木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
石元太一さんの父親は『石本会』という暴力団組織の組長・石元正弘さんです。「強い男になれ」という父親の教えを忠実に守った石元太一さんは、体を鍛えぬき、暴力性を着実に育てていきました。
20歳まで父親の仕事を理解していなかったという石元太一さんですが、周りの人たちが話している内容や印象から、なんとなくヤクザなのかな、という認識はあったようで子供ながら人に話してはいけない職業であると感じていたため、父親の仕事については友人に話したことはほとんどなかったそうです。
石元太一さんは、世田谷区立烏山中学校を卒業後、16歳で「千歳台黒帝会」とも呼ばれている「千歳台ブラックエンペラー」という3名からなる愚連隊の総長を務めました。
石元太一さんは現在、元「関東連合」のリーダーといわれています。
「関東連合」とは、東京都世田谷区や同杉並区の暴走族の連合体で、「既存の暴力団ではないが暴力的な犯罪を行う集団」であり、いっぱしのヤクザとも違う、いわば“半グレ集団”。石元太一さんが所属していた「千歳台ブラックエンペラー」も入っているため、現在は元リーダーといわれています。
「関東連合」は、1973年に結成され、2003年に解散していますが、2000年代から2010年代にかけて、東京・六本木周辺などで発生した各種事件の関係者としてたびたびその元メンバーの名前が登場するほど、OBの結束は固く、現在も、上下関係に基ずく強い絆で結束しています。
長らく、アンダーグラウンド界隈として1990年台初頭期頃からその名が広く通っていましたが、全国的に知られるきっかけとなった事件が2010年に勃発した「海老蔵事件」です。
関東連合には、統率を守るために厳格なルールがありました。そのルールがこちらです
・彼女はつくらない
・女人禁制
・髪型は短髪(パンチパーマか坊主)
・薬物禁止
・18歳で卒業(途中で抜ける場合はヤキという制裁)
関東連合の同年代からは「石元はすごい」「石元にはかなわない」と認めさせたかった石元太一さんは、自分が中心となって後輩たちを引っ張り、先輩たちには「石元の代は気合が入っているな」と認めさせたかったといいます。
そんな石元太一さんが関東連合を去ることになったのは、土砂降りの雨の日。先輩から新宿のファミレスに呼び出されて向かうと、「もうそろそろ現役引退だな。次の頭を誰にするかお前が決めろ」といわれたそうです。
そのとき、何とも言えぬ爽快感と開放感に全身が震えたといいます。石元太一さんが先輩に認められたと感じた一瞬でもあったのでしょう。
中学生の頃は、「悪人=カッコイイ」と勘違いしていたという石元太一さん。通っていた世田谷区立烏山中学校は地元では名の知れた不良校で、生粋のワルが顔を揃えていました。そんな中学ですので、中学の頃から頻繁に先輩からカンパをするように言われており、石元太一さんは、恐喝を繰り返し、度々逮捕され、10代のほとんどを少年院や少年鑑別所で過ごしました。
「同い年の中で一番強い男になりたい、東京で一番になりたい。」という野望を常に抱いていた石元太一さんは、少年院を出所後に当時の「千歳台ブラックエンペラー」15代目総長と喧嘩になり、下して乗っ取る形になりました。石元太一さんは、「千歳台ブラックエンペラー」の16代目総長といわれていますが、本人曰く「現在では15代目を名乗った方が正しいかもしれない」ということです。
関東連合の中核であった「ブラックエンペラー」は石元太一さんが総長を努めるあたりから活動内容がより過激になり、一般人へまでも直接的な危害を加えることもある悪質な集団と変貌していきました。「暴走族」とは名ばかりで、バイクの放送行為をするわけではなく一般人への恐喝、暴行、拉致監禁、強姦、殺人などが行われ、凶悪性、残虐性が目立ち、人数も最終的には2人になるなど、「愚連隊」「殺人集団」と呼ばれるほどに。
