木村良平さんの結婚相手がバラされた事件の真相は?子供がいるのかも解説
2023/12/28
大今里
まずは、栗原心愛(みあ)ちゃんが虐待死した事件の概要についてご紹介します。栗原心愛ちゃん虐待事件は、どういったものだったのでしょうか。
栗原心愛ちゃんの死去を受け、41歳だった父親・栗原勇一郎は暴行・強要・傷害・傷害致死罪で逮捕されました。そして母親の栗原なぎさも、傷害幇助(ほうじょ)罪で逮捕されています。傷害罪の主犯(栗原勇一郎)を手助けをしたということです。
栗原勇一郎と栗原なぎさは、共謀して栗原心愛ちゃんを虐待していました。また、栗原なぎさは娘に暴行を加える栗原勇一郎を止めることもせず、警察にも通報しなかったのです。
2009年9月(栗原心愛ちゃんが誕生して1年後)に沖縄県糸満市にある母親の実家に移っており、栗原心愛ちゃんは沖縄で育ちました。沖縄に移った理由は、母親・栗原なぎさの産後うつや家庭内DVがあったからという話もあります。両親が離婚したたため、沖縄に移ったのです。
栗原心愛ちゃんへの虐待が始まったのは、2017年に両親が復縁して再婚、父親と同居するようになった後でした。その後、同年8月に千葉県野田市に移住しています。
栗原心愛ちゃんを虐待していた両親は、その後どうなったのでしょうか。続いては、栗原心愛ちゃんの父親と母親の現在についてお伝えします。
2020年3月9日に千葉地裁において裁判員裁判が結審し、検察側は栗原勇一郎に対して懲役18年を求刑しました。その後3月19日に行われた裁判員裁判では、栗原勇一郎に懲役16年の判決が下っています。彼は、現在服役しているものと考えられるでしょう。
同種の虐待死事件では、懲役10年前後の判決となるケースが多いものです。しかし栗原勇一郎に科された懲役16年は、異例とも言える重い刑となりました。ただ、被告人・栗原勇一郎は当初虐待を認めていませんでしたし、娘・栗原心愛ちゃんへの暴行の大半を否定していました。
母親・栗原なぎさには、2019年6月26日に懲役2年6カ月保護観察付き執行猶予5年(求刑懲役2年)が言い渡されました。執行猶予が付いたので、保護観察はあるものの母親は収監はされていない可能性があるでしょう。
10歳で両親から命を奪われてしまった栗原心愛ちゃん。彼女の葬儀は執り行われたのでしょうか。次に、栗原心愛ちゃんの葬儀について迫ってみたいと思います。
栗原心愛ちゃんの葬儀については、営まれた日など詳細が明らかにされていない模様です。ただ栗原心愛ちゃんの祖母によると、葬儀の日には雪が舞っていたのだといいます。祖母は、『雪が降ると、孫が戻ってきたような気がする』と語っていました。
栗原心愛ちゃんの死因は、溺死と強度の飢餓(きが)状態やストレスによる不整脈でした。風呂場で見つかったということで彼女が溺れたことや、食事を満足に与えられなかったこと、虐待によるストレスが不整脈を起こしたのかもしれません。
また相当数の水量のシャワーをかけられたことから、意識障害が起きていたという話もあります。
続いて、栗原心愛ちゃんの兄弟について見ていきたいと思います。栗原心愛ちゃんには兄弟はいたのでしょうか。もし兄弟がいたとしたら、その兄弟は虐待を受けていなかったのかについても、迫ってみましょう。
2017年6月に、栗原心愛ちゃんの妹にあたる次女が誕生しています。次女が生まれたのは、両親が復縁で再婚した後でした。2017年2月に再婚していて、次女は同年6月に生まれていることから再婚前に母親のなぎさは既に妊娠していたことになるでしょう。
両親の再婚後に生まれた次女は、可愛がられていたといいます。虐待を受けていたのは、栗原心愛ちゃんだけだったのです。次女は低体重児で生まれ、母親のなぎさも体調を崩して入院をしていました。その際に、栗原心愛ちゃんは父親・栗原勇一郎との2人暮らしをすることになります。
そのことで、暴力はエスカレートしていったのでした。栗原なぎさも夫のDVや栗原心愛ちゃんへの暴力に耐えられなくなり、当時住んでいた沖縄県の糸満市役所に訴えました。糸満市は栗原勇一郎に面会を求めますが、2度とも拒否しています。
