。
暴走族を中核として1970年代に結成されたのが本来の「関東連合」であり、1980年代の中頃から1990年代にかけて有名無実化しました。しかし、関東連合の復活を企図したチームが現れ、それに呼応し、従来からの所属チームであったグループ達が関東連合を名乗り始めます。
1990年代、渋谷を制圧した関東連合は六本木に進出し、クラブを影響下に置いていきます。その後、イベントサークルなどの後ろ盾となり、ビジネスに結び付けて勢力を拡張しました。ヒルズ族などの実業家達との人脈も確立し、他のグループから抜きんでた勢力になります。このようにして、組織的なバックボーンと経済力を増強した関東連合は、圧倒的な影響力を獲得するに至ります。
関東連合はもちろん裏社会の組織ですが、この国の文化や風俗と共に成長し、市民生活と密接な結び付きがあると言えるでしょう。
関東連合について調べてみました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。関東連合は様々な事件を起こし、世間を騒がせてきました。一見、別世界の出来事のように感じられるかも知れませんが、芸能界とのつながりなど、一般社会とは別の世界の出来事ではありません。今後も関東連合とその元メンバーの動向を注視しましょう。
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