さらに石元太一さんは、それまで暴力団が牛耳っていたような裏企業にまで本格的に進出し、暴力団との抗争も絶えなくなったことから、懐柔策として「住吉会住吉一家青田会」に所属して、暴力団構成員をしていた時期もありましたが、凶悪な行為は治まらずに波紋となり、現在に至っています。
石元太一さんは2012年に先輩の見立真一さんのバックアップにより、東京都渋谷区猿楽町に格闘技ジム「SOUL MATE」を開設しました。格闘技ジムの運営には、山本“KID”徳郁さんや佐藤豪則さん、朴光哲さん、ヌンポントーン・バンコクストアさん、渡辺久江さんなどといった蒼々たる著名な格闘家らが指導者として参画しています。
「SOUL MATE」は、後に「六本木クラブ襲撃事件」の首謀者といわれ海外に逃亡する見立真一さんの支援を裏から受けたうえで開業に至ったことから、石元太一さんは雇われ店長という形となりました。場所が代官山から近いこともあり、20代30代の男性を中心に繁盛していきましたが、その後、石元太一さんが殺人容疑で逮捕されたことから経営から退いています。
石元太一さん率いる関東連合は、人殺しを何とも思わない「人で無し集団」ともいわれ、渋谷を縄張りとして敵対するチーマーを排除するべく金属バットやナイフを常に携帯し、襲撃するというこを繰り返していました。そのため、現在振り返っても恐ろしい勢い余って殺害に至る事件も複数発生しています。
また、拉致監禁、集団リンチはお手の物で、恥ずかしい写真を撮って脅迫や恐喝をするなどといった犯罪行為は常習的に行われていました。これは、石元太一さんを中心とした関東連合が金と名声を手に入れるため、敵対勢力を排除するために行った、殺人をしても構わないという残虐極まりない抗争でした。
当時はまだ、現在とは違い、少年法が改正される前であったため、未成年は例え殺人を犯しても少年法で守られていた時代だったことも抗争の原因になるかもしれませんが、「少年ヒットマン」の流行もあり、ターゲットを襲撃してナイフで攻撃したり、金属バットを頭部に強打するなどの殺害が横行していました。
関東連合は、六本木を中心に縄張りを広げると、スカウト会社や芸能プロダクションを設立して美人女性のスカウトを始めました。それは、美人女性タレントを芸能界で活躍させてパイプを作るためや、権力を持っている企業社長や芸能関連人物に女性を紹介して枕営業をさせるためであったようです。
また、六本木を中心に会員制のバーやクラブを開店して隠れ家的な形態を売りに芸能人を囲い、ジャニーズタレントやアイドル、俳優、女優など、世間的に知名度の高い芸能人を常連にする目的もありました。こうして、関東連合は裏社会を通して芸能界との繋がりを深め、多大な影響力を持つようになりました。
10代には数々の事件を起こし、鑑別所などに収監されていた石元太一さんですが、この「トーヨーボール事件」では初の殺人に関与したことになります。石元太一さんは、当時18歳だった少年を集団リンチし、殺害。この現場となったのが都内大田区池上のボウリング場「トーヨーボール」であったことからこの名前が付きました。
石元太一さんが首謀者となったこの事件は、飲食店勤務の18歳の少年を含むグループを敵対勢力のメンバーと勘違いしたことから勃発した事件で、グループを襲撃した結果、石元太一さんらとは無関係の18歳の少年を殺害してしまいました。後に、犯行の際には女優の三田佳子さんの元から次男が持ち出したとれる車が使われていたことでも注目され、関東連合の残虐さに注目が集まりました。
この「トーヨーボール事件」のことは、被害者への懺悔の念を自叙伝『不良録』の内に明かしていますが、その後、再び人違いから殺人を犯して逮捕されています。