そして、強引に妻や娘を自身の故郷・千葉県野田市へと連れていったのでした。
栗原勇一郎は、栗原心愛ちゃんの母親であるなぎさと結婚する前に婚姻歴があります。栗原勇一郎には前妻がいて、その相手との間にも子供がいるのです。そのため、栗原勇一郎の子供は3人となり、栗原心愛ちゃんには異母兄弟もいたでしょう。
ただし、栗原勇一郎は前妻や子供とは離婚後に交流はしていなかった模様です。
栗原心愛ちゃんが受けていた虐待の内容がどういったものであったのか、気になる方もいるかもしれません。ここで、栗原心愛ちゃんが受けていた虐待についてその内容をお伝えします。
子供にとって、食事や睡眠は十分な成長を促すのに必要な要素となるでしょう。しかし栗原心愛ちゃんは、食事や睡眠が不足していた模様です。栗原勇一郎から、十分な食事や睡眠が与えられていなかったのです。時には、長時間廊下に立たせることもあったのだといいます。
また、年越しそばを美味しそうに食べなかったとして風呂場に立たせられたこともありました。栗原勇一郎にしてみれば、『せっかく年越しそばを食べさせているのに、なぜ美味しそうに食べないのだ』といった心境だったのでしょうか。
栗原心愛ちゃんは、暴行も受けていました。暴行により骨折をさせらることもあったといいます。そして冬場でも冷水シャワーを浴びせられていました。また、栗原勇一郎は、娘が苦痛により泣き叫ぶ姿や排泄物を持つ姿を撮影していたのです。また栗原心愛ちゃんは、倒れる寸前までスクワットをさせられていました。
検死結果によると、栗原心愛ちゃんの身体には数十か所にも及ぶ皮下出血が見られたといいます。栗原心愛ちゃんは、そこまで暴力を振るわれていたということです。
栗原心愛ちゃんも、父親からの虐待に耐えかねてSOSを発していました。栗原心愛ちゃんは、教育委員会が行ったアンケートで、『お父さんにぼう力を受けています』と打ち明けたのです。そして、『夜中に起こされたり、起きている時にけられたり、たたかれたりされています』とも告白したのです。
担任が栗原心愛ちゃんの書いたアンケートをもとに行った聞き取りでは、母親は味方をしてくれるものの、父親が“保護者だ”と言い母親の言うことを聞かなかったのだということが書き込まれています。また栗原心愛ちゃんは、沖縄に住んでいた頃には母親も父親の虐待に遭っていたということも語っていました。
もし児童に虐待が行われていると考えられる場合は、学校側や市の教育委員会もしっかりと対応することが求られるでしょう。しかし、学校や教育委員会の対応は良くなかったという話があります。では、一体どういったことなのでしょうか。
栗原心愛ちゃんが提出した アンケートをきっかけに、彼女は2017年11月7日から児童相談所に一時的に保護されました。一時保護は2017年12月27日に解除され、栗原心愛ちゃんは親戚宅に預けられています。関連機関も、虐待の危険性を察知したのです。
しかし一時保護に不満を抱いた父親・栗原勇一郎は、アンケートの開示要求を行いました。
栗原心愛ちゃんに無理に書かせたとみられる(栗原心愛ちゃんが、父親に無理矢理書かせられたと児童相談所に伝えていた)開示請求の同意書を武器に、父親は教育委員会に再三にわたり詰め寄りました。そして教育委員会も根負けしたのか、2018年1月15日にアンケートは開示されています。
その後、2018年1月18日には栗原心愛ちゃんは野田市内の別の学校に転校しました。3月になり、親子関係が改善されたとして栗原心愛ちゃんは自宅に戻ります。6月と11月に行われたアンケートでは、彼女は"いじめはない”という旨の回答をしていました。
栗原勇一郎の開示請求が通ってしまったことで、彼はアンケートのコピーを手にしました。これにより、栗原勇一郎からの虐待は、より一層エスカレートしていってしまいました。栗原心愛ちゃんが、家庭での内情をアンケートで告げたことに腹を立てたのでしょう。
2019年1月7日は学校の始業式でしたが、この日より栗原心愛ちゃんは登校をしていません。