関東連合の名を一躍有名にしたのが、「11代目市川海老蔵暴行事件」です。事件が発生したのは2010年11月25日の午前5時頃。西麻布にある「バルビゾン27」という芸能人の隠れ家的な遊び場であったBAR「マーキス」において、市川海老蔵さんが、同じ場所にいた石元太一さんと、同じく関東連合の伊藤リオンさんらに絡んでしまったことから暴行されたという事件です。
現在は全くお酒を飲んでいないという市川海老蔵さんですが、当時は、よく「マーキス」を訪れていたようです。その日も前日午後11時頃から歌舞伎の舞台仲間と飲み始め、友人が帰った深夜から1人で飲んでいたようで、その後、居合わせた石元太一さんや伊藤リオンさん、その他6人ほどのメンバーと一緒に飲み始め、話も弾んだそうです。
その後、気分がよくなった市川海老蔵さんが席を外して同じビルのダーツバー「フィオレット」に移動したところ、当時、石元太一さんが連れてきていた彼女の藤井リナさんを見つけて口説いてしまいます。当然「嫁がいるでしょ」と断られた市川海老蔵さんですが、振られたことから不機嫌になり、石元太一さんたちにあたり散らしてしまったということ。週刊誌によると、市川海老蔵さんは、石元太一さんに灰皿に注いだテキーラを飲ませようとしたともいわれています。
また、石元太一さんに対して、さらに頭からお酒をかけたといわれていて、それを見ていていた伊藤リオンさんが大激怒し、市川海老蔵さんを殴り倒してリンチしたそうです。市川海老蔵さんは、さすがに命の危険を感じて謝りましたが殴られ続けたため、非常階段から逃げ出してタクシーで自宅に戻ったのだそうです。
この事件により、市川海老蔵さんは全治6ヶ月の重症を負い、伊藤リオンさんは傷害容疑で逮捕。関東連合の名前も世の中に広く知られるようになりました。
「六本木クラブ襲撃事件」とは、2012年9月に六本木のクラブ「フラワー」で飲食店経営者が複数の男達に撲殺された事件で、石元太一さんと先輩の見立真一さんの主導により勃発しました。ターゲットにされたのは、一般人である藤本亮介さん。石元太一さんが敵対視していた相手と勘違いしたことから襲撃の計画が立てられてしまい、石元太一さん不在の元、関東連合により犯行が行われました。
クラブ「フラワー」には10人ほどで押し入り、金属バットなどで男性を襲った後、見立真一さんは国外に逃亡し指名手配されています。石元太一さんは、裁判において「事件を発生させた張本人」として懲役22年の長期刑を求刑されましたが、後に「先輩が首謀した抗争に連絡役として協力したにすぎず、事件の黒幕と位置付けることはできない」とされて懲役11年の実刑判決を言い渡されます。
しかし、さらに、東京高裁に控訴されたところ「襲撃は計画的かつ迅速に行われ、被告人も十分予測していた。計画、準備段階で深く関与した責任を、一審判決は過小評価した」という理由から一審判決を破棄し、懲役15年判決が言い渡されました。
石元太一さんは「六本木クラブ襲撃事件」を引き起こしたことにより、現在、横浜刑務所に収監中です。懲役15年の求刑なので、出所は2032年頃になる予定です。
石元太一さんは服役中ではありますが、現在、獄中からブログを発信しているようです。タイトルは「石元太一のブログ 反証 六本木クラブ襲撃事件 刑務所からの獄中手記」といい、刑務所内の工場に勤務しながら、堀江貴文さんや村上世彰さんなどの本をよく読んでいるようで、ブログには感想や、日々の出来事などいろいろなことを書いています。
また、石元太一さんのブログには「六本木クラブ襲撃事件」で人違いにより殺害された被害者の方やご家族に向けての謝罪の言葉が述べられています。ブログのコメント欄では、ブログ読者からのコメントが寄せられて、読者の身体を気遣うメッセージなどが返信されています。
石元太一さんは、監獄中ですがフリーライターの久田将義さんとこれまで二通の手紙のやり取りをしています。石元太一さんからの手紙は「お忙しい中、いつも手紙ありがとうございます。久田さんの手紙にはいつもいろいろと考えさせられます」という文句から始まる手紙には、関東連合のことやこれまでの事件のことも書かれていますが、刑務所の不満が書かれたこともあります。
その内容によると、石元太一さんは、刑務所も監獄法改正後は少年院と同じように矯正教育に力を入れていると思ってたようですが、全くといっていいほど行われていなく、工場の担当刑務官達が冗談を交えながら為になることを話してくれるくらいだといいます。また、月に2回行われている矯正指導日には、放送されているDVDやラジオを視聴するだけで心に響かない受刑者も多いだろうということ。
さらに、私達受刑者は出されたものしか食べることが出来ないのに、食中毒になった際には調査もされない刑務所があること、面会の取り決めに対しても全国の刑務所で規則が統一されていないことにも疑問を持っているようです。
石元太一さんは、2014年7月10日に拘留中に記した「反証 六本木襲撃事件『逮捕からの700日』」を出版しています。この手記には、現在拘留することになった「六本木クラブ襲撃事件」に対して、石元太一さんが主犯格といわれたことに対しての反論が綴られています。それは、事件の現場となったクラブ「フラワー」の従業員から、敵対視している足を引きづった男が来店したと石元太一さんの電話に連絡が来たことを見立真一さんの後輩に電話で伝えただけで、メンバーを集めて襲撃しろなどとは言っていないという内容です。
さらに、見立真一さんの後輩に話しただけで、凶器になった金属バットも知らないし見ていない、現場の近くにはいたが、店内には入っていないと主張されています。事件の実行犯意外は、凶器準備集合罪などの比較的軽い刑が確定しているため、現在まで、自分も傷害致死罪にはあたらないのではないかという考えのようです。
石元太一さんは、後輩を集めては襲撃の段取りを決める役割を自ら引き受けていたそうですが、「トーヨーボール事件」でも人違いをし、さらに「六本木クラブ襲撃事件」でも無関係の人を殺害することになったことで、仲間たちは怒り心頭で見限られてしまったようです。
さらに、襲うはずであった人が「木村兄弟」という、闇社会では有名な狂犬や最凶といわれている人物であったことから、石元太一さんは刑務所を出所後に逆に狙われて殺されるのではないかといわれています。
石元太一さんは逮捕前の2018年、「不良録 関東連合元リーダーの告白」を出版し、映画「アンダー・フェイス」で俳優デビューする予定でした。でも、2件の詐欺事件と「六本木クラブ襲撃事件」を起こしたことで、芸能界入りは白紙になっています。
また、獄中でもブログを書いたり書籍を出版したりしているので、出所後は芸能界入りも不可能になり仲間たちにも見限られて関東連合関係のシノギで活動することも難しい可能性があるため、作家になるのではないかと言われています。
石元太一さんは、藤井リナさんとも交際していました。藤井リナさんは、石元太一さんが逮捕される前の最後の彼女であり、「海老蔵暴行事件」のときにもお店に一緒に行っていたことが明らかになっていて、六本木クラブ襲撃事件」が勃発したときには、藤井リナさんのマンションにいたことも報道されました。
「六本木クラブ襲撃事件」をきっかけに、現在横浜刑務所に監獄中の石元太一さん。それまでも数々の残虐極まりない行いをされてきたようですが、現在作成されているブログでは、それに対する謝罪も行われているようです。石元太一さんは現在、何を思って日々過ごしているのでしょうか。出所後の動向に注目です。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局
・本名(ふりがな/愛称):石元太一(いしもとたいち/関東連合元リーダー)
・生年月日:1981年12月13日
・現在年齢:37歳
・出身地:東京都台東区浅草
・血液型: ?
・身長: 163㎝
・体重:?
・活動内容:暴走族、事務経営
・所属グループ:元関東連合
・家族構成:父、母3人、姉妹4人