虐待のある家庭では、児童相談所の職員等が自宅を訪れても親が該当の子供に会わせないケースもあります。栗原心愛ちゃんの場合は、必要なタイミングでの自宅訪問がなされませんでした。例を挙げると、最後に親戚宅から自宅に戻った後や最後の冬休み後に欠席しているにもかかわらず、訪問されていないのです。
介入機会は、13回もあったとされるでしょう。もし適切に介入されていれば、違う結果となっていたのかもしれません。
最後に、娘を虐待死させた栗原勇一郎の生い立ちについて見ていきたいと思います。栗原勇一郎は、どういった生い立ちにより育ってきたのでしょうか。
栗原勇一郎は、1977年(1978年との情報も)に空港関係の仕事をしていた両親のもとに生まれました。また、彼の家族は他に妹もいます。そして一家は、栗原勇一郎が8歳の頃に千葉県野田市に引っ越してきました。
小学校は、栗原心愛ちゃんと同じ千葉県野田市立二ツ塚小学校に通っています。当時は野球をやっていましたが、弱い者いじめは既にこの頃からしていた模様です。例えば、リコーダーを便器に流すことや上履きを隠すなどといった行為をしていたという同級生の証言もあります。
そして栗原勇一郎は千葉県野田市立福田中学校を卒業し、その後は埼玉県内の高校に進学しました。
大学卒業後の栗原勇一郎は、日本エアシステムの子会社に就職しました。しかし数年で離職しています。その後の彼は、東京や沖縄で職を転々としていた模様です。逮捕時には、沖縄観光コンベンションビューロー東京事務所の嘱託職員をしていました。
栗原勇一郎が娘・栗原心愛ちゃんを虐待したのには、両親との関係性などは関係あるのでしょうか。最後に、栗原勇一郎と両親の関係性や妹について迫ってみたいと思います。
栗原勇一郎の両親は、彼を溺愛していたといいます。栗原勇一郎は2007年に1度めの結婚をして、彼の暴力が原因で離婚しました。その際に、彼の両親は沖縄に行きたいと言った栗原勇一郎に総額2,000万円(月に15万円から20万円)を援助していたのです。
栗原勇一郎の母親は、公判において彼を庇う発言をしています。例えば、栗原勇一郎の妻・なぎさが病気になり子供2人の面倒を見なければいけなくなった、ストレスが原因で起こしてしまったことだという旨のことを言っているのです。
また、『孫は息子以上に可愛い。自分から虐待を疑われるのは勇一郎が可哀そうだ』とも言っているでしょう。それでなく、行政に責任転嫁する発言まで飛び出しています。栗原勇一郎の母親は、『児童相談所が(栗原心愛ちゃんが)要保護児童なのだと教えてくれればよかった』ということも語っていました。
栗原勇一郎には妹がいますが、この妹は栗原心愛ちゃんと8か月間ほど一緒に暮らしています。妹にとっては姪にあたる栗原心愛ちゃんですが、妹は実の娘のように可愛がりました。そんな妹は、兄・栗原勇一郎について「自分より地位の高い人にはいい態度で接するが、低い人にはそうではない」と語っています。
また妹は、栗原心愛ちゃんに暴行の痕があるのを発見していました。頭には髪の毛が抜けた痕があり、首回りが白くなり頬にも1センチほどの痣が2か所ほどあったというのです。妹が栗原心愛ちゃんに聞くと、栗原勇一郎にやられたのだと泣きながら打ち明けたといいます。
次に栗原勇一郎からの暴力があったら通報すると約束したのが、妹と栗原心愛ちゃんの最後の会話になったのでした。
小学4年生だった栗原心愛ちゃんは、事情で父親・栗原勇一郎と暮らすようになり暴力を受けるようになりました。耐えかねた栗原心愛ちゃんは、アンケートでSOSを発しましたがそれも功を奏さず、父親からの暴力は続きます。そしてついに2019年1月に栗原心愛ちゃんは亡くなってしまいました。
学校や行政の対応の悪さもあったとされる今事件ですが、親からの理不尽な虐待事件が無くなって欲しいものです。
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2019年1月に、千葉県野田市に住む小学校4年生・栗原心愛(みあ)ちゃんが両親から虐待を受け亡くなりました。栗原心愛ちゃんは2019年の正月明けから学校には登校せず、父親は「沖縄にいる」と証言しています。2019年1月24日に、栗原心愛ちゃんは変わり果てた姿で自宅浴室で発見されました。